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なつきの現在地(1/4)


「ミフユ、ちょっと休憩しようか」


 那月は小さな作業室の中で立ち上がって、大きく伸びをする。


 机の上に乗っていた黒い鼠(ミフユ)も那月の動作を真似するように立ち上がってから、ころりと後ろに倒れた。キュウと鳴いたミフユに笑って手を差し伸べてやると、指先に乗った小さな黒い毛玉はちょろりと腕を伝い、そして途中からは髪の毛に捕まるようにして那月の頭の上に乗る。最近は高いところがお気に入りのようで、良く那月の頭の上に乗っていた。


 那月はミフユを乗せたまま部屋を出て、細い廊下を歩く。


 いくつかドアがあり、そこには那月のように小さな部屋で作業をしている人たちがいるはずだが、中からは何も音は聞こえてこない。どうせなら大きな部屋にしてみんな一緒に働けば良いと思うのだが、そうなったらもしかしたら今のように好きに休憩は取れないのかもしれない。


 すでに那月は勝手に外を出歩くなと何度も指導されている。今日の分の仕事が終わってもうやることがないから、と言ったら、その日から業務量が二倍ほどに増やされたのだが、それでも休憩を取るくらいの時間は十分にあった。


 自分で言うのもなんだが那月は仕事が速く、学生時代から与えられたタスクも半分くらいの時間で終えてしまう。知能テストの結果も悪くないから、真面目に勉強をしろといつも怒られてきたのだ。だがいかんせん集中力が続かず、飽きるのも早いので、大人たちも那月に勉強をさせて研究者等にすることは諦めたらしい。適材適所というのがここの理念だから、そんな那月にもできる仕事を、ということで今のこの役割なのだろう。


 十八になった那月に任されたのは、監査員という仕事だった。


 勝手に学習して成長していく人工知能の監視と是正は人の目でやる必要があるし、人が不正を働いてシステムや人工知能の目を欺こうと思えば、やはりそれは人間の目で確認する必要がある。それを監視したり情報を収集して報告するのが監査員の仕事なのだ。


 人々が日々実施している業務の内容や成果をデータで確認して、人間が実施している作業で何か不審な点があればその人物を訪ねて実際に中身について確認する。また人の手を介さずに自動で動き続ける機械や、人工知能が行なっている処理の結果データについて確認して、不具合があった場合はそれを報告して学習データとして取り込んでもらう。


 業務の八割は狭い作業室内でずっと数字やデータを睨んでいるのだが、色々な人と会って話をする必要もある。人と話をすることは好きだし、細かくて膨大なデータの処理も苦手ではない。個室で作業をしているから、集中力が切れれば好きな時間に休みを取ることもできる。那月をこの仕事に任命したのは船長だが、彼もきっとこれが那月に向いている仕事なのだと思ったのだろう。


 きっとこうして外さえ出歩きさえしなければ、個室で空想や昼寝をしていたところで何も文句は言われないはずだ。それでも今のところたまに怒られるくらいで、ペナルティを科されるほどではない。怒るトーンもだんだん下がってきているから、那月も一日に何度かはこうして外に出て気分転換をしていた。


「みて、ミフユ。もしかして悠真がいないかな」


 青い空を見上げると、当然ながらそこに悠真はいなかったが、それでも先日見た空を歩く彼の姿が目に浮かんだ。


 空を歩くというのはどんな気分なのだろう。


 見上げた天に張り付くように暮らしている那月たちを見て、彼は何を考えただろうか。整備士という仕事は、昔から那月たちに色々なものを作ってくれた悠真にとてもぴったりな仕事だと思うし、那月達がいけない場所にも行ける。悠真も楽しそうにそれを語っていたし、きっと充実した日々を送っているのだろう。


