はるまの現在地(2/4)
仕事が終わった後に食堂で落ち合い、二人で食事を取った。そして食べ終わるとそのまま那月の部屋に向かう。二人で話をするときは大抵、彼女の部屋に行くのだが、それは二十二時の門限ぎりぎりまで話をするためだった。
仕事が終わる十八時から二十二時までが、自由に部屋を行き来できる時間で、二十二時になる時には必ず自室にいる必要がある。いなければ通報されるから、悠真はいつもトレーニング代わりと言って部屋まで走って戻るのだ。ロックがかけられる二十二時までに部屋に滑り込んでから、全ての電源が落ちる午前零時までに風呂に入ったり寝る準備をしたりとばたばたと支度をしている。
そしてもう一つの理由は、彼女の部屋にいる愛らしい同居者に挨拶するためだった。
「ただいま、ユキ。ミフユ」
那月が部屋に入るなり、仔犬と小さなねずみが足元にかけてきた。
「なつき、おかえり。会いたかったよ」
那月が二匹をすくいあげると、黒色のねずみはちょろりと彼女の肩の上に乗り、茶色の仔犬は鼻先を彼女の首元に寄せる。ユキと名付けられたその仔犬型のロボットは、すり寄るように那月に顔をつけてから、悠真の方を見る。光を映して濡れたようになっている黒い瞳は、まるで生きている本物の瞳のようだ。
「はるまも会いたかった」
「俺も会いたかったよ、ユキ。元気にしてるか?」
そう言って腕を伸ばすと、ユキは悠真の腕に頭を乗せる。那月が渡してくれると、ユキは悠真の腕の中にちょこんと収まった。会うたびにお喋りが上手になっているのは、それだけ那月が話しかけているからだろう。
「元気だよ。はるまも元気そうだね」
「ああ」
「今日のはるまはとてもカッコよかったね」
「かっこよかった?」
そんなことを言われて悠真が首を傾げると、ユキは頭を上げて机を見る。すると机の上のモニターが光った。そこには真っ青な空に立つ悠真の姿が写っている。
「なんだこれ」
「すごいから思わず映像に残しちゃった」
那月が笑って携帯端末を天井に向ける素振りを見せる。そうやって画像記録を残したのだろう。端末の中身はユキに繋がるようになっているから、ユキはそれを見て格好良かったと言ったのだ。
「すごいね、はるまはお空にあるいていけるの?」
「悠真みたいに特別な人だけね」
「はるまはすごいね」
すごいね、と繰り返すのは、それが那月の口癖だからだろう。きっと彼女はユキに対しても使っているに違いない。
「ユキもお喋りが上手になってすごいな。なつと仲良しか?」
「もちろん、なつきは大好きだよ。はるまも大好き」
そんなことを言ったユキの暖かい体に、思わず顔をうめる。悠真でさえそんなことを言われたら可愛くてたまらないと思ってしまうのだから、那月もいつも癒されているだろう。
——那月に何かプレゼントを、と考えたときに、ミフユのような動物はどうだと言ったのは悠真だったが、どうせなら話し相手になる人工知能を使おうと言ったのは彰良だった。彼は選んだ人工知能を色々とカスタマイズしていたようで、いつも何でもすぐに作ってしまう彼にしては、時間をかけているように見えていた。
彼はもともと寮を出たら悠真達と会わないつもりだったのだろうか。子供達にもなかなか会えなくなり、彰良とも会えずに寂しがる那月のために、ユキを渡したのだろうか。
「はるま、くすぐったい」
顔の下でユキのふわふわの体が動いて、悠真の鼻をくすぐる。
——彰良が那月に乱暴をして泣かせたのだ、と。
彼からそれを聞いた時の感情は、怒りなのか悲しみなのか分からなかった。衝撃でもあったし、裏切られたという気持ちもあったし、那月の気持ちを考えると苦しくもなる。那月のことを一緒に大切に思っていたはずの彼が、彼女のことをひどく傷つけたことを信じられないと思う一方で、自分はそれを察していたような気もして、よくわからなくなる。
彼ら二人の雰囲気からすると、最近のことではないのだろう。
二年ほど前に彰良が部屋から出なくなっていた時期があった。食事も摂っていなかったようで、そのまま倒れて病院に運ばれて行ったのだが、その時の那月の様子もおかしくて、きっと二人の中で何かがあったのだろう——と思っていたのだ。なにか、というのが何なのか、聞くこともできないまま、会ってくれない彰良となんとなく距離をおき、どこか沈んだ様子の那月にそれとなく接してしているうちに、いつの間にか二人が普通に会話しているのを見て悠真はひとり安堵した。
彼らに嫌われたくもなかったし、自分が彼らを傷つけたくもなかった。自分が何をすれば良いのかもわからなかったのだ。
だが本当は那月のためにもっとできることがあったのだろうし、もしかしたらその時にちゃんと彰良と話をしていれば、何かが違っていたのかもしれない。
彰良はもう那月を泣かせたくはないから会いたくないと言ったが、彰良には今日も会えなかったね、と寂しがっていた那月の顔はそれこそ泣きそうなものに見えたのだ。
「悠真? どうしたの?」
じっとユキを抱き込んでいる悠真の顔を、那月が覗き込んできた。
「なんでもないよ」
そう言って彼女の頭を撫でると、那月は子供のような顔で笑った。
キスをした時には困ったような顔をされてしまったが、ぎゅっとハグをしたり、頭を撫でたりすると嬉しそうな顔を返してくれる。幼い頃のまま彼女は何も変わらないのだ——と思っていたのだが、それでいて彰良に抱かれたのだと思うと、どきりとするような、ひやりとするような、そんな思いがした。
那月は何も変わらないはずなのに、勝手にそこに彼女の裸を想像してしまって、そんな自分が嫌になった。那月のことは色々と分かっているつもりだったのだが、本当に『つもり』なのだろう。那月が何を考えていて、彰良に対してどんな感情を抱いていて、悠真のことをどう思っているのか、悠真にはわからない。
彼女と距離を取るために椅子に腰をかけると、彼女はそれに気づいているのかいないのか、ベッドに座った。抱いているユキから手を離すと、茶色の尻尾をぱたぱたと振りながら那月の元に戻っていく。
「昨日は香奈にあったよ」
「本当? 元気にしていた?」
目を輝かせた那月に、ああ、と返す。
二人でいると自然と職場にやってきた学生達の話題になることが多い。前はここにいない彰良の話ばかりをしていた気がするが、那月も彰良がここに来ることを避けていることは、とっくに気づいているのだろう。最近ではあまり彰良の名前を出さなくなったし、悠真も彼に会いに行ったことを話したいとは思えない。
「元気そうだったよ。喋りすぎてて整備士に怒られてたくらいだ」
そんなことを笑って話しながらも、前のように他愛のない会話を純粋に楽しめない自分にも気づいていた。
ここに彰良がいないことにやはり違和感はあるし、二人きりで部屋にいて何を話せば良いのか分からなくなる時さえある。それならば、そっとキスをして恋人達のように過ごせないだろうか、と。そう考えてみても、やはり困った顔をする那月しか浮かばなかった。
彼女は悠真が嫌なのではなく、悠真が彼女にキスをすることで、彰良に会えなくなるような気がすることが嫌なのではないだろうか——などと考えてしまうから、余計にどうしようもない。
もしかしたら悠真が那月から離れれば、彰良は戻ってくるのかもしれないし、それが本当に那月の望みならば叶えてやりたいとも思う。一方で、どうして悠真ではダメなのかと思うような感情もあり、どうしようもないこの気持ちの持っていく先が、どこにあるのか全く見えないのだ。




