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花火の次は(1/4)


 食堂に行くと、すでに多くの子供たちが席に座って朝食をとっていた。


 座る席などは特に決まっていないのだが、なんとなくみんな来る時間や座る場所が決まっていることが多い。那月は大抵、食堂が開く時間から閉まるギリギリの時間まで、入り口の近くに座っている。入ってくるみんなの顔が見られるようにしているのだが、今日は廊下で会った康太と話していて少し遅くなってしまった。


「那月ちゃん、おはよう!」


 陽菜(ひなた)は那月を見るなり席を立って手を振ってくれた。六歳でまだ寮に来たばかりの彼女は、保育所にいた赤ん坊の頃から世話をしているからか、那月のことをお母さんのように慕ってくれている。明るくて元気な彼女の笑顔を見ていると、那月も自然と笑顔になった。


「おはよう、ひなちゃん」

「那月ちゃんいないから、またキンシンチュウだったらどうしようと思っちゃった」


 謹慎中なんて言葉を覚えたのか、と那月はこっそり苦笑する。謹慎中は部屋から出られず、食事も部屋の配送ポストに入っていたから、子供たちに会うことはできなかったのだ。


「びっくりしちゃった? 心配させてごめんね。康太くんと話してて遅くなっちゃった」


 彼女は隣に座っていた紗南(さな)に頼んで、椅子をずらしてもらっていた。二人の間の空いた席に案内されて、那月はお礼を言ってから席に座る。


「ひなたは那月ちゃんいないと寂しいな。でももう少ししたらここからいなくなっちゃうんだよね。もうずっと会えなくなっちゃう?」


 先ほどまで満面の笑みだったのに、今はもう瞳にいっぱい涙を溜めている。


 こんなに感情を表に出せるのも子供だからだろうか。年長になるにつれてみんな泣かなくなるし、笑うことも少なくなる。そして大人になると、なんとなく疲れて不機嫌そうにしている人が増えるのだ。


 陽菜の可愛い表情を見ていれば、不機嫌なんてすぐに吹き飛ぶのに、と。ふっくらした彼女の頬に、那月は自分の頬をつける。ちゅっとキスをしてから、陽菜の頭を撫でた。


「大丈夫。すぐに陽菜に会いにくるから」

「でも毎日は会えなくなっちゃうんだよね? もう朝ごはんも夜ごはんも一緒に食べられない?」


 保育所から来たばかりの彼女は、まだお別れを経験していない。保育所は隣接していて園庭などの様子も窺えるから、ここに来てもお別れというほどでもなかっただろう。これまで毎日のように顔を合わせていた人に突然会えなくなる、ということは良く想像できないに違いない。


 那月も毎年、大人になって寮を出ていくお兄さんやお姉さんとの別れを本当に悲しんできた。みんなまた会いに来ると言って出ていくのだが、実際にはそんなことはないのだ。昼間はみんな毎日仕事をしているし、だからと言って夜も気軽に出歩けるわけでもない。そのうえ、寮は居住区の外れにある。子供たちに会いたいと思っても、そんな機会などないのだ。


 それが分かっていても、またすぐに会いに来るね、と。そう言って出ていった人たちは、きっと今の那月と同じような心境だったのだろう。任される仕事の内容次第では本当にほとんど会えなくなってしまう。またすぐに会える、というのは多分に那月の願望が入った言葉だ。


 那月は陽菜の体をぎゅっと抱きしめる。彼女も小さい手で体を抱き返してくれた。


 ——大丈夫だよ、またすぐに会いに来るから、と。


 嘘だと分かっていてそれを言うのは、小さな彼女には裏切りになってしまうのだろうか。それとも難しいと分かっていても、今はまた会えると答える方が彼女のためなのだろうか。寂しいのは少しの間だけで、しばらくすると悲しいけれど那月のいない生活にも慣れてしまうのだ。


