俺は死にました!
2俺は死にました!
「どうして生きている。」
開口一番に俺はそう言った。その声は非常に発しにくかった。何故なら、俺の首には縄がかかっているからだ。しばらく、俺は宙づりのままでいた。でも、何も変わらないので、とりあえず、宙づりから脱却する。
俺はしばらく、輪っかを作った縄を見つめていた。その先は竹に繋がっている。その輪っかにはまあるい月が丁度輪っかに納まるように浮かんでいた。輪っかの下の地面にはなにか得体のしれぬものが落ちていた。それはどう見ても汚物であるのに、臭いはしなかった。まるで、今さっき排泄されたかのように、テラテラとてかっている。俺は自分のズボンを見た。茶色く汚れている。それを確認するとともに、俺は慌ててズボンを脱いだ。人仕事終わった気分で一息すると、太ももの内側に、ぺちゃっという感触があった。実際には感触なんてなかったが、異様な雰囲気がして、股を見ると、粗末な象さんの奥に、得も言われぬ、極太のミミズが顔を出していた。それは、俺の二つの丘陵から飛び出している。
「うぎゃあ。」
蛙を踏み潰したような声を上げた。それとともに、背中から腕を回し、自分の尻を確認する。ミミズは俺の尻から出ていた。それが何なのかが分かった。俺は無我夢中でミミズを俺の穴の中に押し戻す。
「何なんだよ。これは。」
少し落ち着くと、俺は悲しい気持ちに支配される。自殺が失敗したからだ。どういう理屈か分からないが、俺は生きている。それも、生きている時よりもみじめな姿だ。こんな糞にまみれたズボンを穿いて帰るわけにはいかない。冬迫る寒空のもと、俺は象の鼻を自由にさせて、里に帰ることにした。不思議なことに、寒さは感じなかった。
里までは随分と遠かった。恐らく、陽が上る前までには帰れそうもない。人知れず死のうとしたのだから、仕方がない。行きは暗くて、途中で何度も足を取られ死にかけた山道だったが、帰りは何もかもが見えた。月が出ているからではあるまい。行きも月は出ていたが、影になる場所はあり、そんな場所は何一つ見えなかったのだが、今は夜でも昼間のように垣間見ることができる。
だから、その人物は遠くからでもはっきりと認識することができた。
数年前から少しも変わっていない姿。それはいつの時代も同じ様で、祖父が子どもの頃も老人であったという。その老人の若いころを誰も知らず、その素性さえ分からない。仙人などと親しく語られることはなく、悪魔の使いやら、化け物やらと卑下されている。
老人も俺のことを見つけたようだった。老人は火さえ焚かずにこちらを見据えている。目が見えるといっても、俺と同じように見えていない限りは視認できないはずだ。
俺は老人を無視して通り過ぎたかったが、人懐っこい笑顔で話しかけられては、逃げられようもない。
「よう。坊主。調子はどうじゃ?」
老人というのはなぜ語尾にじゃをつけるのだろう。そして、どうして老人の頭上にはなんだかよく分からないものが浮かんでいるのだろう。
「これが気になるか?」
ふぉっふぉっふぉ、と老人は笑う。
「お前にもついているぞ。」
俺は慌てて自分の頭の上を見る。見えにくいが、水平方向に棒状のものが浮かんでいる。
「お前の身に起こったことについてはおいおい説明してやろう。今は、ワシの家に来い。」
「どうして?」
俺は不審に思い、いや、恐怖して言った。子どもたちの噂では、神隠しはこの老人の仕業となっていたからである。老人の家にはさらった子供の死体が干し肉にして吊るしてある、なんて言われている。
「里に着く前に陽が上ってしまうからじゃよ。」
目の前の老人は人を殺すような悪い人間には見えなかった。それに、老人の言葉も気にかかった。老人の言いぶりでは、俺の身には何かが起こっているらしい。穴から極太のミミズが出てきたことを思い出して、この老人であれば何とかしてくれるかもしれない、などと期待した。
俺は老人の後をついていった。老人は何も話さず、俺も話すことはなかった。老人が山道を剃れて、獣道を行くので、辟易したが、いつもより体は軽いように感じたので、あまり苦ではなかった。
山の端が青くなりかけていた。もうすぐ夜が明ける。すると、眠くなってきた。夜中にあまり眠くならなかった方が不思議だった。あの場所を選んだのは眠たくて動けなくなりそうだったからである。首を吊ったから眠たくなくなったのだろう。そんなバカな話があるか。
