救う町
8 救う町
「あれはシ骸と呼ばれるものだ。」
楽屋に戻り、女は言った。もう陽は上り、外には出られなくなった。
「シ骸?」
「ワイトと呼ばれる特殊なゾンビのみが生み出せる化け物だ。」
「許せへんわ。ワイト。」
「ワイト・・・ねえ。」
なんだかんだで、この二人がいると落ち着く。どうも二人は仲良くなったようであるし。
「ぎゃあぎゃあ、うるさい。話が進まん。」
「なんやて?」
どうもあまり仲良くはなっていないようだった。
「坊主。何か見なかったか?ワイトであってもゾンビだ。必ず実体はある。幽霊みたいに捉えどころのない存在ではない。」
「幽霊やて?そんなもんおるわけないやん。」
ラシアは過剰に瞬きをした。
「いいや。幽霊はいる。」
「嘘やろ。」
「嘘や。」
「殺したろか、お前。」
「もともと死んでいるゾンビに殺してやるとは、あまり適切ではない。」
「前々から思とったけど、アンタ気に食わんなあ。こっちが仲良くしようとしとんのに、なんなん。その態度は。」
「まあ。落ち着くみゃあ。」
やっぱり疲れます。
「そう言えば、シスターがいたけど、見当たらないな。」
「なるほど。そのシスターが怪しい。だが――ワイトにしては少し軽率かもしれない。」
「というと?」
「ワイトが国を亡ぼすほど強力なのは、シ骸の圧倒的物量故だ。シ骸を大量に率いて殲滅する姿は不死の軍とさえ称される。だが、そのシ骸を集めるのにも時間はかかる。特に、シ骸は先ほどのように動いているものを辺り構わず襲う。それ故に、日光に当たって死ぬ確率も高い。シ骸の統制も、停止か起動かの命令しか送れない。碌に統率もとれない。」
「少し気になったんやけど。」
ラシアは手を挙げて発言する。
「ワイトの目的はなんなん?国を滅ぼして何の得になるん?」
「それは未だ分からない。ワイト自身、あまり活発に行動はしない。」
「じゃあ、殺さへんでも・・・」
「だが、奴らは気が向けば世界を滅ぼすことだってあり得る。そんな者たちを野放しにはできん。それに、今回はもしかしたら手遅れかもしれない。」
「もうすでに数をそろえてるみゃあ?」
「ああ。私ももっと気付くべきであった。この町はシ骸を育むのに適している。シ骸を腐敗させないための日の当たらない路地裏も多く、死体もそこらに散らばっている。」
「じゃあ、どうするん。」
「ワイトを探すのもなかなか困難だ。指令を送るために必ずこの町に潜んでいるのは間違いないが――もし、シ骸のパンデミックを阻止するのなら、指令を送られる前にワイトを殺すか、シ骸の数を減らすほかない。」
「つまりは、街中パトロールして、シ骸とワイトを殺す、と?」
「そういうことになる。だが、今は何もできない。」
日中、俺たちのできることは何もない。
「でも、よくワイトについて知ってるみゃあ。」
「私はハンターの中でも、ワイト狩りのための特務隊みたいなやつらに技術を学んだからな。顔無き射手という奴らだ。まあ、彼らは森からでない故に、その知識も無駄なのだが。」
そう言えば、俺は女について何も知らないのだなあ、と思った。
「どちらにせよ、人死にが多く出る。早く立ち去った方がいい。」
「は?何言ってんの?」
俺はラシアの怒っている顔を初めて見たかもしれない。その顔はいつものお茶らけたものではなく、本気で怒っているようだった。
「ウチらはアンタにとって足手まといでしかないんか。ウチらはあんたのなんやねん。」
「ただの同行人とストーカーだ。」
「俺、ストーカーかよみゃあ。」
ピクリとも笑わないところを見ると、冗談ではないらしい。ストーカーなあ。
「私には仲間などいない。ずっと独りだ。」
「そうか。じゃあ、もうええ。アンタに頼んだウチがバカやった。このボク連れて出てったるわ。あほー。まぬけー。」
今まで動かなかった女の表情がピクリと動く。俺は数日の間しか女と行動を共にしていないが、分かる。この人は怒らせてはいけない人だ。
「好きにしろ。」
そう言って女は出て行った。きっと、扉の外で待機しているのだろう。
「一緒に戦うて少しは仲ようなったと思とったのに・・・」
悔し気にラシアは言って、部屋の隅に陣取る。話しかけて欲しくない、と鋭い眼光で語っていた。
日中、することもないので考えるほかなかった。このままずっと日中動くこともできずただぼんやりするだけなのは苦痛だった。長く生きているゾンビはどうやって過ごしているのだろう。俺にはただ考えることしかできない。それは、幸せなことなのかもしれない。人には時間が限られていて、眠る時間さえ惜しいはずだ。でも、昼間は何もできない。できることはただ、考えるだけ。
ワイトは許せない。チュリメをポースに殺させるなど、どちらにも残酷だ。チュリメは絶望しながら死んでいったことだろう。ポースの魂は嘆きながら見守るほかなかっただろう。ポースの中に魂が宿っていたのかどうかは分からない。だが、天国から涙を流していたはずだ。
アンのことも考える。アンにとって結局ゾンビになったことは不幸でしかなかった。生き返った自分を呪ったことだろう。どうしてゾンビが生まれるのだろう。これは自然現象の一部なのだろうか。俺はその理由を知らなければならない気がした。
「もう夜や。出るで。」
バタリ、とラシアはドアを開ける。俺は急いでラシアを連れて行く。月下美人を持った。もう肌身離さないと誓って。
