15話 曇りに染まりゆく空の下で
前回までのあらすじ
柚留木美香から国家機密【एकीकरण】について聞きだした那知恒久と時任咲也、その内容と不知火の名前に驚きを隠せない。《QUEST》は国の指揮下で行われる人口調整の1つで、以前から、世間の知る事件や事故の大半は《QUEST》だと云う。そして、【विशेष】は例外なく《QUEST》を受けている。恒久が気にしていた【犀】も……
沸き上がる怒りを抑えられず、あまりに楽観的に語る柚留木に怒鳴る時任。そこへ嗜める様に近付いて来る凶兆、阿知輪晋也。
颯爽と現れた阿知輪晋也の姿に、相も変わらず嫌な空気を感じる恒久。それは柚留木のひと言で確かなものとなる。
「あ!わんわん。」
「あれっ?この人?」
以前コンビニで出会っている。時任の記憶は間違っていない。そして“有能の証明”“いちゃいけない”という言葉で、稲葉公太と巻恵市を【グリア】へ向かわせた張本人。恒久の知る掴み所の無い飄々とした男は、普段と違い一変して冷たい雰囲気。だが、貼り付いた笑顔は変わらない。有明エンタープライズ総務係長であり、那知恒久の父・那知悠作の仕事仲間。間違い無く《阿知輪晋也》その人だ。
「今しがた自己紹介をしたのに、その呼び方は失礼だな。柚留木美香さん。」
強い口調に呼応して、柚留木の腕を掴む。普段の阿知輪に無い粗野な行動は別人かと思わせる。
「恒久君、お手柄だったね。柚留木美香は僕が預かるよ。」
「何処へ連れて行くんですか。」
「気になるよね?でも言えないんだ、ごめんね。」
「【एकीकरण】《QUEST》《不知火さん》の事は聞きました。」
「そう……仕方無いな。」
恒久との会話に雰囲気を普段の爽やかなものに戻しつつあった阿知輪だが、貼り付いた笑顔が剥がれた。予定はあくまでも予定でしかない、ゴールまでの道のりは幾つか用意してあるが、外部干渉による予定変更は阿知輪の嫌う所。溜息をひとつ、分岐が切り替わる。
「【एकीकरण】を知ったなら、恒久君の質問は全部答えよう。」
ひとつしか質問していない恒久に“全部”と返した阿知輪。恒久の表情は猜疑心の色が濃くなる。
「前に約束したね“誰がこんな事をしているのか必ず見つける”って。答えは《不知火凌》でも、仕事として《国家》の指示に従っているだけ。だから《不知火さん》には、暴走してしまった【विशेष】を制圧する為のシステムとして【グリア】【シュワン】の開発に協力して貰った、初めは断られたけどね。あの人も、あれでいて案外ノリがいいんだ。出来る事は【एकीकरण】の妨害【विशेष】殲滅。倒すべき敵は大き過ぎる、ここに来る迄の犠牲も大き過ぎた。恒久君には、すまないと思ってる。」
「どうゆう事ですか。」
「予想以上と言うのは言い訳に過ぎないが、稲葉公太を煽って暴走させたのは私なんだ。【グリア】の着手と完成を急がせる為、目に見えた被害が必要だった。そして、巻恵市に、時任咲也・日隠あすか・を拐う様ほのめかしたのも私なんだ。」
いとも容易く罪を認めた阿知輪に男らしさは感じない。反省の色も無く懺悔の言葉を並べる理不尽な大人の姿、仕方がないと言いたげな涼しい顔は、結果が出せず努力の足りない怠け者に映る。自身の走り高跳び 春季大会にて5位に終わった 1m82 の記録が恒久をそう思考させる。
時任に至っては怒りしか湧いて来ない。とんだとばっちりだ。この男のせいで、日隠あすかに恐い思いをさせたのかと思うと、何も出来ずに震えていた事を思い出すと、悔しさが肋骨の裏側で縺れる憤慨という感情に初めて出会う。
