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あきらのディストピア(1/4)

 

 ——気が狂いそうだ。


 彰良は意味もなく立ち上がって、大声で叫んだ。喉が痛むほど全力で叫んだつもりなのに、耳では全くその音を捉えられなかった。近くの壁にぎゅっと握った拳を叩きつける。が、硬くも柔らかくもないその壁の素材は、やはり打ち付けた音もしなかった。


 一寸の光も音もない世界で、自分の姿すら見えない。


 自分の存在ごと暗闇に溶けているようにあやふやになる。ただただ痛んだ指先だけが嘘みたいだった。拳を開いて手のひらで壁に触れるが、温かくも冷たくもない。痛み以外の感覚が何もなくて、もしかしたら死後の世界とはこのような場所なのかもしれないと思った。天国も地獄もなく、ひたすらに苦痛だけを与えられる虚無の世界。ここが死後であるのなら彰良は死んでいるのか——いや、この世界ごととっくに死んでしまっているのか。


 彰良は、那月と悠真の名前を叫ぶ。


 二人はどうしているのだろう。同じように彰良と同じ場所に置かれているのか、と思うと、全身を掻きむしりたくなるような衝動がある。懲罰室などと呼ばれているこの部屋に入ったのは別に初めてというわけでもなく、全員がそれなりに覚悟はしていたはずだが、実際に身を置かれると前に入った時にはこんなに苦しかっただろうか、と思うのだ。彰良の行動で二人に同じ苦しみを与えているのかと思うと、冷たい汗が出た。二人は彰良のせいだとは思っていないだろうが、彰良がいなければあんなことを考えやしなかっただろう。


 時間の感覚ももはやよく分からない。花火の映像を天空モニターに流し込んだのは、昨日のことか、もう何日も前のことなのか。


 警官に連行された彰良たちは、それぞれすぐに別の部屋に移された。他の二人は知らないが、彰良については何故こんなことをしたのかなどと詮議されるでもなく、何らかの申し開きを聞かれるでもなく、ほとんど無言でこの部屋に押し込められている。三人はそれぞれある程度の前科はある。今さら何を聞く必要もないということか。


 いったい、いつまでここにいれば良いのだろう。


 光も音もないここには、時間もない。朝も昼も夜もなく、ただ彰良を閉じ込めた人間が、そろそろ出してやるかと思うまで出られないのだ。水も食料も与えられないので、二、三日では出すつもりはあるのかもしれないが、彼らが彰良のことを忘れていればこのまま餓死するのかもしれない。


 それはそれで悪くないのだが、と。


 そんなことを思ってしまうのは、いますぐにでもこの地獄のような閉鎖空間から逃げ出したいと思うからだ。そして、そもそも外に出たところで限られた狭い閉鎖空間であるのは変わらない。外に出たら出たで、今度は扉を開けて人が助けにくることなど決してない、本物の絶望がある。


 それなら、那月が最高の誕生日だと言った、今この時に彰良の時間を止めてもらいたいくらいだ。


 次々と夜空の黒を塗りつぶしていく花火は、正直に言えばなんら彰良の心に響かなかった。目の奥を突き刺すようなうるさいほどの光量も、狂ったようになり続けた花火の爆音も、どちらかと言えば眉を顰めたくなったのだが、それでも那月は本当に感動したらしい。興奮気味に花火について語っていた那月の顔は本当にきらきらと眩しく綺麗で、彰良はそれだけで満足だった。彰良にとって美しく焦げ付くような軌跡をのこす光は、那月の存在だけなのだ。


 急に目が眩んで、彰良は痛みに腕で顔を覆った。


 外に繋がる扉が開いたのだと分かったのは、急激に膨らんだ光を感じたからでなく、ふっと空気が流れたからだ。ずっと無音だった世界に複数の足音がする。彼らはどこかで立ち止まったが、こちらの反応を待っているのか、もったいぶってでもいるのか、なんら声を発しなかった。


「だれだ?」

「私だ。三日遅れだが、誕生日おめでとう、彰良」


 どこの私だ、と言ってやりたいところではあったが、確かに声だけでも誰だかわかる。無理に光に慣れない目を開けて姿を見たいとも思えない相手で、彰良は床に向かって唾を吐きたくなった。


