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好きでもない人との婚約を破棄して、好きな人との結婚が決まった。
それだけ見れば、とても幸せねと言われるだろう。
結婚が決まり、母は純粋に喜んだ。
「あそこの加工技術がうちの領に入ればこんな素晴らしい宝石が手に入るのね!」
父は可哀想な娘を心配する顔で、悪意ある噂の元凶を厄介払いができると内心で思っているのがよくわかる。
「喜ぶんだミーア。お前だって今のまま王都で暮らすのは辛いだろう」
好きな人は私のことなど好きではない、むしろとても嫌悪している。それでも貴族の令嬢として、一度婚約破談になったワケアリ令嬢として、私に結婚を断る権利などない。
断るどころか、たとえ嫌われていたとしても好きな人と結婚できることを喜んでしまう浅ましい自分がいるのも事実だ。
幸せになることなどとうの昔に諦めた。
せめて、好きな人に不快な思いをさせないように頑張ろう、そう決心して、婚約誓書に自分の名前を書いた。
社交界での自分の噂を知らないほど世間知らずではない。
派手な顔立ちで美人だが、高飛車で傲慢。宝石とドレスが大好きで、よく商人を呼び寄せては領民の税を湯水のように使う。
学院でも多くの男子生徒を侍らせる男好き。茶会での話題はもっぱら人の噂話ばかり。
父であるウェシレイ侯爵も政に関しては決して愚かではないが、遅くに出来た一人娘を溺愛し甘やかしている。
そして何よりみんなの関心を集めていることは、第一王子の婚約者筆頭であるのをいいことに、好き放題い振舞っていること。
そんなことを全部含めて、悪意を込めた『ウェシレイ領の紅薔薇』という呼び名をつけられている。
かつて、王の寵愛を受けられなかった美姫アイリーンが紅色の薔薇の棘に毒を塗って王を殺そうとしたことから、この国では紅色の薔薇は忌むべき花だ。
好き放題に振る舞うだなんて、そんな暇はない。
母に甘い父は、母が家の財をどれだけ使おうが少し困った顔をするだけで、特段優秀でもない父の能力では財政が圧迫されるのも早かった。
私がそれに気づいた時には、すでに領民の税が不要に上げられ、浮浪している者まで出始めていたにも関わらず、父はまた困った顔をしただけだった。このままでは領地が傾く、そう危機感を持った私は家庭教師のツテを頼りにある学者にたどり着いた。
それが変人として有名なウォルフォード師、私が師匠と呼んでいる人物だ。
かつては宰相をしており優秀だったが、そのあまりの変わり者ぶりに王ですら彼を制御できず、3年で宰相の座を剥奪されたと言う変わった経歴の持ち主で、今は学院でのんびり研究をして過ごしている。
そんな彼のもとに我が領の財政状況をまとめたものを持ち込んで教えを乞いたのがきっかけで、私が領主業務を行う手伝いをしてくれている。
領主業務を父の代わりに行うようになって早数年、ウェシレイ領はなんとか貧困状態からは抜け出しつつある。
ちょうど領地建て直しがおちついたころ、ちょうど私が17歳になった日だった。
婚約者である第一王子 グリードから婚約破棄を言い渡されたのは。
グリードとは、派閥争いや年齢などいろいろ大人の事情で4歳の頃に婚約した。出会った頃はそれでも普通の友人のように遊ぶことも多かった。
しかし、次第に世界が広がるにつれて、王位後継者としてのストレスも増え、私をなにをしても良い駒だと思ったのだろう、大人の目のない所でささやかな意地悪をされるようになった。足を引っかける、仲間外れにするなど、今考えればささいな意地悪だが、幼い自分にとってはつらかった。
そんな王子に恋こそしなかったが、婚約者として、統治者としての能力はあると思った。だから、少しでも良い王になって欲しいという思いから、勉強しろだの、遊んでばかりいるなだの、色々口うるさく言った自覚はある。
グリードに好かれるとまでは行かなくても、良い関係を築こうと努力したこともある。
しかし、私は失敗した。
領地建て直しに奮闘しだしてから、グリードに口うるさく言う暇もなくなった。
定期的に手紙で連絡はするものの、正直に父が領主業務を放棄しているので自分が代わりにやっています、と書くわけにもいかず、当たり障りのない、形式だけのやりとりが続いた。
社交界にもしばらく顔を見せていなかったから気づかなかった。
社交界で私の悪評が広まっていたのだ。しかも噂の出所は、グリードとその取り巻きだった。それが真実かどうか確認するものなど、噂好きの社交場にはいないし、しかもそれが王子とその周辺からの話であれば信憑性など疑う余地もない。
