あきらの現在地(1/5)
部屋にある三台のディスプレイを睨んでいるうちに、美冬がキュウと小さく鳴いた。時間を見ると気づけば起床時刻になっており、彰良は眉根を寄せる。手元のスイッチで窓の遮光を解除すると、眩しい朝の光が差し込んできて、目の奥が痛んだ。
「もう朝か」
そうミフユに応えると、アラーム代わりの鳴き声が止まる。小さなねずみの形をした茶色の機械は彰良の手に登ってきた。キーボードに乗せたままの右手の甲の上から見上げるその顔は、どこか彰良のことを気遣うような顔にも見えて、苦笑する。
「別に寝てなくても大丈夫だよ。眠くなったら制御室で眠るから」
昼間は休む間もなく働いているらしい居住区の人間達が聞けば怒るかもしれないが、彰良はたまに椅子に座ったまま仮眠をとっているし、他にも制御区の中で日中に居眠りをしている制御士はいる。それぞれ勝手に動いているから、ほとんど会話もなく、眠っていたところで怒るような人間もいないのだ。
彰良はずっと座っていて痛む腰をのばしてから、立ち上がる。洗面や着替えなどの最低限の支度を済ませているうちに、ベルの音とともに部屋に朝食が届けられた。
寮では朝食は食堂まで出向く必要があったが、ここでは勝手に届けてくれる。各自の部屋にある配送ボックスには配送用のルートが繋がっているから、時間になったら自動で届けられるのだ。どうせなら配送ボックスから彰良の机の上にまで運んでくれる製品を買おうかとも思ったが、あまりに怠惰すぎると思ってやめた。歩いても数歩の距離だ。
中のトレーにはシリアルバーと飲み物が入っている。味は日替わりのようだが、基本的に毎朝これだった。年に一度のヘルスチェックの結果をもとに、各自の年齢や体重や各種数値などに配慮された量と栄養素が調合されているらしい。
だが眠たい頭と体では、固いバーを噛んで飲み込むことすら億劫に感じてしまって、半分も食べずにトレーに戻した。毎日残していると医師などが訪ねてきて面倒らしいのだが、たまに残すくらいなら何も言われない。
前日までにシステムに登録さえすれば、好きに味を変えたり食感を変えたりもできるらしいが、彰良は面倒で規定値のままだった。嫌いな味のバーがあり、去年までは那月がそれを除外してくれていたのだが、どうもヘルスチェックのタイミングでデフォルトに戻されたらしい。たまにそれにあたって朝から嫌な気分になるときがある。
彰良は眩しい光の満ちる窓の外を見る。常に目を酷使しているからだろうか、相変わらず差し込む光が目に痛い。
「行ってくるよ。ここにいたら夜まで寝ちゃいそうだ」
ミフユに挨拶をしてから、部屋を出る。
寮にいた時よりも僅かばかりでも制御区が近くなったことは喜ばしいのだが、それでも歩いていくのは億劫ではある。彰良に与えられた居住スペースは、四区画あるうちの一番制御区から遠い場所だから余計に恨めしい。だが、きっと敢えてここにされているのだろう、と彰良は思っていた。住民は毎朝部屋で運動をする義務があるのだが、彰良は昔からその監視モニターをぶち切っているし、それ以外に体を動かすことなどない。せめて職場まで歩け、と言うことだろう。
朝早く制御区に向かっていると、ほとんど人にも出会わない。就業開始のぎりぎりに滑り込んでくる人がほとんどで、皆はまだ支度をしている時間なのだろう。彰良も別に早く職場に着いたところでやることは変わらないのだが、効率という意味では部屋の端末やモニターよりも、制御区内にある機器のスペックの方が段違いに良い。家で色々と作業をするよりは、制御区内でやる方がはかどるのだ。
「おはよう、彰良」
途中から嫌な後ろ姿が見えていたのだが、相手もこちらに気づいていたのだろう。徐々に歩む速度を落としていた男は、いつの間にか彰良の横に並んで声をかけてきた。
彰良はちらりと視線だけを向けて、おはよう、と返す。
男はこの船の船長で、彼の一応の職場は居住区の中央にある中枢施設だ。だが向かっている方角はそちらではないだろう。別に会話をしたい相手でもなかったのだが、彼の行き先は気になった。
「早いな、船長。どこに向かってる?」
「彰良と同じだな」
そんなことを言われて彰良は眉根を寄せる。
「監査でもあるのか?」
「というほどの正式なものではないが、それぞれの計画と進捗は確認しにきた」
「こんな朝っぱらから抜き打ちで?」
「事前に通達して小細工されると困るだろう」
ふうん、と呟く。
船長の職場は中枢施設だが、彼は定期的にいろいろな職場を回って監査や視察やらを行なっている。それで適性がないとなると職場を変えさせられたり、不正を働いていたり不真面目だったりすると罰則があったりもするらしいから、戦々恐々としている人間もいるらしい。彰良はこの間までは学生だったため、監査外だったらしいが、今回からは対象になるのだろう。
別に彰良に小細工しなければならないようなことは何もないが、今日は仮眠は出来ないのだろうな、と密かにため息をつく。
「——最近、彰良は落ち着いてるな。もう二人とは会ってないのか?」
急にそんなことを言われて眉根を寄せる。
落ち着いているというのは、船に対して反抗的な悪戯をしない、ということなのだろう。たしかに懲罰室に入れられたのはあの花火の日が最後で、もう一年以上は何も船長に目をつけられるようなことはしていない。
ああ、と答えると、男は頷いた。
「それは良かった。彰良も大人になったな。くだらないことを計画する時間も、懲罰を受ける時間も、くだらない会話をする時間も、お前にとっては無駄でしかない」
皮肉なのか本心なのか、そんなことをにこやかに言った男の顔をまじまじと見上げる。
悠真などは彼のことを密かに人造人間だと言っていたが、たしかにいつも同じ格好や髪型や表情をして、会話をすることすら無駄な時間だと言い放つ彼のことを、彰良はある意味で羨ましいと思ってしまった。
彼にはきっと、悩みや迷いなどないのだろう。自分にとって無駄か有効かで全てが判断できれば、随分と楽に生きられる。
「そうだな、無駄な時間だ」
彰良が呟いた言葉に、男はやはり満足気に頷いた。
彼は彰良が幼い頃から目をかけているらしく、何かにつけて指導なのか指南なのかをしてくる。きっと生まれつき知能の高い彰良を正しい道に導き、船のために働かせることが、彼にとって有益なことなのだろう。
——だが彰良にとってみれば、何もかも全てが無駄な時間でしかない。
胸を張って歩いていく男の後ろをついていきながら、彰良は朝まで構築していたシステムを頭の中で叩き潰した。




