39話 どうしてかしら
前回のあらすじ
高校入学の日、駅で出会った日隠あすかの制服姿は那知恒久には眩しく、ひと目見ようと前の日から張り切った時任咲也は空回り。日隠は入学式を終え、講堂から教室への移動中に松浦彩花から「気をつけて」と、声をかけられる。人目につくように現れた松浦を追う野田誠一。歪められたイキーカランを阻止したい松浦と、特別報酬付きのQUESTを遂行しない理由の無い野田。2人は誰もいない教室で対峙する。
➖️卒業式の翌日➖️
松浦彩花は越猪崇の部屋の窓枠に腰掛けていた。
「そう、だいたい分かったわ。」
秋岡樹と荒牧陽介の持ち帰った情報を、ベッドに腰掛けている越猪崇から聞き、涼しい顔を保つ。
阿知輪晋也が私利私欲の為に歪めた【एकीकरण】を正常に戻し、0組は純粋な《QUEST》を遂行する。その為にも阿知輪晋也を排除する事を優先。如何にも越猪崇らしく潔い選択に信念の強さを感じていた。
「彩花、助かるよ。君の協力が在るか無いかでは結果が大きく変わってしまうからね。」
「でも、阿知輪晋也って人の計画も利用していいんじゃない?グリアを仲間に引き入れるより効率よさそうよ。」
「冗談だろ?公太も恵市も柚留木さんも、その阿知輪って奴のせいで」
窓枠に腰掛けていた松浦が、ピンクのダウンジャケットに手を突っ込んだままスルリと降りてグレーのスカートをなびかせる。その動きに会話を止めた越猪の下へ、茶色のブーツを履いたままの脚が向かう。
「どうかしらね。」
さらりと言い捨てる松浦に対し、越猪の話に熱がこもる。
「どうかって、そうだろ!イキーカランは阿知輪晋也によって歪んでしまった!そいつは私利私欲の為に世界を生贄にするんだぞ!争いは駄目なんだ、怨みを産んではいけない、生き残った人類は互いに手を取り、選ばれた事を喜び合い、祝福し、感謝しなきゃ」
始めは忙しかった越猪の手は、やがてガッチリと組まれ、頷きながら自分自身に理念を言い聞かせる。視線は自分の頭の中、組んだ手の上に眉間を置くと、そこへもう一歩、茶色のブーツが進む。自身を納得させ陶酔しかかった越猪の顔に、ダウンジャケットのポケットでは温まりきらなかった松浦の左手が滑り込み、起こす。
「選ばれたって、誰に?やめてよ。私達は無作為に死をばら撒いてるだけでしょ。何も知らない人が “またか” と思うようにね。生への執着を奪い死に馴れさせる。それが役目なら」
越猪の言葉を遮った松浦の言葉は、越猪の顔を曇らせ、自身の言葉をも詰まらせる。
「……」「……」
見つめ合う2人に互いの気持ちが流れ、松浦がポケットに残していた右手を抜くと、越猪の頬には、幼子を諭す様に両手が添えられる。
「崇は私達を天使かなにかとでも思っているの?」
「それは」
それ以上、越猪の言葉は続かない。自身の行動に正当性を求める越猪には、ビシェシュとしての行動の矛盾、大事の前の小事、未来の幸せの為に人類を間引きする事が、真に心苦しいのだ。
「駄目よ、現実を受け入れなきゃ。勘違いするなら、悪魔か死神だとでも思ってないと、私と崇は風紀委員でしょ。」
「そうだな。僕達だけが催眠を受けていないんだもんな。」
「そうよ。稲葉君も巻君も、美香も、ああなったのは私達のせいなのよ。」
0組の生徒は《QUEST》だと言われてしまえばなんの疑いも無く従順に行動してしまう。0組が《QUEST》に対して肯定的なのは思考の傾向は勿論だが、教室内における超低周波催眠の効果によるもの。故に、疑いを持てるのは催眠を受けていない風紀委員の2人だけ。ビシェシュ選出において、思考の傾向がイキーカランと完全にリンクしていた2人だけ。
「風紀委員か……僕達は何を守るべきだったのか、大切な仲間も守れず」
「いいのよ、もっと簡単で、多過ぎるのよ、人が。」
しばしの沈黙。越猪崇が見つめる松浦彩花の横顔は美しい。しかし、そのガラスの様な、彫刻の様な表情に、いつかは彩りをと、見つめるほどに思う気持ちは、いつも何故か心の内に納めててしまう。
「本題に戻りましょ。阿知輪って人を拘束するなり、処分したとして、その計画そのものは指導者を変えて進行するでしょうね。」