「もうすぐじゃよ。」
老人のもうすぐはあてにならない、と思っていたが、本当にもうすぐだった。数メートル先に進むと、木々はなくなり、ぽつんと一つ家があった。独り暮らしにしては少し大き目で、俺が思っていた以上に立派だった。屋根があれば充分なものだろうと高をくくっていたが、柱は新しい方だし、瓦も剥げ落ちてはいない。古いことには古いのだろうが、しっかりと手入れがなされているという感じだった。だが、家の造りと雰囲気は何世紀も前のもので、何度も補修を繰り返してきたのかもしれないと感じた。
「一番奥の部屋に行きなさい。」
その言葉に俺は震え上がる。一番奥の部屋は一番逃げにくい。
「直に朝日が差してくる。」
どうも老人は日光を気にしているようだと俺は気付いた。不思議ではあったが、その事柄については不信感を抱くことはなかった。仕方なく、俺は奥へ奥へと進む。常に背後には気を付けた。家には誰もいない様子だったが、老人の仲間が襲いかかってくるかもしれない。
老人は最奥の部屋の襖をあけ放つ。早く入れと無言で促すので、緊張しながら、部屋に足を踏み入れる。きっと光も何も差さず、真っ暗であろう部屋には、先客がいた。ぼろい布のマントを羽織り、顔はフードですっぽり覆われている。
「私は邪魔か?」
「いいや。おっていい。直に陽は上るから。」
先客は言葉を発した。そして、俺の方をちらと見た後、
「ワイトの仕業か?」
と言った。その言葉に俺はビクンと反応する。それを見て、先客は不審に思ったようだった。
「いいや。違うじゃろう。この子は何も分かってはおらん。」
老人の言葉にやや不満そうな体を表しながら、先客はそれきり黙った。静かな寝息が聞こえるので、眠ったようだった。その吐息に釣られて、俺の意識もあやふやになる。
「すまんな、坊主。もう少し我慢してくれ。」
俺が眠たくて仕方がないのを見越したように老人は言った。
「では、話すとしよう。坊主。お前は死んだ。」
それは衝撃的な言葉だった。しかし、俺はそれを冷静に受け止めた。むしろ、納得がいったくらいである。
「じゃあ、今の俺は――」
「つまるところ、死体じゃ。でも、動いておる。だが、生きておるとは言えん。」
老人はきっぱりと断言する。その言葉に嘘偽りはない。それどころか、わが身のことのように話した。
「そろそろ眠気も限界じゃろうから、さっと全て話す。まず、死体はそのうち腐る。その腐敗度合いを表すのが頭上のゲージじゃ。我々ゾンビにしかそれは見えない。ゲージがゼロになった時、ゾンビは腐り果てて死ぬ。じゃが、それ以外では決して死ねない。ゾンビは日光に弱く、日光に触れると、ゲージが急速に減っていく。そしたら、その内死ぬ。お前が眠くなっているのも、昼間は体を動かすな、と警告しておるのじゃ。あと、キズも治らない。生きてはおらんのじゃから。キズが増えると、ゲージも速く減っていく。日光の比ではないがな。まあ、とりあえず、今言わなければならんことはそのくらいじゃろう。今日はゆっくりおやすみ。」
老人は急ぐように部屋を出て行った。部屋は先客と二人、完全な暗闇となったようだ。俺は先客のことを気にすることもなく、眠りについた。体が急に重くなり、そんなことを考える余裕もなかった。
夢を見た。
振るわれる拳、蹴り、罵声、嘲り。それらは俺の記憶の特に嫌な思い出を切り貼りして作られた、最悪の活動写真だった。初めに親に殴られた記憶。確か、泣き止まないからと、酒瓶で殴られた。その痛みは時折ぶり返す。それが俺が覚えている一番古い思い出なのだから、救いがない。どんどん記憶は新しくなる。今度は同年代の子どもにいじめられた。俺が弱かったからだろう。殴り、蹴られ、バカにされ、俺の心は壊れていた。親はこんな弱虫はうちの子ではない、と俺をゴミのように言った。
そのうち、自殺を考えるようになり、毎晩すすり泣いた。大声を上げたかったけれど、親に殴られた記憶のせいで声を出すこともできなかった。そして、ある日、自殺を決行した――
起きた時、目の前には眠った時と寸分違わない姿で寝ている先客がいた。壁に背を当て、座るように寝ている。