いつも派手な色のドレスに、少しつり目気味の目、意思の強そうな眉、ハッキリした顔立ちも相まって、貴族にしては常識の範囲の装飾品も華美に見えてしまうのだろう。
(でも、薄い色の服は似合わないのよ)
心の中で言い訳してみても、本心を話せる友人などいるはずもない。生来のハッキリした話し方も相まって、高飛車で傲慢な令嬢が出来上がってしまっていた。
そして、ついにあの日がやってきた。
仕事が落ち着き、久しぶりに学院に行った。
最近グリードと仲の良いと噂されるナタリー嬢と階段で会った。可愛らしい顔立ちね、そんなことを思いながら軽く会釈をし、すれ違った。
その瞬間、
「キャァーッ」
ナタリー嬢が足を踏み外して階段から落ちた。
そこまでの高さはなかったが、踊り場でうずくまってしまった。
慌てて駆け寄ろうとしたが、どこにいたのかグリードがやってきてナタリー嬢を抱き起こす。そしてこちらを鋭い眼差しで睨み付けた。
「ミーア!貴様、自分がなにをしたか分かっているのか!?」
一瞬、なにを言われているのか分からなかった。
「え…?」
「お前がナタリーを突き落としたんだろう!私とナタリーとの仲を妬んで!」
そんな馬鹿なことあるわけない。ナタリー嬢とは話をしたことすらないのになにに嫉妬するというのか。
「そんな…っ!」
「言い訳をするつもりか?こんなに人がいる中でナタリーに暴力をふるっておいて」
違う!否定しようとしても喋る権利さえ与えてもらえない。
ナタリー嬢が押されてないと言ってくれれば…
そう思って彼女を見ると、グリードの腕の中で震えているばかりだ。それどころか、よく見るとその口元は笑っているように歪んでいる。
(嵌められた…)
評判が最悪で、疑われても取り乱しもしない私と、友人も多く健気で可愛らしくグリードに助けを求めるナタリー嬢。
群衆の味方がどちらかなんて、一目瞭然だ。
瞬く間に私への非難とナタリー嬢への同情が周辺を埋め尽くした。
「もう我慢ならない。今まで貴様の悪行に目をつぶってきてやったが、限界だ。お前のような悪女が公妃になったらこの国は終わりだろう。
父上にはもう許可は頂いている。本当は内密に伝える予定だったが、このようなことになっては仕方ない。
ミーア・ウェシレイ、この場を持って貴様との婚約を破棄し、このナタリー・バーディスと婚約を結ぶこととする!」
その時やっと私は理解した。社交場でグリードが私の悪評を流したのは、この子のためだったのかと。
私は負けたのだ、婚約者としての努力を怠ったのは自分なのだから泣くことなど許されない。
自分を奮い立たせて、こちらを睨み付けるグリードに微笑んだ。
「承知いたしました。どうぞ、末長くお幸せに」
泣くな、これ以上恥を晒すな。
必死に心を奮い立たせてその場を後にした。
婚約破棄され、家に戻った私を待っていたのは、新しい結婚だった。
それはこの国の辺境の地にある領主との結婚。
息子に婚約破棄された令嬢にせめてもの温情か、それとも少しは後ろめたさもあるのか、王の打診だと言われた。
仮にも娘が婚約破棄されたというのに、父や母が浮き足立ってみえるのは、金か地位か、あるいはその両方を王から約束されたのだろう。
婚約破棄された娘を王都からだせば、親不孝な娘だったと悲劇ぶれるし、さらには金や地位まで手に入る。
事なかれ主義の父、傲慢な母。
決して愛がなかったわけではない、ただ、この二人にとって私の順位は宝石や社交界での評判より下だったという、ただそれだけのこと。
「本当、父上の言う通りだわ。喜ばなくちゃ、この噂ばかりの王都から離れられるのだから」
「お嬢様・・・本当に、結婚されるのですね」
両親すら見送りに来なかった、王都最後の日。侍女のメイサが泣きそうにエプロンを握りしめる。
「泣かないで、メイサ。あなたがいてくれたから、私は今こうして笑っていられるの。・・・体には気をつけて、元気な子を産んでね」
「・・・っ!本当にありがとうございます、お嬢様。私もお嬢様の侍女になれて本当に幸せでした。どうか、お嬢様もお気をつけて」
この息苦しい王都の中で、年の近い侍女のメイサだけが唯一の拠り所だった。
小さい頃から親のように、姉のように一緒に過ごしたメイサも、今年商人と結婚し身ごもっている。メイサは私に着いて行くと行ったが、そんなメイサを辺境には連れていけない。
メイサは幸せになるべき人だ、私にいつまでも縛り付けていて良い人間ではない、そう伝えると、メイサは一瞬目を見開いた後、泣きながらお嬢様も幸せになってください、と言い王都に残ることを承諾した。
私を乗せた馬車を心配そうに見つめるメイサの姿がとうとう見えなくなった時、少し泣きそうになってぐっとこらえた。
馬車に揺られながらうたた寝をして、懐かしい夢を見た。