 それを考えるととても嬉しいような、どこか羨ましいような、少し寂しいような、そんな複雑な気持ちになる。


 当たり前だが、悠真はもう大人なのだ。那月ももうこの船の一員として必要な仕事をしており、もう大人にはなっているはずなのだが、気持ちとしては全く追いついていない。


「——那月、こんなところで何をしてる」


 背後から声をかけられ、驚いて飛び上がった。急に動いたから頭に乗っていたミフユが地面に落ちて、きゃあと悲鳴をあげる。


 那月が拾い上げる前に、男が落ちたねずみの尻尾を掴んだ。尻尾を摘まれぶら下げられて、キュウと鳴くミフユを見て、那月は慌てて手のひらを差し出す。動いているので壊れてはいないのだろう、と安堵はしたが、また没収されてしまうかもしれない。


 船長は那月の手と顔を交互に見てから、仕事は終わったのか、と言った。


「今日の仕事は終わったわよ」


 そう言ったが半分は嘘である。もともと規定されている仕事はとっくに終わっているが、渡されている二人分の仕事量はまだ終わっていない。


 だが那月の言葉を信じたのか、特に質問に意味もなかったのか、船長は那月の手の上にミフユを返してくれた。


「少しは大人しく作業室にこもっていられないのか? 懲罰室の中ですらあんなに大人しくしていたのに」


 そう言われると、たしかに学生時代は懲罰室に入れられたところで、全く苦でもなかったのだ。それを考えると作業室であんなに息が詰まるのは何故なのだろう。自分でもよく分からなかったが、とりあえず船長には適当に言葉を返した。


「少しは気分転換をした方が、効率よく仕事ができると思わない?」

「気分転換なら部屋の中で一人でできることを考えろ。堂々と外でサボっていたら、他の人間に悪影響があるだろう」

「今のところ船長以外に誰も見えないけれど?」


 そう言って那月は緑色の野原や、窓もない作業のための建物、誰一人として歩いていない湾曲した道を見る。


 夜はみんな部屋にこもってしまうのだが、昼は昼でみんなそれぞれの職場にこもっている。業務に追われているため、那月のように昼間からうろうろしている人間はさほど多くないのだ。船長も暇でうろついているのではないかと言ってやりたい気はしたが、彼がそんな無駄なことをしないことは、聞くまでもなくわかる。


 船長は周りを見回すこともせずに、ため息をついた。そして冷たい瞳で那月の手のひらで包み込んだミフユを見下ろす。


「職場に私物の持ち込みも禁止だ。普通であれば没収のうえ廃棄だな」


 そんな言葉に那月はびくりと体を震わせる。それくらいのことなら、彼は簡単にやるだろう、と思ったのだ。今だってあっさりと返してもらったのが奇跡でもある。何かを言い返そうと少し迷ってから、結局は口をつぐむ。ぎゅっとミフユを抱き込んだ。


「……仕事に戻るわ」

「そうしてくれ。日頃の作業に免じて今日だけは見逃してやる」


 意味の分からない言葉に、那月は首を傾げる。


「日頃の?」

「相変わらず無駄に頭だけはいいな。レポートの出来がずば抜けて良い。しかも毎回、どうやって見つけるのか想像もできないシステムの不整合まで指摘されてるからな」


 いつもよりも那月に甘い気がするのはそう言う理由か。


 船長は優秀な人間が好きで、相手によってあからさまに当たりが違う。彰良などはどんな態度を取ろうが船長のお気に入りなのだし、那月も幼かった頃は知能テストの結果のおかげかそれなりに接してもらえていたのだ。それでいて長じるにつれてろくに勉強もせずに反抗ばかりしていたから、余計に嫌われているのだろうと思っていた。


「船長に褒めてもらえるなんて光栄ね」

「作業はその調子で続けてくれ。——だが、次に頭にそんなものを乗せて歩いているのをみかけたら、その場で踏み潰すからな」


 男は冷たい口調でそう言うと、じっと那月を見つめてくる。言いたいことを悟って、那月はくるりと背を向けた。ミフユを抱いたまま足早に作業室へと戻っていった。


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