ドアの向こうにはもう女はいなかった。先にワイトを探しに出たのだろう。
「なあ。本気で町を離れるのかみゃあ?」
俺は怒ったままのラシアに聞いた。
「いいや。出て行かへん。」
「え?」
俺は思わず声を上げる。てっきりラシアは町を出て行くものだと思っていたからだ。
「あのボケはウチらに好きにしろって言った。なら、好きにするまでや。アイツより先にワイトを見つける。」
「ラシアって負けず嫌い?」
「負けず嫌いやない人間なんておらへん。それに、あれでも幸せやった二人をひどい目に遭わせたワイトも許さへんもん。」
理由は半々といったところだろう。
「アンタはどうする?出て行くか?」
「いや。俺もワイトを探す。」
「どうしてや?」
理由を聞かれているのは分かった。でも、俺にワイトを討ち取るほどの理由はない。チュリメとポースのことも、結局は言い訳な気がしてならなかった。
「ほっとけないみゃあ。女もラシアもこの町も。」
きっとそれだけなのだろう。俺にはそんな理由しか思いつけない。
「まだ若いなあ。でもアンタらしいで。自分に嘘を吐いとる女子さんよりかはマシや。」
「嘘?」
「ああ。あれは自分に嘘を吐いとる。間違いない。」
「どうしてそんな結論にいたるんだみゃあ?」
「それはな。女の勘や。」
この時ほど、女の勘という言葉を信用ならないと感じたことはなかった。
「とにかく、女を探すか。」
「いいや。ウチらが探すんはワイトや。好きにせえゆうたんやから、一緒に行動せんのと一緒やろ。」
「じゃあ、どうするんだみゃあ。」
「やから、ワイトを探すんやって。」
「あては?」
「あるわけないやん。そんなん、女やって同じやで。やから、みんなバラバラに行動するんやんか。」
「え?一緒に探すんじゃないみゃあ?」
「ウチとアンタも別々や。ウチはちょっと気になるところがあるし、アンタは適当に路地で死体でもつついとき。じゃあ、きいつけてな。」
そう言って女は川を沿って、町の方へと向かって行った。俺は少しの間その場でとどまって考えていたが、よくよく考えると別段考えることもなかったりする。今はとにかく動くべきで、考えている暇ではない。俺も町の方へと歩み始めた。
自分がこの場所を訪れるのは何たる皮肉か、とラシアは廃墟同然となった建物を見上げる。古城の次にこの町で高い建物は、窓ガラスが割れ、誰かが住んでいるようには思えない。かつての栄光やいかにという姿を見て、ラシアは思わず狂った笑い声を上げる。何が面白いのか分からない。何一つ面白くもない。
廃墟に足を踏み入れる。割れて一面に散らばったガラスには埃や塵が積もっていない。それは最近になって廃墟となった証拠だった。
「ブローカーの話を聞いたときにおかしいと思ったんや。そうか、そうか。でもな、それは自業自得やと思うで。」
がり、がり、と地面のガラスを打ち砕きながら中に入って行く。散らばったガラスは所々、赤黒い色をしていた。それは言うまでもなく血痕であることは間違いない。ラシアは周囲に気を配りながら階段を探し上っていく。階段を上るたび、彼女に過去の帳が舞い降りた。
ラシアが生まれた頃にはもう町は国ではなくなっていた。町が国であり、古城に王が住んでいたのは数百年前のことである。だから、この町に大規模な争いなど起こるはずがなかった。たった一つの要因を除いては。
その夜、銃声が響いた。その銃声に目を覚ました幼きラシアは真っ赤に燃えた町を見た。なにが起こっているのかは誰一人として分からなかったが、ラシアの親は、ラシアを連れて、火の手から逃げようとした。
家を出て町を走っていた折、急に銃声が聞こえた。今度はとっても間近だった。そして、冗談のようにラシアの唯一の肉親である父親は倒れた。彼の体の下からは盆に返らない牛乳のように赤い液体がその面積を広げていっていた。ラシアは父親を置いて逃げた。薄情なのは分かっていた。今でも夢に出てくる。
ラシアが逃げている最中でも、火事のことや誰かが死に行っていくことなどお構いなしといった風に銃声はずっと町に響き続けていた。
後に分かったことであるが、火事はマフィアの抗争によって引き起こされたものだった。ラシアの父親はマフィア同士の撃ちあいによる流れ弾に運悪く撃たれたのだ。
そして、ラシアは踊り子となった。
複数あるマフィアのうち、力を持っているのは二つである。ラシアはそのうちの一つの事務所がある建物を訪れていた。中には誰一人いない。皆死んでいて、死体はどれ一つとして原型をとどめていなかった。肋骨が突き出し、腹の中身のないそれは、趣味の悪いオブジェとしか思えない。廃墟を見た時からラシアは分かっていたが、マフィア同士の抗争ではあり得ない。死体の奇妙さも一因であるが、大きなマフィアが潰されたというのに町があの時のような大惨事にならないのはおかしい。ラシアは、もう一つのマフィアも同時に消されたに違いないと確信する。何ゆえにこんなことをワイトはしたのかは分からないが、ラシアはワイトに感謝していた。
「まあ。よっぽど趣味が悪いヤツなんやろうけど。」
だが、ワイトには明確な目的があるような気がしてならなかった。シ骸を集めて人が殺し合うのを喜んでみているというだけではない気がしていた。
「でもまあ。そうなるわな。」
階段の下からぞろぞろと何かが這い寄ってきている気配がした。気配を消す気もなく、その荒々しい吐息は建物中に響き渡っている。
「囲まれたか。」