それは、メイサにも言っていない、私の心の中だけにしまわれた初恋だった。
母に連れられたある茶会でのこと。
グリードに髪を引っ張られ、髪飾りのリボンをとられて隠されてしまった。
その頃はもうすでに権力というものを理解していて逆らうことなど許されないと分かっていた。反抗こそできないが、気に入っていた髪飾りだったため、王子の目が離れたスキに探し回った。
やっと見つけたリボンは、風に飛ばされたのか木の上でひらひら揺れていた。
少し高いけれど、誰もいないし登ってとるしかないか。王子の婚約者として木登りなどありえないが、誰も見ていないし大丈夫。
なんて、考えるんじゃなかった。
数分後、私は木の上で途方に暮れていた。
どうしよう、降りれない…
登ったは良いものの降りれなくなったのだ。下を見るとあまりの高さに目がくらみ、しっかり枝を握っていたはずの手が離れた。
あ、落ちる
そう思った瞬間、浮遊感に襲われた。衝撃が来ると思ってぎゅっと目をつぶったが、大きな何かに包み込まれた。
「あっぶねー、大丈夫か?」
私を助けてくれた、その人こそ、これから私の旦那様になる方、アラン様だった。
艶やかな黒髪に心配そうにこちらを見つめる漆黒の瞳。言葉は乱暴だけど、自分をしっかりと抱きとめる騎士の制服をまとった逞しい体。
意地悪ばかりする粗暴な王子や同い年の少年達とは違うかっこいい男の人。恋をするのには十分だった。
絵本に出てくる金髪の王子様とは違うけれど、本当に王子様が助けに来てくれたと思った。実際は王子様ではなく、騎士だったのだけど。
「は、い。大丈夫です」
「…天使が降ってきたかと思った」
自分でポツリと呟いて恥ずかしくなったのか、顔を赤くしている様子がおかしくて、くすくすと笑った。
「騎士様、助けていただいてありがとうございました」
「騎士様はやめてくれ、俺はアランって言うんだ。おてんばもいいがほどほどにな、怪我したら大変だ」
若干幼さの残る精悍な顔に笑顔を浮かべて大きな手で頭をわしわしと撫でられた。そのあたたかさに、さっきまで木の上で震えていたのが嘘みたいに心が暖かくなった。
「リボンが飛ばされたのでとろうとおもって」
そう言ってリボンを見せると、落ちる時に枝に引っ掛けたのか、青色の花の刺繍が入ったリボンが大きく破れてしまっていた。
泣くわけにはいかないがさすがに落ち込みを隠しきれないでいると、
「お気に入りだったのか?」
「はい…」
「…そうか、これからは危ないことはせずに大人にとってもらえ。な?」
「わかりました」
大人しく頷くと、そろそろ戻った方がいいかもな、と言って、茶会の席まで案内してくれた。手を引いて連れて行ってくれる間、自分の手を包み込むその手の大きさにドキドキした。
その日の帰り際、門で護衛をしていたアラン様にこっそり呼び止められた
「これ、やるよ」
「これって…」
「お嬢さんには安物すぎるかも知れんが、できるだけ似たやつを探したんだ」
受け取った袋に入っていたのは、ネモフィラの花の模様のリボンだった。
「…あのリボンの花、勿忘草だったんです。このリボンの花はネモフィラですね」
「えっそうだったのか、すまん、同じに見えた」
申し訳なさそうに返してもいいぞ、と取り返そうとする手を避けて、リボンを髪に結んだ。
「でも、私、ネモフィラの花が大好きになりました。
アラン様、ありがとうございます」
そう言って笑うと、アラン様も嬉しそうに笑った。
「よく似合ってる。
そういえば俺の故郷にネモフィラの丘があるんだ。
良かったら見に来るといい。案内してやるぞ」
いたずらっ子のようにささやいたアラン様に、自分でも満面の笑みが浮かぶのがわかった。
「見に行きたいです!約束ですよ」
「分かった、約束だ」
それじゃあな、と持ち場に戻ろうととするアラン様の袖を引っ張り引き留める。
「…アラン様、また会えますか?」
「ああ。必ず」
はじめての約束、はじめての贈り物。全てが大切で、宝物になった。約束だって必ず守られると信じていたのに。それなのに。
その後すぐに、アラン様は自分の領地を継ぐため田舎に戻ったと人伝に聞いた。ネモフィラの丘を見に行くと約束したはずなのに…
アラン様にとってあの約束は落ち込んでいる少女を慰めるための優しさだったんだ。とても悲しくて、泣きそうになった。
その瞬間、恋を自覚し、同時に恋心に蓋をした。第一王子の婚約者でありながら他の人に移り気するなんて。
自分を律するためにも、この恋は誰にも言わず終わらせた。ネモフィラのリボンは、袋に入れたまま大切にしまい込んだ。
終わらせた、はずだったのに。
私はこれから、アラン様の妻になる。愛もなにもない、そんな結婚をして。