あきらの現在地(4/5)
「痩せてるな、彰良」
いつものように人の少ない早朝に制御区に向かって歩いていると、また勝手に船長に並ばれた。綺麗にセットされた髪型に、皺一つないシャツ。薄手のシャツ越しにもバランスの良い体つきは分かる。姿勢が良いからか、実際の年齢よりも若く見えた。
ちらりと視線だけを向けると、男は彰良の身体を見下ろして言った。
「運動はどうせしてないだろうが、ちゃんと食べているのか? 明日にでも部屋に医師を寄越すから、明日は部屋で待機していろ」
「要らない。前回のヘルスチェックは異常なしだ」
「前回は半年前だろう。ひどい顔色だが、眠っているのか? 健康を害するようなら、彰良の部屋のシステムをリセットさせるぞ」
どうぞお好きに、と呟く。
他の人間の部屋は、午前零時をすぎると強制的に部屋の電気が消され、モニターなどにも何も映らなくなる。眼鏡や通信も使えなくなるから、夜中は必然的に寝るしかなくなるのだが、彰良は部屋を与えられて早々に、その辺りのシステムを突破して自由に書き換えてしまっていた。さすがに寮のシステムよりは堅いものではあったが、それでも制御基盤システムの外にあるため、いくらでも手のつけようはある。
システムをリセットされたところで、また書きかえれば良いだけの話だ。セキュリティを解除して元に戻していく作業は、暇つぶしにはちょうどいい。
そんな心の声が聞こえたのか何なのか、船長はそれ以上、引き下がってはこなかった。
「明日の朝は部屋に待機していろ。医師を向かわせる」
「仕事をサボっていいってことか?」
「別に医師のチェックさえ終われば働いてもらって構わないが、サボりたければどうぞお好きに」
そんなことを軽く言った船長は、彰良の性格は熟知しているはずだ。どうせすぐに職場に戻ると分かっているのだろう。
彰良はなんとなく自分の手を見下ろした。自分では別に痩せたつもりなどなく、体調もさほどの問題はないのだが、他人から指摘されるほどには体型が変わっているのだろう。お腹も空かないし、食事を取るのが面倒で食べないことも多い。代わりに脳を働かせるための糖質のサプリはたまに仕事中にでも口に放り込んでいるから、別に機能の維持に問題はないと思っているのだが。
「いちいち船員の健康まで見なければならないなんて、船長も大変だな」
「彰良は特別だ」
そう言った男を見ると、彼は前を向いたまま堂々と言い放った。
「他の人間はいくらでも代わりが効くが、お前の代わりはいないからな」
そうかよ、と吐き捨てる。
しばらく勝手にしゃべっていた男が途中で道を曲がったので、彰良はその背を見送ってふっと安堵の息を吐く。いくら船長が制御区に立ち入る権限があるとは言え、そうたびたび顔を見にこられてはたまらない。
彰良の代わりは効かないと船長は言ったが、それはあくまで船のシステムを操作する頭脳としてだ。
人間的に彰良が優れているとは全く思っていないし、彰良の換えなどいくらでもいる。那月が寂しがっていると悠真は言ったが、彼女が彰良を家族だと思ってくれていたのは、それだけ一緒にいた時間が長かったからだ。いなければいないで、いずれは彰良のことなど忘れてしまうだろう。
狙い通りではあるのだが、悠真はあれから部屋を訪ねてくることも無くなったし、連絡も寄越してこなくなった。相変わらず那月からは定期的に何かが届いているようなのだが、中身を見るのが怖くてメッセージを確認してもいない。
もともと二人と会っていなかったので、何も生活が変わるわけではないのだが、それでも世界の半分がばっさりと消えてしまったかのような、そんな途方もない喪失感はある。
ぎゅっと抱きしめてくれたり、肩を叩いてくれたりする温かい体温がなくなって、周りには機械的な人間か、本当に血の通わない機械ばかりだ。だが笑ったり話したりする相手がいなくなった代わりに、どんどんと頭が冷えて冴えてくるのはなんなのだろう。
宇宙のように広くて深くて難解なシステムが、するりと頭の中でほどけていく。これまで複雑に考えていたいくつもの処理に、最短ルートの最適解がいくつも見つかっていくのだ。お腹も空かずに眠くもならず、ひたすらに目の前のコードにのめり込む彰良は、まるで自分が制御区のシステムの一部になったかのようだった。
それは単なる現実逃避ということか、それともこれこそが船長の言っていた正しい道ということか。余計な雑念や無駄な会話を全て切り捨ててしまえれば、たしかに目の前にだけ集中できる。
これはこれで悪くないような気もした。
あっという間にすぎるいつも通りの短い一日が終わり、部屋に戻ると、端末に見たことのないアドレスからのメッセージが届いていた。
「ミフユ、ただいま」
声をかけてやると、茶色の毛並みは嬉しそうに鳴く。今日は朝っぱらから船長につかまったが、そうでなければ一日のうちで口を開くのはミフユに対してだけという日もある。彰良はゆっくりと心地の良い手触りのマウスを撫でながら、ミフユに向かって呟く。
「誰からだ?」
答えを求めていたわけではないが、ミフユは困ったようにキュウと鳴いた。メッセージ本文に表示されている内容は適当な文字の羅列で、全く意味をなさない。
「いたずらか?」
そう言ったものの、そんなことをする人間など思いつかない。メッセージのログを見て、履歴を追ったが特に不審な点はない。だが、そもそも誰のものかわからない架空のアドレスなどというものはここには存在せず、メッセージ自体が不審なものなのだ。
サーバーの履歴を確認すると、幾つかの端末を経て送信されていることが分かる。一番の出元を探ると、中枢施設の持ち主のいない端末にたどり着いた。そこで今度はその時刻の端末の操作ログを追いながら、同時に施設のカメラ記録を確認する。しかし該当する時刻に端末を操作する人間などいなかったから、遠隔から操作したものだろう。
このままそれを追いかけるかどうか迷ってから、彰良はメッセージの本文を見る。
わざわざ送信元を何重にも偽装して、わざわざ彰良に送りつけてきているのだ。こんなことがやれる人間はさほど多くないだろうが、制御区にいるメンバーなら容易いし、他の人間でもやれないことはない。暗号なのか嫌がらせなのかは分からないが、メッセージになんらかの意図はあるに違いない。




