4話 僅かな綻び
前回までのあらすじ
那知恒久は阿知輪晋也に稲葉公太を倒して欲しいと頼まれる。
倒れた父の見舞に向った病院で、父以上の重体患者を多数目の当たりにさせられた恒久は、やるしかない、と理解する。
父の病室には稲葉の姿。その稲葉から、家に置いてある筈のグリアのベルトを投げ渡される。
これ以上何も起きて欲しく無い。恒久は叫びと共にグリアに変身、樺黄小町蜘蛛に変身した稲葉を倒したが、自身の中に説明の付かない小さな違和感を残したままだった。
➖那知家➖
『時刻は07:55になりました。それでは全国のお天気です。』
「つーくん、ごはんできてるよー」
豆腐と葱の味噌汁、ハムエッグ、白飯、常備野菜。
母親として充分な働きをしていると自負しているにもかかわらず、息子は毎度呼ばねば出てこぬ。それは分かっているが今日は3回も呼んでいるのに出てこない。
恒久はベッドの中で“ 蜘蛛 化物 病院 ”を検索していた。勿論、目当てのモノは検索されない。昨日の事も稲葉の事も世間に出回る筈がない。だが安心は約束されない、恒久には犀の存在が気になっている。阿知輪からは“蜘蛛を倒して欲しい”としか言われなかった、犀の存在を知らないのだろうか、ベルトは返そうとしたが「それはもう君のだ、大事にしてくれると助かるな。」そう言われてしまった。
始まってしまった日常を恒久は受け入れきれずにいた。
「つーくんも思春期やなぁ……」
➖国立大学付属高校・1年0組➖
英姿颯爽を掲げ、次世代を牽引するに相応しい人材育成の為、特殊な教育プログラムを導入した新設クラス。
朝からヒソヒソと囁かれていた話題は其方此方に飛び火して、昼休みにはクラスの話題として盛り上がる。
「稲葉が新型にやられたってのは本当なのかよ。」
「俺は、知らない。」
「越猪、お前風紀委員だろ?不知火さんから何か聞いてねーの?」
「あまり勝手な事をすると痛い目に遭うから気をつけさせろ、それだけだ。」
「本当かよ?あやちゃーん、本当の事教えてよ〜」
「うるさいわね!知らないって言ってるじゃない!そんなに知りたいならアンタが風紀委員やんなさいよ!」
越猪崇と松浦彩花は風紀委員であり、【犀】と【風鳥】不知火から直接指示を受け、稲葉公太を止めに入ったのは越猪だ、松浦に一喝されたのは巻恵市【蛇】
「おっほぅ!おっかねー ま、稲葉がどうなろうと知ったこっちゃねえけどな、あいつ“向き不向き”っつーの?分かってねーからウゼェし。」
巻と稲葉はボクシング部、パンチ力の無い稲葉が接近戦に拘るのを巻は不快に感じていた。
「新型がいるのは本当なんだろ?」
八浪幸四郎【蛸】の質問に秋岡樹【鷲】が応える。
「だから崇が勝手な事をするなって、不知火さんに言われたんだろ。」
彼等はそれぞれ違った能力を有するバックパック【अंडा】を所持している。有明エンタープライズの技術を規制する筈の文部科学省 科学技術・学術戦略官、不知火凌の手引により……
「俺達は【विशेष】今迄どおりなら問題ない。」
「はーい!新型の事はどうするの?」
「今迄どおりって言ってたでしょ。」
元気に手を上げるアニメ声の柚留木美香【蛾】をたしなめる恋塚涼子【姫蜂】
「余計な詮索はしない方がいい、僕達が恐れるべきは新型じゃない。なぜ稲葉君が“勝手な事”をしたか、だと思うよ。」
スマホで戦国系RTSをしながら口を開いたのは陣内元【蝿】
「じゃ!そーゆー事で、稲葉と新型の事は忘れて、今迄どおりでヨロシク! ワタシ、帰る。」
「あっ、松浦さん。私も」
昼休み後は選択科目、松浦は雑誌モデルとしての活動があるので基本下校。露骨に態度に表す松浦を追いかけるのは増住香【蠍】新体操県強化選手としての活動の他、密かに松浦の追っかけも忙しい……
「なぁーじんなーい、お前はどぉ思うよ?“勝手な事”の理由。」
「3ヶ月前に何かあったと考えるのが普通かな。稲葉君は樺黄小町蜘蛛、闇に潜みターゲットに咬み付いて意識障害・血圧異常・を起こさせる暗殺型、QUESTは少ない。でも3ヶ月前から無差別に被害を増やしていたからね。」
