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はるまのディストピア(5/5)


 怒涛の三時間が終わると、もう部屋に戻りたいと言いたいところではあったのだが、残念ながらまだ十五時だった。この後、五歳までの子供達と夕食の時間まで園庭で遊んでやる必要がある。これもだいぶ体力を使う仕事ではあるのだが、乳児の世話よりは百倍は楽だし百倍は楽しい。


 子供達の待つ場所に向かう途中で、調理室を覗いた。


 そこでは那月が調理師と一緒に並んで作業をしていた。二人は何かを話しているようではあったが、楽しげな様子で、怒られているという気配ではない。長時間、持ち場を離れたことを叱責されているようであれば申し訳ないと思っていたから、少し安心した。


 ここにはそもそも住人が、老人から赤ちゃんまで合わせて二百五十人程度しかいない。その人数で船の機能を維持しながら、居住区の機能も維持して、生活も維持しなければならないのだから、学生といえども日々の仕事は与えられているのだ。


 ほとんどがシステムで制御、自動化されているから、全員分の調理も専門の調理師が一名と学生一名で事足りる。人手がかかるのはそのシステムの制御や、機器や部品のメンテナンスなどを行うエンジニア、基礎研究の分野などを行う科学者、それから人の面倒を見るための仕事——お母さんや教師や医師や調理師や警官などに限られるのだ。


 中でも子供の世話をしたり幼い子に勉強を教えたりするのは子供にもできるので、良くこうして駆り出される。だが、すでに制御区の主のようになってる彰良や、研究室にいることが多いと言っている和志などは、悠真のように乳児のおむつを変えたことなどないだろう。幼い頃に実施する知能テストなどで、そもそも道は振り分けられているのだ。


「——なんだその髪は」


 急に後ろから声をかけられて、どきりとする。


 振り向くまでもなく声で誰かは分かる。驚いてしまった心臓を落ち着かせてから、ゆっくりと振り返った。


 そこにいたのは中年の男だった。いかにも堅物そうな男は、いつ見てもぴんと折り目のついた固そうなシャツとスラックスを身につけており、髪の毛の一本一本にいたるまで全く乱れるところはない。いつ見ても同じ姿形で、ぴんと背筋を伸ばして立っている彼は、実はヒューマノイドロボットなのではないかと悠真は密かに疑っている。


「ご無沙汰してます、船長」


 にっこりと笑って挨拶をしてみるが、男は全く表情を動かさなかった。じっと視線が悠真の髪に注がれているのを見て、悠真は前髪を摘んでみせる。


「この髪ですか? あんな部屋に入れられたストレスからか、一気に髪の色素が抜けてしまったみたいで」


 明らかに嘘だと分かるだろう悠真の言葉に、船長は視線を険しくした。


「それなら真っ黒に染めてこい」

「黒髪も前にやってみましたが、あんまり似合わないんですよね」


 前に那月や彰良とお揃いにしようと黒髪にしたことがあるのだが、自分でもあまり似合うとも思えなかったし、那月も似合うとは言ってくれなかった。そもそも髪や瞳の色素が薄いので、赤とか黒とかはっきりした色は似合わないのだ。


 船長がそんな答えを求めているわけではないと分かってはいたが、案の定、ますます不愉快そうな顔をした。


「それなら頭を丸めてやる。そんなことに無駄な時間をかけるくらいなら、学位の一つや二つくらい修めたらどうだ?」


 それこそ無駄な時間だろう、と悠真は密かに息をはく。


「学位の一つや二つを収めたら、俺を警察官や医者にしてくれるっていうなら頑張りますけど」


 悠真の言葉に船長は綺麗に整えられた眉を上げた。


 船長の方こそ、いつ見ても変わり映えのしない髪の毛や眉や身支度に時間をかけているように見える。それは無駄な時間ではないのだろうか、などと考えていると、男は吐き捨てるような口調で言った。


「どこの世界に、悠真のような人間を医者や警官にする馬鹿がいると思うんだ」


 まだ職業を与えられない学生に対してひどい言い草ではあるが、たしかに医師になった悠真に命を預けたい人間はいないだろうし、警官にはどちらかと言えば先日もお世話になったばかりだ。悠真は今度は隠さずにため息をついた。


「それならわざわざ俺に学位なんて取らせる必要はないでしょう。俺がいくら勉強したところで、制御士や博士にしてくれる馬鹿がいるわけないってことも、分かってますよ」


 学位というのは無機化学やら情報工学やらそれぞれの分野ごとに準備される試験に合格すれば与えられるもので、悠真は一つの科目も合格したことはない。それに比べて優秀な船長は学位の十や二十は持っているらしいし、彰良なんて十歳になるまでにいくつも学位を修めている。


 幼い頃の知能テストで別格の成績を叩き出した彼は、昔からシステムの制御や遺伝子工学、エネルギー工学、物質工学など、この世界を維持するために必要な学問を詰め込まれている。その多くで学位まで取得しているのだが、今はその中で一番適性があると言われたシステムの開発と制御を専門にしているのだ。彼であれば制御士はもとより、基盤士でも研究職でも医師でも、なろうと思えばなんだってやらせてもらえるはずだ。


 悠真はもとより頭が良くないことは分かっていたから、そもそもそうしたものを目指していたわけではない。幼い頃は警察官や消防官、無重力での船外活動をおこなう飛行士に憧れて体を鍛えていたのだが、それぞれ枠は一名しかなく、悠真が警察官になるためには今の警察官が老いるのを待つか、配置換えしてもらうしかない。そもそも希望制でもないのだ。なんの才もない悠真などは、時期が来れば枠が空いているところに自動的に配置されるというだけだ。


「たしかに悠真がいまさら勉学をしたところで意味があるとは思えないな。老人や赤子の世話なら誰でも出来る。むしろ精神年齢が釣り合って良さそうだな」


 淡々とした口調ながらも、どこか馬鹿にしたような言い方ではある。いままさしく子供の世話をしている悠真を馬鹿にしているのか、もしくは来年から悠真を『お母さん』にしてやると脅しているつもりなのか。


 悠真は思いきり眉根を寄せたが、当然ながら彼はそれを見てもぴくりとも表情を動かさない。


 船長はきっと彰良などと同じで、赤子の世話などしたことはないのだろう。同時に複数の乳児の相手をするのは、誰にでも出来るどころか、那月以外の誰にもできない超人的な仕事なのではないかと思うのだが、彼にとっては子供にもできる取るに足らない役割なのだ。もしくは彼であれば、いくら赤子が泣いていても死にはしないと無視できるのだろう。


「それなら、船長がよぼよぼの老人になって、馬鹿な俺に釣り合うくらいに衰えるのを楽しみにしてますよ。他人の何倍も丁重に世話をしてあげます」


 悠真の言葉に、男は顔を顰める。


 仕事を任命する最終的な権限は目の前の男にあり、彼に取り入れば少なからず心情を汲んではくれるのかもしれない。彼のお気に入りは才能があり従順な和志や康太で、彼らが望めばもしかしたら希望の仕事を与えてもらえるのだろう。


 だがそもそも知能指数が良くもない悠真など、いくらいい子にしていたところで視界にも入らないに違いない。その証拠に、彰良などはいくら反抗したところで、やはり船長のお気に入りなのだ。


 男は何も言わずにため息をつくと、話した時間が無駄だったとでも言いたげな様子で首を横に振る。こちらに視線も向けないまま、足早にこの場を立ち去った。


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