階段の上からも何者かが迫っている。
「ワイトってのはよっぽど頭がいいんかな。シ骸には意思がないゆうし、こんな罠仕掛けられへんやろうからな。」
さて、どうしようか、とラシアは思案する。その姿はシ骸に囲まれているとは思えないほどに冷静沈着だった。
武器がない以上は素手で戦うほかない。だが、体が傷付くのは嫌だ。女として体に傷があるのは致命傷なのだ。治せるとは言っても、自分が死人であることを意識せざるを得ないし――
「ホンマ、アンタら。死んでも迷惑かけよって。正直、面倒臭いで。自分ら。」
ラシアは階段の手すりに手をかける。階段の手すりはしっかりとしたものではなく、簡素な造りではあったが、簡単に引っこ抜けるものではない。それを彼女は渾身の力を入れて引っこ抜く。ラシアの添えた手を支点として、手すりは折れた。メキメキと音を立て、階段から手すりは離れていく。ラシアの手に握られることとなったそれは、一本の長い強固な棒と化した。ラシアはためらわず階段の上から向かって来るシ骸を打ち付ける。手すりのついていない方向は壁となっており、肉のつぶれる奇怪な音を出しながら、シ骸はかつて手すりであった凶器と壁との間に潰される。ラシアは一仕事終えた後、背後に向かって回し蹴りを決める。ちょうど背後に襲いかかろうとしていたシ骸は一体が蹴り飛ばされると、雪崩のように下に落ちていく。大輪の花のように舞ったスカートはまるで妖精の踊りのようだった。
だが、それも一時しのぎにしかならない。階段の上からシ骸は虫のように湧いてくる。階下からも、押しつぶされたシ骸の上を踏んでさらなるシ骸が湧いてくる。潰したシ骸も手すりと壁とに挟まりながら未だ荒々しい獣の息を上げて手足をばたつかせている。
「周りのシ骸を呼び寄せてもうたか。それに、シ骸ってのは器用に頭潰さん限り死なへんみたいや。ワイト倒せばみんな死ぬ、なんておとぎ話みたいなことあったら楽やけど。」
肩をすくめてラシアは言った。上下に群がるシ骸はそんな不敵なラシアを警戒するように一瞬動きを止めたが、契機とばかりに、襲いかかる。ラシアはなすすべなくシ骸の群れに飲み込まれた――
「やと思った?残念。ラシアちゃんでしたッ!」
ラシアは先ほどまでいた階段の上の方の壁に腕を貫通させていた。そして、虫を見るようにシ骸どもを見下ろしている。標的を失ったシ骸は、互いにもみ合い、食い合い、終いには階段から落ちていく。群がる蛆の方がマシやわ、とラシアは呟く。その後、ラシアは壁を垂直に歩行するように小鹿のような足を壁に貫通させて歩き出す。シ骸は予想外のことにどうすることもなく虚空に手を伸ばし、雨ごいをするように喘いでいた。
「さあて。何か武器がいるなあ。」
最上階、一番偉いボスがいたのであろう部屋に到達する。部屋に入った瞬間シ骸が飛び出してくるので、ラシアは近くにあった花瓶でシ骸を打つ。何やら白っぽいものを頭から飛び散らせて倒れたシ骸はもうピクリとも動かなかった。
「何やら、大事そうにケースに入れとるもんがあるなあ。銃かな。」
ボスの机の上。大事そうにアタッシュケースが鎮座されていた。人の両手を伸ばしても足りないほどの長さであるそれは、とんでもない得物であることを期待させる。
ラシアはアタッシュケースを開ける。
「なんやこれは!」
それは驚きではない。確かに驚きではあったが、期待させておいて、という類の最上版である。ほとんどツッコミだ。
ラシアの前に現れたのは、箒だった。最高級の箒なのか、表面はひどく整い、毛の部分は動物の毛でも使っているのかと疑うくらいに美しく滑らかだった。柄の部分は竹でできていて、光沢もさることながら、そのしなりは何者も負けないという威厳を漂わせていた。
「はあ。しゃあない。これを使うしかないか。」
ラシアは箒を振り回す。背後に立ったシ骸に激突し、シ骸は思いのほか遠くに吹き飛ばされる。
「あんまり力入れてへんのに・・・まさか、この箒のおかげか。バカにして悪かったなあ。これからアンタがウチのダーリンや。ほないこか。ダーリン。」
餅のような肌で抱擁を済ませた後、ラシアはシ骸たちを一掃し始めた。箒に打ち据えられたシ骸たちは宙に投げ出される。その際、もう体が動かないほどに内部を破壊された。
「ヒャッハーッ!汚物は消毒やでッ!」
ラシア無双が始まった。
夜の教会ほど味気ないものはない。暗い講堂はただ暗いだけの空洞と化す。せめて月でも出ていれば華麗なステンドグラスでも見れるのに、と思い、それはない、と女は否定する。ステンドグラスはひどく汚れていた。例え月が出ていたとしても綺麗には映るまい。そんな中、彼女の周りには無数のシ骸が徘徊していた。
「ワイトほど逃げ足の速い者はいないわけだ。しかし、いつから教会は乗っ取られていた。」
礼拝や冠婚葬祭のときにしか使わない教会は隠れ蓑としてはちょうどよく、シ骸の保管場所には持ってこいである。だが、人通りが全くないわけではない。参った人間を一々殺していれば噂になってしまうはずだが――
「何らかの能力を使ったか。相手のレベルが分からない以上、迂闊に手を出せば犬死しかねない。できれば鉢合わせしないことを願う。」
四つん這いになって女の様子を窺っているシ骸は女の口が止まるのを待っていたかのように女に襲いかかる。
「何もかもが気に食わない。」
女はマントを翻し、むき出しになった太もものホルスターから拳銃を取り出す。
