29 プロポーズ
「必ず迎えに来るよ」
リュミエーラ城の広大な庭の片隅。
花々に囲まれたベンチに座って話をしていた彼は立ち上がると、ロゼッタを振り返って微笑んだ。
ガルディも居なくなり、後は魔王に殺されることを待つのみだったロゼッタの元に現れた彼、リューグナーが魔族であるということを打ち明けられたのは、随分前のことだ。
魔王になってロゼッタが殺される運命を変えると言ってくれたリューグナーに感謝し、「大好きだ」と告げたのはつい先日。
リューグナーは「俺も大好きな子のためじゃないと、魔王になんかならないよ」といつものように喉を鳴らして笑っていた。
月を背にしたリューグナーがベンチに座ったままのロゼッタを見下ろしている。
別れがあまりに寂しくて、なんと言っていいのかわからないでいるロゼッタにリューグナーは「なーに暗い顔してるの」とおどけた声をあげた。
「俺はロゼッタとずーっと一緒にいるために、今はちょっとお別れするだけ。大丈夫。あっという間に魔王になって帰ってくるよ」
「それでも、私はきっとリュー様のことを忘れてしまいます」
「でも、がんばってゆっくりでも思い出してくれるんでしょう?」
「思い出します。がんばります。それでも、やっぱり寂しいんです。ごめんなさい。上手に笑えそうにないです」
お別れは笑顔で。
そう思っていたのに、涙をこらえるのに必死で上手に笑えない。
くしゃくしゃの表情を見せられなくて俯いているロゼッタの頭をリューグナーがそっと撫でた。
「俺だって寂しい。だから、笑えなくたっていいんだよ。お別れは笑顔の方がいいだろうけど、泣いちゃダメなんて決まりもない。ロゼッタを寂しいなんて理由で泣かせるのは、これが最後。だから、貴重な寂しい泣き顔見せといてよ」
ぐすっと鼻をすすって、涙を拭いながら顔をあげる。
こちらをのぞき込んでいたリューグナーは、ふっと表情を優しくした。
「綺麗だよ」
「汚いに決まってます」
「そんなことない。きっと一生忘れない」
自身の胸をそっと押さえたリューグナーは名残惜しむようにロゼッタを見つめてから、そっとその手を高く掲げた。
「いつまでもここに居たら、本当にお別れできなくなっちゃいそうだ。大好きだよ、ロゼッタ。また出会ったとき、魔王になった俺を好きになってくれたら嬉しいな」
「好きになっちゃうに、決まってるじゃないですか」
リューグナーの言葉に泣きながら笑ったロゼッタに、リューグナーは満足そうに頷いて指をパチンと鳴らして消えた。
ベンチで泣き濡れて明かした夜。
その夜からロゼッタの日課である夜の散歩は始まった。
夜にだけ人目を忍んで会いに来てくれた彼を探して城内を歩いていたある夜。
すべてを忘れたロゼッタは世界が闇色の光に染まる瞬間をその目で見た。
リュミエーラ城の最上階テラス。
星を見上げていたロゼッタの視界は一瞬闇色に染まった。
強く目を閉じて、そっと開けると遙か見えるマールの港の向こう側。
突然現れた島に禍々しい気を放つ城が現れていた。
「おかえりなさい」
魔王の出現に騒然とするリュミエーラ城の屋上で、ロゼッタは、知らず一粒の涙をこぼしながら呟いていた。
*
「おかえりなさい、リュー様」
ぽつりと呟いたロゼッタを振り返ってリューグナーが緊張していた表情を崩す。
魔王であろうと娘さんをもらいにきたら、それは緊張する。
ロゼッタの一言で、にへらをだらしなく笑うくらいには余裕を取り戻したリューグナーは、呆然としているレックスへと一歩踏み出した。
「途中からでしたが、ロゼッタとレックス王様のお話は聞かせていただいていました。俺とロゼッタの結婚には、世界的に重要な意味がある。魔界の民と手を取り合って生きていく世界を築く第一歩。俺たちはその象徴になれます」
「待て。本気で魔物たちと人間が手を取り合えると思っているのか? 凶暴な魔物が魔王とは関係なく、町を襲ったということは理解した。だが、それは実際に凶悪な魔物はいるということだろう。そんな魔物たちとも手を取り合えるとは到底思えない」
「それは、『魔王』として、こちらからも主張があります」
眉を寄せた険しい表情で話すレックスに対して、リューグナーの表情はいつも通り飄々としたものだ。
だが、その振る舞いからは王たる威厳を感じさせられた。
「温厚な魔物たちの中には、魔物を悪だと決めつけて無作為に殺して回る人間に家族を殺された者もいます。人間は理解できていない方も多いようですが、魔界の民にも感情はありますし、大切な相手だっているんです。その憎しみが暴走した者もいるということを理解していただきたい。
まあ、実際にただ殺すの大好きな野蛮なのもいるんですが、そういうのは人間にもいるでしょう。人間の中にも殺人を犯したり、暴力大好きな奴ってのはいるはずです」
「人間も魔界の民も同じだと言いたいのか」
「そうです。同じ世界に生きる者同士、仲良くやっていくのが得策ってものだと思うんですが、いかがでしょう? 今のように魔物におびえながら町と町を移動するなんてことも少なくなるはずです」
