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アラン視点
閲覧注意です。
最愛の人に捨てられた、『ウェシレイ領の紅薔薇』。傲慢だの、男好きだの、王都から聞こえてきた噂などどうでも良かった。
ただ、その王族につながる血縁と、豊かな資源に恵まれたウェシレイ領との繋がりのためだけの政略結婚なのだから、名ばかりの妻でいてくれて構わなかったし、金の管理に関しては優秀な部下がいるから使い込まれる心配もしていなかった。
資源に恵まれず、隣国との境にあるこの辺境の地では、他領と比べ物にならないくらい領主の仕事が多く、妻に考えを割いている暇はないのだ。
そう、妻となる女性に対してどこまでも無関心・・・のはずだった。
ちょうど冬が間近ということもあり、略式で結婚式を済ませ、仕事にかかりきりになった俺は、その日久しぶりに屋敷に帰った。
執事長からの定期連絡では、使用人に手をあげたり、ふてくされて部屋に引きこもったりとずいぶんわがままに振る舞っているようだ。
まだ17歳の少女だ、よほど甘やかされて育ったらしい。結婚の際にはちらりとしか見なかったが、気の強そうな美人だ、というのが第一印象だ。人の美醜に執着する方でもなく、それ以外に何も感想はなかった。
屋敷に帰ってから、1ヶ月連絡一つもよこさなかった嫌味でも言われるかと思ったが、こちらの一方的な言い方に否定することも激昂することもなく受け入れ、拍子抜けした。
それから腐れ縁のダニエルがどうしてもと言うから会わせた。すると女たらしのダニエルはすぐにミーアの心を掴んだようで楽しげに話をしていた。ダニエルがミーアの手の甲に口付けしたあげくいつまでも握り続けるものだから、慌てて手を振り解かせた。初めてまともに話したミーアは、話上手で聞き上手。張りのある落ち着いた声は聞いていて心地よかった。
ミーアがお茶を入れますねと、席を外したとき。ダニエルの、ミーアの前では決して崩されない優しい笑みが一瞬で真顔になった。
「お前、不能か?それかもしくは真性の馬鹿か?」
なぜいきなり悪口を言われたんだと睨みつけると、
「お前は噂に流されるような馬鹿な男じゃないって思ってるぞ」相変わらず訳の分からないことを言うやつだ。でもミーアのことを言ってるならそうだな、あまり噂に当てはまらない。今までで当てはまっていることといえば使用人に手をあげたことか。そういうと、本気で哀れんだ目で見られた。
「アラン、お前は良いやつだ。だけどやっぱり馬鹿だよ」
今までの経験上、口答えすると良いことはないから不服だったが頷いておいた。
ミーアともっと話したいと思い、食事を一緒に摂ることになった。それから少しずつミーアとの会話からぎこちなさが消えてきた。ある日何気なく部屋から出ない理由を尋ねた。すると、やることがない、と言ったので、それじゃあすこし手伝ってもらうか、と軽い気持ちで打診した。
ミーアは恐ろしく優秀だった。誰だ、男遊びにかまけて学業を疎かにして、王子の婚約者の立場を利用して学院に在籍していた、なんて言ったのは。ミーアは優秀ではないから人より学ぼうとした、と言っていたが、努力できるのは才能だ。
時折一緒に仕事をするとよく分かる、ミーアは婚約破棄がなく、そもそも王子の婚約者でもなく、そのまま王都にいれば文官なりなんなりになってこの国を支える人材だった。しかし、そうなると自分とは会わないことになるから、それは考えないようにした。
ある日、ミーアの師匠とかいう男が訪ねて来た。
20代くらいの胡散臭い若い男で、ミーアはその男を見つけると見たこともないくらい満面の笑みで、それもなんの打算もない無邪気な笑顔で男を迎えた。積もる話もあるだろうと、2人にしたが、時折扉から漏れるミーアの涼やかな笑い声に割って入りたい衝動に駆られた。
その後、師匠とかいう男とどんな関係なんだ、と聞こうと思って聞けないことが何度か続いた。このままではいけない、と街に誘うことにした。
