08 毒
ロゼッタの義父王・レックスには、勇者が世界を救ったあとのシナリオがあった。
偽物のアンジュが魔王に殺された後、勇者が魔王を倒す。
救済された世界で本物のアンジュを城に呼び戻し、何者かがアンジュを偽物と入れ替えていたという嘘の情報を発信。
その後に世界を救った英雄であるガルディと何者かによって誘拐されたという設定の本物のアンジュを結婚させる。
レックスが娘のアンジュを思っての選択であり、偽物のアンジュであるロゼッタは幼い頃からそれを言い聞かされてきた。
そして、そのシナリオを目指すために『アンジュ』を演じることはロゼッタにとっては当然のことであり、孤独は感じることがあっても疑問に思うことも、逃げ出したいと思うこともなかった。
唯一の幼なじみであるリュミエーラ王国騎士の息子であり、『アンジュ』の遊び相手として城に連れてこられていたガルディが、その勇者だとわかるまでは。
*
「あたしにも、この毒はどうすることもできないわ」
マールの外で見つけたガルディは瀕死の状態にあった。
勇者の素質を持った者は魔王が現れる数年前に背中に翼のあざが浮かび上がる。
以前に彼が誇らしげに見せてくれたその翼には深い爪痕が刻まれており、傷と症状を見たドルチェは顔をしかめていた。
「助からないってこと……?」
「あたしにはこの毒をどうすればいいかはわかんないってだけ。この毒を持ってる魔物。つまり、こいつを襲った奴に解毒方法を聞き出せれば、助けられる可能性はあるわ。でも、あたしはそこまで協力はできない」
魔王の配下であるドルチェは友人であるロゼッタが懇願したために傷を見てくれただけだ。
魔王と勇者は当然対立関係にある。
世界で魔王を倒せるとしたら、それは勇者しかいない。ということは、配下であるドルチェが勇者であるガルディを警戒するのは当然のことだ。
「ていうか、そもそもリューグナーが勇者なんかを城に連れてきたことに驚いてるわよ。いくらあんたの頼みでも腐っても魔王のくせに大丈夫なのかしら、あいつ」
ため息を吐いて頭を抱えるドルチェは部下として上司のリューグナーを心底心配している様子だ。
呆れ果てるドルチェにも何度も伝えてはいるのだが、ロゼッタの「ガルディを助けて欲しい」という必死の願いをリューグナーは最初は拒否したのだ。
魔王が勇者を助けるなんて前代未聞だ。
魔王にとって勇者は脅威。それが勝手に死のうとしているところを助けるなんておかしな話でしかない。
わかってはいても、ロゼッタは幼い頃の唯一の友達だったガルディを見殺しになんてできなかった。
か細い息をするガルディの頭を抱いて「お願いします」とふるえる声で何度も頭を下げると、リューグナーは今まで見たこともないような険しい表情のままに、ぎこちなく頷いてくれた。
リューグナーは魔法でロゼッタとガルディを連れて魔王城に帰ってきたものの、ドルチェにすべてを任せてからは、ガルディのいるロゼッタの部屋には一度も来ていない。
怒っているのだろうかと思うと胸がちくりと痛んだが、今はガルディを救うことを優先したかった。
「一応傷の手当もしたし治癒魔法も施したわ。でも、毒を何とかしない限り、いくら勇者だからっていっても保たない。……婚約者なんでしょ? 辛いとは思うし、あたしだってあんたの泣く顔なんて見たくないけど、魔族として勇者は救えないわ」
悲しげに目を伏せるドルチェにロゼッタは自分の無力さに唇を噛みしめて首を横に振った。
「いえ。魔王城の一室でこうして勇者であるガルディを寝かせていただいているだけでもありがたいことだから。ドルチェのことも……それから、リュー様のことも困らせてごめんなさい」
「いいわよ! 謝らなくたって! と、友達なんだから! ロゼッタは、こいつに付いててやんなさい。あたしは城の魔物を誤魔化してくるから。勇者を治療してるだなんてバレたら大変なんだから、あんたも誰にも言っちゃダメよ」
釘を刺すように言いつけてからドルチェはあわただしく部屋を出て行く。
ガルディをロゼッタの部屋に連れてきたところを目撃した魔物はいないが、気配や雰囲気に敏感な者だっている。
ドルチェはそれを誤魔化しにいったのだろう。
リューグナーとドルチェに大きな迷惑をかけていることはわかっている。
それでも、ガルディを救いたかった。
婚約者だからというわけでも、勇者だからというわけでもない。
寂しかった子ども時代に唯一の友達だったガルディを失いたくなかった。
「ガルディ。死なないで。お願い」
ベッドで眠るガルディの柔らかな金色の髪をそっと撫でる。
