花火から始まる
息を切らしてかけのぼった丘の上で、那月は倒れこむように寝転んだ。少し湿った土の地面だが服が汚れるのも気にならなかった。むしろ冷たい感触が火照った体に心地よい。両手を広げて夜空を仰ぐと、視界いっぱいに大きな花火が広がった。まるで目の前にまで落ちてきそうなほどの煌めきに、ただ息を飲む。
白い光に、赤い光に、青い光に、金色の光。
鳴り止まない轟音と、次々に空の色を塗り替えていく流星のような光の粒。花火が爆ぜる音は、耳でなく肌を通して体の奥にまで届く。全身に音と光を浴びながら、那月はなんだか笑いたくなった。こんなに走ったのは久しぶりで、こんなに爽快な気分なのは初めてだ。未だにどきどきとなる心臓は、走ったせいか、それとも。
気づけば花火を遮るように、悠真の顔がある。
いつの間に隣に座っていたのだろう。あまりに綺麗な花火に、彼が近づいていたことにも気づいていなかった。彼は口を開けて何かを言ったようだった。だが、花火の音にかき消されてよく聞こえない。
「なに?」
那月が大きな声を出すと、彼は顔を耳元に寄せてくる。耳元で囁かれた声は、今度はよく聞こえた。
「キスしてもいい?」
吐息とともに耳にあたった急な言葉に、那月は瞬きをした。反応を返す前に唇が近づけられ、それがそっと触れる。
柔らかなその感触に体が震えた。もともと痛いほどに鳴っていた心臓が、壊れてしまうのではないかと思うほどに鼓動を刻む。あれほどうるさく鳴り響いていた花火の音が、急に遠くに聞こえた。だが、ふと目を伏せる人の顔が頭に浮かんで、すっと頭の中が冴える。——花火が上がったら、那月と悠真と彼の三人でこの丘に集合する予定だった。
動けないままでいると、やがて唇が離れた。彼はすぐ近くから那月を見下ろしながら、ふっと笑った。
「いま、あきのことを考えただろう」
その言葉にどきりとする。
これが悠真との初めてのキスだったにも関わらず、一瞬、那月の頭の中に浮かんだ顔は確かに彰良のものだった。何を言おうか迷っていると、悠真は顔を上げた。いつのまにか花火の轟音に代わってビービーと警告音のようなものが鳴り響いており、夜空を埋め尽くしていた花火も消えていた。
黒く塗りつぶされた空にはただ、静かな星々が漂っている。
「なつき、はるま」
丘を駆け上がってきたのは彰良で、彼もここまで走ってきたらしい。肩で息をしている彼を見上げて、悠真はたち上がった。お疲れ、と手のひらを上げた悠真に、彰良は無言で手のひらを合わせる。那月はそんな二人を見上げてから、勢いよく地面から起き上がった。服についていた土を払う。
「とても綺麗だった。彰良もちゃんと見られた?」
「俺はディスプレイ上で飽きるほど見てる」
「画面じゃなくて空で見てないの? 本当の花火みたいだったのに!」
那月が興奮しながら言うと、彰良は那月を見下ろして少し意地悪そうな顔をする。
「本当の花火なんて誰も見たことないだろ」
「でも、本物よりも綺麗だったと思う。見せてくれてありがとう」
那月はいつものようにぎゅっと彰良に抱きついたのだが、なんとなく後ろめたい思いもした。それは先ほどの悠真の唇の感触がまだ残っているからか。腕の中で、彰良が軽く肩をすくめたのがわかる。
「俺は単に端末に仕込みをしただけだ。礼ならはるまに」
「それを言うなら俺は機械を取り付けただけだな。礼を言われるほどじゃない」
悠真は口ではそう言ったが、那月に向かって両手を広げた。那月は笑って彼の体もぎゅっと抱きしめる。悠真は彰良と違って、腕を回して抱き返してくれた。
「誕生日おめでとう、なつ」
「悠真も。——彰良も、誕生日おめでとう。今年は今までで一番最高の誕生日ね」
「明日はきっと今までで一番最低の誕生日の翌日になるだろうけどね」
そう言った悠真に笑って、那月は彼から体を離した。花火は空から消えてしまったし、耳障りな警告音は未だに鳴り響いている。いずれ誰かがここにいる三人を見つけるだろう。勝手に花火などを夜空に打ち上げたのだ、当然だが何かしらの罰は受けるに違いない。
「そうかもしれないわね」
「那月は何もしてない。俺と悠真が勝手にやったことだって言えよ」
「俺も何もしてないけどな」
しれっとした顔で言った悠真に、彰良は黒い眉を上げた。
「残念ながら、それを主張するなら俺の方だ。実際に施設に潜入して機器を操作したはるまはばっちり映像も侵入したログも残ってるが、俺が制御装置に流した操作については、痕跡が残らないようにしてある」
「俺のデータもついでにハッキングして消しておいてくれよ」
「そんな時間があったと思うか?」
そう言った彰良に、悠真は楽しそうに笑った。
「ま、どうせ犯人探しなんかする必要もない。ここでこんなことやれるのはあきだけだ。俺なんか逆立ちしてもやれないもんな」
「そして彰良と悠真が犯人なら、私が犯人でないわけはないって思われるわよね」
そう那月が言うと、悠真は楽しそうに笑って、彰良は苦笑したようだった。
そもそも花火が見たいと言い出したのは那月で、二人はそれに手を貸してくれたのだ。それはきっと周りも分かっているだろうし、むしろ那月のことを主犯だと思っているかもしれない。
「まあ三人で共犯だってことで、みんなで仲良く自首するか?」
悠真が彰良の肩を抱くようにして言ったので、那月は持っていたバッグからパックを取り出して二人に渡した。
「それより乾杯しない? 林檎ジュースだけど」
「りんごジュース?」
「どうせなら酒を持ってきてくれよ」
「普通の未成年にはお酒は手に入りませーん」
「言ってくれれば普通じゃない未成年が準備するのにな」
悠真はそう言って彰良を見たが、彼は付き合う気はないようで、黙って那月が渡したジュースのパックを開けた。那月もパックを開けると、悠真も同じようにする。お酒なんか飲んでいなくても、目の前で見れた非日常の風景にすでにふわふわと酔っているような気分もある。
那月は林檎ジュースを掲げる。
「最高の誕生日プレゼントをありがとう。乾杯!」
そう言って那月が思いきりパックをぶつけると、盛大に中身がはねて三人で悲鳴をあげた。