はるまの現在地(1/4)
「まったく、こんなものすら扱えないのか?」
心底、呆れたように言われた言葉に、悠真はすみませんと頭を下げた。
十八になって悠真が任されたのは整備士で、機械の不調をチェックしたり、故障を修繕するのが主な役割になっている。とはいえ、元よりさほどの技術があるわけでもなく、現状では修繕士と整備士の見習いといったところか。
先輩の整備士である満彦が黙々と作業をする様子を見ながら、なんとかやり方を覚えていく。寡黙なくせにこちらに対する文句などはしっかり伝えてくる年配の男性は、配属した悠真の姿を見るなり目を丸くしてため息をついた。どうもこの髪色や瞳の色が気に入らないようで、何かにつけて、そんな格好をしているから、などと訳の分からないことを言ってくる。
悠真にとっては何からどうすれば良いのか分からなかった中央回路の障害も、もう何十年も同じ仕事をしている彼に取っては何十回と繰り返してきた作業なのだろう。慣れた手つきでほんの十分足らずで電気が通った。
「おお」
思わず声を上げると、満彦はちらりとこちらを見上げてから、馬鹿にしたような息を吐く。彼には何も分からなかった若かりし頃は無いのだろうか、などと思うのだが、もう記憶にもない昔のことなのだろう。
「ありがとうございます、勉強になります」
前はこう言って頭を下げておけば少しは機嫌が治ったのだが、言いすぎてもう聞き慣れてしまったのだろう。ぴくりとも表情を動かさず、突き返すように部品を放られた。
そもそも唯一の同職である彼が教えてくれる気がないのだから、悠真が学びようも無い気がするのだが、そこはマニュアルを読めとか過去の動画をみろということなのだろう。悠真も時間があるのならそうするが、日中はなんだかんだと忙しく作業に追われているし、夜に部屋に帰って貴重な時間を使ってまで仕事のことを考えたくもない。
悠真は文字通り山積みにされた故障機器を見上げて、密かにため息をついた。
機器に問題が発生すれば、半自動で代替品が手配されて故障品はここに届けられる。整備士は先日まで彼一人しかいなかったから、学生の頃にも良く作業の手伝いに来ていたものだが、学生の頃に任されていたのは本当にマニュアルを読めばできるような簡単な作業だけだ。これを本職とするのであれば、当然ながら学生に任せられないものを選び取ることになるのだが、今の悠真にそれほどのスキルはない。とりあえず優先度の高いものから処理していって、手に負えないものは、先ほどのように盛大にため息をつかれながらも先輩に頼むしか無いのだ。
「悠真、ちょっと頼まれてくれないか」
ちょうど新しい部品を手に取ってため息をついたところで隣の部屋から声がかけられ、悠真は勢いよく立ち上がった。
「はい!」
目を輝かせて返事をすると、怪訝な表情を向けられる。隣の部屋は修繕士の作業室になっており、機器の回路等の故障を修理する整備士とはちがって、彼は部品や金属などの修繕を行う。
悠真は一応は整備士の作業部屋に配属されているが、一人しかいない修繕士のサポートを行う役割もある。満彦よりも修繕士の彼の方が話がしやすかったし、彼に呼ばれるときは大抵が外に出る仕事だ。
「わるいが、また天空盤の調子が悪いな。先日と違う箇所だ。同じ要領でパーツを取り替えてもらえるか?」
「もちろん、喜んで」
にっこりと笑いながら悠真が即答をすると、彼は声を出して笑った。
天空盤のパーツの取り替えはどちらかといえば本来整備士の作業らしいが、整備士の男に頼んでも何かと理由をつけて全く動かないらしく、これまでは仕方なく修繕士が実施していたと言っていた。そもそも二人とも外に出る作業が億劫で嫌いなようだが、整備士の彼は空に登って作業をするのは気分が悪くなると言っているらしい。
「本当に助かるよ」
そんな風に肩を叩かれて、悠真は部屋の中で座って作業をしている男を振り返る。やり取りが聞こえていないわけでもあるまいが、彼は黙々と作業をしていて全くこちらを見もしない。
「今から出てきても良いですか?」
半日はかかる作業だから、まだ午前中の今から外に出て行っても、もう今日の作業はできない。だが、満彦も本来は自分達のやる作業だという認識はあるのだろう。こちらに視線は向けないものの、何も言わずに黙って二度ほど頷いた。
それを見て、修繕士がこっそりとこちらに向かって笑ってくれる。
「それなら不具合の箇所を転送するよ。前回の手順で問題ないはずだけど、何かあれば連絡してくれ」
修繕士の言葉に悠真は何度も頷いた。部屋の中でがちゃがちゃと作業の準備をしてから、息の詰まる作業室を抜け出す。日が暮れるまで部屋を出ない日もあるから、高い太陽が目に眩しくて嬉しい。意気揚々と緑の敷き詰められた大地を歩き出した。
