両面宿儺はどうやって歩いていたのか。
『両面宿儺は、飛騨国の怪人で、体はひとつで、頭部の前後に顔があり、手足が、二つの顔に対応して、それぞれに二本ずつ、計四本ずつあり、膝はあるが、膕と踵はない。力は強く敏捷で、左右に剣を帯びて、二組の手で、二組の弓矢を使い、朝命に遵わず、人民を掠め取り、楽しみとしていたので、帝が遣わした難波根子武振熊という人に討たれた。』
飛騨国に旅行に行ったとき、そのような伝説がこの土地に根付いているのを知った。
「お化けみたいですね。先生。」
美術学校の教え子でもある妻は、結婚してからも、私のことを先生と呼び、敬語で話す。
「もう、卒業して、何年も経つし、敬語でなくても良いんじゃないかな。」
私は妻にそう言ったことがあった。
「いつまで経っても、私にとっては、先生は先生のままなのです。それに、あのときのままの方が、私は、安心するのですよ。」
そう答える妻は、満足そうであったし、それならばと、もとより咎め立てることでもないし、そのまま変わらず、時は流れていった。
私たちの、目的は、温泉である。下呂の湯は、神経痛に良いという。ただ、それは、もうすぐ還暦を迎える私の目的であり、ひとまわり以上も、若い妻の目的は、単なる私の付き添いでしかない。
「良いお湯でしたよ。」
一足先に、湯に浸かって来た妻は、旅館の浴衣を着ていた。私と妻の間には、子どもはいない。それは、妻が望んだことでもあった。
「浸かっていらしたらどうですか?」
「ああ。そうだね。」
私は、画家である。もう何十年も前の話であるが、画家を目指して美大を受験したいと言ったとき、昭和の初めの生まれで、学生のときに、出征したという父は反対した。それでも、最後に、父は折れて、私は美大に入った。そんな、父も母も、亡くなってしまった。
今は、売れない画家というわけでもなく、個展を開催することもある。ただ、画家の他にも、母校の学校で教師をしており、それ故に、食っていけるだけの収入はある。妻は、そのときの教え子の一人であった。彼女は、画廊で事務員をしており、そこで、再開したのである。
「この先、生きていても、良縁は来ないと思いますから。」
親しく付き合うようになって、籍を入れようかという話になったとき、彼女は、そう言った。今から、数年前の話である。
「それほど高年齢というわけではないのだから…。」
おかしな返答ではあったのだろう。そのときの妻は、笑っていた記憶が残っている。籍を入れたとき、彼女は既に、両親を亡くしていた。二人で暮らすようになってからも、私は、変わらず、自分の人生にも、そして、妻にも、人並み程度には、満足して生きているつもりだった。
飛騨の温泉は、体に良かったらしい。自宅に帰ってからも、しばらく、二の腕の神経痛は出なかった。
「何をお描きになっているのです?」
週末、絵筆を手にしていた僕の横に妻の姿が見えた。
「両面宿儺。」
「ああ。飛騨の。」
体はひとつで、顔が前後にあり、手足がそれぞれに生えている。
「膝はあるが、踵と膕はない…。」
膕とは、膝の後ろの窪みのことである。膕があることで、膝の関節が屈曲することを可能としている。私は、絵を描いていて、ひとつの疑問が浮かんでいることに、気がついた。それは、両面宿儺はどうやって歩いていたのだろうかということであった。
「膕がなくて、どうやって歩いていたのかな?」
「どうしてです?」
「だって、膕がなければ、膝が曲げられないじゃあないかな?」
「それは、おとぎ話ですよ。先生。」
それはその通りである。両面宿儺という怪人は、空想上の存在である。例えば、飛騨の山奥で、両面宿儺という未知の生物が、発見されて、その生物学的構造が問題とされれば、私の、このたわいのない疑問も、生物学的意味を持つことだろう。しかし、両面宿儺という存在が伝説上の生物である以上、それが爪先立ちで、よちよち歩いたのではないか、それならば、力は強く敏捷というのはおかしいし、ならば、本来、膝である部分も、曲がるようになっており、案外、普通に、走ったり、飛んだりしていたのではないか、などと、両面宿儺が、どのようにして、歩いていたのかということを考え倦ねた所で、それは、答えのない、空想上の考えでしかなく、詮ないことである。
普通の人ならば、そのような疑問は生じても、すぐに忘れる。かくいう、私も、普通の人間のつもりであったのだが、何故か、その疑問は、消えることはなく、私の、どこかで、残っていた。
「(両面というくらいなのだから、人々は、顔が二つあることを恐れていたのだろう。)」
両手宿儺でも、両足宿儺でも、両膝宿儺でもなく、彼は、両面宿儺なのである。私は、私が描いた両面宿儺の絵を前にして、そんなことを考えていた。
「(両面ということは、360°辺りが見渡せるから、山の頂上なんかでは、さぞかし、よい景色だっただろうな。)」
前後に顔を持つ両面宿儺の視界はどのようだったのだろうか。
「(一方が目を開けているときは、一方が目を閉じていたのか。もしかしたら、片方は起きて、片方が眠るという生活をしていたのかもしれない。)」
それでも、ときには、両方の宿儺が目覚めて、二つの顔で、周囲を見渡すことはあっただろう。
両面宿儺の絵を描きながら、私の空想の中の、両面宿儺は、生き生きと、野山を駆け巡り、鳥獣草木と遊んでいた。しかし、それでも、なお、両面宿儺の脚下だけは、暗い陰と、曇りによって、鮮明になることはない。絵の中の彼もまた、脚下は、山の雲と霧に隠れてしまっていた。
「良い絵になりました。」
私の絵を見て、妻はそう言った。
「本当にそう思う?」
「ええ。良い絵ではないですか。」
山野に遊び、鳥獣草木と戯れる。そこには、記紀に刻まれた、人民を掠め取り、人々を慄かした両面宿儺の面影はなかった。その絵は、妻の知り合いの画廊のところに飾られることになった。絵を描き終えたあとも、時は過ぎ、私は、変わらず、二の腕の神経痛に悩みながら、学校で、美術を教えているし、妻は、変わらず、私を先生と呼び、敬語で話している。そんななかで、ひとつだけ、変わったことといえば、私には、疑問が、ひとつ、靄にかかったまま、残ったことと、そんな私よりも、両面宿儺の方が、顔が二つあるぶんだけ、世の中や、人々のことを、遙かに、明るく、詳しく、遠くまで、見通すことができているのではないかという思いが増えたことである。