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なつきのディストピア(3/5)


 手の中にいる小さな小さな赤ちゃんに、那月はほうっとため息をついた。


 あまりにも可愛すぎて、どれだけ眺めていても飽きなかった。あまりに弱くて小さくてただただ愛らしい存在だが、この子も一年すれば一歳になって自分達で歩き始める。当たり前だが、五年も経てば五歳になるのだ。この保育施設にはゼロ歳から五歳までの子供達が数人ずつ揃っているから、それぞれの年齢の子ども達の顔を想像して不思議な気持ちになった。


亜希(あき)ちゃん、こんにちは」


 くりくりとした真っ黒な瞳が開けられて、那月を見る。彼女達を抱いている人間はころころと変わるはずだから、どこまで人を識別できているかは分からない。那月も何度か世話をしに来ているのだが、覚えてくれているだろうか。那月がにっこりと笑って見せると、亜希もつられたように笑う。


「亜希ちゃん笑顔が可愛いね。彰良お兄ちゃんに似てるかな?」


 そうは言ったが、最近、彰良が笑っているところなど見ていない気がする。


 黒目と黒髪は同じで、まつ毛がとても長いのも同じだが、他は似ているとも似ていないともつかなかった。瞳が大きくて、口や鼻は小さい。少し眉毛が下がっているのは、幼い頃の彰良もそうだったかもしれない。先日見返したばかりの過去の映像記録では、眉を下げてどこか困ったような顔で笑う彰良が映っていた。


 彼女は彰良を誕生させた同じ人間達の精子と卵子を使っているらしい。


 赤ちゃんを誕生させる際には、大昔に生きていた父母たち——特に知能指数が高かったり優れた才能を残したとされる人々——から採取した遺伝子を使っている。色々なパターンを試して誕生させているらしいが、彰良が最近では一番優秀だったということで妹を誕生させることにしたらしい。それを聞いた彰良は盛大に眉を顰めていたが、口に出しては何も言わなかった。


 生まれる前から期待をされているのはかわいそうな気もするが、同じ遺伝子を使ったからといって同じ才能があるわけではないことはこれまでのデータが示している。ただ、優れた人物になる可能性が高いというのもやはりデータが示しており、だからこそ試されているのだろう。


「早くお兄ちゃんにも会えるといいね。それとももう、会ってるかな?」


 一瞬しか見えなかったので、彰良が運んでいた赤ちゃんが亜希かどうかは分からない。


 彰良は日中は毎日制御区の中にいるし、子供の顔を見る機会などない。来年には寮も出るから、子供同士として朝食や夕食で顔を合わせることもないだろう。亜希と顔を合わせる機会などずっとないのかもしれない。


 ——十年もして、亜希が周囲の期待通りの才能を示せば、彰良と同じ制御区に入るのかもしれないが。


 十歳にもなれば、もう教室でみんなで並んで勉強するようなことはない。彰良が十歳の頃には制御区で毎日を過ごしていたし、康太は研究室で大半を過ごしていた。そして悠真や那月は、毎朝決まった時間に教室に集まって、そこでそれぞれ教師に指示された職場に向かう。


 知能指数が一定を超えており、明らかな適性があれば彰良たちのように制御区や基盤区や研究室にいくが、それ以外は居住区で色々な職場を経験させられていた。


 ここに居住する二百五十六人というのは、空間的にも資源的にも限られた船内で暮らすために、長い年月をかけてたどり着いたベストなバランスの人口であるらしく、それぞれ役割が決まっている。誰が欠けても代わりが効くように色々な職業を経験させられるのだし、学生がその穴を埋めることもできるようになっているのだ。


 毎日色々なことを覚えなくてはならなくて辛い、と言う人もいるが、ある意味でこの学生というのは、那月にとっては一番楽しい期間なのではないかと思っていた。


 来年になれば何かの役割を固定されて、毎日同じ業務に従事することになるのだが、今は日替わりで色々なことをやれる。調理をしたり、機器のメンテナンスをしたり、看護や介護をしたり、子供達に勉強を教えたり出来るのだ。今だって赤ちゃん達の子守りをしている。子供達と触れ合うのはとても楽しいから、できればお母さんや先生になれれば良いのだが、そう希望どおりにはならないだろうし、運良くそうなったとしてもずっと死ぬまで同じことをするというのは辛いのではないだろうか。


 ずっとこのままでいられないだろうか、と思っているのだが、そんな大人は見たことがなかった。


「なつ」


 考え事をしていたからだろうか。声をかけられて顔を上げると、部屋の中にいつの間にか悠真が立っていた。彼の声は十分に小さなもので、眠っている赤ちゃん達に配慮して足音も殺して入ってきたのだろう。


