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数日をかけて王都からサングリッド領についた。
馬車を降りるとアラン様の部下だという方が出迎えに来た。
国の北側、国境近くに位置するサングリッドでは、資源も少なく食糧困難に陥りやすい厳しい環境だ。そのため冬を越えるための準備が必要で、アラン様はこの時期が1番忙しいと、部下は私に話す。
こんな時期に問題起こして来やがって、とでもいいたいのか、まだ幼さの残る部下は私への嫌悪感を隠さずに、アラン様の手を煩わせないで下さいよ、と威嚇してきた。
アラン様は部下に慕われる良い領主様なのね、と笑うと、毒気を抜かれたような表情になって面白かった。
教会に案内されて、ようやくアラン様と対面した。
8年ぶりに会ったアラン様は、昔は少し残っていた少年らしさがすっかり消え、精悍で領主らしい貫禄のある青年になっていた。
「ミーア・ウェシレイと申します。このたびは…」
「それ以上言わなくて良い。アラン・サングリッドだ。この時期は忙しくてな。すまないが手短に済ます」
私の言葉を遮り、証人の待つ壇までスタスタと歩いて行く。
ちらりと私の顔を見たけれど、すぐに興味なさげに顔を逸らされた。
当たり前だけど、アラン様は私のことなど覚えていなかった。あの時私は名乗ってもなかったし、出会った頃から身長も伸びている。だいぶ顔つきも体つきも雰囲気も変わったと思う。でも、ほんの少しだけ、覚えていてくださるかもと期待してしまっていたみたい。
忘れたはずの恋心が痛むのを気づかないフリをした。
略式の結婚式では、ドレスも誓いのキスも衆人もなく、ただ証人の目の前で婚姻届に署名をするだけ。
それでもミーア・サグリッドと書いた自分の名前と、アラン・サグリッドと書いたアラン様の無骨な文字に、本当に結婚するのだと少し湧き立つ気持ちを抑えきれなかった。
俺は仕事があるから、と私は一人で馬車に乗せられ屋敷に行った。
ミーア様の部屋です、と案内された部屋は、最低限の調度品だけの質素な部屋だった。灯も心許なく、窓の建て付けが悪いのかすきま風も入ってきていて、自分がいかに歓迎されていないか思い知らされた。
それも自分の行いの結果だと自分に言い聞かせ、持ってきていた服を何着か割いて、隙間を埋めた。
(サングリッド領の夜は冷えるなぁ)
ベッドに潜り込んでも、寒さは無くならなかった。
明日アラン様にお会いしたらきちんと挨拶だけでもしよう、そう思っていたけど…
その後1ヶ月、アラン様と顔を合わせることはなかった。
結婚して1週間は、余計なことをしてアラン様の手を煩わせてはいけないと思って自室で大人しくしていた。
しかし、手持ち無沙汰に外を眺めたりしていると、屋敷を見渡せる離れの上にある自室からは、使用人たちの仕事ぶりがいやでも目に入る。
1週間観察してはっきりと分かった。
この人たち、仕事の分配が下手くそだわ
背の低いメイドがまだ掃除をするからいつまでも上の窓は汚れたままだし、気弱な騎士が来客の対応をしているから物売りに押し切られそうになっているし、料理上手が馬小屋の掃除で、料理苦手がキッチン担当になってる。料理に関しては私への嫌がらせの一環な気もするけれど。
ただでさえ人手が足りてないようなのに、この配置は無駄が多すぎる。
口を出そうにもおそらく聞いてもらえないだろうと堪えていたが、1週間でダメだった。
「ねえそこのあなた。それ貸してもらえない?」
延々と1番下の窓を拭き続けるメイドに話しかける。近くで見ると意外と幼い、12.3歳くらいに見える。
「ミーアさま!?」
奥様、と呼ばれないのはまあ仕方ないか。借りるわ、そういって掃除道具から雑巾をとった。
「そんな、お掃除はわたしがやりますから…」
「もうこれ以上見てられないわ。上の方は私がやるから、あなたはそのまま下を拭き続けて」
ごねられそうだったのでさっさと掃除に取り掛かる。
私が怖くて言い返しもできないのか、大人しく仕事を続けた。
「あなたお名前は?」
「メアリです…」
窓を拭きながらメイドに尋ねると、恐る恐るといった感じで返事が返ってくる。
