30話 為
前回のあらすじ
那知恒久が通う学習塾では現役高校生を迎え受験対策が行われる。恒久は担当講師を務める越猪崇に将来について質問。越猪は恒久がグリアである事を承知の上で“世界を1つのチームにしたい”そう答え、恒久は“理不尽や争いのない世界を望む”と応えた。
恒久は越猪に感銘を受け、憧れを感じ、越猪は恒久に対し、同じ未来を望む仲間であると感じた。
だがそこへ磯貝亮太が現れる。
自律防御行動機能を搭載し、暗殺型から戦闘型に姿を変えた【芋貝】の目的はグリアの排除……
自らの信念に従い、那知恒久と磯貝亮太の接触を阻む決意を固め、越猪崇が唱える【परिवर्तन】
黄昏時、日没間近は行き交う人を影に染める。
すれ違う 他人の空似 誰そ彼
【犀】百獣の王ライオンの牙をも凌ぐ硬い皮膚で全身を覆われ、体躯に見合わぬ瞬足を持つ。
越猪崇が変容した姿は肩が大きく張り出し、顔の中心には特徴的な2本の角。地球上で最も硬いとされる金属ウルツァイトで全身を覆い、総重量は200キロを超える。瞬間時速70キロの突進で破壊出来ない物はない。《QUEST》として、今迄に数々の建築物や電車・大型車両などを倒してきた実績が、その屈強さを物語る。
【芋貝】口内に矢舌と呼ばれる毒銛を隠し持ち、獲物に神経毒ニルヴァーナカバルを注入する。動けなくなった獲物を包み込む様に広げた大きな口で丸呑みにしてしまう。神経毒ニルヴァーナカバルは非常に危険で、スキューバダイビングを楽しむ人達の被害も少なくない。毒銛はダイビングスーツを貫通し、全身麻痺、呼吸不全による死者や重症者が多く報告されている。
磯貝亮太が変容する姿は元来大きな巻貝。《QUEST》では物陰に潜み、毒銛を伸ばし、標的に毒を注入。潜入さえ成功してしまえば成功率99%以上の優秀な暗殺型であった。だが、自律防御行動機能を搭載し【芋貝】は戦闘型に生まれ変わった。好戦的な性格の磯貝は攻撃に集中。全身を構成する各芋貝からユルユルと伸びる毒銛と、大きく広がる口が【犀】にプレッシャーをかける。
プレッシャーを受ける越猪崇は戦闘に集中出来ない。
施設を無駄に破壊しない、恒久の所へ早く戻らねば不自然、そもそも人目につきたくない、磯貝に怪我をさせたくない……全てを無事に済ませたい。
短期決戦を望む越猪と、早々に新しい力を試したい磯貝、2人の間に生まれた緊張は瞬時に埋まる。先に仕掛けたのは【犀】、選んだ初撃はタックル。【芋貝】が二足歩行のフォルムである事、行動制圧が目的である事、出来ればこの初撃で決着をつけたい。以上の理由から繰り出した半端なタックルは【芋貝】を倒すには至らない。
「あかんなぁ〜。軽音楽部も倒せんタックルではレギュラーとれへんで。」
大腿部に該当する部位へ仕掛けたタックルは半端とはいえ強烈な威力。しかし、自律防御行動機能によってその威力は大幅に軽減される。
盾は、振るわれた剣をただ待つだけではない。自ら剣を迎えに行き、その刃に力が乗り切る前に、止め・弾き・いなす。渾身の一撃を無効化するには間合いを詰める事が重要なのだ。
【芋貝】の貝殻は硬く、湾曲している。自律防御行動機能との相性は頗る良い。タックルを迎えに行く事でキャッチのタイミングをずらす。大腿部の角度を僅かに外へ向ける事でタックルのベクトルを逸す。
すると、タイミングをずらされた【犀】は思わぬ衝撃を受ける。予期せぬ反動に耐える為に力を使い、タックルの威力は半減以下まで落ちる。更に、湾曲した貝殻の角度を外に向けられた事で、前に向いていたベクトルは横へ逸らされた。
【犀】は【芋貝】の片足に掴まる様な格好で、受け入れ難い事実に硬直。
【芋貝】はこの好機を逃さない。体を構成する各芋貝から伸びる毒銛が、激しく金属音を打ち鳴らす。
「まぁ、弾かれるわな。それにしても、えぇ音さすわぁ〜。俺様のエイトフィンガー痺れるやろ?」
ーそんな馬鹿な、僕のタックルが止められるなんてー
【犀】にダメージは無い。よく見なければ分からないくらいの傷が付いた程度でしかないのだから。
