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  作者: ひじきとコロッケ
宇宙へ
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人工知能カズマ

 西暦二一二〇年半ば頃。数学界に激震が走った。

 一人の数学者が自然数に関する一つの法則性を見いだし、定理として証明する論文を発表したのだ。その法則性自体の単純さと、その法則を証明する定理の難解さは二十世紀末にやっと証明された、フェルマーの最終定理に匹敵すると言われ、やや停滞感のあった数学界は、それこそ蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

 何しろ、その定理は他の法則性を予感させるものがあり、今までその出現に規則性が今ひとつ見られず、なかなか「次」が見つからない素数を簡単に見つけられる可能性を秘めていたし、実際に「発見されている最大の素数より大きい素数」がこの定理によって三つも発見されたのだ。当然だが、論文を発表した数学者、レオン・フェルナンデスは一躍時の人となり、あらゆる数学に関する賞を総なめにしていった。

 およそ十年後、レオンは病気で亡くなったものの、約二十年、数学界はレオンの功績の余波でまだまだ活気づいていて、新たに「法則の可能性」が見いだされ、議論され、と盛況だった。

 しかし、二一四〇年の始め、さらに数学界を震撼させる出来事が起きた。レオンの発見した定理の証明についての考察がネットワークのとある掲示板に書き込まれたのだ。書き込んだ人物が誰なのか全く不明だが、何回かに分けて書き込まれた内容は「証明には不備がある」というもの。実際、証明のあちこちを示しながら、「ここでこの論理は成立しない」と言うことをきちんと示していた。そして、定理が成立しない自然数をいくつも示し、最後にこう締めくくっていた。


――証明は不完全で誤りがある。一年以内に誤りを直した証明をした、新しい定理を発表する――


 数学界は上を下への大騒ぎである。指摘された証明の「誤り」の再検証が何度も行われ、定理が成立しない自然数が、確かにその通りであることが確認された。そして、一年以内に発表されるという証明について、活発な議論が交わされ続けた。勿論、掲示板へ書き込んだ人物が誰なのかも必死に調査されたが、匿名性が高く、井戸端会議やトイレの落書きレベルの雑談が多く流れるような掲示板では記録がほとんど残っておらず、正体はわからないままであった。


 そして、まもなく二一四一年になろうかという頃、当時世界最高と謳われる、数学者、カイン・アークロイドのもとに分厚い差出人不明――住所も差出人もデタラメだった――の封筒が届いた。今どきこんな方法で送ってくるのも珍しいそれは、待ちわびていた「定理と証明」だった。カインは早速その内容の確認を開始すると共に、その差出人の調査も開始した。

「誰なのか」をなんとしても確認したい。そして、この証明について議論を交わしたい。だが、差出人を見つけることは出来なかった。当時の郵便システムで差出人を偽装するなど、とてもではないが出来るものではない。二十一世紀末に世界中で多発し、多大な被害をもたらした郵便テロを防ぐため、国際郵便は特にセキュリティが強化されており、嘘の住所を書いてもすぐにバレ、配達を受け付けないシステムが構築されていたのだ。差出人の住所はインド。受け取ったカインはアメリカ。途中いくつもの国を経由していると言うことは、それらすべての国の郵便システムを突破していると言うことか。

 アメリカ政府も大騒ぎになった。この郵便は国家機密レベルのセキュリティをいくつも突破してきたのだから。


 一方で、カインはすぐに他の数学者達を呼び集め、論文の査読を開始した。分厚い封筒はそれに見合うだけの枚数の紙が入っていたが、実のところ、字は大きく、後半三分の一は引用した論文の引用箇所を示しており、本文も数多くの「例」を上げながら書かれているため、内容を要約すると、紙二枚ほどに収まってしまう内容だった。

 だが、何度読み返しても、その明瞭簡潔な証明には穴が無く、それでいて高度な内容にまとめられており、その結果まとめられた定理はレオン・フェルナンディスの示したものよりも数学的美しさで勝るというとんでもないものだった。


 ――なんとしても、この論文の作者を突き止める――


 政府関係者、数学者……それぞれの思いは図らずも一致していた。


 三ヶ月が過ぎた頃、カインの元にまた一つ、郵便が届けられた。差出人は前回と違うが、内容は……謝罪から始まっていた。


 曰く、「前回送った証明に誤りがあったので訂正する」と。


 世界トップクラスの数学者が集まって査読してもミスが見つからなかった証明に「誤りがあった」と言われてしまい、プライドがズタズタになっていく。一体何者なのだ。

 そして最後に二週間ほど先の日時と、「連絡する」と書かれていた。

 またしてもカインの周囲は大騒ぎになった。論文の修正は、またしても数学者達の頭を悩ませるし、二度も差出人と住所を偽装した国際郵便を通過させてしまったということで政府関係者が大騒ぎになった。おまけに「連絡する」というのはおそらくカイン個人に電話でもかけてくるのだろうが、どうやって番号を知ったのだろうか?郵便の宛先はカインの勤める大学の研究室宛だから、誰でもネットで調べればわかるが……


