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あきらの迷い込んだ先は(2/4)


「——相変わらず浮かない顔をしてるわね」


 すぐ近くに瑠璃のきらきらと光るピアスが見える。彰良はなるべく彼女の瞳はみないまま、近い、と言った。


「近いとなにか問題かしら?」


 黒い瞳がすっと細められる。それが笑っているのだと分かったのは、離れていく彼女の赤い唇の端が上がったからだ。不自然なほどに赤い口紅が塗られているのだが、何故だか彼女には自然と似合っている。


「彰良くんに女性恐怖症や接触嫌悪があるなんて、カルテには書かれてなさそうだけど」


 わざとらしく手元の端末に視線を落とした医師に対して、彰良は椅子を引いて距離を取る。


 医師である瑠璃がこの部屋に足を運んでくるのは今回で三度目だった。彰良は医師に足を運んでもらうほどの重病人ではなく、単に栄養失調というだけのはずで、本来であれば診療所に呼びつけるなり、バイタルサインを採取するためのチップを埋め込むなり装着させるなりすれば良いだけだ。


 ——にも関わらず、事務的で親切さのかけらも無いと噂の医師がわざわざ足を運んでくるのは何故だろう。彰良が大人しく診療所に向かうと思えない、と船長が手を回して医師に命じているというのはありそうなことだが、だからと言って彼女が上の指示で嫌々来たようには見えなかった。


 初めてここにきた時には意味不明の暗号文を送りつけてきて、挨拶と言って意味不明に唇を奪っていった彼女は、前回の診察では不審な真似こそしなかったものの、診察中にいちいち距離が近い。ベッドに腰掛けていると隣に腰をかけて来るので、この部屋で一つしかない椅子に座っているのだ。


「不快を感じる一般的なパーソナルエリアは完全に侵しているはずだけどな」

「それは相手との関係性を加味した相対距離でしょう。医師として患者を診察している時に、そんなことを訴えられたことはないわね」


 瑠璃はそう笑って、頬に落ちていた黒髪を耳にかける。そして組んでいた足を組み直すと、ちらりと白い脚が見えた。そんな何気ない仕草にも何やら作為的なものを感じてしまって、彰良は不愉快な気分になる。


 診察のために必要なマーカーを体に取り付けているのは分かっているのだが、それでも必要以上に近接している気がするし、必要以上に彰良の肌に触れている気がする。なんなら先日よりも白衣から覗くシャツの胸元が開いている気もするし、白衣の下から見えるスカートも短い気もして、そこに視線が向かった自分に対しても不愉快な気分になった。


 こんな密室で密接している相手が中年の男性医師で、自分が若い女性であれば、すぐさましかるべき場所に訴えられる気がするのだが、いかんせん相手は若くて綺麗な女性で、自分はその太ももに視線を落としてしまうような男だ。そうでなくとも訴えたところで、瑠璃には勝てないだろう。彰良は船長に気に入られてはいても信用されているとはとても思えないが、瑠璃の方はそのどちらも勝ち得ているはずだ。


 いっそ押し倒してやろうか——とも思うが、それこそが彼女の思う壺だろう。


 彰良を利用しようとしているのか、それとも何らかの理由で彰良をはめようとでも考えているのか。何にせよあからさまなハニートラップではある。異性として彰良などに興味があるはずはなく、ただの暇つぶしという線も無くはないが、それならばあんな手の込んだ暗号を送ってきておいて放置はしないだろう。どういうつもりだと聞いても全く答えは得られず、彼女の狙いが分からないところが、一番不愉快ではある。 


 不機嫌な顔を隠さずにいたのだが、瑠璃はおかしそうに笑うだけで、視線を手元に落とした。彰良の体につけたマーカーからリアルタイムで送られる生データなのか、相変わらず信じられないスピードで数字が流れ落ちていく。


「罰として運動させられているらしいわね。順調に鍛えられている?」


 マーカーの数字を見て皮肉で言ったのか、それとも単に小耳に挟んだ情報なのかは分からなかったが、なんにせよ彰良は眉根を寄せる。


「鍛えられたように見えるか?」

「見た目はともかく、私よりも筋力の値は低いわね。今のままだと簡単に押し倒せそうだけど」


 そんなことを言われて、彰良はさらに顔を顰める。瑠璃はすらりとした長身だが、長い手足にはそれに見合うだけの筋肉はついていそうで、決して華奢には見えない。押し倒すのではなくて押し倒されるのか——などと考えるとますます不愉快ではある。なぜかちらりと浮かんでしまった那月の顔を振り払うように、彰良は深く息を吐いた。