「手の内をあまり明かしたくはないが、つべこべ言っていられない、か。」
彼女が拳銃を抜くことはまれであった。ライフルだけでは切り抜けられない、そんな危機に瀕した時であり、今がそうなのであった。彼女の戦いは常に戦う前から勝敗が決まっている。そもそも、彼女が敵と対峙することこそまれなのだ。敵の感知できないところで見つけられないうちに魂を狩る。大抵は十丁ものライフルで凌ぐのだが、今回は戦う前から油断は禁物であると考えていた。チュリメの時から気がついていたが、彼女の知るシ骸と今回のシ骸は少し違う。シ骸は基本的に二足歩行で、ほとんど音だけで獲物を識別している。だが、彼女の対峙している四つん這いのシ骸たちは匂いも音も、光も認識しているようだった。彼女が相手をしてきたシ骸より知能も高そうである。
大口径のハンドライフルが火を噴く。シ骸の頭はスイカを吹き飛ばしたように炸裂する。それを合図とするように天井に張り付いていたシ骸が蛭のように頭上から女に降りかかる。腕がもう二本あればなあ、と女は思った。まず、地面に這いつくばるシ骸を四体、自分から近い順に撃ち殺す。反動の大きなハンドライフルは次の弾を撃つのに時間がかかる。その反動を無理矢理ゾンビのバカ力で抑え込むのだから、手足がしびれたようになる。ゾンビに痛みや感覚はないから、気のせいか肉体の内部に損傷が起きたかだろう。だが、女にはそれを気にしている暇はない。天井に向けて四発。女に向かって落ちてくるモノから撃ち抜く。後はもう左手に一発しか残っていない。どうしようかと一瞬迷って、足を狙ってきたシ骸を思いっきり蹴飛ばす。次に右腕を狙ってきたシ骸を天から地へと振り落とした鉄槌で始末する。大口径の銃を握ったままの拳は文字通り鉄槌だった。振り下ろす鉄槌と共に銃も手放す。装填する暇はない。大口径の銃はなかなか希少価値が高いが、彼女にとっては使い捨てのフィルムカメラより劣る。左から迫るシ骸に最後の銃弾を叩きこむ。そして、左手の銃を手放し、その銃が地面に触れる前に腰の背後に隠してあるホルスターから大口径の拳銃を取り出す。大口径の銃を隠し持ちながら、それを感じさせずに過ごすのには骨が折れる。ただでさえ自分の胴回りより長い代物なのだ。それに銃弾を込めると相当な重さになり、体のバランスが取りづらくなる。ゾンビが重さがどうこう言うのは滑稽だが、女は力があまりない。ラシアや少年であればハンドライフルの反動などないに等しい動作で扱って見せるだろう。それが彼女が拳銃の類を好まない理由の一つであった。
針に糸を通すような集中力でシ骸の頭部を砕く。一発無駄にすれば命を失う。そんな緊張感で女は胃が痛くなる。ゾンビになっても精神的な不調はあるのだな、と女は笑いたくなったが、全てが終わってからにしようと決めていた。笑えるほどの状況ではないし、笑って手元が狂ったりでもすれば、それこそ少しも笑えない。
肘が、肩が、手首が、銃を撃ち、反動を抑えるたびに軋む。それは不吉な音で、だんだんと大きくなってくる。死のリミットを告げている奇妙な鐘だった。
全て撃ち尽くす。銃を捨てようと思って掌を広げると、銃が落ちない。どうしたのか、と女は自分の手の先を見ると、銃のグリップが彼女の手に食い込んでいた。食い込んだ深さを鑑みると、骨まで達しているに違いない。そして、骨さえも粉々にくだいているだろう。
「くそったれが!」
女はまず、右手から拳銃を引き抜き、シ骸の頭部に投げつける。シ骸の頭部は吹っ飛び、シ骸はピクリとも動かなくなった。ついでもう一歩の拳銃を投げつける。またもやシ骸の頭部に当たる。
これで、彼女に残された手は一つしかなくなった。女はためらいがちに溜息を吐いた後、背後のバッグからライフルを二丁取り出す。愛用のライフルは砕けた手にもなじむ。そして、両手を水平に掲げ、そのままその場で回転し始めた。独楽のように回転する彼女をぼんやりと眺めていたシ骸は、頭部を破壊される。彼女の周りのシ骸は次々に頭部を破壊されていった。何事が起ったのかシ骸が理解する前に、全てのシ骸はただの死骸と化していた。
「師匠に殺されるな。」
地面に落ちたライフルを拾い、弾を込めながら、女は溜息を吐く。そして、笑う。そして、またすぐに真顔に戻る。
「少しも優雅じゃないから使うなって言われていたもんな。」
ひとりごちに呟いた声は、ひどくあどけない響きを持っていた。彼女本来の幼さを取り戻したひと時であった。
忍び寄る、ということに特化してしまった自分が情けない。
忍び寄る基本その一。足音を立てない。これは基本中の基本だ。だが、意外と難しい。まず、重要なのは足をつま先から出し地に着けること。踵からであると一気に重心を傾けてしまうため、足音を立てがちになってしまうし、重心を一方に傾けすぎると咄嗟の事態に回避が困難となる。怒っている父親の目に触れないようにするために学んだ技である。
忍び寄る基本その二。呼吸の整え、なるべくゆっくり呼吸する。人の気配というものは物音よりもよく分からない生命反応を直感的に感じ取っている節がある。故に、気配を周りの無機物や植物に同化させる。そのために呼吸をゆっくりにする。それだけで、感知されにくくなる。
そして、最後。忍び寄る基本その三。視線を投げかけない。追跡している本人や行動を直視せず、少し離れた場所を見る。だが、それが俺にはできなかった。