「3ヶ月前ねぇ〜」
巻には思い当たる節がある。
同じバンタム級の先輩と、スパーリング相手としてグローブを交えた稲葉がフットワーク良く動けたのは最初の20秒。すぐにリズムを読まれ、ステップにパンチを合わされてしまう。どうして良いか分からなくなってしまった稲葉は、突き出された先輩のグローブが、手首を支点に2回小さく動くのを見て勘違いをする。
ー打たなきゃー
稲葉には“打ってこい”に見えた合図は“動け”だった。アウトボクサーとの練習をしたかった先輩は、稲葉に1ラウンド・3分間、動いて欲しかった。しかし中途半端な上体のフェイントから左へステップ、右側へ回り込みしっかり構えた状態からステップインして左拳が放たれてきた。タイミングの取り易い動き、カウンターの右フックはドンピシャ。稲葉は1分でKOされてしまった。それから稲葉は不向きなインファイトの練習を増やしていった。
だがそれと新型に駆除される事とが結び付かなかった。
➖有明エンタープライズ・役員室➖
入室予約を経て社員証でロックを解除、扉を僅かに開けると左の踵から滑る様に入る。
「グリアの調子は良さそうだな。」
マッサージチェアで野菜ジュースを飲みながら不知火凌は不機嫌に口を開くが、阿知輪に動揺はない。
「有難う御座います。稲葉の回収も感謝します。」
「業務はキチンとやらないとな、僅かな負い目が仇になる。」
軽く頭を下げた阿知輪に顎で座れと促す。
「蜘蛛はどうだ。」
「修復には1週間もかからないのですが、稲葉は暫く安静に。」
「脳に異常は無いのだろ?」
「脳波に異常はありませんが意識の回復を待ってから精密検査を行ないませんと……彼、腰が折れてますからね。」
「グリアは余程だな。」
「【एकीकरण】に無い此方からの提案です、成果は出しませんと負い目が出来ます。」
「業務はキチンと、だな。くれぐれもグリアの扱いには注意してくれよ、あまり手を汚すのは好きじゃないんだ。」
「その辺はご心配なく。国家機密より慎重ですから。」
心地良いマッサージに目をつぶっていた不知火が片目で阿知輪を覗く。
「しかし、なぜ蜘蛛がああも派手に動く様になったか……」
不知火の視線に気づきながら、書棚に数種置かれている神話を眺めて応える。
「探ってみますか?」
「あまり勝手はするなよ。私も【पागल】が忙しくなる。」
「いよいよですか。」
「まだまだだよ。上が求めるモノになるにはな。」
立ち上がりチラリと横目で不知火を視界に入れると“エデンの園”と書かれた本を手にとる。大きな樹・アダムとイブ・林檎・蛇・が描かれた表紙を向ける。
「世界に平和は訪れますか?」
「世界はそんな退屈を望んじゃいないさ。」
阿知輪は本を戻し、不知火はマッサージの設定を変えた。
風に吹かれて揺れた枝から、まだ青い1枚の葉が零れ、落葉樹の枝先には、少し色が変わり始めた葉を見つける事ができる。
♪〜
恒久のスマホに時任咲也から連絡。
時任咲也も部活を引退して那知恒久と同じ塾に通っている。
中学2年で初めて同じクラスになって、「どうやったら、あんなに跳べんの?」と話しかけて来たのがきっかけで二人は仲良くなった。
時任はバスケット部員。157.6cmと小さめ。NBA選手の様に派手なプレーがしたい。そう思ったのは単純にかっこよかったのと、それをカッコイイと言って瞳を輝かせながら観せてくれた日隠あすかの存在が大きい。
日隠あすかと時任咲也は中学は別だが、同じ幼稚園・同じ小学校・に通っていた。時任が卒業式で泣いたのは《先生が泣いてたから》では無い。
塾に通う理由も《あーちゃん塾に通ってるんだって、さっくんも少しは見習わないとね》母親の情報網のお陰である。
同じ塾に通う3人は、時任を介してすぐに親しくなった。
塾まで2分のコンビニで待ち合わせ、ここでの取り留めのない話が彼等には大事な生活の一部になりつつある。
「なあ、見てこれ、凄ない!」