「何か用か。」
見つめていた俺に先客は言った。どうも起きていたらしい。フードのせいで表情が見えなかったので分からなかった。
「いや。あんたもゾンビなんかなーと。」
怖い雰囲気を先客は醸し出していたので、俺は少しお道化た風になってしまった。
「そうだ。それより、その粗末なものを隠したらどうだ。」
そう言われて、俺はまだ、ズボンをはいていなかったことを思い出す。
「こりゃ失礼しました。」
でも、どうすればいいのか分からない。外に出て老人を呼ぶべきなのだろうか。
と、悩んでいた矢先、老人が襖を開けて入ってきた。
「やっと陽が沈んだぞ。」
老人は俺たちを見渡して言った。
「お邪魔だったかな。」
「何のことか分からんけど、おじいさん。なんかズボンくれませんか?」
「ついでじゃから、長袖にしておきなさい。日光に触れても少しは大丈夫なように。」
老人はそう言ってしばらく引っ込むと、服を持って来てくれた。
「ありがとうございます。」
俺は服を受け取り、その場で着替えた。
「坊主。ちょっと散歩に付き合え。」
俺は頷く。老人に聞きたいことは山ほどあった。
「お前さんはいつまでいるんじゃ?」
「今晩には出る。」
先客は少しも動かずに言った。
木々の間を縫うような獣道を老人は行く。獣たちが踏み固めて出来たから、獣道。
「なあ、じいさん。」
俺の声に歩みを緩めることなく老人は進む。
「ここ、魔獣は出んやんな。」
「出るぞ。」
呼吸をするように簡単に老人は言った。
「そんなことより、お前はどうじゃ?」
「どうって?」
「気分は。」
「自分が生きとる、いや、死んどんか。でも、こんな感じなんは変な感じやな。」
「そうか。今でも死にたいと思っとるか?」
そう問われて、俺は答えに窮してしまう。俺は自ら命を絶った。それは俺の願いのはずだった。でも、再び死にたいと思うことは無いように思う。自分でもはっきりしない。
「あんま、死にとうないな。」
「そうか。一度死んでおるのじゃから、死ぬことはない。ただ、腐り果てるだけじゃ。」
口調は飄々としていたが、話している言葉はひどく、悲しいことだった。老人の背中は凍えたように小さく見えた。
「なんか、悲しいな。」
「悲しいか?」
老人は俺を試すように聞いてきた。ちらりと俺の方に顔を向ける。だが、すぐに前を向き、歩き始める。
「お前さん、自分のゲージを確認したか?」
「いいや?」
「自分で自分のゲージは確認しづらい。だから、ゾンビは基本複数で行動する。」
だが、老人も先客も、一緒に暮らしているような親しさは無いように思えたので聞いた。
「アンタらはどうなん。」
「あのハンターは知らんが、ワシにはゲージを確認する必要はないからの。」
どういうことなのか聞く前に老人は話した。
「まだ、レベルのことを話してはおらんかったな。」
「レベル?」
ゾンビになって覚えることはたくさんありそうだった。
「キズを回復する手段はない、と言っておったが、唯一あることにはある。それはレベルアップじゃ。多分、自分のレベルは確認しづらかろう。ワシのゲージをよく見るんじゃ。」
そう言って老人の指さす先には、ゲージがある。
「ほら、もっと近う寄れ。」
俺は老人に肌を合わせるほど近くによってゲージを見る。そこには四ケタの数字が刻まれていた。
「見えたかの?」
「八千いくらかって書いてある。」
「それがレベルじゃ。」
ついでに俺のも見てみるが、俺からでは見えない。
「お前のレベルは一じゃ。誰も殺しておらんじゃろう。」
「もしかして――」
「そう。このレベルは誰かを殺すことによって上がっていく。それが唯一、ゾンビのキズを治す、というより、形状を元に戻す手段じゃ。」
「じゃあ、アンタは。」
「レベルは上がっていくほど、上がりにくくなる。その分、ゾンビのステータスも上がる。強くなる。」
俺の老人を見る目は一瞬にして反転してしまった。どれほどの人間を殺せばこんなレベルに至るのだろう。
「聞こえるか?」
老人は立ち止まって、俺に黙れ、と手振りで示す。俺は老人に従う。
おぎゃあ、おぎゃあ。
静けき森の中、響くのは不気味な赤ん坊の声。
俺は赤ん坊の声の源を見つける。それは村人の一人で、多くの子どもを持つ女だった。
なにしてるんだ?
