9
「おかあさま、この絵みて!」
「おかあさまは今忙しいのよ、ミーア。あなたはいい子なのだからおかあさまの邪魔をしないで・・・そう、この色が良いわ、うん、私の髪によく映える」
こちらを見向きもしないで吐かれる「いい子」は、私の足を竦ませた。
「おとうさま、私殿下に贈り物をいただいたわ!」
「そうかそうか、その調子で殿下と仲良くするんだぞ?くれぐれも、粗相のないようにな、殿下に嫌われたら終わりなんだから」
私を通して父が見ていたのは、王宮内で権力を持った自分だった。
「見に行きたいです!約束ですよ」
「分かった、約束だ」
でも、約束は守られなくて。
小さな頃の記憶たち。
いつまでも私の気持ちを縛り付ける悪夢。
灯りに誘われるように意識が浮上した。
ぼんやりする視界に、人影が映る。
「…?ししょー…?」
「やーっと起きたか、馬鹿弟子」
全然変わらない師匠の顔。
「ししょー来てくれたんだ」
「弟子の一大事だからな」
安心したら、なんだか胸がいっぱい人なって、言葉に詰まった。
「あ、のね、あのね、ししょー…」
「うん」
師匠は穏やかに私をまってくれてる。
「ししょー、わたし、痛いよ…全部、ずっとずっと痛い」
苦しくて苦しくて、息が詰まりそう。
「頑張ったな」
抱きしめられて、涙は出ないけど、その暖かさに泣きたくなった。
「お前は頑張りすぎだ、もうちょっと休め」
「うん、うん…」
なんて子どもだと思った。子ども無邪気さを盾に、オレの城におしかけて教えて教えてというワガママな子ども。
なのに、その理由は無能な父に代わって領地を再建したいのだと。
王宮で薄っぺらい話し合いをして酒池肉林を繰り返す役人に聞かせてやりたいくらい、真っ直ぐで純粋な責任感だ。10歳そこらの小娘には無理だと思った。でも同時に、面白そうだとも思った、だから手を貸した。
どこまでも一生懸命で、人に頼ることを知らない不器用なミーアに手を貸しているうちに、自分には無縁だと思っていた父性のようなものまで芽生えてきてしまった。
だから、ミーアが倒れたとサグリッド侯から連絡が来たとき、殺してやろうかと思った。
前にあったときに無理やり連れ帰ればよかった。
でも、サグリッド侯もミーアもお互いに気があるようだったから、ぎこちなさも時間が解決するかと思ってそのままにしてしまったのだ。
サグリッド侯に手をあげてしまったのは仕方がない。ミーアが倒れた顛末を聞かされ、いてもたってもいられなかった。
骨折にも、暴行にも気付かずに、閨を繰り返した?サグリッド侯はもう少し賢い男だと思っていたのだが。
そういうと、返す言葉もございません、と項垂れる。
顔色をなくしたミーアの寝姿をみて、やるせない気持ちになった。
お前はいつも苦労ばかりだな…
ミーアの師匠、ウォルフォード伯爵に殴られた頬が腫れている。
しかし、こんな痛みがなんだというのか。ミーアはもっとずっと苦しい思いをしたというのに。
自責の念に駆られていると、部屋がノックされた。
入ってきたのは、メイド長と街に出かけた日に付き添っていた護衛だった。
護衛が涙ながらにあの日の事実を話した。
メイド長も、泣きながら頭を下げる。
「こんなことをずっと黙っているなんて…奥様になんとお詫びしたら良いか…
私たちはクビにしていただいて構いません。どんな罰でも受けます」
護衛を脅してまで暴行を黙っていた理由はなんだ?
ミーアの真意が分からず、ますます混乱した。
犯人はミーアを狙った?グルがいたことから、計画性も感じる。
護衛とメイド長を下がらせて、椅子にもたれる
「くそっ…!」
なあ、ミーア。お前はなにを考えていたんだ…?
ミーアの看病に行き、別室で医師から経過を聞いていると、
「旦那様!!」
「メアリ。戻ったか」
幼い声に呼ばれた。メイドのメアリだ。ミーアにぶたれた後、すぐに妹が病に倒れ看病しに帰郷していた。
「おかげさまで妹もすっかりよくなりました。あの、ミーア様が、倒れたって本当ですか!?」
ミーアに怖さはないのだろうか、心配しているような口ぶりだ。
「ああ、その通りだが…ミーアが怖くないのか?」
「どうしてです?」
心底不思議そうに聞かれる。
「ミーアにぶたれたのだろう?」
「誰がそんなこと言ったのです!?ミーア様は私にとっても優しくして下さいました。一緒に掃除もして、私の名前を、女神様とおんなじ良い名前ねって言って下さったんです。
それから、私に掃除の仕方を教えてくださったし…
あんなに優しいミーア様が私をぶつなんて、ありえません!」
メアリがそう言い切った。
「フィルド、どういうことだ?」
執事長も戸惑いを浮かべる。
「荷物を届けに来た郵便屋が、ミーア様が手をあげて、メアリがよろけたと」
「ミーア様は私の頭を撫でてくださっただけです!私がよろけたりしたから、ミーア様はそんなやっていない罪で責められたの…?
ミーア様は、この屋敷のこと考えてくださってました。配置変えたらもっとよくなると思うって」
涙を流して訴えるメアリに、執事長がハッと気づく。
「もしやこの紙は…」
そう言い、懐から取り出した紙には、屋敷の商人達の配置が記されていた。
しかも、一人一人の活かすべき長所、苦手なことなどが細かく書かれている。
「これは、ミーアの字だ」
よく見覚えのある字だ。共に仕事をする中で、的確な指示を出すその文字は、間違いなくミーアのものだ。
「匿名で部屋に届いてたのです。まさかそんな…だれか使用人からだろうと思っていました。実際この通りに配置すると仕事が良く進んで…」
愕然とした様子で呟く。
「私は、なんてことを…」
それは、俺も一緒だ。ミーアの話を聞かずに一方的に責め立てた。きっとミーアが反論しなかったのは、信じてもらえないと思っていたから。
実際、俺たちは王都の噂に流されて、ミーアを傷つけた。味方のいない辺境の地で、17歳の少女は悪意にさらされ続けた。皆覚えのない罪まで被せられて。その場にいる誰もが今までの自分の行いを悔いていた。
ダニエルの言う通りだ、俺は馬鹿だった。
「しかし、なぜミーアはそこまでして…」
ミーアの部屋に食事を運ぶメイドが恐る恐る声を上げた。
「あの、おそらくミーア様は、旦那様のために色々手を尽くしてくださっていたのだと思います。
以前食事を運んだ際、少し咳き込んでおられたので医師を呼ぶように旦那様にお頼みしますか、と申し上げたら…
私は旦那様の迷惑にならないようにしなくちゃいけないから、このくらい平気よって、旦那様にうつらないように貴方も早く部屋を出なさいと言われて…」
「俺の、ため…?」
ミーアの行動の全てが、俺のため、俺に迷惑をかけないためだった。
全て合点がいった。すぐに謝るのは口癖かと思っていたが、迷惑をかけてすみません、と言うことだったのか。
後悔、自責が頭を駆け巡り
そしてミーアを愛おしく思っていると、ようやく自覚した。
きっと、ずっと前からミーアに恋していたのだろう。
自覚すると同時に、今まで感じたことのないほどの後悔に襲われた。
「俺は、俺は…っ」