「え?」
「計画に携わってる人間は数いるわけでしょ?第2第3の阿知輪はいる筈でしょ?」
「じゃあ……」
「崇は少し考えすぎなのよ。言ったでしょ、もっと簡単でいいの。」
「どうするつもりだい?」
越猪崇が堂々とした体格に精悍な顔つきを乗せて、さも心配ですと言いたげな態度と雰囲気を見せる。
そう言われた松浦彩花が小首を傾げたかと思うと、越猪崇の心を包み込む様な優しい笑顔を見せた。
➖️第一高校・無人の教室➖️
ーどうしてかしらね。ー
野田誠一と対峙した松浦彩花が【風鳥】に姿を変えると、教室中にバラバラにされた机と椅子が霧散し【蛙】の視界を奪う。
視認しなければ【自律攻撃行動機能】が発動しない【蛙】にとって視界が塞がるのは痛手、更に目の前の光景に対し遅れてくる効果音が、軽音楽部Drums野田誠一にはバグを起こさせる。タイミングやリズムが狂う事は不快の極みでしかない。
その一方、先端が音速を超える鞭の様な飾り羽を自在に振り回し、全てを切り刻む【風鳥】には視界など関係なく、音よりも速く事が進む軽快さに心地よささえ感じている。
先手を取られた【蛙】は、苛立ちと苦し紛れに伸ばした舌が捕らえた椅子を投げ飛ばすが、細切れにされ視界の邪魔を増やすだけ。埒のあかない状況に【風鳥】の出方を見る他なす術なし。ひとまず廊下へ回避。
ーくそっー
ーそうよねー
【蛙】はモウドクフキヤガエル。本来、好戦的な性格ではない。それは野田誠一にも言える。ビシェシュとしての役割は、体表に滲み出るバトラコトキシンでの毒殺。何処にでも馴染む風貌の野田誠一にはうってつけ。街中・電車内・ライブハウス・etc、野田を警戒する者はいない。人に紛れてしまえば「परिवर्तन」と唱えるだけ。
【風鳥】は理解していた。野田誠一が砂月玲奈と同タイプであると。【菟葵】マウイイワスナギンチャクに変容する砂月も好戦的ではない。大東流合気柔術を習っているが、自己研鑽と護身の為であり、普段はそれを隠そうとさえする。大人しい性格と風貌で《QUEST》をクリアする、言わば暗殺タイプのビシェシュである。野田が暗殺タイプであると言う事は、砂月と思考が似ていると言う事。この状況では距離をとるのがセオリー。
予想通りの展開に持ち込んだ【風鳥】は廊下とは反対の窓から教室を離脱。
ーあっちねー
滑空しながら日隠あすかの進んだ方向を確認すると急降下。校舎へ入ると「वापसी」と唱えた。変容を解き廊下を走り「日隠さん、日隠あすかさん。」と声を張る。
ざわめく各教室、そのひとつから無言の圧力と眼力を携えた教師が廊下へ姿を現す。
ー見た顔ねー
日隠の担任を確認した松浦は躊躇なく教室へ入ると、集められた視線の中から日隠あすかを見つける。何事かと好奇心に輝かせる視線の中で、困惑した表情を見つけるのは容易い。
「君!何事かね!だいたい君は」
「私は風紀委員です。」
担任教師から受ける注意を即座に跳ね除け、日隠あすかの手を取る。
「お父様が倒れられました。こちらへお急ぎ下さい。」
「え?!」
「いいから、早く!」
半ば強引に日隠あすかを連れ出した松浦はバス停へ、だがその姿は既に【蛙】に捉えられている。
ー松浦、何を考えているんだ?ー
「松浦さんが何を考えているか、気になる?」
晴れた視界の後ろから突然の声。【蛙】が振り向くと金属質な化物の姿が。
「お前、何考えてんだよ。」
「僕は正常な世の中と未来の為に0組に居るんだ、阿知輪って人の口車に乗せられちゃった軽音楽部を止めるのは当然でしょ?」
声の主は陣内元。その姿は【蝿】であるが、他のビシェシュとは違って構造はフラクタル。無数の蝿型ドローンが集合して形成されている。
通常の《QUEST》では其々が人々を襲いトリパノソーマ症を発症させるが、戦闘では陣内元の脳波により様々な陣形を組み、防御は勿論、多彩な攻撃をも繰り広げる事が可能。
「それがお前の《QUEST》か、陣内。」
「どうかな。僕の《QUEST》は終わったから。これは “お節介” かな。」
松浦と日隠が走る姿を追うのをやめた【蛙】の目が光る。【自律攻撃行動機能】が【蝿】を敵として認識する。