路地に入り、物音を聞きつけた俺は忍び寄る基本にのっとり、物音を立てず、呼吸を乱さずゆく。呼吸はしなくても構わないが、生前の習慣か、未だ興奮すると呼吸をしてしまう。腐敗を早めると諫められたが。
そして、なるべく相手を見ないようにしながら、少し頭を出して様子を見る。路地にいたのは男だった。髪を逆なで、衣服にはじゃらじゃらと鎖をつけている。耳には金のイヤリング。大き目のつけものから言って、メッキであることは間違いない。そんな男は暗い路地の死体を眺めていた。顎に手を当ててさする姿は品定めをしているようで不気味である。その男の視線の先には、路地裏恒例の死体だった。路地裏を探し始めて初めのうちは自然に死んでいった死体たちに不気味さしか感じなかったが、外傷もなくミイラのように風化していくだけの亡骸はそのうち、神秘性を帯びているかのように感じ始めた。きっと兄弟だったのだろう。肉の削げ落ちた死骸はしっかりと手を握り合い、頭を互いに預けている。そんな二人を男は見ていた。
「―――」
男は何か言ったようだったが、聞こえない。そして、男は二人に手を差し出す。眼球のない顔面に向かって二回、手を振りかざす。それを二人ともに施す。計四回死体に手を振りかざした後、変化は起きた。
周りの音が失われたかに感じた。死体だったものは動き出し、天に向かって咆哮する。だが、声は聞こえない。否。聞こえているがそれが甲高過ぎて、耳が聞き取ることを拒んでいる。その光景はこの世に生を受けた赤ん坊の産声と形容する者もいるかもしれないが、俺の耳にはこの世を恨む呪詛のようにしか聞こえなかった。魂が泣いていた。
「誰だ。」
振り返った男と俺の視線はぶつかる。はっと息を飲む。これで完全に気付かれてしまった。
逃げるか殺るか。二択に迫られる。だが、ワイトが女の言う通り大量のシ骸を操るのなら、簡単には逃げおおせないだろう。何より、目の前の敵に背中を見せるのは危険だ。
一撃必殺をねらい、俺は能力で速度を増し、男の前に出る。そして、剣を抜き、その勢いで男をぶった切る。
だが、男は斬れなかった。想像では真っ二つになった男の胴体はきちんとつながっている。目の前で剣の行方を遮っているものがある。それは、鎖だった。
「逃げなかったことだけは誉めてやろう。それ以外は、全然ダメダメだ。」
男は両手を突き出し剣を受け止めていた。そして、そのまま剣を押さえつけるように体重をかけて、宙に跳ぶ。その動きは身軽で、実際俺の剣には少しの力しかかかっていなかった。男は、いや、ワイトは俺に何かを投げつける。片手にひとつずつ持っていたそれを交互に投げつける。俺はそれを月下美人で弾く。キイン、キイン、と金属のぶつかり合う耳障りな音が響いた。その攻撃はさきほど男がかけた体重に対して比べ物にならないほど重い二撃だった。
がじっ。
聞きたくもない音が聞こえる。その音はあろうことか俺の体から発せられている。俺は頭を左に向ける。そこには俺の左肩を齧って離さない、眼球のないシ骸があった。ミシミシと俺の肩に深く歯を食い込ませている。俺は下から上へ剣を振る。シ骸の胴体は力なく地面に落ちる。だが、頭部を失っても手足をじたばたさせていた。その光景はまるで新種の軟体生物を見ているようで生理的に気持ちが悪くなる。俺は自分の首元に月下美人の刃を当てて、未だ食い込んでいるシ骸の頭部を横に両断する。食い込んだ歯を抜いている余裕はない。シ骸はもう一匹いる。
背中への衝撃。背中に歯が食い込む。シ骸は俺の背中に絡みつこうとするので、体を振って引き離す。そして、容赦なくシ骸の首を落とす。人の歯は獣のように鋭くとがっていないので、早く振り払えば肉をそがれることはないようだった。痛みが無くてよかったと初めて感謝した瞬間だった。
「そんなんじゃ、俺は殺せない。」
男の手には投げた得物が戻ってきていた。それは鎖に繋がっていて、男の体に巻き付いている鎖を引くと男の手に戻ってくるのだった。鎖鎌というものだろう。
「お前ごとき、ここで殺すのは造作もないが、ハンターってのは面倒臭い。お前が帰ってこなければ、俺を狙いにこの町に集結するだろう。だから、その前に全てを終わらせる。」
その時の奇妙な感覚をなんと形容すればいいのだろうか。
男を中心として奇妙な感覚が町を包んだ。世界が塗りつぶされるような恐怖。俺に襲いかかってきた感情はそれだった。俺はとんでもないことをしでかしたのかもしれない、と思った。
町全体に脈動が起こった。それは人々にも感じられるほどの違和感。寝ている人間さえ目を覚ます。だが、それは不幸にしかならない。
終わりが始まろうとしていた。
「お前も最期だから聞いておこう。」
男は満身創痍の俺に話しかける。
「お前も生きて帰っては来られないだろうからな。お前、俺を恐れていないな。お前には恐怖が欠如している。」
そんなことはない。怖くないなんてこと、あるはずがない。
「ゾンビにも二種類いてな。死んだ時の事がトラウマで死ぬのが怖いって奴と、一度死んだから怖くなんかないってヤツだ。お前、何故死んだ。」
男は答えを聞く気もなく、軽々と宙に浮く。そして、落下しかけたところを、鎖鎌で建物に鎖の綱を引き足場を作り、さらに上へと上がっていく。
「お前みたいなタイプは決して勇者にはなれない。何故なら、勇者は恐怖に抗うものだからな。もとより恐怖を感じない奴には勇気なんてないんだよ。」