街では観光もそこそこに、仕事が舞い込んでしまった。その後だった。ミーアが顔色を悪くし上の空になったのは。メイド長の話では、屋敷に戻るなり突然湯あみをし、ベッドにうずくまっているそうだ。
どうしたのかと、離れにある部屋を訪ねたが、寝ていたら起こしてしまうしと扉の前で逡巡していたらガラスの割れる音が聞こえた。
慌てて入ると、大きく窓が割れてそこにミーアが立ち尽くしていた。
申し訳ありません、すぐに片付けます。
止める間も無く、今にも泣き出しそうな顔でガラスの破片を素手で触った。
「っ、、、!」
止める間も無く割れた破片がその柔らかそうな皮膚を裂くり
「何をやってるんだ!」
思わず声を荒げると、
「こ、このくらい平気ですので…」
そういってそのまま片付け続けようとした。
思わず手を取ってハンカチで傷口をおさえる。
「申し訳ございません…」
なんて無茶なことを…ため息をつくと、自分が握っているその小さな冷たい手がカタカタと震えていた。手どころか、顔色も真っ青で、何かに怯えているようだ。
「どうした?」
熱でもあるのかと頬に触れようと手を伸ばすと、ビクッと体が揺れ、後ずさりした。
まるで、自分が触るのを嫌がっているかのように
そんなミーアの様子に、どうしようもなく苛立った。
あの師匠とかいう男には触らせるのに?あんなに無邪気な笑顔を見せていたのに、俺が触るのはそんなに嫌なのか
後ずさったミーアにぐっと距離をつめ、左手で手首を、右手で顎を掴んで逃げられないように捕らえる。
「やっ…!」
ミーアの海のような青色の瞳が恐怖の色に染まった様子に、苛立ちが膨れ上がる。
「そういえば今まで1度もしていなかったが。
仮にも貴族の娘だったなら、自分が妻になった時の役割が何か、分かるだろう?自分の役割を果たせ」
あえてミーアが傷つく言葉を選んだ。プライドの高い貴族の娘に、子を産む機械になれ、といったのだ。
泣くか、激昂するかと思った。それならそれで離縁しても構わないとも思った。なのに…
ミーアはその大きな瞳を見開いたあと、静かに目を伏せ、分かりました、と呟いた。捕らえていた手を離すと、ミーアは自ら夜着のリボンを解いた。シュル、と音を立ててリボンが抜け、元から心許ない薄さの夜着が肩から落ちて、中途半端にあらわになった素肌はとても扇情的だった。
「王都の低俗な噂なんぞどうでも良いと思っていたが、案外噂も信じられるみたいだな?」
とんでもない男好きで、誰から構わず足を開く。さすがにそんな下品な噂は社交界で作られた嘘だろうと思っていた。しかし、こんな風に震えるほど嫌いな男にすら体を開こうとする様子を見る限り、あながち間違いでもなかったか…
そう考えて汚らわしいと嫌悪する気持ちと同時に、ミーアの肌に触れた奴が一体何人いるのかと思うと怒りが湧いてきた。
ミーアが近寄り、首に腕を回して顔を近づける。怒りのままに抱き寄せ、その薄紅の唇に喰いついた。
この肌に、この唇に、一体どこの男が…っ
少しの間、勢いのまま口付けていが、ふとミーアの顔に添える手が濡れていることに気付いた。
何事かとみると、ミーアの固く閉じられた瞳から、次から次に涙がこぼれて落ちていた。
衝撃だった。まるで何かに耐えるように眉をひそめ、嗚咽もこらえて泣くその姿が、服をはだけさせた扇情的な姿とは真逆の、泣き方を知らない幼い少女のようだった。
見ては行けないものを見てしまったような気持ちになり、思わず、ミーアを突き放して扉に向かう。
「…?」
背後からミーアの戸惑った気配を感じた。
「興が削がれた。泣いてる女にどうこうする趣味はない」
乱暴に扉を閉めて自室に戻る。
少し落ち着こうと椅子に座って目を閉じても、思い出すのはミーアの事ばかり。他の男にみせた笑顔、可愛らしい笑い声、噂とは異なる今までのミーア、噂と重なる行動をとる今日のミーア、自分に見せた怯えた表情、嗚咽一つ漏らさずに流した涙…
「くそっ」
どうしてこんなに心がかき乱されるんだ。
この時俺は気づくべきだった。ミーアのどうして怯えたのか、部屋から出ていこうとする俺にミーアが必死に手を伸ばしていたことに…