居住区の空を作っている天空盤は、小さな三角形のパーツを組み合わせて作られている。それはひとつひとつが発光体で、そこに日中は青空と太陽を映し、夜には星空を映しているのだ。
不具合というのはそれが光らなくなるというもので、基本的にはそのパーツを取り替えるだけの作業である。悠真にでも学生にでもやれる単純な作業であるにも関わらず、整備士や修繕士が嫌がるのは、ただただそこに行きたくないというだけだろう。
悠真は遠隔作業用のゴーグルをつけて小型のラジコンを操縦しながら、内部で不具合信号の出ているパネルを確認する。空と言っても結局のところは円柱型をした船体の一部で、悠真たちが住む地面と一続きだ。だが当然ながら普通は空に立ち入ることなどできない。円の底にへばりつく地面はなだらかに木々に囲まれた山へと続き、空へと続くその奥は立ち入り禁止になっているのだ。
悠真は空に向けてラジコン運転の小さな車を走らせる。こんなものを業務以外で動かそうものなら、すぐに通報されて懲罰室行きなのだが、今は公然と空を走らせることができる。ゴーグルを付けていると、自分が実際に空を走っているような気分にもなれるし、これがゲームの操縦のようで楽しいのだ。
ラジコンを操作して色々と調査をして実際に故障していることが確認できれば、あとはマーキングをして、その位置まで自分で歩いていって取り替えるだけだ。空の色を反射する特殊な素材の上着を着て靴を履き替えてから、淡い色のパネルに足を踏み出す。
ふと思いついて那月の端末にメッセージを入れた。
日中の私信は禁止されているのだが、罰則があるとも聞いたことがないし、実際にそれを誰かが監視していると聞いたこともない。本当に監視されて怒られたら、それはその時だと割り切って、短文を送る。
空を歩いていくと地面が垂直方向に見え、やがて頭上に見えてくる。悠真は地上を見上げて心を躍らせた。緑の大地と四角い建物と整備された道路が、逆さに見える。そこを歩いている人間も見えたが、当然ながら悠真には気づいていない。何かないと空を見上げることなどないだろうし、一応は目立ちづらい服装で空に溶け込んでいるはずだ。
そして足元にはいつも見ている青い空が広がっていた。空にも重力は地面と等しくかかっているはずだが、なんとなくふわふわと足元が軽いような気がするのは視覚的な錯覚だろう。先輩の整備士や修繕士たちは気分が悪くなると言っていたが、悠真は全くそんな気分にはならなかったし、ここに登るのは二度目だが、感動は少しも薄れていなかった。
前回は手順などに不安な部分もあったし、足元のパネルを踏んで傷つけたらどうしようと恐る恐る歩いていたから、むしろ今回の方が純粋に空の散歩を楽しめていた。
今回の不具合のあるパーツはちょうど天頂付近にあった。歩くとそれなりに距離があって大変ではあるのだが、悠真にとっては楽しい時間が長いだけだ。空の一番下から地上を見上げていると、ちょうど腕の端末が鳴った。
『見えてる!』
と入ったメッセージに、改めて地上を見ると、こちらに向かって大きく手を振る人物が見えた。悠真は同じように両手で手を振り返すが、そう言えば上着は空にカモフラージュする素材なのだと思い出す。那月が見えているのはきっと、悠真の頭くらいだろう。その場で上着を脱いでから手を振ると、また手首が震えた。
『スーパーマンみたい!』
そんなメッセージに悠真は思わず笑う。
空を飛んでいるように見えるということだろうか。興奮して空を見上げる那月の顔が浮かぶような気がして、悠真は嬉しくなる。そのまま両手両足を伸ばしてその場に寝転んでみせた。最初は空に伏せたが、地上から見ると反対かと思って仰向けに転がる。イメージとしては空を飛ぶヒーローだ。
『かっこいい! 本当に飛んでるみたい!』
思った通りの反応が返ってきて、悠真は嬉しくなる。もう少し遊びたいところではあったが、あまり目立つところを目撃されると面倒だ。もう一度、大きく手を振ってから、上着を羽織った。
『今日会える?』
空からそんな言葉を送ると、もちろん、とやはりビックリマーク付きで返ってきた。そんな彼女にもう一度、手を振ってから、作業に取り掛かる。
那月も仕事中のはずで、そんなに長くは抜けられないだろう。悠真が作業をはじめれば、きっとこちらの邪魔にならないようにと戻るだろう——と。そんなことを考えながら、ちらちらと上を見ていると、彼女もしばらくしてこちらに大きく手を振ってから建物の中に戻っていった。