そう言い残して、ワイトは虚空へと姿を消す。男が何故そんな言葉を俺に残して行ったのか謎だった。
「生きて帰れるかみゃあ。死んでるけど。」
うじゃうじゃと、しなくてもいい呼吸をしながらシ骸が集まってくる。見渡す限りのシ骸。数を数えられない。この国にこれほどの死者がいたということに単純に驚かされる。
二足で歩く瞳のない目で俺を見て、欠如した体を引きずって向かって来る。そこに俺たちゾンビと違い、意思がない事は簡単に見て取れる。ただ、何かを殺すだけの無機質な物質と成り果てていた。まっすぐ向かって来るシ骸の首を落とす。何匹も、何匹も。シ骸の一匹一匹は決して強くはない。ただ、同時に攻撃をされればなす術はなくなる。だから、一匹一匹確実に殺していった。俺の左腕はだらりと垂れさがり、言うことを聞いてもらえそうもない。右腕だけで剣を持ち、シ骸を斬る。シ骸を切った衝撃で左腕がミシミシと悲鳴を上げる。その悲鳴は俺が倒されるまでには時間はあまりかからない、と無情にも告げていた。
路地裏は圧倒的に不利であった。次から次へとシ骸が湧いてき、袋小路であるから逃げ場もない。圧倒的物量にシ骸の壁を築かれたら、もうどうしようもない。とにかく、早く路地裏から大通りまで出て行かなければならないと感じた。迫りくるシ骸を睨みながら思案する。能力を使えば切り抜けられるだろうか、と。俺はゲージを見る。すでに三分の一が減っていた。傷付いた体で能力を使えば5分で腐敗してしまうだろうと算段をつける。本当のところはどうなのかわからない。もっと短いかもしれないし、長いかもしれない。だが、いずれにせよ、長く使っていられるものではない。まさに一撃必殺というところか。
シ骸が俺に向けて頭から突進してくる。その一体に向けて、俺は体当たり覚悟で進む。そして、見切りをつけてジャンプし、左足をシ骸向けて伸ばす。左足は見事シ骸の肩を捉え、そのままシ骸を踏み台にしてシ骸の川を渡っていく。腐敗という概念がどう発生しているのか、頭を踏んだだけで崩れるようなシ骸もあった。シ骸の川に落ちれば命はない。なるべく慎重に、注意を払いながら、シ骸を踏み台にして、路地裏を抜けていった。
路地裏を抜けた瞬間、俺は愕然とした。大通りにもシ骸はいた。路地裏より密度は少ない。だが、見渡す限りのシ骸に心がくじけそうになる。路地裏からまだまだシ骸が出てくる。使徒人の悲鳴。
一人、俺の前に人が倒れた。俺は助けようと思って、手遅れであることを知る。もう、彼女には足がない。雑な断面から、足は食いちぎられたに違いなかった。
「助けて。」
その言葉には意味がなかった。きっと、出血多量でいずれ死ぬし、俺が助ける前に、シ骸が彼女を食い殺してしまった。血飛沫が顔にかかる。熱い。その血飛沫は血のかかったところだけ俺の腐敗を早めた。だが、シ骸が女性を物体に変えてしまう頃には、もう冷たい液体になっていた。どろりと、赤黒く変色して。
逃げ惑う人の悲鳴とシ骸の甲高い奇声が街中に響き渡る。悲鳴はすぐさま消え、そして、再び別の悲鳴が響き渡る。その繰り返しだった。中には、武器を持って戦うものもいたが、シ骸の恐ろしい形相に、腰を抜かしている。そして、無限に湧きおこるシ骸と戦うことなど無意味なのだ。
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄」
頭の中で響いていると思っていたその声は、俺が呟いていたものだった。
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄。」
目の前で散りゆく命がたくさんあった。二度と笑うことも、泣くこともないものが、その破片が通りに一杯並んでいる。また、一人、恐怖で泣きじゃくっていた子どもが鮮血を噴き出す。
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄。」
助けることは無駄だった。この惨劇はワイトを殺すまで終わらない。だから、見捨てた。ワイトの言うことは正しいかったのだと思う。俺は勇者になんかなれはしない。勇者であったら、人々を助け、敵を根絶しただろう。だが、俺にはできない。そんな力量もないし、それをするだけの理由がないのだ。
そう。俺の中に恐怖なんて存在しなかった。ただ、悲しいだけ。人が死んでいくのが悲しかっただけ。俺と同じような目に遭う人がいるのが悲しかっただけ。きっと勇者は人が死んでいくのが怖いから、助けるんだと思った。考えるより先に体が動くのだろう。でも、俺は勇者にはなれないから――
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄――――」
ただ、前に進むだけだった。ワイトの向かった方へと。俺にはそれしかできないから。だから、人々を見捨てて、前へ進む。
そんな中、ずっと頭の中によぎっていたのは、仲間のことだった。仲間。あの二人は俺のことを仲間だとは思っていないかもしれない。女は名前も知らない。ラシアはただ、人間に戻りたいから俺たちを利用しているだけだ。でも、俺には大切な人になっていた。
シ骸に囲まれる。中身のない人形。俺の命が危ない中、考えるのは仲間のことばかりだった。二人は無事なのだろうか。こんな救いのない状況で浮かんでくるのは最悪の状況。辺りに転がっている人の血まみれの顔が二人の顔に見えてくる。もう、生きてはいないのか。また、置いてきぼりなのか。また、何も知らないまま死んでしまうのか。
