03 お世話係に任命されました
大国リュミエーラ王国。
その最西端の島に突如出現した魔王城は世界に混乱を呼び、そして、『アンジュ』を演じていたロゼッタに魔王による死が近づいていることを告げた。
魔王城の出現によってか、世界で魔物の動きが活発化。
旅の商人が殺されたり、村が滅ぼされるという悲惨な事件が各地で起きるようになった。
リュミエーラ王国が育成していた勇者も密かに魔王討伐の旅に出発。
その報を受けたリュミエーラ国王レックスはロゼッタに無表情に告げた。
「おまえが殺されることがあるかもわからない。だが、それは必要な犠牲なんだ。わかってくれ」
幼い頃から知っていた運命。
わかっていたこと。
だが、本当の父がいないロゼッタは『父』から言われたその言葉に痛む胸を隠して微笑んだ。
「わかっております。それが私の生きる意味ですので」
*
「私に生きる意味をください」
ロゼッタの私室よりもこざっぱりとした家具で揃えられたリューグナーの私室に入ると、すぐにロゼッタは切羽詰まったように自分を殺すはずだった魔王に生きる意味を求めた。
寝るつもりだったのか暗くしていた室内の明かりを魔法でつけているところだったリューグナーは、ロゼッタの言葉に驚いた様子でその大きな瞳を見開いている。
パチン、と軽やかに指を鳴らして部屋の明かりを灯したリューグナーはロゼッタに「まあまあ、落ち着いて」と声をかけながら、ソファーを手で示した。
「お茶は……ドルチェ寝ちゃったし、俺も出すとなるとここを離れなきゃいけないから出せないんだけど、まあ、とりあえず座って」
「はい」
こくんと命令に従う人形かのようにうなずいたロゼッタは、リューグナーが指し示した椅子に腰掛ける。
テーブルをはさんだ向かい側の椅子に同じく腰掛けたリューグナーは、「さて」と机にテーブルに肘をついた。
「なーんで、またそんな大袈裟なこと言ってるのかな、ロゼッタは。生きる意味なんてみんな求めてることでしょ。わかんなくて当然だよ。なんで生きてんの? なんて聞かれて答えられる奴のほうが珍しいし」
「私は死ぬことを定められて生きてきました」
ロゼッタは自分でも無意識のうちに膝の上に置いた手を強く握りしめていた。
「どこで知ったのかはわかりませんが、あなたのおっしゃるとおりです。私は生まれたときに予言を受けました」
「リュミエーラ王国の姫君は魔王に呪われ、三日三晩苦しみ抜いた後に悲惨な死を遂げるでしょうっていう不吉すぎる予言?」
正確には『本物のアンジュ』が受けた予言ではあるが、ここで偽物であるということがバレるわけにはいかない。
「そうです。私はあなたに呪いをかけられて今頃はもがき苦しんでいる予定でした。そういう運命だと思って生きておりました。なのに、どうして生かされているのか。その理由が知りたいんです」
王族が生まれたとき、必ず王族つきの高名な占い師がその生まれた子どもの将来を占う。
本来は王家の子どもの未来を祝福するための儀式だった。
占い師はその子どもが多少苦労する未来が見えようと告げることはなく、「未来は祝福に満ちています」という定型文を述べるのみの形式的な儀式だったのだ。
しかし、その儀式はアンジュが生まれたときには大きな意味を持った。
占い師はアンジュの未来を見て、その未来に驚愕し、震え泣きながら不吉な予言を口にした。
予言は絶対だと今まで信じてきたが、未来が変わることはあるのかもしれない。
それとも、三日三晩苦しむ予定が先延ばしにされただけなのか。
どっちにしろ、魔王がどういう意図でロゼッタを生かしているのか。
それがわからなければ、落ち着いて眠れもしない。
「うーん。ロゼッタはなんで自分が生かされたんだと思う?」
真剣なロゼッタに反して、相変わらず軽薄な印象のリューグナーが腕を組んで訊ねてくる。
質問に質問で返してくる無礼さを気にすることもなく、ロゼッタは「そうですね」と顎に手をやって少し考え込んだ。
「人質……? が、一番納得できます」
先程ドルチェから聞いた話では、人間の絶望から魔族の命の源である魔力は生まれる。
それならば、姫であるロゼッタを手っ取り早く殺してしまった方が絶望は得られるのだろうが、ロゼッタにはひとつだけ人質にされる心当たりがあった。
一年前。魔王討伐のために旅に出たという勇者・ガルディのことだ。
勇者という存在が世界のどこかにいることは世界中の誰もが知っていることだが、その所在は魔王に漏れることがないよう誰にも知らされていない。
世界中から勇者の素質のある者を探し出して育成させたリュミエーラ国王レックスでさえ、その所在は知らないのだ。
だが、魔王城が出現したタイミングで勇者が魔王討伐のために旅立ったことを、魔王であるリューグナーが勘づいていてもおかしくはない。
いつか来たる勇者が現れた際に、姫であるロゼッタを楯にしようということならば納得がいった。
「人質か。そうそう、ロゼッタは人質。大正解! おめでとう!」
ぱちぱちと拍手をするリューグナーは「さすがっ!」などと煽ててくるが、どうにも怪しい。
訝しげな瞳でリューグナーを見やるとリューグナーはため息と共に肩をすくめた。
「あのさ、ロゼッタ。ちょっと頭の中が平和すぎるよ。冷静に考えて欲しいんだけど、魔王様が自分の意図を誘拐してきたお姫様に伝えると思う? そんなアホすぎる魔王様はそうそういないと思うんだけど」
「……なるほど。それもそうですね。では、なぜ私はロゼッタと名付けられたんですか? 私はアンジュなんですから、ややこしいと思うんですが」
「ここでは、君はお姫様じゃないからだよ」
ゆるく微笑んだリューグナーの笑顔はどこまでも優しい。
魔王とは思えないほほえみにだまされかけたが、どういう意味なのか。
眉を寄せて真剣にロゼッタが首を傾げると、リューグナーはくっくと喉を鳴らして喜んだ。
「ロゼッタってさ、『本当の自分』のこと知らないでしょ」
「……私はアンジュです」
偽物だと見抜かれたのかと、ドキリとした。
至極冷静を装ってリューグナーを見つめ返すと「そういう意味じゃないよ」と緊張をほぐすような優しい返事とともに首を横に振られた。
「お姫様としてがんばりすぎってこと。本当の君が俺は見てみたいわけ。『アンジュ・リュミエール』としてではなく、『普通の女の子』としてのがんばってない君を見てみたい。だから、君はここではロゼッタ。あんまりお姫様でーすって態度されても鬱陶しいしね」
あはっとお茶目に笑うリューグナーにロゼッタは、まだ「わかりました」と頷くことができない。
ロゼッタは普通の女の子。
それはわかったが、その役柄はあまりに難しすぎる。
そもそもどういう目的がある人物なのかもわからないし、ロゼッタの舞台の終焉がまったく見えない。
今まで終焉を目指した人生の中しか生きてこなかったロゼッタには難しすぎる役柄だ。
困り果てるロゼッタの心境を察したのか察していないのか。
リューグナーは「そうだなー」と少し唸ってから、手を打った。
「なにか役割がないと人間って不安になる面倒な生き物らしいよね。社会とつながってないとどうのこうのってね。だから、君にはここで役目をあげよう。
えーと、あ、そうそう人質だ。人質として機能するまで暇だろうから」
「役目、ですか?」
「リュー様のお世話係。とか、どう?」
頬杖をついたリューグナーは、まさに魔王といった悪巧みを思いついた笑みを口元に浮かべていた。