 そんなこんなで指定された日になった。


「CIA対テロセンターのジャック・ノーマンです。本日はよろしく」


 強面を後ろに並べた眼光鋭い男が自己紹介をする。郵便物の偽装は二一〇〇年頃に各国でシステムチェックが強化され、偽の差出人記載は違法行為となり、ほとんどの国で厳罰となっている。書き間違いならともかく、明らかに偽装、しかも国際郵便。運ばれた物がただの紙束だから良かったものの、一歩間違えばどんな事件になったことか。差出人に悪意がなくとも、どうやってチェックをすり抜けてきたのかは、今後のために重要な情報だとして派遣されてきたのだ。


「どうも」


 形だけの握手を交わしながら、カインは「相手とじっくりこの証明について語り合う時間が取れるだろうか」と不安に思っていた。それは今日この会議室に集まった他の数学者達も同じだろう。


 やがて指定された時刻になる。カインは携帯を映像拡大装置(3Dプロジェクター)に接続する。通常の携帯では映像は手元に立体表示される程度だが、今回は大がかりにも会議室の半分ほどの大きさに表示される。ほぼ実物大に表示される計算だ。


 十秒経過、二十秒経過。携帯に表示されている時刻は指定の時刻から三十秒経過。改めてカインは手紙の日時を確認する。三月四日、午後二時三十分で間違いない。


 四十秒経過したところで「ピピ!ピピ!」とカインの携帯が着信を知らせる。画面には相手の電話番号も表示されている。ジャックが後ろの部下に番号を調べろ、と目で合図し、カインに出るように促す。

 ピッ、と応答ボタンを押すと立体画像がノイズと共に表示される。やがてノイズがクリアになると、一人の白髪交じりの男性が映し出される。黒縁メガネに腕まくりしたシャツはボタンを上まで留めず、当然ネクタイもしていないラフな格好だ。自宅か、大学の研究室なのか、いろいろ山積みになった机、大量の本があふれそうな本棚が見える。男性の横にある巨大な黒い箱はちょっと場違いに見えるが。


「こんにちは、初めまして。私は日本人の川本勝です」


 明らかに翻訳システムを通した音声だが、はっきりと名前を名乗ったのにジャックが少し疑いの目を向け、すぐに部下に調べろ、と合図を送る。


「初めまして。カイン・アークロイドです」

「英語が苦手でね、翻訳システム越しで失礼するよ」

「かまいません」


 そう言うとカインは早速本題に入ろうと、紙の束に手を伸ばす。


「ああ、そっちの話の前に、そこの目つきの鋭いお兄さんの方の用事を片付けようか」


 どういうことだ?片付けるとは?

 その場にいる全員が困惑する中、川本は続ける。


「郵便のトリックと電話番号入手の種明かしさ」


 向こうから言ってくるか……しかし本当のことを言うだろうか。表情には出さずにジャックは答える。


「是非ともお聞かせ願いたいですな」

「簡単な話だよ。カイン教授、あなたの所にトニー・ヒューイという学生がいるだろう?」

「ああ、いますよ」


 比較的成績の優秀な学生だと記憶している。


「彼の祖父が私の古くからの友人でね。その伝手(つて)でお願いしたんだよ」

「え?」

「適当に書き散らかしてそれっぽい消印を押した封筒を別の封筒に入れ、正規の手続きでトニーに送る。カイン教授の研究室のポストに入れてくれと言付けをしてね」


 全員が言葉を失う。


「電話番号も簡単。トニーが大学の窓口で『カイン教授に至急連絡を取りたいから電話番号を教えてくれ』と言っただけ。まあ、それで聞き出せなかったら他の方法を考えればいいし」


 ジャックが苛立たしげに立ち上がる。


「全員撤収だ。馬鹿馬鹿しい」


 そう言い残して、大きな音をさせて会議室のドアを閉めていった。残された部下達も慌てて機材を片付け始める。


「さて、それじゃ本題に入ろうか」


 CIAの面々が去り、学者達だけになったところで川本が告げる。


 よし、まずはここから確認したいんだ、とカインは事前にいろいろとチェックをしておいた紙束をめくる。


「まず、その証明だが、私がやった物ではない」

「と言うことは代理で?まあそれでもかまいませんがね」

「正確に言うと代理でもない」

「どういうことです?」

「これを見てくれ」


 川本が大きな箱を示す。高さ百二十センチ程、幅八十センチ程。黒く塗装されているので材質はよくわからない。いくつかのスイッチとマイク・スピーカーに大きなモニターがついてる。


