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なつきのディストピア(2/5)


「吐き気はおさまりましたか? どこか辛いところは?」


 そう聞いた康太の口調は本当に那月のことを心配してくれているようなもので、それだけで涙が出そうになるほど嬉しかった。


 康太は那月よりも二つ年下の男の子で、当然ながら彼が小さい頃からよく知っている。泣き虫で人なつこい子供だった彼は、特に那月のことを慕ってくれていた。小柄で顔の形が丸いからさらに幼くも見えるのだが、彼は既に医学の科目で学士を持っており、研究室にも頻繁に出入りしている。そのためか、彼は医師の代わりに那月の部屋を訪ねてくれていた。採血などはしているようなので、もしかしたらデータの採取の続きで来ているのかもしれないが、そんな素振りは全く見せない。


「もう大丈夫。ありがとう」


 投与されていた薬はもう抜けたのか、少し気持ちの悪さは残っているものの、頭痛や吐き気はない。たくさん水を飲むと良いと康太に言われて、その通りにしているとだいぶ楽になったのだ。


 那月の言葉に頷いてから、彼は手元の端末に視線を落とす。そこには那月の採血の結果や現在のバイタルサインなどが表示されているらしく、何かしらの操作をしてから彼はやはり頷いた。そうしている姿は年下の頼りない男の子などではなく、白衣など身につけてはいないものの、本物の医師のようだと思う。


 彼は那月を安心させるためか、最初に投与された薬について色々と説明をしてくれたし、体に残留する物質や後遺症などもないはずだと教えてくれた。それから那月から色々と症状を聞いて、吐き気どめや鎮痛剤などを処方してくれた彼は、本物の医師よりも本物の医師らしいと那月は思う。


「大人になって康太くんがお医者さんになってくれれば、毎日でも病院に通いたくなるんだけど」


 那月がそんなことを言うと、彼は目をぱちくりとさせてから、困ったように笑った。


「残念ながら、たぶん僕は医者にはならないでしょうね」


 幼い頃から医師になりたいという夢を語っていた康太は、それだけの努力をして今の場所にいるはずなのだが、それでも医師の枠にはすでに他の若い人間が座っている。そもそも健康も管理され人も少ない船内で、医師というのはさほど出番のある職業でもなく、船内での唯一の医師も何かしらの兼業を持っているらしい。大人になった康太が医師に任命されることなどないだろう。


 だが現在の医師は、優秀な人間ではあるのだろうが、冷淡で話をしやすい雰囲気でもない。多少の体調不良くらいでは近寄ろうとも思えないのだ。そう考えているのは那月だけでもないらしく、保育所のお母さんも子供が少し熱を出したくらいなら康太に相談している。


「病気も怪我もしないのが一番ですよ……今回のようなこともね。昔は本人の合意のない治験は禁じられていたらしいですが……」


 そんな歯切れの悪い言葉は、きっと彼は大人たちの方針に賛同してはいないのだろう。とはいえ、同じような研究をしているだろう彼は、表立って非難するわけにもいかないはずだ。康太は口をつぐんで首を横に振った。


「病院に行くのは年に一度のヘルスチェックだけで十分ですよ」


 そうね、と那月は笑う。


 彼もどこか困ったように見える笑みを浮かべてから、慎重に手を伸ばして那月の首につけていたシールのようなものを外した。そこから那月の体内のデータを送信していたはずで、勝手に外さないようにと言われていたから、もうデータの収集は不要になったのだろう。


 肌に微かに触れる指先を少しくすぐったくも感じながら、那月は邪魔になっていた髪をまとめて上げる。彼はいくつかのシールを外してしまうと、ありがとうございます、と言った。


「もう不要かもしれませんが、念のため鎮痛剤と吐き気どめは置いておきますね。もし体調が悪くなったらすぐに連絡ください。他へのネットワークは不通になってますが、僕の端末にだけは繋がるようになってますから」


 もう彼が自分から那月の様子を見にくることはないということだろう。少しさみしい気はしたのだが、那月はただ頷いた。もう少し話をしたいと思ったのだが、彼は忙しいのだろうし、そもそも長居をすることもできないのだろう。荷物をまとめている彼に、那月は改めてお礼を言う。


「本当にありがとう。康太くんも忙しいのにごめんね」


 彼は静かに首を横に振ってからドアの前まで歩いていったが、なぜかドアを開けようとはしなかった。少し立ち止まってから、こちらを振り返ってくる。


「花火はとても綺麗でしたよ」

「本当?」


 康太の言葉に素直に嬉しくなる。那月は思わず笑みが出たのだが、彼の方はなぜだか首を横に振って表情を曇らせた。


「ええ。でも……もう止めてくださいね。那月が苦しめられている姿を見るのは辛いです」


 そんなことを言った優しい康太に、那月の胸が痛くなる。


 薬を投与されている時にも彼はいたから、苦しんでいる姿を目の当たりにせざるを得なかったのだろう。そして花火を見てみたいというのは、昔から那月が言っていたことで、近くにいた子供たち——康太も賛同してくれていたはずだ。だからこそ彼は、那月を止められなかった責任を感じているのかもしれない。


 那月が何を言い返そうかと考えていると、彼はなぜだか首を横に振ってから、ドアを開けた。


「早く出てきてくださいね。那月がいないから、みんな寂しがってますよ」


 そんな言葉を残して閉まったドアを、那月はしばらく見つめていたが、やがてベッドに横になる。部屋にはロックがかけられ、ネットワークも遮断されているため、誰と話すこともできないし、情報端末で映像や仮想現実などを見ることもできない。


 だが十年は使っている自分の部屋のベッドは、何日か閉じ込められていた病院のベッドよりも随分と居心地が良かった。体調が悪くて眠れない日が続いたせいか、横になると心地の良い眠気が襲ってくる。瞼を閉じると空いっぱいに広がる花火の光が見えるような気がして、そんな場合でもないとわかっていながらも、少し胸が踊った。


 彰良や悠真はまだあの懲罰室に閉じ込められているのだろうか。


 船長は彼ら二人が罰を受けているのは那月のせいだと言ったし、自分でもそうなのだろうと思う。彼らは那月と一緒にいることを後悔しているだろうか。


 真剣に考えているつもりなのだが、すぐに眠気に耐えきれなくなる。せめて夢は見ないといい、と思う。二人が未だ那月のせいで苦しんでいるのかもしれないのに、自由で広すぎる世界を夢想するのは不謹慎ではないだろうか。


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