「だが、そうそう理解してもらえるものではないだろう」
「そこは王としての腕の見せ所でしょう。俺も『魔王』として魔界の民は担当するつもりです。世界を半分ずつ。レックス王様と俺とで請け負えば、いつの日か夢みたいな世界ができあがっているはずです」
最後ににこりと笑顔をひとつ見せたリューグナーの話を聞いていたレックスは「そうだな」と考え込んでいる様子で腕を組む。
リューグナーよりも緊張した表情になっているロゼッタを見やってくすくす笑ったリューグナーは、「大丈夫」と示すように隠れて手を振ってくれた。
「それで、です」
ロゼッタから視線をはずし、改めてレックスを見たリューグナーの表情に真剣味が増す。
目を閉じて考え込んでいたレックスは、ゆっくりと目を開けた。
「ここからは世界だとか、人間だとか魔物だとかそういう話はナシで、父と娘、そしてその恋人としてお話しましょう」
「……いいだろう」
重々しく頷いたレックスは座っていた椅子から立ち上がるとリューグナーに向き合った。
「お義父さん。正直なことを言うと、俺は世界とかは全部二番目なんです。一番はロゼッタです。
俺はロゼッタを幸せにしたくて、魔王になって予言をねじ曲げました。人間と魔界の民が手を取り合って生きていける平和な世界を目指してるのだって、ロゼッタが後ろ指さされず、堂々と俺の隣で自由に生きられる世界が欲しかったからです。
俺は『魔王』としては、きっと失格なんでしょう。本当は魔界のために、魔王として暴虐の限りを尽くすべきだった。でも、俺は『魔王』としてではなく『ひとりの男』として、ロゼッタのために尽くしたいって思うんです」
真剣に。
言葉の一つひとつに気持ちという質量を込めて。
精一杯にぶつけた気持ちを形にするようにリューグナーは、深く頭を下げた。
「娘さんを俺にください」
ロゼッタは、緊張と喜びでどういう表情をしていいのかわからなかった。
唇を柔く噛んで、恐る恐るレックスを見やる。
レックスは頭を下げ続けるリューグナーを見下ろして、眉をつり上げた。
「ならぬ……。と、言ってみたかったところだ。しかも、それが魔王相手だなんて、本当は『ならぬ』と言わなければならないところだ。だが、私にはロゼッタの幸福を今までないがしろにし続けてきたという罪がある」
レックスはつり上げていた眉をさげると、申し訳なさそうにロゼッタを悲しそうな瞳で見やった。
「私の妻はアンジュを産んで少しして病で亡くなった。アンジュの顔を見ることもなくだ。私はアンジュをなんとしてでも守らなければならなかった。それが、愛した妻を守れなかった償いであり、姫を残すことがリュミエーラ国のためだと考えていたからだ。そのために、私はロゼッタ。おまえの幸福を無視してしまった。申し訳なかった」
今まで見たこともないほど悲しげにしているレックスにも、きっと長年のロゼッタに抱えていた想いがあったのだろう。
ロゼッタはなにも言えず、首を横に振ることしかできなかった。
「これから先は、ロゼッタの幸福をもっと考えてもいいのかもしれない」
視線を遠くへとやったレックスは、そう呟いてから深く頷いた。
「魔王……いや、リューグナー殿」
「はい」
「私は歴史に名を刻む愚かな王に成り下がってしまうやもしれん。それでも、君と共に夢物語のような理想郷を目指してみようと思う。魔物を誤解している民や苦しめられている民のため。そして、愛しい我が娘のために」
リューグナーがぱっと頭をあげる。
思わずといった様子でロゼッタの方を見たリューグナーの顔は喜びに満ちていた。
「おまえたちの結婚を認めよう」
レックスがその渋い顔にほほえみを浮かべたのと、ロゼッタがリューグナーに抱きついたのはほぼ同時だった。
ロゼッタが抱きついてきた勢いをくるりと一回転して受け止めたリューグナーはロゼッタを抱きしめる。
ロゼッタはリューグナーの胸に頬をすりつけて、その顔を埋めてしまった。
「よかった……。ほんとに。超緊張した……。死ぬかと思った。ロゼッタもドキドキしたでしょ? お迎えおそくなってごめんね。……ロゼッタ?」
ロゼッタの肩がぷるぷると震えている。
心配そうにロゼッタをのぞきこむリューグナーの後ろから、レックスもロゼッタを心配そうに見ていた。
「し、あわせが、過ぎて、泣いてしまいました。ご、めん、なさい」
しゃくりあげながら言うロゼッタにリューグナーとレックスは顔を見合わせて、くすくす笑う。
「リュー、様は、私のこと、泣かせないって言ってくださったのに……ッ」
「泣かせないよ。もう寂しいとか、悲しいとか、痛いとか、怖いとか。そんなことじゃ泣かせない。けど、幸せではいっぱい泣かせるよ。それが今度の約束」
「よしよーし」と頭を撫でてくれるリューグナーにロゼッタは泣きじゃくりながら抱き縋っていた。
「リュー様、やっぱり、お日様のにおいがするんですね。大好きですッ」




