表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

三話 イブの子どもたち

 ゆっくりと目を開いた先の光景に、言葉を失った。

 雪の積もり始めた道の上に、子どもたちがいる。十人には満たない人数だ。彼らが群がっているのは、茶色く角を持った動物と、紐でつながっている赤いソリで、中には、真ん丸に膨れた白い袋がいくつか積んである。ソリと袋を運ぶその動物は、本物を見た覚えはないが、イラストや話は、黙っていても嫌というほど目や耳に入ってくる。首に金色の鈴をつけた、トナカイというやつだろう。

 その周りで、小さな子どもたちは、はしゃいで駆け回り、トナカイに触れ、おしゃべりをしてと、楽しそうに笑っている。夜の中でも、彼らの姿は不思議と光を放ち、俺の目にもしっかりと映る。どれだけ目を擦っても、彼らが消える気配はない。

 呆気にとられる俺を、一人の子どもが振り向いた。五、六歳程だろう、赤いリボンで、おさげに髪を結った、可愛らしい女の子だ。

「メリークリスマス!」

 大声と共に、両手を上げて嬉しそうに走り寄ってくる。その声に、周囲の子どもたちも気が付いた様子で、一様にこちらを向いた。全員、お揃いの赤い円錐形のサンタ帽子と、赤い上着。男の子はズボン、女の子はスカートを履いている。黒いベルトでそれを締め、同じく黒のブーツで雪を散らす姿は、まるで小さなサンタクロースだ。

 幼い子で、息子と同じくらいか。最年長でも、小学校中学年くらいの子どもたちが、わっと駆け寄ってきた。

「おじちゃん、メリークリスマス!」

 目の前で立ち止まった小さな女の子が繰り返すと、周りの子どもたちも口々に同じ台詞を明るく告げる。

「め、メリー、クリスマス……」

 勢いに押され、思わず返すと、子どもたちは、楽しげに歓声を上げた。

 一体この子達は、何者なのか。いつの間に、どこから現れたのか。こんな雪の降る夜に、何故大人は彼らを放っているのだろうか。

 だが、そんな俺の疑問など知る由もなく、彼らはきゃいきゃいとお喋りをし、舞い散る雪にはしゃいで飛び跳ねている。鼻先についた雪に一人がくしゃみをすると、それを見ていた数人が、楽しそうに笑い声を上げる。

「楽しくないの? おじちゃん」

「今日、クリスマスイブだよ! サンタさんがくるんだよ!」

 小さな女の子と、同じくらい小さな男の子が、揃って首を傾げた。周りの子たちは、うんうんと頷いている。まるでそれが、世界の幸福であると、納得している顔だ。

「おじちゃんは、大人だからな……」

「おとなでも、サンタさん、来てくれるよ!」

「サンタさんは、子どもに来てくれるんじゃないのかい」

「そんなことないよ!」

 口々に子どもたちは言って、首を横に振る。

「サンタさん、いい子にしてたら、大人でもプレゼントくれるんだよ」

「プレゼントって、なにを」

「一番欲しいの! サンタさんは、知ってるの。その人が、一番欲しいもの。信じてたら、くれるんだよ!」

 一番欲しいもの。その言葉が、心の奥に点灯した。自分でもわからない、一番欲しいものを、顔も知らないサンタクロースが届けてくれるのだという。

 馬鹿馬鹿しい。

 そう思うはずが、彼らの笑顔を見ていると、上手に思えない。彼らがもつ光は、温みを持っている。きらきらと輝く笑顔が眩しくて、それが、つい先ほど目にした、靴下を手にする子どもの姿によく似ていて。何の不安もなく、楽しいことを全身全霊で受け止め、屈託なく笑う彼らに、凍ったどこかを溶かされる気がして。

「本当か……?」

 そんな言葉が、不意に口をついていた。

「本当だよ!」

 一人が即答し、周りもそれに同調し、本当だ本当だと小さく飛び跳ねる。彼らの体に舞い降りた粉雪が、ぱさり、ぱさりと地面に転がっていく。

 なんだか、自分も子どもに戻った心持ちだ。

 一番欲しいもの。

 こうして、無邪気に笑いたい。苛立ちも虚しさも覚えずに、仄かな温みをもって、もう一度、笑ってみたい。

「おじちゃんも、いこ!」

 目の前の女の子が、嬉しそうに小さく飛び跳ねた。それはいい考えだと、周りも口々に賛同する。

「特別に、いっしょに乗せてあげる!」

「どこに、行くんだい」

「ないしょ。でもね、おじちゃんも、きっと楽しくなれるよ」

 女の子は、一度唇の前で人差し指を立て、ないしょと言うと、にこりと笑ってみせた。俺の腕を取ろうと、もみじのような小さな手を伸ばしてくる。

 なんだか、わかった気がする。俺は今、子どもなんだ。彼らと同じ、小さな頃に戻ってしまったんだ。

 だから、臆することなんてない。

 こうして、サンタクロースの格好をした彼らに、ついていくことを。


「だめだよ!」


 一際大きな声が響き、彼女の手に触れかけた、俺の手が止まった。周囲の子どもたちも、喋るのをやめて後ろを振り向く。

「勝手に他の人を誘ったら、だめだよ。ソリに乗るのは、僕たちなんだから。悪い子になっちゃうよ」

 いつの間にか、赤いソリの前に立っていた男の子の台詞に、子どもたちも、その通りだと頷いた。すると女の子も、素直に手を下ろし、俺の方へ踏み出しかけた一歩を引っ込めた。

「みんな、もう行こう。行かなくちゃ。ぼくたちは、もう、行かないといけないよ」

 どこに、と尋ねかける俺の言葉は、子どもたちのはしゃぐ声にかき消えた。「そうだったね」「もう行かないと」各々口にしながら、あっという間に彼らはソリに乗り込んでいく。特に幼い子を真ん中に、少し大きな子どもたちがその両端に座り、また楽しそうにお喋りを始める。

 一人、二人と指差しで確認し、全員が乗り込んだのに頷く男の子が、一度こちらを向いた。十歳くらいのその子は、人懐こそうな、まん丸な瞳を輝かせている。額にある、細く白い傷跡が、帽子からはみ出し、模様のように見せている。

 その子が、にっこりと笑った。サンタの衣装がよく似合う右腕を上げた。

 ああ、と思わず息が漏れた。懐かしい姿に、しまいこんでいた記憶が、どっと溢れてくる。俺が、クリスマスを嫌う、大きな理由を思い出す。

「待ってくれ」

 知らず知らずの内に、片手を伸ばしていた。先ほど聞いた彼の声が、頭の中でこだまする。あの子は、間違いない。

「待ってくれ……!」

 その先の願いは、聞き届けられなかった。俺も連れていってくれ。そう言いたかった。

 俺の願いを悟ったのか、彼は、あの日と同じように、大きく右手を振った。

「またね!」

 クリスマスに相応しい、明るく弾んだその声と共に、全てが、現れた時と同じ、強く眩い光に包まれる。とても目を開けていられない、その瞬間が過ぎ去った時には、淡い光に包まれていたソリも、トナカイも、子どもたちの姿も、跡形もなく消え去っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