宇宙へ
「誰?」って、お互いにこれほど間抜けな問いかけもないだろう。
「えっと、私はリサ、クラモトリサ。怪しく見えると思うけど、普通の『生き延びている人間』よ。その、上で床が抜け落ちて、ここまで……」
リサは簡単に今までのことを話す。腐っていた床板が抜けて落下。幸いなことにたいした高さはなかったため、地下室っぽいところに落ちたが、その床も抜け……ようやく落ち着いたので、電池の切れかけた懐中電灯でさまよっていたら、また穴に転落。よくここまで落ちたものだと感心するくらいに落下してみたら、人がいた。
目の前にいるのは濃い茶色のポニーテールの結構な美人さんだ。身につけているのはとても残念な感じの大分色あせた作業着で右手には大きなスパナのような工具。武器代わり?警戒されてる?と、思わず自動小銃を……無い、どこかに落としたんだろう。ここは笑顔で切り抜けよう。
「よく生きてたわね」
「え?」
「ここ、地下七十メートルはあるわよ」
ええ、全身がとても痛いです。骨は大丈夫そうだけど。
「運がいいのね、少しうらやましいわ」
「あ、ありがとう」
「タチバナシオンよ。あっちで作業してるのがナオ」
あっちって……見えないけど。物音がするからいるんだろう。
とりあえず握手。『生き延びている人間』同士、争う理由は特にないし。
「えっと、シオンって呼んでいいのかな?」
「いいわよ」
「じゃ、シオン。こんな地下で何やってるの?」
この地下の施設?はコンクリートがひび割れ、崩れているところもあるが、設備はなかなか見事なものだ。とても個人がお手軽に作れるような規模ではない。さらに何かの『作業』をしていると言っていた。何をやってるか、気になるのも当然だ。
「んー、じっくり説明している時間は無いから簡潔に言うわね」
「うん」
「宇宙船を造ってるの」
「は?」
「宇宙船、わかる?宇宙に行くための乗り物」
「それはわかるけど、何で宇宙?」
「うーん、説明すると長くなるからパス」
「え?」
「この荷物整理して積み込んだらもう出発だから」
「どこへ行くの?」
「わかんない」
イマイチ会話が成立していない。
「逃げるって訳じゃなさそうね」
「そうね……あるかどうかわからないものを探しに行くの」
「あるかどうかわからないもの?」
「薬よ」
「薬……って、もしかして」
ビーッと壁のブザーが鳴る。
「燃料、あと五分ほどで終わります」
ナオの声が壁のスピーカーから聞こえる。その声の様子から、ナオ=年の近い男性カッコ多分イケメンカッコ閉じ、と勝手にリサは予想した。
「おっと、こうしてる場合じゃない。ゴメンね」
シオンが立ち上がり、荷物の山に向かい、箱詰めを開始する。
「期限近い奴は残していくから、好きに持って行ってもいいよ」
「ありがと……って、ちょっと待って」
「何?」
「邪魔でなければ私も連れて行ってくれない?」
「え?」
「どうせここに残っても、一人じゃ生き延びる自信ないし」
「いや、急に言われてもね」
「うん、思いついたから言ってるだけだし」
いい笑顔だ。
「うーん」
どうしたものか。『大きな何か』こと、宇宙船の中はそれなりに広い。リサ一人増えてもたいしたことは無い。問題は……
「水も食料も、微妙な量よ。どのくらいかかるかわからないし」
「なら、置いてく予定の分も積めばいいじゃない」
そうか、一人増えると言うことは、期限が近いものも何とか消費できるか。
「あら、それともお二人にはお邪魔だったかしら?」
「……ナオはそう言うんじゃないから」
「ホントにぃ~~~?」
「本当よ」
ま、一人増えてもたいしたことは無いか、とシオンは考え、承諾する。
「連れて行ってもいいけど」
「いいけど?」
「積み込み、手伝って」
「了解!」
人手が多いのはいいことだ。
とりあえず、ナオにリサを紹介してから、ナオが宇宙船の準備を進める間に次々と荷物を積み込んでいく。一人でやる予定だったものを二人でやるから作業がはかどり、予定よりも早く終わった。
「荷物の固定、再チェックしておいて」
