05 大切な名前
急募! 大切な家族がいる魔物の皆様へ
憧れの魔王城で働いてみませんか?
命の危機はほとんどなし。
安心できる住居と食事を提供します。
大切なご家族が安心して暮らせる世の中を一緒に作りましょう!
ご応募お待ちしております。
魔王城からのみ発することが許された、魔物だけが受け取れる特殊な音波放送によって世界中の魔物に伝えられた求人案内は前代未聞のものだった。
勤務条件は大切な家族がいる魔物で、その大切な家族もともに魔王城に入るというもの。
この条件を出すことによって、まず人質をとることができる。
魔王に逆らえば、大切な家族になにかされるかもしれないという恐怖感は、人望のない魔王に忠誠を誓う理由にはぴったりだろう。
さらに、大切な家族がいる魔物たちは争いを避けている可能性が高く、リューグナーの侵略行為をおこなわないという姿勢には賛成なものが多いという考えがあった。
大切な家族がいる者。
その条件に合う魔物は世界中から集まった。
魔王城で勤務するというのはドルチェが幹部に憧れていたように、魔物たちにとっては憧れの対象らしい。
「戦う力のない自分が魔王城で働けるかもしれないなんて思ってもみなかった」と喜ぶ者の姿もロゼッタは多く見た。
「やるじゃん、ロゼッタ。こんなに賑やかな魔王城は、はじめて見たよ」
受験者には面接の段階で家族を連れてくるように言ってある。
これはリューグナーが「大切な家族がいますって嘘吐く奴がいるかもでしょ?」といって提案したことだった。
受験者とその家族の魔物たちは当初待合室として予定していた二階のダンスホールからあふれ出し、一階の大広間にも大勢いる。
子どもたちのはしゃぐ声も聞こえてきて、あんなに恐ろしいと思っていた魔物も人間と変わらないのだということをロゼッタは痛感していた。
「面接、がんばりましょうね。リュー様」
ドルチェが持っていた伊達眼鏡をかけ、髪をアップにしたロゼッタは張り切って拳を握る。
そんなロゼッタを愉快そうに見ていたリューグナーは、ゆるむ口元を押さえてぼそりと言った。
「ロゼッタって形から入るタイプだよね」
*
かくして始まった魔王軍採用試験は、つつがなく終了した。
受付担当をしていたドルチェに追い返されたのは、リューグナーが言ったように大切な家族だと偽って同じ種族の魔物と連れだってやってきたような連中たちだった。
魔王軍に所属することで、内部から反乱を起こし、魔王の座を狙っている魔物が存在している。
その事実に魔王お世話係として危機感を覚えざるを得なかったが、リューグナー本人は「乱闘になってドルチェが魔物をぶち殺さなくてよかったね」とにこにこしているのみだった。
そんな採用試験が終了して数日後。
執務室は修羅場と化していた。
「うぇー。人生でこんなに名前書いたのはじめてだよ。ドルチェー。手伝ってー」
「は? あんたはサインするだけなんだから楽勝じゃない。こちとら偽証がないかのチェックに忙しいんだから、黙ってとっととやんなさい」
呆れきった様子のドルチェが執務室のドアを開けながらロゼッタを振り返った。
「解析魔法使って、とっとと片づけるから道具とってくるわ。ロゼッタはリューグナーがサボらないかしっかり監視してて。お世話係なんでしょ」
「わかったわ。任せて、ドルチェ」
お互い力強くうなずき合ったところでドルチェは開けたドアから廊下へと出て行く。
面接も終了し、採用者が決まってからというもの、リューグナーとドルチェはそれぞれ入職書類と魔物が城に住むための入城書類の作成に追われている様子だ。
魔界に送る書類であるため、ロゼッタが手伝えることは大量の書類を運んだり、珈琲を入れたりする程度だ。
リューグナーにサインの代筆を求められたが、魔王のサインの代筆なんて恐ろしいことは丁重にお断りした。
「ロゼッター」
書類に目を通しながら、甘えたような声を出すリューグナーに「はい」と冷たさすら感じられるキリッとした声音で返事をする。
「甘えた声を出されても代筆はできかねます」
「んあー、マジか。残念」
がくりと肩を落として諦めた様子のリューグナーは再び書類に目を通してサインを繰り返す。
ぶつぶつと「こんなに書類いるか?」などの文句を漏らしているリューグナーの後ろから入職書類を覗きこんだロゼッタは目を細めて首を傾げた。
「魔界の言葉は読めません」
「あはは。そりゃそうでしょ。こっちの言葉に俺たち魔族や魔物が言葉をチューニングしてるだけだから、文字にしたら読めないに決まってるよ」
面白そうに笑ったリューグナーは、背後に立つロゼッタを椅子の背もたれに体重をあずけながら仰ぎ見て、にんまりと口角をあげた。
「なんか気になるとこある? 暇だから教えたげるよ? ちなみに、この書類のゴブリンの出身地は俺の実家の近くだわ」
「暇ではないと思うのですが、ひとつだけ教えていただいてもいいですか?」
「いいよいいよ。なんでも聞いてみ。俺は魔界語完璧だから」
どや顔を決めるリューグナーを見下ろしながら、ロゼッタは書類を指さした。