「それは一体?」

「私が開発した、本当の意味に近い人工知能さ」


 人工知能と来たか。

 二十世紀後半頃、コンピューターが発達していく中で、与えられた計算をただこなすのではなく、「自分で考える」コンピューターを開発しよう、とスタートしたのが人工知能である。しかし、この「考える」がくせ者で、そうそう簡単にいかず、初期の頃は膨大なデータから曖昧な指示だけでデータを探索する、という程度だったと言う。

 その後、コンピューターの性能向上により、データ処理の仕方も変わって爆発的な進化を遂げたが、二十二世紀の現在でも基本的には膨大なデータから各種組み合わせを探し出し、判断する、と言う方式は基本的に変わっていない。全くのゼロから何かを生み出す、というのはある程度高度な『知性』が必要で、その『知性』を人工的に作り出せていないのだ。


「本当の意味に近い、とは?」

「説明させよう」


 説明させる?カインは首をひねる中、川本がその箱に話しかける。


「じゃ、自己紹介をして。ああ、英語で伝えてやってくれ。私にはモニターに日本語の表示で十分だから」

「わかりました」


 モニターに何か表示され、合成音声が答える。


「初めまして、カイン教授。私は川本博士が開発した人工知能です。正式名称は大変長いので、博士が呼ぶように、カズマとお呼びください」

「ご丁寧にどうも」


 この程度の会話なら今の人工知能は簡単にこなす。川本が言っているのは一体何だろうか?


「博士は私の性能をテストするために、最小限の知識を与えました。単純な四則演算から始まり、平方根、微分積分などの基本的な数学の計算方法と、基本的な定理についての知識で、日本の一般的な高等学校の教育課程の範囲と大学レベルのいくつかの高等数学の範囲も含んでいます」

「ほう」


 コンピューター相手に変わった方法だな、と誰もが思っていた。


「そして、博士から一つの課題が示されました」

「課題?」

「『美しい』定理を作れ、と」


 ずいぶんと曖昧な課題だ。そもそも「美しい」の定義がなんなのか、からスタートしなければならない。


「それから?」

「それだけです。その課題をクリアすべく、それまでの知識をすべて組み合わせ、『美しい』と感じる定理を探し続けたのですが、その過程でレイン・フェルナンデスの定理に近い定理を発見しました」

「近い定理……それがこれかい?」

「はい。しかし、証明内容に確証が持てなかったため、課題を中断し、博士に報告をしたのです」

「で、専門外の私が必死に調べた結果、レイン・フェルナンデスの定理を見つけてね、こういう物があると教えたんだ」

「待ってくれ。あの定理に到達するには大学でも数学の専門課程に進むような連中の知識が必要なはずだ」

「私はコンピューターですから、人間よりも高速に思考可能です。レイン・フェルナンデスの定理に到達するまでに要した時間を人間の速度に換算すると、およそ三千年になります」


 人類の歴史並みの時間なら納得だな、とカインは続きを促す。


「定理を教わったところで、証明の検証を開始したのですが、少し違和感があったので、何度も確認をした結果、証明に誤りがあるのではと推論し、定理を満たせない自然数があるという確認を行ったのです」

「違和感、ね……それであの論文を?」

「はい」

「発表済みの論文とかぶる部分がないか、つまり引用のチェックが大変だったよ。私は数学が専門じゃないからな。ついでに言うとカズマにはデータ出力とか通信の機能が無いのでね、カズマの言うとおりに文章を仕上げるしかなくて、これが大変でね。設計ミスだったかなと、ちょっと後悔」


 それで、体裁が今ひとつ微妙な感じの論文だったのか、とカインは合点がいった。


「それから掲示板に書き込みを?」

「論文にまとめながらも、自信が無かったんでね。案外ネットの連中というのも侮れないし、アングラな感じがしていいかなーと思って書き込んでみたんだ。思ったよりも反響があったみたいだったから、じゃあ行けるか、と思って頑張って論文に仕上げて送ったんだ」


 なんとも軽いノリだが、カインはそれよりも気になることがある。


「つまりあの論文も、その修正をしたこの論文も、そこの人工知能――カズマが作り上げたと言うことに?」

「そうなるね」


 数値計算の方法だけを教わった状態からレイン・フェルナンデスの定理を超える定理を作り出す。それも『美しい』と感じる物を。


「つまり、本当の意味に近い人工知能とは、カズマには『自我』と呼べる物がある、ということか」

「自我の定義が必要だが、カズマはある程度自分で判断が出来るよ。今も私と教授の会話に割り込んでこないだろう?他にもいろいろ出来るけど、ほんの一例だ」


 数学の論文どころではないものが出てきてしまった。


「論文についての議論はカズマと自由にやってくれてかまわない。私は門外漢なので、その証明の百分の一も理解できなかった」


 そう言うと、川本は椅子に座り、積んであった本を開く。本気で議論に参加するつもりはないらしい。


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