10話 正体は理解不能
前回までのあらすじ
不知火凌から下された【ベルト奪取】【日隠あすか確保】
越猪崇はブリーフィング
松浦彩花は帰宅
八浪幸四郎は強行
恋塚涼子は待機
各々の要求は異なり、0組はひとつに纏まる事が出来なかった。
越猪は《QUEST》に従順だが被害を出す事は好かない。迷いの無い荒牧陽祐、秋岡樹に励まされる。
那知恒久は箸先を椀に落とし、くるくると混ぜてから味噌汁を啜る。具は豆腐と葱、細かく丁寧に切り揃えられたそれ等が、家と違う事を強烈に認識させる。
保護された施設で遅い朝を迎え、1人、早い昼食をとっていた。
艷やかな白米、絹サヤの輝く筑前煮、香り豊かな厚焼き玉子、食欲を誘う野沢菜のたまり漬け、どれを口に運ぶか迷ってしまう。
「あれ?和食苦手?美味しかったよ。」
不意打ちの声と柑橘系の香りは、タオルドライしながらの日隠あすか。只、髪を乾かしているだけだが、恒久には刺激が強い。
「全部美味しそうだから、どれから食べようか迷っちゃて。」
「そっか。」
香りの正体はネロリという人気の入浴剤。本当は昨夜使いたかったのだが、無断で使う訳にもいかず断念。朝食の際に尋ねると自由に使って良いとの事で、朝風呂を頂いたところ。
時任咲也は日が昇る頃にはシュワンの調整に出掛けた。
2人の友人は行動的、比べて優柔不断な恒久は、自分が恥ずかしくなり、茶碗を片手におかずを端から掻き込んだ。
「日隠さん、凄いね。」
「何が?」
「将来チアリーダーになりたいんでしょ。それで第一と北高の英語科受けるんだよね。」
「別に凄くないよ。学校にも家族にも、本当の志望動機話せないし。」
「自分のやりたい事がハッキリしてるって凄いよ。僕なんか、将来の目標なんて無いし……」
「普通そうなんじゃない。中3の進路で人生設計なんてしないって。私のは反抗期っていうか、そういうのもあるから。」
初めて見せる少し暗い顔の日隠。日本舞踊家元である祖母との確執、学校で演じる優等生としての重圧。そんなモノを身から剥いで弱音として吐けるのは、時任と那知の前だけ、他ではこんな顔も出来ないのだ。
「あ、ゴメン。ごはんの邪魔しちゃったね。」
恒久の箸は、また止まっていた。
➖有明エンタープライズ・役員室➖
入室予約を経て社員証でロックを解除、扉を僅かに開けると左の踵から滑る様に入る。
「先日の御配慮、感謝します。」
マッサージチェアで野菜ジュースを飲みながら不知火凌は笑みを浮かべ、阿知輪晋也に座る様促す。
「せっかく用意してもらった余興だ、見てるだけというのも味気ないのでな。」
「蛇は林檎を与えたでしょうか。」
「アダムとイブでは退屈だろうから、フレイとフレイヤになってもらうよ。《レーヴァテイン》を渡す準備はさせて貰った、あとはフレイヤに《ブリーシンガメン》を用意してあげないとな。」
ー北欧神話か、恒久君はヘイムダルだなー
阿知輪が少し間を空けると、不知火は鼻筋に人差し指をあて上を向き目を閉じる。自らが作り上げた退屈な空気を吸い込んで確認していた。「エデンでは退屈でしたか。」阿知輪が会話を繋げると、不知火は片目を開けて広角を上げる。
「私がヤハウェよりオーディーンが好きなだけさ。」
「差し詰め私はフギンかムニンといったところですか?」
「馬鹿を言うな。ゲリとフレキになって貰わねば、それこそ退屈してしまう。」
「【एकीकरण】を全て私に喰わせようと?」
「ミーミルがユグドラシルを構築している、今更ミズガルズに未練があるとでも思うか?」
「フレースヴェルグになって頂いても宜しいかと。」
「それは、文部科学省有と有明エンタープライズが担うさ。」
阿知輪は眉を上げ、溜息をついて腰を上げる。書棚の背表紙を端から指でなぞる。
「【समझ】は既に、ブラフマー・ククルカン・アトゥム・女媧。それに並ぶ。」
ー無宗教の日本人らしい発想だ。不知火さんが禍津日神では、家宅六神も嘸かし御困りだろう。ー
阿知輪の指は《古事記》で止まる。
「私は、猿田彦大神になりたいと思っていますが。」
「やはりお前は面白いな。だとするなら私は、大国主大神にでもなるさ。」
不知火はマッサージチェアのモードを切り替える、EMSが作る肉体は均整が良い。
ー天宇受売命に名を明かし瓊瓊杵尊を引き入れた道祖神か、つくづく役者だなー
窓の外は落葉樹が黄檗色に揃いはじめる。そこには不知火を追って来た【विशेष】の姿。
柚留木美香【ハチノスツヅリガ】天敵である蝙蝠を凌ぐ聴力を持つ。その可聴域は300kHz。蝙蝠で200kHz、人間で20kHzと実に15倍。持ち前の高いカクテルパーティー効果との相性で盗聴が専門分野である。
《QUEST》が無くても空の散歩は欠かさない。
噂話が大好物。僅かな異変を聞き逃さない。稲葉公太も巻恵市も何故《勝手な事》をしたのか、柚留木は知っていた。
紅いオープンカー・ツーシーターのMTに乗る男の仕業だ。
3ヶ月前、阿知輪晋也は、ボクシング部顧問に依頼した。《稲葉公太にスパーリングをさせる事》《練習後に褒める事》
稲葉は顧問の声 “なかなか良かったぞ” に、哀れにも歓喜した、下拵えは充分に整う。帰り道に現れる阿知輪、仕上げの台詞は決まっていた。
「顧問の先生はよく見ておられる。でも実力はアピールしなければ伝わらない。【विशेष】の全員が将来を約束されるとは限らないし、君、《QUEST》少ないだろ?証明しないと。」
それからの稲葉は手当り次第に蜘蛛の力を振るった。
柚留木は知っていた。
蜘蛛と新型の戦闘を、犀が止めに入った事も
柚留木は見ていた。
蜘蛛の敗北とグリアの勝利を
柚留木は聞いていた。
阿知輪と巻の会話を
柚留木は知っていた。
巻の中学生誘拐と恒久の怒りを
柚留木は見ていた。
蛇の敗北とグリアの勝利を
柚留木は聞いていた。
不知火と恒久の会話を
ーこの2人って仲良しなんだー
《勝手な事》は阿知輪の策略。【グリア】との戦闘に蜘蛛と蛇は引き出され、結果【विशेष】全体が巻き込まれた。
それらを承知で【グリア】【विशेष】双方に協力的な不知火。
柚留木は、見て・聞いて、理解不能に陥る。管理者が敵を作り、けしかけるてくる。何の為に?2人は楽しそう。有働和也は言っていた。
“滅茶苦茶だ《QUEST》でも何でもない、まるで次に誰が動くか楽しんでいるようだ。”
ー有働君、当たってる?【不知火さん】って、不知火さんなのかな??ー
柚留木は《QUEST》以外の情報は開示しない。自分だけが知っているという優越感に浸りたいのだ。
《特別》それは安易な《IDENTITY》尊ぶべき自己では無い。それを間違えてしまうと、脆く崩れやすい肯定感を支える為に排他的になってしまう。
誰かに話すべきだった。
柚留木は選択を間違えた。