「このゴブリンの方の名前は、どこに書いてあるのでしょう?」
「名前? なんで?」
「面接のときにもリュー様は出身地や年齢は聞かれていましたが、名前は聞かれていなかったので」
面接の時から疑問には思っていたことだが、魔物の間では名前を聞くのはルール違反なのかと思い、黙っていた。
ロゼッタの素朴な疑問にリューグナーは「なるほど」と頷いた。
「まあ、人間には不思議だろうね。なんで名前聞かないんだろうって。でも、それって当然なんだよ。だって、魔物には名前がないから」
「名前が、ない?」
「ゴブリンが何人か並んでたら、右からゴブリンA・ゴブリンBって感じに呼んでいくだけ。魔族には名前があるけど、魔物には名前がない。それが魔界での普通だよ」
リューグナーは当然のように説明したが、ロゼッタにとってそれは衝撃的なことだった。
ロゼッタは『アンジュ』の偽物としてしか今まで生きてこなかった。
本当の名前も与えられなかったロゼッタにとって、名前があるということは憧れのことだった。
その名前が魔物たちには、ない。
「ロゼッタ?」
固まってしまったロゼッタを不審に思ったのだろう。
名無しのゴブリンの書類にサインを書いたリューグナーは心配そうにロゼッタに声をかけてくる。
「リュー様。お願いがあります」
「お? なになに? ロゼッタのお願いなんて気になるな」
「魔物一人ひとりに、私が名前をつけさせてください」
ロゼッタのお願いは「魔王軍をつくる」という提案よりも、リューグナーにとって衝撃的なものだったのだろう。
「は?」と気の抜けたような声を出したリューグナーは、大きな目をさらに見開いていた。
「魔物たちが名前を拒否するのであれば無理強いはしません。名前をつけるということが失礼にあたるのであれば、やめるのですが、そうでなければ名前をあげたいんです」
「ロゼッタがやる気まんまんなのはよく伝わってくるんだけど、なんでそんなこと思ったの? 城の魔物の数は多いし、大変だよ?」
「わかっています。でも、つけたいんです。一人ひとりに名前を」
いつも淡々とした調子でしゃべるロゼッタにしては珍しく切実な様子に、リューグナーは驚いている。
ロゼッタも自分がこんなにも必死になれるなんて思ってもみなかった。
しかも、誰かに『やれ』と言われてやっているわけではないなんて。
なにかを計算しての行動でもなんでもない。
ただ、これは本当にロゼッタがやりたいだけのただの『お願い』だった。
「……恥ずかしい話になるんですが、いいですか?」
「いいよ」
静かに頷いてくれたリューグナーに、ロゼッタは少し考えてから口を開く。
「名前は、初めてもらう愛情です。私は『ロゼッタ』という名前をもらったとき、うれしかったんです」
『アンジュ』の名前はただの役名。
これを演じろと押しつけられたお姫様の名前だ。
本当の名前も与えられず、他人の名前を借りただけの人生しか歩んでこなかったロゼッタにとって、自分だけの名前というのは憧れのものだった。
そんな名前を自分を殺すはずだった魔王様がくれた。
おかしな話だが、ロゼッタと呼ばれたとき、どこか懐かしいような、暖かいような、優しい感情が胸を駆けめぐった。
ロゼッタと名付けられて、リューグナーのお世話係に任命された日。
部屋で魔王様お世話係について考えながらも、ロゼッタは度々「ロゼッタ」と自分の名前を口にしては喜びに頬を緩めていたくらいだ。
だから、魔物たちにも名前をあげたい。
自己満足に終わったとしても、あなたがあなたであるという証明のひとつである名前をつけてあげたかった。
深く語れば、自分が本物のアンジュではないということがバレかねない。
慎重に言葉を選んだロゼッタの発言に、リューグナーは
驚きに見開いていた瞳を優しく細めた。
どうしてそんな表情をしたのかはロゼッタにはわからない。
だが、リューグナーはどこか懐かしんで遠くを見るような優しい目をしてから、ゆっくりと頷いた。
「いいよ。大事に名前をつけてあげなさい。俺は魔物じゃないからわかんないけど、魔族が名前を持ってることに憧れる魔物もいるって聞いたことがあるからさ。喜ぶと思うよ」
「ありがとうございます! 私、早速考えて参ります。リスト、お借りしてよろしいですか?」
「どうぞ」
入城者のリストを一部拝借したロゼッタは今までにないくらい輝いた瞳を見せて、リューグナーにぺこりと一礼してから執務室を出て行った。
代わるように入ってきたドルチェが持ってきた解析魔法の道具を自身の机に並べながら、珍しく真面目に作業をしているリューグナーに声をかけた。
「あんたが真面目に書類やってるなんて、なんか気持ち悪いわね。面接だって真面目にやってたみたいだし」
「ひっどいなぁ、ドルチェは。俺だってやるときゃやんの」
眉を寄せて子どものように不満を露わにしたリューグナーは「でも、まあ」と小さな声で言いながらペンを持った自身の手を撫でて微笑んだ。
「癒しパワーのおかげかもねぇ。なんちゃって」