「恒久君には【विशेष】の脅威を理解して貰う必要があった。戦いを好まないのは分かるけど、正体が少年少女と知ったとき、戦意を失ってしまっては困る。【विशेष】は《QUEST》に対して躊躇しない危険な存在なんだ。」
「そんな事の為に2人を危険な目に合わせたんですか!」
「そうでもしなければ【विशेष】なんて他人事だろ?人は世の中の出来事をそう捉える。事件、事故、災害、病気でさえも、我が身に降りかからなければその脅威に興味すら持たない。人の脳は、そうなってしまった。」
阿知輪に感じていた厄災は思い過ごしでは無かった、険しい表情で敵意を顕にする恒久を時任が諌める。
「ナッツン。俺、なんか分かるかも。」
「咲也?」
「結局【विशेष】を片っ端からやっつけるって事であってんすよね。」
時任の表情も険しいが、それは覚悟の表れに他ならない。
「流石だね。直接被害に会うと理解がはやい。」
「化物じゃなくても《QUEST》受ける奴がいるんすよね。俺は【विशेष】ブッ潰して、《QUEST》ブッ飛ばす!」
「改めて宜しく頼むよ。不知火さんは【एकीकरण】遂行の建前は崩せない。その指揮下で動いている私は【विशेष】【グリア】どちらにとっても味方、二重スパイの役を演じてる。八方美人は得意だけど疲れるから、君達の前では今度からリラックスさせて貰うね。」
とんでもない事に巻き込まれた。恒久は被害者意識でいた。だがそれは間違いで、巻き込まれたからこそ、被害者にならずに済むのだ。何も知らないうちに人口調整の被害に会う確率は、0.08% 宝くじ1等当選確率が約0.00001%
毎日流れる物騒なNEWSの主人公になるなど造作もない。明日にも予期せぬ事故で知人が被害に会うかもしれない、今日にでも大切な人が凄惨な事件の被害者になるかもしれない。この瞬間、もしかしたらその身に不幸が降りかかるかもしれない。
「それで、柚留木さんは何処へ。」
「それでも一応、然るべき所と言っておこうかな。知り過ぎるのは危険だし、私もまだ知らない事が多いからね。それと、忠告を1つ。この娘以外、話し合いは通じない。今回みたいな【अंडा】を奪って説得なんて考えない事だ。」
「どうしてですか」
「【Zuerst】で選ばれて【Zweite】の段階、個人差があるとは言え【Dritte】は極力避けたいから。」
時任と恒久は勿論、柚留木も狐に抓まれた顔をしている。
「ね、よく分からないだろ?出来る事はまだ少ない。けど【グリア】と【シュワン】を手に入れた。此方から仕掛けるのは今回だけにしよう【विशेष】は必ず君達の前に現れる。流れは掴んだ、焦らず確実に迎え討とう。」
柚留木美香を連れて、阿知輪晋也は去って行く。謎は多く残ったままだが、恒久と時任の心は晴れやかだった。
そして柚留木美香の運命は暗雲に包まれる。然るべき場所で待っているのは【Dritte】【पागल】
得ていた情報を1年0組で共有していれば、結果は違っていたかもしれない。情報は柚留木にとって武器そのもの、使い方で自身の価値を大きく変えられた。少なくとも松浦に《反乱分子》と思われる事は無く、本人の予定通り、涼しい顔の秋岡に抱かれて連れ去られていただろう。それが情報開示のタイミングを間違えたばかりに、険しい顔の秋岡に“お前何を知っている”と、詰められる始末。
柚留木の失敗は、越猪崇の“俺達は【विशेष】今迄どおりなら問題ない”を鵜呑みにした事に始まる。【グリア】は【एकीकरण】に無い存在、バグが発生している時点でプログラムとして不安定なのだ。陣内元が懸念していた稲葉公太の暴走《勝手な事》の正体《阿知輪晋也》の暗躍を1年0組全員に知らせるべきだった。
柚留木美香が再び恒久の前に現れる時【एकीकरण】という計画の恐ろしさを三度知る事となる。