むやみやたらにシ骸の首を斬る。彼らも生きていた時代があったのだろう。だから、なんなのだろうか。こいつらは俺の大切な人を奪っていく邪悪なのだ――
直感なんてものが俺に備わっていることに驚いた。きっと興奮していて神経が研ぎ澄まされたとかそういうものだろう。
振り向いたとき、俺の目の前に顔があった。髪の長い、かつては女性であっただろう顔。黒い髪は生前の美しさはなく、ぼさぼさになり、所々頭皮が見えてしまっている。口は頬の皮膚を引き裂いて人の開けられる口の大きさを大きく凌駕してしまっていた。
俺の顔は食われる。そんなこと、よく分かった。それが自分が切り落とした首によって遂げられることに、何の違和感も覚えなかった。これが俺の二度目の人生の終わりなのだ。生きるために殺しまくった。その因果の応報。それを覚悟しなくちゃいけなかったんだ。でも、逃げて考えないようにして。怖いから逃げていた。でも、それは死ぬまえだって同じだった。俺は自分が生きるためには誰かを傷付けなければならなかった。俺を虐げた者たちを自分を守る為に虐げなければならなかった。しかし、それから逃げた。逃げ続けて、そして、自分が死ぬことを選んだ。それはある意味正しい。でも間違っている。誰かを殺して生きることは間違っている。でも、正しいのかもしれない。誰だってそうしてきた。そうして生きてきた。でも、俺にとってはとっても悲しい。だって、それは俺がされてきたことを誰かにするのだから。
それは、雷が落ちる瞬間に似ていた。瞬間的に響き、そして、目の前が一変する。
「シ骸は首になっても襲ってくる。ヤマイヌのようにな。」
二度と見ることもない、と思っていた姿。頬は煤か土かに汚れて、美しいとは言えない。だが、それでも女は美しかった。あの日、初めて女の顔をまじまじと眺めた時から美しいと感じていた。整った顔立ち。まだあどけなさが残るながらも、自身の足で歩いてきたことがよく分かる、凛々しさ。そんな姿に俺は惚れていたんだ。俺とは違う強い姿に――
「いやあ、お取込み中のところ悪いんやけど、ウチもおるんやで。勝手にいい雰囲気にならんでくれる?」
「いたんだみゃあ。」
ちゃっかりラシアもついてきていた。
「さて、どうする?」
女はシ骸に取り囲まれている中でも冷静に言った。その図太さは感服する。そして、その冷静さに俺も正気を取り戻していた。
襲いかかるシ骸の首を落とす。その首が地面に落ちる前にもう一閃。頭を縦に半分に割る。濁った中身が飛び散る。決して気持ちのいいものではない。
「ワイトを見たみゃあ。」
「殺した・・・訳はないなあ。」
「よく生きていたものだ。」
ラシアは箒でシ骸の頭を叩く。シ骸の頭は爆発する。どれほどの怪力なのか計り知れない。なるべく逆らわないでおこうと思った。
「私に作戦がある。私であればワイトを遠くからでも撃ち殺せるだろう。この町は射程内だ。ラシア。お前は町を暴れまくれ。それでワイトを燻りだす。坊主は私の守護だ。私は接近戦に向かない。だから、お前が私を守れ。」
「女の子に向かって暴れまくれはないんやない?」
「バーサーカー女。」
「なんやて?」
また、こんな感じか。でも、懐かしくって嬉しい。
「何を笑っている。」
女に言われて俺は驚いた。俺は自然と笑ってしまっていたらしい。
「いや。嬉しくって。なんだか家族みたいだみゃあ。」
「家族な。」
「家族ね。」
なんだか二人の顔は暗く沈む。だが、急に笑顔を見せて、俺の頭を小突く。
「ま、アンタらしいな。ちょっと残念やけど。なあ?」
ラシアは女に意見を求める。だが、女はそっぽを向く。その口元には笑みが浮かんでいる。
「ワイトは鎖がじゃらじゃらで、頭がツンツン。武器は鎖鎌。身軽でよく跳ぶ。」
「また独創的なヤツやな。」
ラシアはシ骸の頭を潰す。俺も習って二撃。
「ウチはもう行くで。二人仲良くな。」
ラシアはシ骸の群れに向かって行く。やはり肝が据わっている。
「なあ――」
こんな時に場違いかもしれないが、やっとふたりきりになれたのだ。聞いておきたいことがあった。そんな俺の言葉を彼女は遮る。
「私は処女ではない。」
女は銃を手にしてシ骸の群れに向かって行く。急に女が変なことを言うのでシ骸にやられそうになった。
「終わってからゆっくり話そう。」
女は俺に背を向けて言う。
「そうだみゃあ。だから――」
俺の心は弾んでいた。こんな状況だからこそ。
「お互い生き残ろう。」
女はひときわ大きな建物を目指している。俺の役目はその建物にシ骸を寄せ付けないことだ。生き残ろうなんて死んでいるのに、と滑稽には思うものの、誰一人としてもう一度死にたいなどと思いはしない。俺たちは生きるんだ。二度目の生を二度と嘆きはしない。
「コイツ、いつからこの町におったんやろ。」
箒を振り回し、シ骸を塵のように吹き飛ばしながらラシアは言う。過度の運動のせいかゲージがだんだんと減っていっている。体内の温度が上がっているのだ。
「はよでてきてんか?ワイトさん。」
答えが返ってくるとは思ってはいない。だが、無言で人殺しをするのは趣味ではなかった。
「俺に用か?」
「まさか出てきてくれるとはな。まあ、でも――」
ワイトは敷いた鎖の上に犬座りをしてラシアを見下ろしていた。確かにツンツン頭に鎖ジャラジャラだが――