「悠真、どうしたの?」


 亜希を抱いたまま、彼のところまで移動する。


 きらきらと綺麗な銀髪は、普通だったら浮いてしまいそうなものだが、悠真には不思議と似合っていた。瞳の色や眉の色や形もあわせて変えているからだろう。柔らかくて明るい彼の雰囲気が一気に引き締まり、別人のように見えてどきりとする。いつの間にか三人の中でもずいぶん大きくなっており、いつの間にか綺麗に筋肉がついて引き締まっている体はほれぼれとするほどだったから余計だ。


 子供の頃から映像で見るヒーローに憧れて、強くなりたいと体を鍛えている彼は、実際にこの船の中で上位を争えるほど強いに違いない。職業的に体を鍛えざるをえない職場以外の人間で、積極的に運動をしている人間などほとんどいないのだ。彰良などは体力維持のために職場まで歩かされることすら、面倒だし時間の無駄だと嘆いている。


「こないだのお礼」


 大きな手のひらから出された小さな包みに首を傾げると、子供を抱いて両手が塞がっていると思ったのだろう。彼は包みを開いて自分の掌の上に乗せてくれた。


 そこには小さな宝石のようなキャンディが二つ、入っていた。綺麗な空の色をしたそれは、きっと幼児用のおやつに出されたものだろう。体の小さい子供達には、三度の食事以外にも栄養を補給するためにおやつの時間がある。


「どうしたの? これ」

「子供から巻き上げたわけじゃないよ。ちょうど熱で寝込んでた子の分が余ったからくすねてきた」


 笑いながら言った彼に、那月も笑った。


 普通であれば余った分は回収されるだろうから、それを隠して持ってきたのだろう。この間のお礼と言ったが、彼がここで子守りをしていた時に手伝ったことを言っているのだろうか。那月は本当に赤ん坊の顔を見たくてきたのだし、感謝されるような事ではないのだが、それでも彼がわざわざ職場を抜け出して、那月のためにそれを持ってきてくれたということが嬉しかった。


「食べていいの?」


 彼が頷くのを見てから、片手で子供を抱いたまま一つを口の中に入れる。とても甘くて温かいようなそんな幸せな味が口の中に広がった。那月がそれを食べていたのはほんの小さい頃で、どんな味かも覚えていなかったのだが、それでもとても懐かしい味がした。


 夜に自室に戻って好きなものを食べる時間はあるのだが、日中に甘いものを口に入れられるということはなく、とても特別な感じがする。


「おいしい。ありがとう」


 そう言って笑うと、悠真も本当に嬉しそうに笑った。そんな笑顔は子供の頃と全く変わらない屈託のないもので、それと彼の涼しげな外見とのギャップに少しどきりとする。


「この飴、こんなに甘かったかしら?」

「俺にはただ甘かったって記憶しかないけどな」


 そんなことを言った悠真は、飴を食べてはいないのだろう。そう思って那月は彼の口元に、もう一つの飴を持っていく。


 悠真はちらりと那月の目を見下ろしてから、那月の指から飴を食べる。唇が指先に触れてどきりとした。彼のその唇が那月の唇に触れた時の感触がまざまざと思い出される。平然を装いながらも手を下ろして両手に赤子を抱き直したのだが、どこか真剣に見える悠真の視線はまだ那月の瞳にあって、もしかしたら彼も同じことを思い出しているかもしれないと思った。


 那月はごまかすためにもにっこり笑って見せる。


「おいしい?」


 ああ、と笑った顔はいつもの悠真の顔で、那月はほっと胸を撫で下ろす。


 彼は本当に飴を届けに来ただけらしく、すぐに部屋を出ていった。基本的には日中に職場を離れることはできないから、何かの合間に急いで来てくれたのだろう。飴をくれたということは、子供達と遊んでいるところだったのかもしれない。


 乳児や子供達の世話を機械に任せると、情緒面での発達に影響があるということが過去の経験でわかっているらしく、今の那月や悠真のように多くの人間が育児に携わっている。だがそれでも機械的な対応しかしない人間が多い一方で、いつも明るくて優しくて力いっぱい遊んでくれる悠真は、子供達から本当に好かれていた。きらきらの髪の毛も、大きくて逞しい体も、きっと子供達から見れば本物のヒーローみたいに格好良いだろう。


 那月からみても、悠真はいつだって格好良い。


 彼からキスをされたのは本当にどきどきして、嬉しかったのだし、幸せな気分にもなった。


 のだが——それでもやはり憂鬱さを感じてしまうのは、彰良がいるからなのだろう。那月は本当に悠真のことが好きなのだし、彰良のことが好きなのだ。このままずっと三人一緒に、家族や友人のようにいられないかと思う那月は、ひとりだけ子供の頃のまま、何も変わらないということだろうか。



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