ここ最近、日隠あすかが興奮気味に動画を推してくるのは、決まってダンス動画。ブレイク・アニメーション・レゲエ・チア・同じ人間とは思えぬその動きに感動を覚えると共に、那知と時任には、少々刺激の強い場合もあり、反応に困る。勿論、日隠はソレを楽しんでいて、家が日本舞踊の教室という事もあり、この手の動画はなるべくここで見るようにしている。
「凄いって言うか、なぁ。」「え、うん、まぁ。」
赤面している咲也と恒久の前に見覚えのある紅い車、助手席に乗った記憶と嫌な予感が湧き上がる。
「やぁ恒久君。ちょうど良かった、家まで行こうと思ってたんだ。ん?お友達?あぁお邪魔だったかな、やっぱり後で家に行った方が良さそうだね。」
「チワッス」「こんばんわ」
時任と日隠は爽やかな阿知輪に明るく挨拶をする。恒久は、この人が悪い訳では無いけれど、この人から何か悪い事が始まってしまう。厄災のシンボルの様に感じてしまっていた。
「阿知輪さん、ここでいいですよ。咲也と日隠さんは先に行ってて。」
時任は恒久の父親が入院した事を知っている。何となく気を回して、阿知輪に興味を示した日隠を塾へと引っ張る。
「すまないね、咲也君と日隠さん?には後で謝らなくちゃいけないな。」
恒久の表情は困りますと言いたげだ。
「いや、いいですよ。遊んでただけですから。」
「何を言ってるんだい。それこそ青春、かけがえのない時間じゃないか、戻れるなら僕も今すぐ戻りたいよ。でも、戻れないからこそ儚くも美しい思い出なんだね。」
「あの……」
「あぁゴメンついね、本題に入ろうか。何故稲葉がグリアを知っていたか、それはまだ分かってないけど、稲葉だけじゃない、何種類かあるようだね、アレ。 ㈱Y.F creation って医療機器メーカーに装着式アシストロボ【NEURON】のデザインと設計をしてもらってるんだけど、そこの担当さんから数種類の生き物を模したアシストロボをデザインした事があるって聞いたんだ、稲葉君の蜘蛛、見せたんだけどね、驚きを通り越して喜んでたよ。実用化してるんですね!だとさ。」
「蜘蛛の他はどんな生き物をデザインしてたんですか。」
「犬と鷲、あとは蛇。蛸なんかもあったね。災害救助活動用として【NEURON】の発展系を企画してたらしく、【विशेष】という名で社内クラウドの共有フォルダに入れてあって社員なら誰でも閲覧可能になってた。㈱Y.F creationの社員もしくは関係者が【विशेष】のデータを利用して化物を産み出している、グリアの製作陣で㈱Y.F creationと関係性が深い人物がどういう訳か稲葉君を蜘蛛にしてグリアの情報を漏らした、かな。」
恒久の頭から【犀】の存在が消えていない、しかし阿知輪からそのキーワードは出て来ない、何かが引っ掛かる。だがそれは今問うべきではなさそうだ。
「それが正解じゃないんですか。」
「只の推論で確証は無いからね、可能性が高いってだけにしておかないと、他の可能性に気付けない。何にしろ、他にもその【विशेष】ってのがいるとしたら、蜘蛛を倒した恒久君に戦いを挑んで来るに違いない。」
「また、あんな事が起きるんですか。」
「今も何処かで。」
終始冷静で爽やかに自然な笑顔を作る阿知輪から大人という不自然な存在を感じる。悪い人じゃない、そう思っていても何故か信用しきれないのは、身の回りの災難を誰かのせいにしたい自己防衛・逃避行為・なのかもしれない。
「どうして……有明エンタープライズってアプリとかパソコンのソフト作ってる会社でしょ。なんでそんな事になっちゃうんですか。」
「火は火でしかない。暖かな灯り、全てを燃やす炎、どうやって使うか、使い方が問題なんだ。稲葉君も利用されたにすぎない。誰がこんな事をしてるのかは必ず見つけるよ。約束する。」
恒久は、歩いて2分の距離にある塾を遠くの存在に感じてしまっていた。
「すいません、そろそろ行かないと。」
「そうだね。咲也君と日隠さんに宜しく。」
恒久は塾へ、阿知輪は車で、コンビニの駐車場から二人は別れた。
ー 咲也君と日隠さん ね ー