「思った以上にダサいな。」
「喧嘩売ってるのか。」
男の背は低かった。これではまるでゴブリンがチャラ男になってみました、みたいな。
「喧嘩をうっとるんはそっちやろう。はよ、シ骸を止めえな。やないと、命はないで。」
これは警告のつもりだった。
「黙れ。アバズレ。」
「なんやて?」
急に空気が重苦しくなる。それの変容ぶりは、ワイトを怯えさせるには十分だった。
「やるのか?俺のレベルは30なんだぞ?」
「アンタ、なんでこんなことをするんや?最後に聞いといてやる。」
はは、とワイトは笑った。そして、言う。
「レベルが30にもなると、レベルアップにも手間がかかる。町の人間を皆殺しにしなくちゃならないほどにな。」
「見た感じ、腐敗が進んでるってわけじゃあなさそうやけど?」
ああ、と何が面白いのか笑顔で言う。
「俺が生活に困って殺していると。はは。お人よしだな。俺はな強くなりたいんだよ。誰にも負けないくらいな。だから、お前みたいな虫けらが俺に突っかかってくるのは無性に腹が立つんだ。」
ははは、とラシアは高らかに笑う。
「何がおかしいんだよ。」
「もう、笑わさんといてえな。アンタが少しも怖くない理由がようわかったわ。この負け犬気質が。力を手に入れたからって調子こいてんじゃねえよ。」
ワイトはいけない、と気を取り戻す。気の強い女は苦手なのだ。
「お前は俺が直接手を下してやるよ。」
シ骸たちは王の御前かのように路地から消えていく。偉そうに降りてくる姿がラシアの癇に障る。
ワイトが地面に足をつけた瞬間、ラシアはイノシシの如く前へ突き進む。そして、ラシアの箒はワイトの体を捉えて――ワイトを叩き潰す前に阻まれる。鎖が盾のように壁を作り、ラシアの攻撃を防いだ。そして、ワイトは両手の鎖鎌をラシアに向かって投げる。ラシアは為すすべなく、鎖に体を縛られる。片方の鎖がラシアの脇腹に刺さる。
「ほう。よく見ればいい女じゃないか。大人しくしていれば可愛がってやるよ。」
ワイトはラシアの顎を掴んで言う。視線はラシアの胸に釘付けだった。
「ん?なんだ?」
ラシアが何かを呟いているのでワイトは少し不気味に思った。
「恋する乙女の、パワーを、嘗めるなああああああああああ。」
「え、マジ?」
ラシアは力任せに体に巻き付いている鎖を弾き飛ばす。そんな時にワイトが見ていたのは彼女の揺れる胸だった。若々しい弾力は彼の心を掴んで、そして――
ワイトは箒で天高く打ち上げられる。咄嗟に腕で防いだのでダメージはなかったものの――
天高く昇ったワイトを高速の槍が貫いた――
遠くからラシアが蹴散らしたシ骸が飛び上がるのが見える。箒で蹴散らす姿は掃除で埃を舞い散らしている姿を想起させる。
「早くしてくれみゃあ。」
俺の体は限界に近い。でも、シ骸は減らない。銃で女が援護してくれているものの、銃で殺せる数には限界がある。銃弾もどれほど残っているのかは分からない。その時、ラシアの動きが止まったようだった。やられたのか、ワイトを見つけたのか。でも、そんなことを気にしていられるほど余裕はない。左肩は心臓近くまでキズが広がっている。早く治してほしいものだと全てが終わった時の事を考えていた。この戦いが終われば俺たちはどうするのだろう。ラシアの願いを叶えるために諸国を漫遊するのだろうか。それは楽しいことのように思えた。まだ終わってはいないけれど、そうやって未来のことを考えていないとやってはいけない。
そんな時、空に何かが浮かんだのが見て取れた。
女は標的を確認した。落下速度と距離と弾速を考え、男を狙い撃つ。数キロ先であれば、彼女の放つ銃弾は威力を落とさない。それが彼女のもう一つの能力であった。
指に力を込め、銃弾を放つ。一発、二発、三発。そこで止めるつもりであったが、残りの二発も撃ってしまっていた。頭は狙わない。他のワイトとワイトキングの居場所を聞き出すためだ。女は二人に申し訳なく思った。彼らの願いは早く争いを終わらせることだ。ワイトを殺すことだ。だが、彼女には使命がある――
ワイトが地に落ちる前に、何者かが現れ、彼の体を近くの建物まで運ぶ。その何者かは急に虚空に現れた。どこからか現れれば彼女に分かる。だが、急に現れたとしか言い表せない状態だった。
「あいつは――」
女はその何者かに見覚えがあった。
そして、戦いは終わりを告げた――
「は?」
ワイトは何が起こったのか理解できなかった。体を何かが貫いたこともそうだが、目の前にその男がいることが一番よく分からないことだった。
「ワイトマスター・・・?」
どうしてこの男がいるのだ。ワイト最強の男が。
「ワイトキングは騒ぎを快く思っていない。だが、そんなことは俺には関係がない。俺はおまえを倒すことでハンターがレベルアップすることを許すわけにはいかない。だから――」
ワイトはその男に首を落とされた。手刀で一閃。それだけで事足りた。景色が急に降りていく。地に落ちる。その間際、ワイトが見たのは炎に包まれた自分の体だった。
シ骸は全て崩れ落ちた。それが戦いが終わったことを告げる勝鬨だった。だが、俺は屋根に上っている男の姿に釘付けになった。出てきた白銀の月に照らされるコート。姿はあまりよく見えない。だが、それの影は強大で、まるで、死神のように感じた。そして、男は初めからそんなところにはいなかったかのように姿を消した。