27 戦場での別れ
「こ、こんにちは。お義父様」
父親への挨拶ひとつで、ここまで萎縮する娘なんて、この世を探しても、そうはいないだろう。
レックス・リュミエーラは冷徹になりきれない王だった。
娘の身代わりとして、買ってきたまだ幼い少女を育てているうちに、本当の娘のように思ってしまうようになった人間らしい一面を切り捨てられないでいた。
だというのに、中途半端に王であろうとするから、この幼い娘に苦しい想いをさせている。
王として振る舞おうと、彼女に対して努めて平静を装ってきた結果、偽りの娘は義父への挨拶ひとつまともにできなくなってしまった。
「ああ」
廊下ですれ違った名もなき我が娘に、どう答えていいのかわからず、軽く頷いておく。
娘はそれだけでも嬉しそうに頬をあげたのだった。
この娘を魔王に差し出して殺すことこそが、王としての勤め。
本物の娘を守るために成さなければならないこと。
わかってはいても、この名もなき娘に幸福が訪れることを願ってやまなかった。
*
レックス・リュミエーラ。
リュミエール王が直々に率いる騎士団は魔王城がそびえたつ離島へとたどり着くと、まっすぐに魔王城へと進んできた。
魔王城では、その動きを察知したリューグナーも軍を出した。
魔王らしく、魔王城で籠城を決め込んでもよかったのだが、それでは戦う力のない魔物たちが騎士たちに蹂躙される可能性が高い。
『大切な家族がいる者』という条件で集めた魔物たちは元々争いを好まない。
そんな彼らを戦いに巻き込むことは極力避けたかった。
「自分の意思に従って、逃げたいのなら遠慮なく逃げてくれ」というリューグナーの言葉を聞いても尚、魔王城にはほとんどの魔物たちが残ってくれた。
彼らの中で戦う力のある者とヴォルケイスが率いる好戦的な魔物たちと共にリューグナーは、魔王城へと続く開けた草原に軍を敷いた。
その軍の後方。
後方支援や遠距離魔法を担当する部隊の指揮を任されたドルチェの隣にロゼッタは居た。
リューグナーは戦場にロゼッタを連れて行くことに渋い顔をしていたが、相手はリュミエーラ王国の騎士団だ。
偽者だとはいえ、『アンジュ姫』として生きてきたロゼッタが交渉の材料に使えるときがくるかもしれないとロゼッタは従軍を志願したのだ。
「私が使えるんなら、躊躇わずに存分に利用してください」
そのロゼッタの意思のこもった言葉にリューグナーはおれた形だった。
騎士団の数と魔物たちの数はほぼ同数。
広大な草原でにらみ合う両軍の間には爽やかな緑の風が吹き抜けていく。
騎士団が手出しできないでいるのは、魔物たちの軍の先頭に魔王・リューグナー。
そして、彼らにとっては行方不明になっていた勇者・ガルディと探し求めていた姫・アンジュが立ちふさがっていたからだ。
訓練された騎士達はざわつくこともなかったが、困惑している空気が伝わってくる。
リューグナーは、場にそぐわない陽気な声で「こんにちは、騎士様諸君」とおどけてみせた。
「突然来るからびっくりしたよ。パーティーを開いて歓迎しなきゃいけないところなんだろうけど、そんなに怖い顔をしてくるから、こっちも怖い顔して出迎えなきゃいけなくなった。
俺たちは、血なまぐさい展開なんて望んじゃいない。今まで、瞬きひとつで滅ぼせるところをそうせずに来たのが、その証拠」
リューグナーが意思を持って、ゆっくりとひとつ瞬きをする。
騎士団員全員を対象にした金縛り魔法はばっちり決まったようだ。
身動きひとつとれなくなった騎士達の顔がこわばった。
リューグナーが魔物をここに布陣させたのは、戦わせるためではない。
こちらには数も力もあるのだというところを見せつけたかった。
実際にはリューグナーの力が抜きんでているのだが、リューグナーが瞬きひとつで全軍の機能を停止させてしまえば、こちらの実力はなにひとつわからないだろう騎士団は実力差を勘違いする。
「勝てないのだ」と思わせれば、こっちの勝ちだ。
更に「なぜこんな力を持っていて、魔王は人間を滅ぼさないのか」と不気味に思わせれば、大勝利。
魔王らしい邪悪な笑みを浮かべたリューグナーは、悠々と戦場である草原を歩き始めた。
「どんなに訓練しようと、どんなに魔法の技術を磨こうと、魔王様には勝てないってわかる? そんなにつよーい魔王様がなんで人間を滅ぼさないのか。興味わかない? ……レックス王様」
金縛りによって直立不動な騎士たちの向こう側。
ただひとり金縛り魔法の対象外にしていた膨大な魔力の持ち主に語りかけた。
さすがはあのアンジュの父親だ。
前線にでることはそうないのだろうが、この騎士団の中でもその魔力が目立って仕方がない。
呼ばれた王は、ゆっくりと騎士の間を歩き、草原の真ん中でリューグナーと対峙した。
「こんにちは、レックス王様。はじめまして、リューグナー・ライアーと申します」
「魔王に挨拶される日がくるとは思わなかった。それに、魔王がこれほどまでの力を持っていたとはな。てっきり愚鈍で非力なものかとばかり思っていた。滅ぼされる町は、なぜそこなのかと疑うような場所ばかりであったし、まるで統一性もなかったしな」