「そう、良い名前ね。建国神話第3章の傷を癒す優しい女神の名だわ」
「そうなんですか!」
知らなかった、と顔を明るくするメイドに、領地再建の時に出会った孤児院の子どもたちを思い出した。建国神話を絵本風に話すとメアリのような無邪気な笑顔で喜んだものだ。
これまで、王子の婚約者として王妃教育を施された。王子がサボったら、そのサボった分を自分がカバーできるように。元々そんなに要領の良い方ではない私は、苦手な分野がなくなるまで何度も何度も、寝る間を惜しんで勉強した。
だから、建国神話だって暗唱できるし、学院の成績も上位をキープし続けた。
恐らくこういうところもプライドの高い王子が嫌がった一因だろう。
婚約破棄されて、それは全部無駄になったと思ってた。
でもこうやって、領地再建の時も、今も少しは役に立ってる。私の全部は無駄じゃなかったと思えた。
「ふぅ、大体こんなとこかしら」
拭き終わった鏡達を見てメアリが目を輝かせる。
「こんなにきれいになるなんて!ミーア様、ありがとうございました」
最初の怯えた様子はどこへ行ったのか、無邪気な笑顔を見せてくれた。
「あのねメアリ、あなた窓掃除は向いてないと思うわ」
「そ、そんな…」
笑顔が一転、絶望した表情になる。
「この屋敷の窓って位置が高いから、あなたの身長では危ないところも多いわ。でもメアリは仕事が丁寧だからお客様が入ってくるエントランスホールの清掃とかしたらいいと思う」
「な、なるほど!」
「あとね、メアリこの屋敷の使用人たちの名前を全員教えてくれない?役職も」
何事だろうかと首を傾げながらも、教えてくれた。メアリの話を紙にメモしていく。
「分かったわ、これで全員ね?この中で1番えらいのは誰?」
「執事長のフィドルさんです!」
「ありがとう、これからも頑張ってね」
「はい!」
笑顔が可愛くて、つい小さい子にするように頭を撫でてしまった。驚いたのかすこしよろけていたが、照れたように笑っていた。嫌がられなかったのでまあいいか。
部屋に戻って役職の配置を考える。
無駄かもしれないけれど、なるべくアラン様の帰るこの家が良くなれば…
そんなことを思って、執事長の部屋の隙間から配置を考えたメモを差し込んだ。もちろん匿名で。
その日の夜だった。部屋に食事を運ぶメイド以外誰もこない部屋が初めてノックされた。
誰だろうと思って返事をすると、執事長のフィルドが入ってきた。お話しがあります、と入ってきてその表情がとても険しく、配置のメモを書いたのがバレて怒られるかと思って身構えた。しかし、執事長の口から出てきたのは思ってもみない言葉だった。
「なぜ手を上げたりしたのですか、弱いものをいじめて楽しいですか?王都では見逃されていたかもしれませんが、この屋敷では見逃されませんよ」
「…え?なんのことでしょう?」
本当に何のことか分からず尋ねると、白々しいと言わんばかりの剣幕でまくし立てた。
「メアリをぶったでしょう!ああ、名前を言ってもわからないか、窓を拭いたりしていたあの少女です!
気に入らないことがあるからってあんな小さな子に手をあげるなんて…このことは旦那様に報告させていただきます!」
「そんな、私はなにもしていません!メアリがそう言ったのですか!?」
「メアリが言ったかどうかなんて知ってどうするんです、また叩きに行きますか?
させませんよ、メアリには2度と近づかないでいただきます」
やっぱり余計なことするんじゃなかった…唇を噛み締め、後悔した。
メアリが笑顔を浮かべていたのも、本当は嫌だったんだろう。本当は近づいてほしくなかったのに、仮にもアラン様の妻になったものだから逆らえなかったんだ。ごめんね、メアリ…ぶたれたなんて嘘をついてまで私のこと嫌だったんだ。
「…分かりました、メアリには2度と近づきません」
もちろんそんなつもりじゃなかったから悔しくて、でも悪いのは自分だから何も言えなくて、そう言うしかなかった。
「それでは失礼します」
吐き捨てるように言って、執事長は部屋を出て行った。
ああ、ダメだなぁ私。
手のひらに爪が突き刺さるくらい、ぎゅっと手を握りしめた。