夢
ーー子供の時から繰り返し見る景色がある。
暗い底なしの闇に赤や青の暗い光の粒が広がり、それは時に、集まり時に離れ徐々に何かの輪郭を生み出す。
かと思えばすぐに色を変え、溶け合って再び闇に散る。
腕も身体もなく、自分はだだ「見る」存在でしかない。
宇宙にも似た面影はしかし、導く星の瞬きもなく静かに広がっているだけだ。
ーーあぁ、またか…
左右もなく、上下もない、その果てしない空間に自分は君臨しているのか・・・、それとも、瞑った瞼の裏側のちっぽけな世界でしかないのか・・・それは定かではないけれど、僕はこれを便宜上、「夢」と呼んでいた。
ーー大丈夫、怖くない、いつも通りだ。
たまにお腹の中にいた時の記憶がある人がいると聞くけれど、この闇の感覚は羊水の中にいる赤ん坊と同じなんだろうとなんとなく思った。
恐ろしい様で、とても居心地がいい、特別何が起こるわけでもない・・・ただの闇。
そのうちに、光の粒がプラネタリウムの星座のように、はっきりと直線で結ばれ、具体的な輪郭を生み出す。
『祈りを捧げる少女』、『たくさんの船』、『両腕をあげる男』、『大きな宝箱』、『盾』、『何かを引きずる馬車』・・・・・・
そして、巨大な馬がぎこちない動きで真正面から迫ってくる。
ーーそれが『夢』が終わる合図。
ーーそう、それが、この『夢』を見た時のいつも通りの終わり方のはずだった・・・
暗い世界の明度が上がり、朝が近い事を直感で感じる。
光の粒が集り、「目」でしかなかった存在に手や足、そして身体が構成されていく。
微睡みに引き上げられる感覚と、ぬるま湯から出たくない惰性のせめぎ合いに身を委ねつつ、覚醒していく体の細胞に反応して現実世界の雑音が聞こえてくる。
「・・・ス、・・・・・・・リ・・・・・・・・・スッ・・・・・・」
ーーん?
か細いけれど、女の人の声がした。
切羽詰まった苦しそうな声だった。
光を纏い、ほとんど人型を取り戻した身体でクルクルと踊るように回りながら声の主を探したけれど、前後のない世界の景色は変わらない。
小さい時から何度も繰り返し見た『夢』。
この恐ろしく静かな闇に今まで人の声が聴こえてきた事はなかった。
ーー気のせいかな?
と、突然、後方から淡く白い光が起こり、爆風と共に果てしない闇に放射状に白い線が放たれる。
振り向いたが強烈な風と光で目を開けていられない。
腕で庇い、なんとか合間から薄眼を開けると、光の中心に女性の影が見えた。
ーー手?・・・誰?
こちらに手を伸ばしている。
前に進みたいのに足が世界に溶けたように張り付いて動けない。
視界を腕で覆ったまま、上体を倒し片手を伸ばすが、見計らったかのように一際強い向かい風がおきて吹き飛ばされた。
ーーうわぁっ。
竜巻のような巨大な風の渦になすすべもなく上へと巻き上げられる。
しばらくして上方に到達すると風は緩やかになり身体が自由に動かせるようになった。
身体を捩じって下を覗くと、台風の目のように風のない中心には、先ほどの女性が両手を祈るように両手を握りながら俺を見上げていた。
必死で何かを伝えようと叫んでいるが音声は世界に吸収され、口がパクパクと動いていだけにしか見えない。
それなのに、初めて合ったはずの彼女を見ると、なぜか懐かしい、そして胸を締め付けられるように切ない気持ちにさせられる。
彼女から放たれる光が闇に満ち、世界は白い一色になった。
時間だ・・・朝が来る。
そう思ったら、ただ身体が勝手に動いた。
何かに突き動かされるように、ガムシャラに手を振り回して 台風の目に近づくと風の遠心力を失った身体は頭から真っ逆さまに落ちていく。
女性は立ち上がり、つま先になって片手を伸ばす。
伸ばされた手を掴もう俺も手を伸ばす。
白い世界は膨張を始め、俺の身体も彼女の手も白く消えていく。
ーーダメだっ、まだ・・・今度は間に合ってくれっ。
なぜ、その時そう思ったのかは分からない。
彼女は誰だったのか?
彼女の手を掴めたのか?
知らない、分からない。
この記憶はこの夢の中にしか存在しないからだ。
無機質で冷たそうな?
朗らかで嬉しそうな?
慟哭して悲痛な?
優しく愛おしむような?
「パリス」
そんな彼女の声を聞いたはずだ・・・