11話 崩壊
前回までのあらすじ
時任・日隠が変化に対して柔軟に対応する中、恒久は変化に対して否定的な自分を認識する。
不知火と阿智輪が、有明エンタープライズ役員室で《北欧神話》《古事記》の話をしている外で【ハチノスツヅリガ】柚留木美香が盗聴。
これまでも、稲葉・巻の《勝手な事》阿智輪の策略を聴いていた柚留木。だが柚留木は知り得た情報を、自分だけの秘密にしていた。
➖Studio➖
カメラがシャッターを切る音、電子音、モデルを褒める声とポーズの要求、眩しい光。それらを浴びながら松浦彩花は笑顔を崩さない。
マナーモード・左胸に伝わるヴァイブレーション。雑誌の撮影を邪魔しない様に松浦彩花のマネージャーが気を使う。その姿をカメラの向う側、松浦は気づいている、笑顔は崩さない。
ー不知火さんから?ー
撮影が休憩に入ると、マネージャーから《QUEST》が告げられる。“理科の宿題、ハチノスツヅリガのレポート提出は今週中”
ー美香の捕獲?あいつ何したの?ー
仕事を終えても笑顔は崩さない。現場での挨拶、マネージャーとの会話、明るく華やかなイメージは帰宅後のベッドに潜るまで絶やさない。
溜め込んだストレスは越猪崇にぶつける。
メッセージではなく通話、ワンコールで出るあたり、癇に障らせてくれる。
「何で連絡くれないの!」
「ごめん。仕事の邪魔しちゃ悪いと思って……それに、わざわざ報告する内容でも無いから。」
「私は連絡してって言ったんだけど!」
「……」
沈黙が苛立ちを増幅させる。理性で抑えていたエネルギーが暴れる。
「どうなったのよ!あの後!」
「話は纏まらなかった、バラバラだよ。」
「どうせ、そうなるんじゃない。なんでブリーフィングだなんて言ったのよ。」
「グリアには誰も勝てない。また、誰かが居なくなってしまう。そう思ったんだ。」
「はぁ?馬鹿じゃないの?私が居るのよ、負ける訳ないでしょ!」
「出来ないだろ!僕も、彩花も、直接人を殺した事ないだろ。」
交通事故・トンネル事故・列車事故・脱線事故、飛行機事故、越猪も松浦も、多くの人の幸せを奪っている。だが直接命に触れた事が無い。瓦礫や車両に潰させた命、爆発や墜落で落とさせた命、その数は暴走した稲葉とは桁違い。
「私達は風紀委員なのよ、分かってる?【ZUERST】の段階で選ばれた、答えは出てる、私達に今は要らないの、悩みの無い過去と理想の未来の為に、もう後戻り出来ないでしょ!可哀想かも知れないけど、今更命に重みなんか感じないでよ。」
「分かってるよ。只、嫌な予感がするんだ。」
「何よそれ?まだ言ってんの?不知火さんに疑問持ったって仕方ないでしょ?」
「疑問を持てるのも、風紀委員だけじゃないか。」
暴走は放っておいた、新型との戦闘は止めさせた、稲葉は重傷を追った、巻も重体。越猪は責任を感じている。【विशेष】は今迄通りにはならない、【एकीकरण】遂行の前に、グリア討伐・日隠確保が優先。しかも、手段を選ばず形振構わず。
《勝手な事》グリアに関わらない方がいい筈なのに。
「【एकीकरण】に迷いは無い。公太も巻もグリアも、誰かに操られてる。」
「だから何!関係ないじゃない!」
「僕達は?」
「何よそれ。」
「グリアの存在理由が分からないんだ。【zweite】で暴走した【विशेष】の抑止だと思ってた。風紀委員でも制御出来ない場合の切り札なんだと。」
「しっかりしてよ。だとしたら、そのグリアが手に負えなくなったんでしょ?」
「!?そんな事……」
「本当の理由なんて、どうでもいいのよ!だいたい疑問持てるって事は私達に《本人以外の意志》は無いって事でしょ。何度も言わせないで、私達は風紀委員なのよ。」
