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なつきのディストピア(1/5)


「那月はいったいなにがしたいんだ?」


 そんなことを冷静に問いかけられても、那月は視線を向けることすらできなかった。ずっと机につっぷしたまま、ひどい眩暈や吐き気と闘っており、頭を持ち上げることもできない。暑いのか寒いのか分からないが汗をかいているし、指先も微かに震えていた。


「深夜にあんな騒ぎを起こしてみんなに迷惑をかけて、何が楽しい? 花火を知らない人間が見れば、あれは立派なテロ行為だ。制御区では居住区を緊急閉鎖隔離する処理が進んでいたんだ。子供の悪戯だからと、いつまでも笑って済まされるとでも考えているのか?」


 ぐるぐると揺れる視界に、男が何を言っているのか半分もわからなかった。だが、それでも最後の言葉だけはするりと頭に入ってきた。


 笑って済まされるなどと考えているはずがない。


 これまでも笑って済まされてなどいないし、今だって昨日から研究者達に投与されているよく分からない薬で、現在進行形で苦しんでいるのだ。


「那月も、いい加減子供でもないだろう。そろそろ彰良とつるむのを止めてもらえないだろうか」


 彰良の名前が出て、朦朧とする意識の中に自然と彰良と悠真の顔が浮かぶ。二人はどうしているのだろう。彼らもなんらか罰は受けているはずだ。


「彰良がいなければどうせお前らは何もできないのだし、那月がいなければ、残りの二人がこんな大それたことを計画することなどない。彰良は自ら無駄なことはしないし、悠真は放っておいてもせいぜい生意気にいきがるだけだ」


 男が淡々とそう言った後に、なぜかすぐ近くから彰良の叫ぶような声がして、那月はびくりと顔を上げる。頭が揺れたことで割れるように頭が痛む。ひどく視界が歪んでから、泣いているつもりもないのに目から涙が落ちた。


 涙で潤んだ瞳の向こうに、大きな黒いモニターが見える。大半がただ黒いだけの画面に、目がおかしくなったのかと思ったが、本当に暗い部屋が映っているらしい。赤外線で映しているのか、暗い部屋には人影が浮かぶ。そこで動いた影は、壁を殴りつけるような動きをする。そしてまた声が響く。


 何を言っているかは分からないが、彰良の声には違いない。ただただ何かに向けて叫んでいるように聞こえる声に、那月は耳を塞ぐ。


「那月には理解できないかもしれないが、あの部屋は彰良には辛いらしい。可哀想だな。こちらとしても、貴重な彰良の時間を無益に拘束したくはないんだが」


 耳を塞いでいるにも関わらず、男の声はなぜかはっきりと聞こえた。


 那月は改めて目の前の男を見た。この船の長である彼は、黒いモニタを見て細い目をさらに細めていた。可哀想だと彼はいったが、昔からずっと優等生だったという彼は、那月達のように懲罰室などに入ったことはないだろう。彼らが何を苦しんでいるのかも、今の那月が、ただ顔を上げて座っていることすら苦痛であることも、何も分からないはずだ。


 船長はこちらを見ないまま、モニタに向かって何かを呟く。すると今度は一転して目に眩しいほどの真っ白い部屋が映った。急に強い光の刺激が目に刺さり、那月の目にさらに涙がたまる。体の不調に耐えきれずに那月はまた額を机につけた。しばらくそのままなんとか耐えていたのだが、それでも吐き気がおさまらずに、結局はずるりと床に倒れる。


 こちらの様子に気づいていないわけはないだろうが、椅子に座ったままディスプレイを眺める男からかけられたのは、那月を心配する言葉ではなかった。


「しばらくは会えないだろうから友人の顔でも見ておけばいい。悠真の方はまだ余裕がありそうだな。さっきまでは喚いていたが、今では大人しくなってる」


 那月が床から見上げた画面には、同じように床に寝転んだ悠真の姿がある。どこか放心したような顔で天井を見つめている彼の表情に、ずきりと心が痛んだ。悠真が那月に向ける表情はいつも明るく優しげなものが多くて、今のような無表情はほとんど見ることがない。悠真の方は余裕がありそうだと船長は言ったが、彼は彰良のように、叫んだり暴れたりするタイプではないのだ。苦しんでいるのは彼も同様だろう。


 だが、そして那月には理解できないかもしれないが——と船長が言った通り、正直なところを言えば、那月には彼らの苦しみは分からない。


 那月も何度か彼らのいる部屋には入れられたことがあるのだが、さほど苦しい時間ではなかったのだ。何もないただ時間だけが過ぎていく部屋でも、那月は空想に浸って頭の中で色々な物語を紡げる。そこには孤独も空腹も時間もなく、むしろ考える余裕もないほどに働いている時よりも快適なほどで、そんな那月に彰良と悠真の苦しみが理解できるとは思わない。


 だからこそこうして、目の当たりにさせられているのだろう。苦しんでいる二人を見ていると、当然ながら那月の胸も痛くて苦しい。


 そうでなくても体は重いし辛いし痛いのだ。那月に懲罰室は効果がないと悟った船長達は、最近では懲罰と実益を兼ねてか、那月の体を実験体(ラット)にしているらしい。何かの薬の治験に使われているのか、何らかの人体データがとりたいのかは分からないが、医師や研究者達が薬を投与しては、那月の色々なバイタルサインを確認し、血液などの検体を採取していく。どう体が不調なのかと問診されるが、頭が痛い吐き気がすると訴えたところでなんら対処をしてくれるわけでもない。そもそもが懲罰であるのだし、どう苦しいのかというデータも取りたいのだろうから、鎮痛剤など渡してくれるはずもない。


 このまま死んでしまうのではないだろうか、と。


 冷たい床に頬を当てたまま、ちらりとそんなことが頭に浮かぶ。何を試しているかは分からないが、試そうというくらいだから何かしら不確定なものがあるのだろう。万が一ということがあったらどうする気だろう、と。そう思ったが、答えは明白であるような気がした。


 船長にとって那月は単なる二百五十六分の一であり、死んだらまた新しく命を一つ作れば良いだけだ。


「少しは反省なり謝罪なり、する気になったか?」


 そんなことを言って足元を見下ろした男を見上げる。


 もし、ごめんなさいと泣きつけば、すぐにこの苦しみから解放してくれるのだろうか。そうであってほしいとは思うが、そうではないような気もする。


 那月は口を開いて息を吸う。


 それだけで猛烈な吐き気に襲われたのだが、それでも吐けはしないし、もう吐くものもない。


「……私が反省したら、実験体(ラット)がいなくなって困るんじゃない?」


 小さな声しか出なかったが、なんとか相手の耳には届いたらしい。男は明らかに呆れたような顔をした。


「そんなことを心配してくれるのなら、来年には正式に研究体(マウス)として研究室に置いてやる。——もしくは娼婦だな。那月のことを欲しがっている物好きは多そうだ」


 悪意に満ちた言葉に、那月は目を瞑る。


 何かを言い返すほどの気力もなければ、睨みつけるだけの体力すらなかった。見ているだけで体調の悪くなる男の顔をただ遮断して、できればこの苦しい体から逃れるためにも、このまま意識を手放してしまえないだろうかと心から願った。


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