あきらの迷い込んだ先は(1/4)
倒れそうな気分で椅子に座ると、隣の制御士に笑われた。彰良が睨みつけるとさらに笑われる。真美という彼女は制御室の中にいる唯一の女性で、寡黙な人間が多い中で唯一、自分から他人に話しかけてくる人間でもある。
「彰良くん、さすがに反省してる?」
「……もうとっくに反省してるよ。そろそろ許してもらえないか」
毎朝、制御室に入るなり、律儀に船長からの言いつけを守った制御士たちにランニングルームに入らされる。酸素は薄いし強制的に足を動かされるし、彰良は朝からふらふらになって出てくるのだ。走るのは時間にすると十分ほどなのだが、一日分の体力と精神力を吸い取られる。創造力も生産性も吸い取られているのではないかと思っているのだが、朝から死ぬほど嫌な気分になっているわりには、作業の進捗は悪くない。
少しは体を動かした方が脳の効率はいいと言っていたのは和志だったか。そもそも運動の好きな悠真あたりが言っても信用できないところだが、無駄なことを嫌う和志の言葉はそれなりに意味はある。とはいえ、いくら脳の効率が悪くなろうと、選択できるなら彰良は運動などしない。
「でもランニングルームの数値は子供レベルよ? 健康のためには少しは運動した方がいいんじゃない?」
真美はそう言って笑ったから、彰良は顔を顰める。
ランニングルームは入っている人間の動きや脈拍や呼吸数、体重などによって自動で負荷が調整される。数値というのはその負荷のことを言っているのだろう。
「今のところは運動しなくても支障はないよ」
「今のところはね? 歳をとると色々と支障ばかりよ。私も最近、まじめに運動するようになったもの」
そう言って肩に手をやった彼女は、もう三十は超えていたか。たしかに昼食を取った後、彼女は誰に強制されてもいないのにランニングルームを使っている。
「その時はその時考える」
「そうね、今は今で大人しく罰を受けていればいいわ。筋肉量はまだまだ標準値にはなりそうもないものね」
からからと笑いながら言われて、彰良はため息をついた。
こんなことなら大人しく懲罰室に何日か入れられた方がマシだった——が、それよりもこちらの方が彰良が嫌がると思ったからこその懲罰なのだろう。一日十分ほど走ったくらいで筋肉がつくとも思えず、ランニングルームに入ってすぐに計測される自分の筋肉量はいつも、かなり低いと表示されており、標準値まではまだまだ遠い。
自分の定位置に腰をかけてディスプレイを覗くと、真美はもう話しかけてこなくなった。仕事の邪魔をする気はないのか、それとも別にこれ以上話す気もないのか。彼女はこの部屋の中ではおしゃべりな人間という位置付けだが、それでも挨拶しかしない日の方が多い。
制御士がそれぞれ個室を与えられず、全員が一つの部屋に押し込まれるのは、お互いがお互いに監視できるようになのだと言われているが、実際には隣の人間が何をしているのかなど見はしない。彼女が隣で何かしらのテロを企んでいようが、彰良が天空盤をメッセージボードがわりに使おうが、事前にそれを察知できる人間などいないはずだ。何かをやった時にすぐに周囲で取り押さえられる、対処ができる、という意味では良いかもしれないが、先日も普通に退室することはできたのだ。
もちろん操作した履歴は全て採取されているし、第三者による定期的な監査は発生するから、本気で何か大掛かりなことを企むのは難しいのだが、短期決戦ならやれないことはないし、何かしらの大義名分さえあればシステムの解析は可能だ。
実際、彰良はここ数日ずっとセキュリティシステムを追っており、解除の方法も抜け道も思いついてはいる。ただどちらも時間と労力がかかりそうだと思いはするので、彰良が本気でやったとして、システムや人間の監査に引っかかるのが先か、システムを突破するのが先か、と言ったところか。敢えてその難解さを分かりやすくしているのも、アタックする前に諦めさせるという、セキュリティ対策の一環ではあるのだろう。
そのため、今も別に船のセキュリティにアタックするために解析しているわけでなく、新しいシステムに刷新するための下準備だった。彰良は既存のシステムのメンテナンスや監査といった仕事はほとんどやっておらず、もっぱら新しいシステムやシステム開発のためのAIの開発が主だが、どちらにせよ一から作るわけはない。既存のシステムなり色々な試作品なり他のシステムのロジックなどを組み合わせて作成するのだ。そのためにも既存のシステムもそれなりに頭に入っている。ここではまだ一番の新入りではあるのだが、それでももう八年は毎日ここに篭っているのだ。