後部の格納庫でリサに指示を出すと、シオンは前方の機械てんこ盛りの部屋、操縦室へ向かう。
操縦室に入るとナオが壁のメーターをチェックしていた。
「どう?」
「準備完了です」
「了解」
「壁、開けてきます」
「お願いね。私はエンジン始動させるわ」
ナオが出て行くのを見送って、中央の椅子に座る。ざっと周りを見渡してからパチ、パチ、とスイッチを操作すると、あちこちのランプが点灯し始め、モニターにもいろいろな表示が出てくる。そして、手元のモニターの中央に表示された数字を注視する。十、二十、三十……と少しずつ数字が増えていく。五十を超えたところで、スイッチを一つ操作。左右でランプが点灯し、モニターに表示される数字が増えていく。それでも、中央の数字だけを見ていく。八十を超えた。スイッチを三つ操作。フィーン……というモーター音とともに、室内、いや、船内全体がかすかに振動し始める。百を超えた。さらにスイッチを二つ操作。モーター音も振動も感じられなくなったが、代わりに室内全体に明かりが灯る。
「エンジン始動、よし」
指差し確認を終え、スイッチてんこ盛りの宙づりパネルを奥へ追いやる。始動に必要なスイッチはしばらく不要だ。
椅子から降りて壁のメーターを確認する。電流、電圧、燃料供給ラインの圧力、温度、出力……始動直後の値としてはすべて正常。
突然、ゴゴゴゴゴ……という音が響く。正面のモニターを見ると、宇宙船の正面にある壁が少しずつ下りていく。壁の向こうは真っ暗な通路になっている。その先は……外に繋がっているはずだ。椅子に戻り、別のスイッチパネルを引き寄せ、操作するとモニターの表示が切り替わるので、チェックを開始。
「壁操作、終わりました。二分ほどで全開です」
ナオが戻ってくる。
「おっけ。格納庫にリサがいるから呼んできて。あと、タラップ格納してドアロック。出発するわ」
「わかりました」
モニター表示のチェックを止めて、スイッチパネルを脇へ押しやり、床に倒されている机を引き起こす。でかい操縦用レバーが二本、小さめの制御用レバーが何本も生えている操縦系のパネルだ。今更だが、これをもっと簡単に操作できるようにするべきだったと思うが、時間が無かったので仕方ない。
椅子に座り直し、ベルトを締める。まあ、椅子の固定が甘いから役に立つかと言うと微妙だが。
「戻りました」
ナオとリサが入ってくる。
「出発準備よし、座ってベルト締めて」
「はい」
「わかった」
ナオは右の壁際のメーターとスイッチてんこ盛りの副操縦士の座るような椅子に。リサは入り口近くの補助席っぽいところに。
壁が全開になる頃、モニターを見ていたナオが告げる。
「通路内センサー確認、障害物無し」
「了解。エンジン出力確認……正常」
「船内気圧、正常」
「温度、よし」
「電源系統、問題なし」
「推進システムへ電源接続……よし」
シオンが操縦レバーを軽く握る。
「出力上昇中……浮上開始まで三、二、一……」
カウントダウン終了とともに少しだけふわっと浮いた感覚があり、すぐに止まる。が、わずかにゆらゆらと揺れていることから、浮いていることがわかる。
「おおー、飛んでる?飛んでるのね?」
リサが素直に感動する。
「まだ浮いただけよ。着陸脚格納」
「了解。格納します」
ナオがスイッチを操作すると、宇宙船から生えていた足が折りたたまれながら格納されていく。これで宇宙船の見た目はちょうど直方体の頂点になるような位置、八ヶ所に丸い蛍光灯のようなモノがついたラグビーボールのようになる。
「発進!出力十%」
操縦レバーを軽く前に倒すと、軽い加速感とともに、スーッと前に進み始める。外の様子の見えるモニターの映像も前に進んでいることを示している。
「えーと、質問」
リサがおずおずと手を上げる。
「何?」
「この通路、何?」
「元々は、どこかの企業の研究施設だったみたいなの。残ってたものから推測すると、潜水艦とか造ろうとしてたみたい。『戦争』のせいで、捨てられたのか、全滅したのかわからないけど、宇宙船造るのにいろいろ機材とかあって便利だったし、原子力発電所からの電力も生きてたからそのまま使っちゃった♪」