「一日数分走ったくらいで筋肉がつくはずもない。それより一時的でいいから筋肉量を増やす薬を処方してもらえないか」

「そんなのいくらでもあるけど、どれも副作用もそれなりにあるわよ。一日数分で済むなら、大人しく走ったほうが楽だし有意義だと思うけれど」

「有意義かどうかは知ったことではないが、少なくとも俺は楽ではないな」

「ふうん? ちゃんと運動しないとすぐに老けちゃうわよ。私は毎日三十分はランニングルームを使ってるもの」


 ここにも罰でもないのに自ら走る人間がいる。


 運動など時間の無駄だと言いそうな瑠璃が体を鍛えているというのは意外ではあるが、健康のために科学的な根拠があるということだろう。もしくは見た目の問題か。いつ見ても化粧も髪型も服装も綺麗に整えられている彼女は、自分の体型も綺麗にメンテナンスしているのかもしれない。


 それを考えると、服装も髪型も気にせずひょろりと痩せて不健康な彰良は、彼女からどう見えているのだろう。見下されているような気もして、一人でまた不愉快な気持ちになる。


「さっさと老けて死ぬのは望むところだよ」

「若いのにもったいないわね。おじいちゃんになる前にお姉さんと遊んでみない?」


 ふっと赤い唇を笑みの形にした彼女に手を伸ばされて、彰良は慌ててその手を払う。


「嫌だ」

「どうして? 女性に興味なかったりする?」


 そんなことを言われて、彰良は盛大に顔をしかめる。


「自己評価が高すぎないか? 女性に興味があれば誰でもあなたが好きになるとでも?」

「別に好きになるとは言ってないけれどね。女性に興味があれば、誰でも服の下が見てみたいとは思うんじゃない、って」


 そう言って開いたシャツの胸元に指を入れた瑠璃に、彰良はどきりとする。襟元から覗くふっくらとした膨らみに、確かに服を脱がせたいという欲望もある気はするが、一応はまだ理性が優っている。彼女から視線を逸らすと、机の上にある端末を操作して見せる。


「そろそろ帰ってくれないか。何が狙いかは知らないが、言動は全部録画してるよ」


 端末のモニターに映った彼女の顔を見てから、実物の彼女を見る。少しは牽制になるかと思ったが、それくらいは想定の範囲内なのだろう、瑠璃はにっこり笑ってみせた。


「あら、そういうのが趣味? レンズの前で脱がされたいの?」

「そういうあなたは人前で裸になるのが趣味か?」

「相手が興味のある子ならね」

「利用しがいのある男なら——だろう」


 そう言って睨みつけたのだが、彼女は肩をすくめて笑う。


「あなたの方は自己評価が低くない? どうして私が純粋にあなたのこと好きだって思わないの?」

「俺の頭の中が好きなんだろう」

「それも全部ひっくるめて彰良くんじゃないの?」


 はっ、と短く息を吐く。


 彼女が全部ひっくるめた彰良の何を知っていると言うのだろう。彰良の代えはいないと言った船長と同じで、瑠璃も彰良の頭脳にしか興味はないはずだ。そして彰良を動かすためにどうするか——その答えがこれなのだとしたら、随分と馬鹿にした話だと思う。


「これ以上、ふざけた会話に付き合うつもりはないな」


 彰良は立ち上がってから、体につけられたマーカーを乱暴に引き剥がす。狭い部屋では瑠璃を見下ろす形になったが、彼女は面白そうにこちらを見上げているだけだった。


「悪いが、あなたにもあなたの裸にも興味はない。何か俺にやらせたいことがあるなら、別の方法を考えて出直してこい」


 彼女は何かを言おうと口を開いたようだが、彰良は背を向けて部屋を出る。すぐに追いかけてくるかと思ったが、部屋に置いてきたマーカーなどを鞄に戻す手間などはいるのだろう。部屋から立ち上がる音がしないのを確認してから、彰良は一つ嘆息し、そのまま職場へと向かった。




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