しかし、【越猪崇】にはダメージが残った。自律防御行動機能の魔力は其処にある。まるで正面から相手の攻撃を受けきった様に錯覚をさせる事で、攻撃に対する不安を覚えさせてしまう。柔術家の八浪幸四郎が変容する【豹紋蛸】にタックルを止められたのなら、まだ納得がいく。だが、相手は軽音楽部の磯貝亮太【芋貝】。
“パワーアップは柚留木だけとちゃうねん”
その信憑性は高まり、1年0組に何かが起きている、国家機密【एकीकरण】に何者かの意志が混入している、そう確信した【犀】のオーラが、【芋貝】の刻む16ビートの毒銛を受け続ける間に激しさを増す。
当たれば何処でも構わない、と言った具合で、立ち上がると同時に2本の角を荒々しく乱暴に振り上げる。
それが自律防御行動機能に弾かれても、闇雲に腕を振り回し、脚を投げ出し、肩から、頭から、躰ごと、金属の塊は幾度となくぶつかっていった。
人気のない路地裏で、ライドシンバルのビートとクラッシュシンバルのアクセントの様な音を奏でた衝突は唐突に終わりを告げる。硬い装甲と高い性能、終わりの見えない防御対決に磯貝亮太は飽きた。
「しょーもな、痛くも痒くもないで?やる気あるん?」
「亮太には聞きたい事もあるし、グリアに会わせる訳にはいかないからね。」
ーおかしい、防御しているとは言え、あれだけの攻撃を受けてダメージが無いなんてー
【芋貝】の殻と装着者である磯貝亮太の間には、衝撃吸収材が使われている。それでも【犀】の猛攻は、本体である磯貝亮太にダメージを蓄積させるに充分な筈だった。
「その台詞は痒いわ。なんか、冷めてもぉたな。風紀委員の顔も立てとかんとあかんし、色々喋るんも面倒いから今日の所は退いとくわ。」
「待ってくれ亮太、何があったんだ?0組に何が起きてる!」
「せやから言うてるやん、今日は喋るの面倒いねん。何が起きてるかは、そのうち分かるんちゃう?ほなな。」
ー毒銛の使い方を工夫せんとグリア倒すんはしんどいかもしれんなー
戦闘型の試運転を終え、変容を解除する為に「वापसी」そう呟いた瞬間だった。
「イギャー!いたい!いだ、なんやねん!」
人の姿に戻った磯貝亮太の全身を激痛が襲う。
呻き声を発し、その場に倒れ込む磯貝に何が起きたのか、越猪は理解できなかった。
呆然と立ち尽くす越猪の前に、何処からともなく現れた大人達が、耐えきれない痛みに狂う磯貝を回収していった。
ー僕は誰の手の平に乗せられているんだー
信念を貫き通したい越猪は、揺がされる思いを正す為、変容を解き、【अंडा】からスマホを取り出す。コール先は直ぐに留守電メッセージに変わる。松浦彩花の声は聞けなかった。
それでも少しは冷静になり、現状で出来る事を整理するに至った。
冬期講習担当講師として那知恒久の前へ戻る。握ったスマホは恒久との連絡先交換の為に。今はそれが精一杯の出来る事、大人達に回収された磯貝から情報を聞き出すのは皆無。自身が【विशेष】であろうと、国家機密に対して踏み込む術は無いのだ。
「いいペースだね。」
「はい!長文読解とリスニングに集中できるように、他は悩まず解らない所は飛ばしました。」
「それで良いと思うよ。長文とリスニングは配点が大きいからね。その他は時間に余裕が出来たら見直そう。」
ー僕の問題はいつ見直せばいい?柚留木さんと亮太の事は大きい、それ以外も解らない事だらけだ……恒久君との繋がりを有効に、いや、ひとまず友好に保たなければ……焦りは禁物だ。ー
那知恒久と越猪崇は互いの連絡先を交換した、今は生徒と講師として。
➖中央病院➖
国家機密執行部隊に運ばれて来た磯貝は、全身打撲・亀裂骨折複数・右前腕尺骨、右下腿腓骨、左鎖骨、肋骨が2本、折れていた。
【犀】との戦闘でダメージは受けていた、にもかかわらず、平然と戦っていられたのは【पागल】の機能の1つ《痛覚の遮断》
自律防御行動機能でダメージを軽減していたとは言え、【芋貝】が防御に優れた機構をしているとは言え、【犀】の猛攻を受けて無傷でいられる訳では無いのだ。
【पागल】はリミッターを解除する。阿知輪の言い分に嘘はない。だが日本語で《狂う》を意味するそのシステムの恐ろしさは、まだまだこんなものではない。
阿知輪晋也の手の内に着々と、描く野望のピースが揃う。