「——なんだ?」
思わず呟いてしまって、真美に怪訝そうな顔を向けられる。なんでもないと首を振ってから、画面の記載を追った。
ふと、違和感の正体に気づいた気がしたのだ。
昨日から見ていたのはこの宇宙船内の一部の通信設備に関するセキュリティシステムで、ハッキング等によるシステムへの干渉を防ぐものであり、物理的に隔離された機器装置を守るためのものだった。当然ながらこの船にとって重要なシステムの一つであるのだが、もう塩漬けされたようなシステムで、もう何年も手が入った形跡はない。ハッキングしてシステムを改ざんするような人間は彰良以外に聞いたことはないし、仮にハッカーがいたとしてもここは狙わないだろう——という気がしていたから、誰も見向きもしていないのだろう。
一見して単なる通常のセキュリティコードであり、変わった点はない。関連する資料の中身が分かりづらいのは他のシステムと同様であるし、なんならコード自体の可読性も悪いが、制御士というのは変わった人間が多いため、ままあることではある。独自のこだわりを持っていたり、既存の処理を使いたがらない人間もいるのだ。ここでもたまに何をしたい処理なのか全く分からず、追ってもどこにも辿りつかないようなものすら出てくる。何かしら既存の処理を流用した上でのデッドコードなのかもしれないが、それにしては継ぎ接ぎと言った感触ではない。誰かが一から作ったもののように見える。
このシステムの製作者がとても変わった人間だったのか、技術的なスキルが低かったのか。
——もしくは敢えて大量の処理を書いて可読性を落としているのか。
そうして視点を変えて見てみると、意味不明な処理も何らかの意味を持ってくる。頭の中にぐちゃぐちゃに入っていたロジックが、急に一本につながった。
回りくどい書き方で書かれた大量の正常処理は全てダミーだ。実際にそれでセキュリティシステムを動かしてはいるから正確にいえば偽物ではないのだが、何にせよ製作者の意図は別にある。何かの仕掛けを処理の中に隠したかったのだ。彰良は無駄で正常な処理を排除しながら、壮大なシステムを追って行く。
これは宇宙船内の通信を司る装置ではなく、宇宙船から外に出るための通信装置だ。ハッカーがいたとしても狙わないだろう、というのもそこにある。宇宙船の沈没を狙うなり、ここに居住している人々の生命を脅かすなり考えたとして、狙うべきは宇宙船内部の通信遮断や乗っ取りだ。広大すぎる宇宙空間を彷徨う塵のような宇宙船の、外部通信をハッキングしたところで何も得るものはない。
だがそれでも、ぞくりと悪寒がするような気がした。
この宇宙船は生き別れた人類が乗っているはずの宇宙船をずっと探し続けている。もしくは、すでにどこかに新天地——新しく居住可能な惑星衛星を得たかもしれない人類と、合流することを願っている。そのため、絶えず自身の居場所を外部に発信し続けているし、外部から発信されているかもしれない電波を受信しつづてけいる。
全く応答らしい応答はない——という状況が何百年も続いているのだが、果たして本当にそれは事実だったのだろうか。
『いつかね、地上に着くかもしれないでしょう』
幼い那月がそう言って笑ったのを思い出す。
別に彰良はそんなもの信じてなかったし、求めていたわけでもない。仮にどこかの惑星から電波信号を受信したとしても、そこにたどり着くまで彰良が生きているとも思えなかったし、仮に他の船に乗った人類と連絡が取れたところで簡単に合流できるわけでもない。どうせこの狭い船で生まれて死ぬだけだと思っていたから、別に何が変わるわけでもないのだが、それでも鼓動が速くなる。
外部通信を守っているはずのセキュリティシステムは、一見すると正しく機能しているように見える。
が、その一方で外部との通信を遮断しているようにも見える。
外部との送受信処理を見てみないことには、これが最終的に有効となっている処理なのかは分からないが、そもそもこれを作った人間は確実にそれを狙っているだろう。いつの時代のどんな人物がなんのために処理を仕込んだのかは分からないが、もしこの処理がずっと生きているのだとしたら。
最初からこの船に対する救いなど何処にも無かったということだ。