雨の日は癖が強くなって困ると小さい頃から不満げにしていた癖っ毛は数年間会っていなくても変わらずに綺麗だった。
ドルチェの治癒魔法のおかげでマールの街付近で見つけたときよりは落ち着いている様子だが、苦しそうな呼吸は変わらない。
ガルディを救うためには、ガルディを傷つけた魔物に毒のことを聞き出さなければならない。
その魔物に会ったところでロゼッタは殺されてしまうだけなのだろうか。
そもそもその魔物はどこにいるというのか。
考えても考えてもわからずに、ただガルディを見つめていることしかできない自分が悔しくてベッドの横で座り込んだまま俯いていると不意に背後から抱きすくめられた。
「……な、んですか」
「ごめん。びっくりさせて」
驚いて固まってしまったが、リューグナーだということはなんとなくわかっていた。
切なげな声音に振り向こうとすると、抱きしめてくる腕がきつくなって身動きがとれなくなった。
「リュー様? ……怒っていますか?」
「なんで? デートの最後にロゼッタが勇者なんて拾いものしたがったから?」
「ごめんなさい……」
「意地悪な言い方したかも。ごめん。でも、俺も、苦しくって」
辛そうにリューグナーが声を絞り出す。
「ガルディがいるとリュー様は苦しいんですか……? 勇者の力みたいなものでしょうか。ごめんなさい」
「そんな力なんてないけど、苦しいの。……もう謝るのやめよ。勇者なんかのせいで馬鹿みたいだ」
ため息とともに立ち上がったリューグナーはベッドで眠り込むガルディを見下ろす。
その視線はひどく冷たいものだった。
「ガルディ? だっけ。こいつの毒を調べたけど、まったくわかんなかった。ドルチェにも言われたかもだけど、助けたいなら、こいつを襲った魔物を探すしかない」
「調べてくださっていたんですか?」
怒ったか、呆れたかして、リューグナーはロゼッタを見捨ててしまったのではないかと思っていた。
ガルディを侵す毒について調べてくれていたなんて思ってもみなかったのだ。
申し訳なさで眉を下げるロゼッタにリューグナーは肩をすくめる。
「ロゼッタを泣かせるわけにはいかないでしょ。魔王としては失格にもほどがあるけどね」
「ありがとうございます……。マール付近で倒れていたということは、近隣に勇者であるガルディを倒せるほど強い魔物がいるということですよね」
「そうだね。魔王城が近いほど、俺の魔力の影響で魔物も強くなるから、相当実力のある魔物なんだと思うよ」
「マールに行きます。魔物を探し出して交渉してきます」
「本気で言ってる……?」
「はい」
いつも優しかったリューグナーが不機嫌そうに眉を顰める。
やはりこの人は魔王なんだと感じさせるオーラに内心では少しの恐怖を感じていたが、ロゼッタは力強く頷いた。
「ガルディは私の幼い頃の唯一の友人でした。なんでも話して何でも話してもらった仲です。彼がいなければ、私はダメになっていたかもしれません。助けたいんです。絶対に。
ガルディを助けたあとはリュー様が侵略行為をおこなう気は一切ないということをちゃんと彼に伝えます。争わないでほしいと説得しますので、どうか、行かせてください」
ロゼッタはリューグナーの目をまっすぐに見つめる。
不機嫌さを隠すこともなくロゼッタを見つめ返していたリューグナーは数秒の後に諦めたように小さく息を吐いた。
「男の嫉妬は見苦しいってね。……いいよ。でも、俺が同伴しないとダメ」
「リュー様は魔王様なのにいいのですか……?」
「あんまり粗暴な魔物は俺が倒してるって言ったでしょ? 勇者を襲うなんて粗暴以外の何者でもないし、どうせ倒しに行く予定だったからね。それに誘拐して軟禁してるお姫様をひとりでおでかけさせるなんてあり得ないからね。ロゼッタは人質なんでしょ?」
「わがままを言ってすみません」
「いいよ。ロゼッタにわがまま言ってもらえて嬉しいくらいだし」
にこりと微笑んだリューグナーの笑顔は寂しげなものだった。
「行くの決まり。……ただ、もし戦いになっても俺を嫌いにならないって約束して」
「私には戦う術がありませんから、私こそ嫌われてしまうかもしれません。足手まといですから」
「その点は絶対大丈夫だから、俺の後ろにいればいいよ。目を閉じててもらえると嬉しいんだけど」
「リューグナー!」
困ったように笑うリューグナーに首を傾げていると突然部屋のドアが激しい音をたてて開かれた。
ドアの向こうで息を乱したドルチェは忌々しげに表情を歪めていた。
「マールが滅んだわ」