「で、この先はどうなってるの?」
「海よ」
「海?」
「少し下に傾斜しててね、水面下三十メートルくらいまで続いてるわ。潜水艦を造ったらそのまま滑らせるつもりだったのかしらね」
「はい、質問」
「何でしょう?」
「この宇宙船、水の中でも進めるの?」
「多分大丈夫」
「多分?!」
「防水は確認したけど、水中で動けるかはテストしてないからね」
「ちょっと!」
「大丈夫よ。設計上は問題ないって書いてあったし」
「書いてあったって、何に?」
「えっと、っと。おしゃべりはここまで。海に入るから少し揺れるわよ」
正面のモニターには確かに揺れる水面が映っていた。あっという間に水面が迫り、水の抵抗を受けて宇宙船が揺れる……が、推進力が水圧に勝り、水中へ潜っていく。
「二十秒後にアップトリム三十」
「カウントは任せるわ」
「了解」
ナオにメーター類の確認を任せて、操縦レバーを握る。細かい制御システムを構築する時間が無かったため、レバーの操作がかなりダイレクトに船体に伝わるのだ。慎重に。
「五、四、三……上昇開始」
「アップトリム三十へ」
ナオの指示に合わせてレバーを軽く引く。船体がぐっと上に向いていく。
「水面まで十五メートル……十メートル……」
「出力二十%へ」
「二十%よし、水面に出ます」
「飛行開始、揺れるわよ!」
ザバァッと言う音と共に宇宙船が水面に現れ、そのままの勢いで飛び立つ。水の抵抗がなくなり、ガクンという軽い衝撃の後、加速されていく。
「高度十メートル……二十メートル……」
「出力三十%」
「出力上昇中……針路を右へ五度修正」
「右五度修正、了解」
指示通り、シオンがレバーを少し傾ける。
「針路よし……高度百メートル」
「出力五十%へ。各メーターチェック」
「出力よし……現在異常なし」
ふう、とシオンが軽く息をつく。レバーを離すことは出来ないが、まずはここまで来た。
「あの」
「ん?何かな?」
「飛んでたら『奴ら』に見つかるんじゃないかなーって」
「大丈夫よ」
「なんで?」
「速度結構出てるし、こっちは宇宙に行っちゃうんだから」
「そうだけど、でも」
「それにね」
「うん」
「もう見つかってる」
「え?」
右側のモニター、レーダー画面には既にいくつかの光点が表示されている。そして……明らかに近づいて来ている。
「えええええ!!!」
「大丈夫だって」
「でもでも!」
「ナオ、現在の速度」
「対地速度、時速千二百……千三百」
「音速超えたわね」
「速っ!」
「まだまだ上がるわよ~」
「そ、それじゃあ」
「『奴ら』の飛行機、最高速度でマッハ四だっけ?こっちは大気圏内でマッハ二十よ。追いつけると思う?」
「思わない」
「おっけ。とりあえず宇宙に出るまでは少し静かにね。操縦に集中しないと」
「はーい」
レーダー画面の光点は少しずつ近づいていたが、こちらの速度はどんどん上がっているため、やがて離れていく。速度の上昇に合わせてナオがいろいろな数値をチェックし、スイッチを操作していく。かなりのアナログ感にリサは少しため息が出た。コンピューターで自動制御できなかったのだろうか?このくらいなら、今でも何とか用意できると思うのだが。
「高度一万メートル……まもなく成層圏へ」
「さらに加速。出力七十%」
「出力七十%了解。針路左へ二度修正」
「左へ二度修正、よし」
「現在、マッハ十四」
レーダーに映っていた光点はもう見えない。追いつけるはずがないのだ。
「あと少しね」
「出力八十%に……針路よし」
「針路よし了解。高度は?」
「一万五千に到達。速度はマッハ十六に上昇」
ほぼ垂直に上昇する宇宙船の中は思ったほどにうるさくはなく、振動もさほどではない。順調そうな様子を見ながら、どこへ行くのかという話の時に出ていた「薬」という単語に引っかかっていた。
「あのさ、ちょっとだけ」
「何?」
「薬って」
「赤死病よ」
「やっぱり」
それだけ聞けば十分だ。