《QUEST》に対して迷いは要らない。言ってる事は同じだが、荒牧・秋岡の声は体に纏わりつき、松浦の声は越猪の心に響いた。
「聞いてるの?いざとなったら覚悟決めて、やるしかないの。」
「ありがとう。やっぱり彩花じゃないと駄目だな。」
「なぁに?」
「おやすみ、また明日。」
ー覚悟か……まいったな。美香の捕獲、やるしかないかー
➖那智家➖
『時刻は07:30になりました。引続きNEWSをお伝えします。』
TVからは相変わらず物騒な事件が流れてくる。はたして何割が本当の事件であろうか。呆然と眺める恒久の頭に浮かぶ仮説、世の悪事には必ずビシェシュが絡んでいる。それは、強ち間違いとも言い切れない。
「つーくーん。ご飯、自分でチンしてね。」
母親は父の入院している病院へ。週に2回許されている面会、着替えを持って見舞いに行き、医師から報告を受ける。悪くはないが回復は遅いらしい。当然だ、病気では無いのだから。
母親が出掛けると間もなく阿知輪が那智家を訪ねてきた。
「朝早くにごめんね。時間、大丈夫だよね。」
「どうしたんですか?」
阿知輪に対して身構える恒久。凶兆、拭えない思考に引け目を感じてしまう。
「取り急ぎ、稲葉公太と巻恵市の共通点を伝えておこうと思ってね。国立大学付属高校1年0組ボクシング部だったよ、2人共。ボクシング部に怪しい所は無かったけど、1年0組の生徒数人に【अंडा】の所持を確認した。その中の1人、柚留木美香【蛾】だね。この娘【蜘蛛】【蛇】どちらの戦闘にも絡んでる。」
「どういう事ですか。」
阿知輪は滑るように内ポケットに入れた手を引くと、それぞれの指の間に写真を挟んでいた。
「不知火さんが管理・処理してくれてる世の中に出ない、情報。元のデータはもう無いから大事にしてね。」
衛星カメラ、防犯カメラ、ドライブレコーダー。世間に公表されない監視。人はこれらに映らずに生活する事は不可能。様々な画質と角度の写真に【グリア】と【蛾】が収められている。
「【विशेष】側の連絡係なんじゃないかな。情報の収集と伝達、起点と考えて良いと思う。【蛾】って聴力凄いんだよね、戦闘に参加して来なかったし。」
阿知輪の左手から出されたもう1枚の写真、コンビニで談笑する那知・時任・日隠の後ろ、アンダを背負いエクレアに齧り付く柚留木の姿。
ー女の人!こんな近くに。ー
あんなに恐ろしい存在が、何の邪気も無く身の回りに紛れている。恒久が対峙した【विशेष】は狂気を纏っていた、罰を受けて余りある程の。だが罪は特別な意識ではなく、ありふれている、咎めなければ犯してしまうもの。良識と常識の違いを、恒久は理解出来ていない。
「彼女、ここのエクレア好きみたい。他のコンビニだと、シュークリームはあってもエクレアの取り扱いして無い所多いしね。季節外れだけど《飛んで火に入る夏の虫》捕まえれば色々分かるかもしれないし、放っておくのは危険だ。此方から仕掛けよう。」
戦闘の予感、渦巻く嫌悪感、しかし【グリア】として積極的に行動していくんだと自分に誓った。迷った分だけ誰かが傷つく、それは良くない。写真に映る姿に騙されてはいけない、あれも恐ろしい化け物だと、強く自分に言い聞かせる。
「そうですね。相手が分かってるなら、ただ待ってるより、その方が良いですよね。」
「頼もしいね、でも慎重にね。追う者と追われる者の違い、《窮鼠猫を噛む》って言うだろ、詰め方間違えるとしっぺ返しを喰らう事になりかねないからね。」
「はい。でも大丈夫です。【グリア】は【विशेष】に負けません。」
恒久の受け答えは、阿知輪の予想と違っていた。
「そうか、そうだね。」
ーやけに前向きだな、いいけどね。ー