 時刻は分からなかったが、誕生日から三日遅れということは、こんな部屋にまる二日以上は閉じ込められていたということだろう。だんだんと懲罰の時間が長くなっている気がするのは、懲りずにこうしたことを繰り返すからか。


 普段よりも大きく聞こえた耳障りな声に、耳を塞ぎたかったのだが、片手は痛みを訴える目から離せなかった。それにいつの間に出ていたのか、目の端が涙に濡れている。彰良は腕で目を隠すようにしながら口を開く。


「耳が慣れない。少し静かに話してくれないか、船長」


 彰良はそう言ったが、船長は声を潜めてくれる気はないらしい。耳の中でうぉんうぉんと鳴るような声で、言った。


「彰良は何歳になった? もうみんなでイタズラをしてはしゃぐような年齢ではないだろう」


 彰良は先日の誕生日で十七になった。だが年齢を答える気はなかったし、別に答えを求めてもいないだろう。


 十八になれば大人として仕事と役割を与えられて寮を出るのだから、確かにもう子供という年齢でもない。なんなら彰良は何年も前から、大人たちに混じって船の制御を行うグループの中核にいる。だから先日のように、いつも代わり映えもしない空の映像しか映さない天空盤に花火の映像を流し込めたのだし、地面に埋まったスピーカーから一斉に花火の爆音を流せたのだ。


「綺麗な花火だっただろう」


 心にもない彰良の言葉に、船長やその横にいる誰かがどんな顔をしたのかは分からなかった。ようやく薄く目は開けられたが、ドアの近くに立っている二名の顔は逆光で見づらい。ただ、ため息が聞こえた。


「まだこの部屋にいたいのか?」


 その冷たい口調にも、特に何も感じなかった。


「別に構わないが、俺が戻らないと困るから船長が呼びに来たんだろ」

「思い上がりが甚だしいな。こんなふざけたことを繰り返すようなら、好きなだけここにいてもらっていい。来年には農夫にしてやる」


 そんなことを言われて思わず笑った。


「どうぞお好きに。土いじりも悪くない」


 正式に任命されたわけではないが、来年、彰良は制御士になるだろう。今はまだ、老朽化して錆び付いている船のシステムに苦戦している制御士たちを手伝っている、という名目なのだが、大人になれば晴れてたくさんのシステムを丸ごと任されるはずだ。すでにこの世界の一部は、彰良が書き換えたコードで動いている。客観的に見たところで、この船に彰良以上の適任はいない。


 だからいくら仕事の任命権を持っている船長とはいえ、彰良を農夫にできるわけもないのだ。もちろん、彰良が力を悪用して宇宙船の維持機能を妨げる真似をすれば、危険人物と見なされて隔離されるだろうが、花火の映像を巨大スクリーンに投影したくらいなら、船長も言った通りせいぜい子供のイタズラだ。


 やはり、ため息が聞こえる。


「しばらく那月と悠真は外出禁止だ。部屋にロックをかけて外部との交信も断たせる」


 その言葉に、彰良は男を睨みつけた。


 そこに彰良の名前がないのは、彰良を外出禁止にはできないためか、それとも二人を隔離することが彰良に対する罰なのか。そもそも彰良が部屋の外に出て会ったり話したりしたい人間はその二人だけだ。しばらく、という言葉も聞きようによれば無期限ということで、彰良がまじめに働かなければ二人が解放されないと言っている可能性もある。


「不服ならいい子にしておくことだな」


 事務的な口調で言った男を見ながら、彰良は近くの壁を殴りつけた。


 大した音はしなかったが、それでも男たちが表情を変えるのは見えた。それは驚きや怯えではなく、どこか呆れているようで、彰良は痛む拳を握った。


 彼らからすれば、花火を打ち上げることも、彰良が反抗することも、わざわざ自分の拳が痛いだけの行為をすることも、本当に意味がないことに見えるのだろう。無駄なことをしているようにしか見えない彰良たちに手を焼きながらも、それでも船の貴重な人的資源(リソース)を減らすわけにはいかない、とわざわざこうして足を運んでいるのだ。


「いい子にね」


 悪い子には罰があるのだろうが、いい子にしていたところで、何か褒美があるわけでもない。そのままなんら面白くもない大人になるだけであるし、大人になれば勝手に役割を与えられ、ただこの世界を維持するためだけに働かされるだけなのだ。


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