三話 イブの子どもたち
ゆっくりと目を開いた先の光景に、言葉を失った。
雪の積もり始めた道の上に、子どもたちがいる。十人には満たない人数だ。彼らが群がっているのは、茶色く角を持った動物と、紐でつながっている赤いソリで、中には、真ん丸に膨れた白い袋がいくつか積んである。ソリと袋を運ぶその動物は、本物を見た覚えはないが、イラストや話は、黙っていても嫌というほど目や耳に入ってくる。首に金色の鈴をつけた、トナカイというやつだろう。
その周りで、小さな子どもたちは、はしゃいで駆け回り、トナカイに触れ、おしゃべりをしてと、楽しそうに笑っている。夜の中でも、彼らの姿は不思議と光を放ち、俺の目にもしっかりと映る。どれだけ目を擦っても、彼らが消える気配はない。
呆気にとられる俺を、一人の子どもが振り向いた。五、六歳程だろう、赤いリボンで、おさげに髪を結った、可愛らしい女の子だ。
「メリークリスマス!」
大声と共に、両手を上げて嬉しそうに走り寄ってくる。その声に、周囲の子どもたちも気が付いた様子で、一様にこちらを向いた。全員、お揃いの赤い円錐形のサンタ帽子と、赤い上着。男の子はズボン、女の子はスカートを履いている。黒いベルトでそれを締め、同じく黒のブーツで雪を散らす姿は、まるで小さなサンタクロースだ。
幼い子で、息子と同じくらいか。最年長でも、小学校中学年くらいの子どもたちが、わっと駆け寄ってきた。
「おじちゃん、メリークリスマス!」
目の前で立ち止まった小さな女の子が繰り返すと、周りの子どもたちも口々に同じ台詞を明るく告げる。
「め、メリー、クリスマス……」
勢いに押され、思わず返すと、子どもたちは、楽しげに歓声を上げた。
一体この子達は、何者なのか。いつの間に、どこから現れたのか。こんな雪の降る夜に、何故大人は彼らを放っているのだろうか。
だが、そんな俺の疑問など知る由もなく、彼らはきゃいきゃいとお喋りをし、舞い散る雪にはしゃいで飛び跳ねている。鼻先についた雪に一人がくしゃみをすると、それを見ていた数人が、楽しそうに笑い声を上げる。
「楽しくないの? おじちゃん」
「今日、クリスマスイブだよ! サンタさんがくるんだよ!」
小さな女の子と、同じくらい小さな男の子が、揃って首を傾げた。周りの子たちは、うんうんと頷いている。まるでそれが、世界の幸福であると、納得している顔だ。
「おじちゃんは、大人だからな……」
「おとなでも、サンタさん、来てくれるよ!」
「サンタさんは、子どもに来てくれるんじゃないのかい」
「そんなことないよ!」
口々に子どもたちは言って、首を横に振る。
「サンタさん、いい子にしてたら、大人でもプレゼントくれるんだよ」
「プレゼントって、なにを」
「一番欲しいの! サンタさんは、知ってるの。その人が、一番欲しいもの。信じてたら、くれるんだよ!」
一番欲しいもの。その言葉が、心の奥に点灯した。自分でもわからない、一番欲しいものを、顔も知らないサンタクロースが届けてくれるのだという。
馬鹿馬鹿しい。
そう思うはずが、彼らの笑顔を見ていると、上手に思えない。彼らがもつ光は、温みを持っている。きらきらと輝く笑顔が眩しくて、それが、つい先ほど目にした、靴下を手にする子どもの姿によく似ていて。何の不安もなく、楽しいことを全身全霊で受け止め、屈託なく笑う彼らに、凍ったどこかを溶かされる気がして。
「本当か……?」
そんな言葉が、不意に口をついていた。
「本当だよ!」
一人が即答し、周りもそれに同調し、本当だ本当だと小さく飛び跳ねる。彼らの体に舞い降りた粉雪が、ぱさり、ぱさりと地面に転がっていく。
なんだか、自分も子どもに戻った心持ちだ。
一番欲しいもの。
こうして、無邪気に笑いたい。苛立ちも虚しさも覚えずに、仄かな温みをもって、もう一度、笑ってみたい。
「おじちゃんも、いこ!」
目の前の女の子が、嬉しそうに小さく飛び跳ねた。それはいい考えだと、周りも口々に賛同する。
「特別に、いっしょに乗せてあげる!」
「どこに、行くんだい」
「ないしょ。でもね、おじちゃんも、きっと楽しくなれるよ」
女の子は、一度唇の前で人差し指を立て、ないしょと言うと、にこりと笑ってみせた。俺の腕を取ろうと、もみじのような小さな手を伸ばしてくる。
なんだか、わかった気がする。俺は今、子どもなんだ。彼らと同じ、小さな頃に戻ってしまったんだ。
だから、臆することなんてない。
こうして、サンタクロースの格好をした彼らに、ついていくことを。
「だめだよ!」
一際大きな声が響き、彼女の手に触れかけた、俺の手が止まった。周囲の子どもたちも、喋るのをやめて後ろを振り向く。
「勝手に他の人を誘ったら、だめだよ。ソリに乗るのは、僕たちなんだから。悪い子になっちゃうよ」
いつの間にか、赤いソリの前に立っていた男の子の台詞に、子どもたちも、その通りだと頷いた。すると女の子も、素直に手を下ろし、俺の方へ踏み出しかけた一歩を引っ込めた。
「みんな、もう行こう。行かなくちゃ。ぼくたちは、もう、行かないといけないよ」
どこに、と尋ねかける俺の言葉は、子どもたちのはしゃぐ声にかき消えた。「そうだったね」「もう行かないと」各々口にしながら、あっという間に彼らはソリに乗り込んでいく。特に幼い子を真ん中に、少し大きな子どもたちがその両端に座り、また楽しそうにお喋りを始める。
一人、二人と指差しで確認し、全員が乗り込んだのに頷く男の子が、一度こちらを向いた。十歳くらいのその子は、人懐こそうな、まん丸な瞳を輝かせている。額にある、細く白い傷跡が、帽子からはみ出し、模様のように見せている。
その子が、にっこりと笑った。サンタの衣装がよく似合う右腕を上げた。
ああ、と思わず息が漏れた。懐かしい姿に、しまいこんでいた記憶が、どっと溢れてくる。俺が、クリスマスを嫌う、大きな理由を思い出す。
「待ってくれ」
知らず知らずの内に、片手を伸ばしていた。先ほど聞いた彼の声が、頭の中でこだまする。あの子は、間違いない。
「待ってくれ……!」
その先の願いは、聞き届けられなかった。俺も連れていってくれ。そう言いたかった。
俺の願いを悟ったのか、彼は、あの日と同じように、大きく右手を振った。
「またね!」
クリスマスに相応しい、明るく弾んだその声と共に、全てが、現れた時と同じ、強く眩い光に包まれる。とても目を開けていられない、その瞬間が過ぎ去った時には、淡い光に包まれていたソリも、トナカイも、子どもたちの姿も、跡形もなく消え去っていた。