俺は問いたかったが、どうせ答えはすぐ出ることも分かっていた。女と、その腕に抱えられている赤子を注視する。女はおぼつかない足取りで山奥の道なき場所を上っていき、足を止める。そして、何のためらいもなく、赤子を地面に置く。赤子を置く仕草は赤子を大事にするように、壊してしまわないようにしているのに、女は泣いている赤子を置いて、坂を下りていく。その顔はしかめっ面であるものの、涙をこらえているようには見えない。悲しんでいるのかどうなのか、俺には分からない。だが、女のした行為は、残虐だった――
赤子の声は響く。だが、ここからでは村までは聞こえまい。女の姿が見えなくなってもしばらくの間、老人は動かなかった。俺は動けようもなかった。老人は恐ろしかった。でも、それ以上に、赤子の生まれてきたことを呪うような鳴き声は、俺の動いていないはずの心臓をひどく締め付けた。体が動かなくなった。これが、金縛りなのだろうか。親にぶたれて反抗しようにもできなかった、あの時の絶対的恐怖が金縛りなのか。
老人は動いた。俺は金縛りは解けたものの、どうすればいいのか判断できず、結果として、その場にいるほかなかった。老人は俺のことなど気にせず、赤子のもとに向かう。どうするのだろう、と緊張感を持って老人とその足元の赤子を見つめた。老人は、目を細めながら、赤子を抱いた。赤子は泣き止むことはない。老人は赤子が泣いていようが泣いていまいがかまわないという平然とした態度で俺のもとに戻ってきた。
「お前のゲージはもう半分を切っておる。レベルが上がるごとにゲージは減る速度を落としていく。ワシの言いたいことは分かるな。」
老人は両手を伸ばし、俺に手にしろとばかり、泣き止まない赤子を見せつける。
それはあまりにも残酷だった。
老人はそれを言葉にしなかった。
腐敗したくないのなら、赤子を殺せ、と。
無言で訴えていた。
「俺には・・・俺には無理や。そんなん。」
当たり前だ。誰かを犠牲にして生きるなんて間違っているとしか思えなかった。でも、それは本当に間違っているのだろうか。
老人は。
赤子の手をひねるように。
赤子の。
首を。
捻った。
ぐぎゃあ、という、カエルのつぶれるような声。赤子は首が座っていない。だから、捻っただけでは首の骨を折ることは出来ず、気道が詰まって、赤ん坊は最後の声を出したのだ。赤ん坊は、息ができず、呼吸ができず、酸素を取り入れることができず、新鮮な冷たい空気を肺に送ることができず、それでも、何とか頑張り、でも、蓋をされたように体中の力を使っても肺は満たされず、この世を恨むことを知らずに、
息を引き取った。
「うおわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。」
こんな、この世を恨む声も赤子は出せなかったのだ。目の前の老人は、そんな権利さえ奪ってしまった。力なきものを、俺と同じ、虐げられるしかなかった無残な姿が、生前の俺と重なる。
でも、俺は老人に殴りかかることはしなかった。俺には、できない。力のない俺は、ただ、力を畏れるだけ。
「口減らしのため、赤子を捨てる。そんなことよくあることじゃ。」
涙の出ない俺の目は、老人の顔を射止めていた。その顔は無表情だった。老人が初めて笑顔以外の表情を見せた。その表情は、何かをかみ殺しているように見えた。
「乳飲み子は親の乳がなければ生きていけない。そのくらい分かるじゃろう。」
「でも、でも――」
「あのまま放っておいたら、力尽きるまで、体が冷たくなるまで生きていなければならなかった!赤ん坊はお前のように!自分から死ぬこともできんのじゃぞ!」
俺は何故か怒られた。子どもを怒るように老人は俺に怒った。でも、それは八つ当たりだ。それが分かっていたからこそ、俺は老人に理不尽さを感じることはなかった。八つ当たりなんて大人がすることではないけれど、俺には初めて老人が人間らしい姿を見せたように感じた。
「お前は無理だと言った。それは赤子を殺すことか?いいや、違う。お前は誰かの命を奪うことで死に長らえるのを拒んだんじゃ。でもな、それはゾンビじゃろうとヒトじゃろうと同じじゃ。人は誰かの命を奪って生きている。動物の肉を食らい、野菜の葉を食らい。でも、罪悪感を覚えはしない。それとどこが違う。甘ったれるでない。小僧。誰かを犠牲にして人もゾンビも生きていく他ないんじゃ。それが嫌なら、今一度、自らの命を絶つがいい。お前は生きていく苦しみから逃げようとした。そのくせ、ゾンビになって腐敗したくないと申した。それがどれほど、理不尽か。贅沢か。
リミットは今晩じゃ。誰かを殺さねば今晩でお前は腐敗する。レベル一ならば、一人殺すで足りる。お前は決断せねばならん。」
老人は赤子の亡骸を抱えて、俺のもとから去っていった。
老人がどんな思いで死に長らえてきたのか分からないが、俺には決して理解できないほどの苦しみがあったのだろうと思うことにした。でないと、怒られた俺が割に合わない。