 那月は少し迷ってから、陽菜の瞳を覗いた。


「そうね、毎日は会えなくなっちゃうかも。私も陽菜に会えないと寂しいけど、代わりに毎日お手紙を書くわ。陽菜もお返事ちょうだいね」


 会いにいくことはできなくとも通信はできる。話をすることもできるが、時間的な制約があるし、陽菜も夜は勉強があるだろう。その中でも映像や音声や文章のメッセージを送るくらいなら負担にならないだろうと思ったのだ。


「うん……でもやっぱり寂しいな。ひなた我慢できるかな」


 ぽろぽろと大粒の涙を流しながら言う陽菜を抱き上げて、自分の膝の上に乗せた。すると彼女の涙が伝染したかのように、周りの小さな友人たちも涙ぐんでいるのが分かる。那月はそんな子供たちを見て、なんて愛らしいのだろう、と思ってしまった。


 毎年のように別れを重ねていくうちに、那月はなんとなく感情がすり減ってきている気がしていた。とても仲の良かった一つ年上の一輝や朱莉たちが出ていく時にも、笑顔で彼らを見送ることができたし、小さな頃のように毎日眠れなくなるほど泣いたりはしない。きっとそれは他の人たちも同様で、年長になればなるほど那月たちのやりとりをどこか他人事のように眺めているのだ。


「悠真くんも!」

「ん?」


 食堂に入ってくるなり泣きそうな子供たちの視線を浴びて、悠真は足を止めた。


 子供たちの中でもひときわ背が高くて格好良くて、ただでさえ人目を引く容姿をしている彼は、髪の毛がきらきらになったことでさらに目立つようになった。彼が食堂に入ってくると一気に雰囲気が変わるのだ。そして子供たちは目を輝かせて彼の元に集まるから、彼の周囲はすぐに小さな子供たちでいっぱいになってしまう。


「どうした、ひな。特等席だな」


 那月の膝の上に抱えられていることを言っているのだろう。悠真はこちらに歩いてくると、陽菜に向かって両手を伸ばす。


 すると陽菜は目に溜めていた涙を袖で拭いてから、満面の笑みで彼に両手を上げた。彼女の体を軽々と抱き上げた悠真の首に、陽菜はぎゅっと抱きついた。


「悠真くんも、もうすぐいなくなっちゃうんでしょう? でもひなたに会いにきてくれる?」

「もちろんだよ。俺もひなに会いたいもん」


 そう言って彼女の小さな頬に口付けた悠真を見て、周りの子供たちも彼の方に駆け寄る。それで悠真は片手に陽菜を抱き上げたまま、ひとりひとり名前を呼びながらぎゅっと抱きしめるのだから、本当に良いお兄さんなのだと思う。彼はよく保育所の子供たちの世話をしたり、子供たちに運動を教えたりしていたから、彼がいなくなるのは本当に寂しいだろう。


 ふと、子供たちに囲まれている悠真の向こう側に、ひとりで静かに食事をとる彰良の姿が見える。


 彼はこちらの様子に気づいてはいるだろうが、特になんら反応を見せてはいなかった。もちろん彰良がここで食事をとるのも、悠真と同様にもうすぐ最後になる。だが、ほとんど子供たちと関わることもなく、食事などでも自分から話しかけるわけでもない彰良は、子供たちにとっては近寄り難い存在なのかもしれない。彼が抜群に優秀で、船長や他の大人たちと対等に話しているのを知っている子たちもいるから、余計だろう。成績が優秀な子たちの間では尊敬だったり憧れだったりもあるらしいし、それでいて那月たちと一緒にたびたび懲罰室に入っていることも、ある意味で格好良いと思われている部分もあるようだが、どちらにせよ『また会いに来て』なんて気軽に声をかけられる雰囲気でもない。


 そんなことを思いながらぼうっと見つめていると、彰良と目があった。


 彼はしばらく反応に困ったようにしていたが、やがて口元だけでふっと笑う。そんな彼に那月も笑顔を返した。きっと彼は悠真のように子供たちから囲まれないことを、なんとも思ってはいないだろう。那月の笑顔を見てどこか嬉しそうに目を細める彼を見て、本当にこんな時間は最後なのだと寂しくなった。


 

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