「それは、俺が指示してないからですよ。各地の乱暴な魔物たちが勝手にやってただけ。こっちだって迷惑してたんですから」
人の王と魔の王。
はじめて対峙したふたりの間には触れるだけで切れてしまいそうなほどの張りつめた緊張感が流れていた。
威嚇するように睨むレックスに、リューグナーはきわめて友好的な笑みを向けている。
異様なその光景に誰もが息をのむ中、一歩踏み出したのはアンジュだった。
「レックス様……じゃなかったや。お父様」
「アンジュ。ひとりで行くなと言ったはずだ。引き留めたにもかかわらず、強引に旅立つなど、一国の姫としてはあるまじき行為だぞ」
「あー……ごめんなさい。あたし、何も知らなかったんです。自分が姫だってことも知らなかった。あたしの代わりに犠牲になろうとしてた女の子がいたことも知らなかった。
でも、魔王城に来て、魔王が目指す世界のことも、あたしの代わりに犠牲になろうとしてたその女の子がどういう女の子かも知ったわ」
「……『あの娘』は生きていたのか?」
交渉の行く末を見守るドルチェの横でロゼッタがぴくりと反応する。
「生きてたよ。魔王は人と魔物が共生できる世界を望んでる。そんな奴が人を殺すわけない」
「なら、なぜ『あの娘』を誘拐する必要があった。殺す気がないのなら、人質にでもする気だったのか」
レックスの鋭い視線に突き刺され、リューグナーの笑顔が崩れる。
真剣な表情になったリューグナーはレックスを同じように鋭い視線で貫いた。
「俺はアンジュの言うとおり、平和な世界を望んでる。けど、人間の王に魔物が頭をへこへこ下げて生かしてもらう世の中を望んでいるわけじゃない。手と手を取り合って、仲良く生きましょうっていう、望んでる俺からしてもちょっと頭お花畑な世界が理想だよ。だから、レックス様がリュミエーラの国王だとかは関係ナシに、はっきりと言わせてもらう」
レックスを睨むリューグナーの瞳には、怒りがはっきりと滲んでいた。
「リュミエーラの城にいても、あの子は幸せになんてなれないと思ったからだ。俺が平和を望むボケた魔王だったら、残虐な魔王に殺されることが義務だったあの子は不要になってしまう。不要になってしまったとき、あの子がどういう扱いを受けるかなんて想像もしたくなかった」
ロゼッタが、もしもリューグナーに誘拐されていなかったら、ロゼッタはもしかするとレックスに殺されていたのかもしれない。
彼が父として芽生えてしまった愛よりも、王として魔王を討つことを選んだなら、ロゼッタは『魔王に殺された』という体で殺され、魔王を倒すために犠牲を払ってでも騎士団を動かす理由づくりにされていた可能性もある。
そんな捨て駒のように扱われた少女がいたことに、リューグナーは憤っていた。
「俺があの子をさらったのは、あの子を救うためだった。人間への嫌がらせのつもりでも、人質にするためでもない」
はっきりと言い切ったリューグナーの言葉を黙って聞いていたレックスは、静かに「そうか」と一言つぶやいた。
「仕方ないことだ」
ぽつり、と譫言のようにレックスが言う。
「そう、『あの娘』にも自分自身にも言い聞かせてきた。幼い頃から見てきた少女が大人へと少しずつ変わっていく姿。私を父と呼ぶその声。私は王である前に人だ。『あの娘』を私は本当の娘のように思ってしまっていた。だが、魔王。おまえの言うとおりだ。私は『あの娘』が何事もなく城にとどまり続けていれば、いずれはあの子を王として殺していたかもしれない。
おまえが『あの娘』を救った。それは紛れもない事実だろう。おまえがあの子を誘拐していなければ、ここでこうして相対することもなかっただろうしな」
「……単刀直入に聞きたい。俺の目指す世界に、レックス様。あなたは協力してくださるんですか?」
怒りを鎮めたリューグナーは、その瞳に冷静さを宿してレックスを見る。
父の表情をしていたレックスもまた、その一言で王の表情となった。
「人と魔物が手を取り合って生きていける世界。そんなものは幻想に過ぎない。ここで安易に頷くことは、私にはできかねる」
「……だと思った。人間ってめんどくさすぎでしょ。ちょっと自分勝手に進めといて、押し進めることはできないわけ?」
「できないな。私は今日、『娘』を取り戻すために、ここに来た。アンジュ。こちらに来なさい」
「え?」
ふたりの話をリューグナーの隣で聞いていたアンジュは、突然名前を呼ばれて、きょとんとした表情を見せる。
そんなアンジュの細腕を引いて、レックスはアンジュを自身の背へと隠してしまった。
「……どういうつもりですか?」
レックスの行動の意図がわからない。
訝しげに眉を寄せるリューグナーにレックスは無表情のまま返答した。
「言っただろう。『娘』を取り戻しに来た。そのために騎士団を無理矢理動かした。面倒な手続きもすべて後回しにしてな。魔王。おまえの言うとおり人間とは面倒な生き物だ。私はそんな面倒な段階をすべて踏み捨てて、ここに来ている。更に踏み捨てれば、王としての威厳が保てない。ここは一旦、目的を果たして帰城しなければ、おまえとの交渉も進めることは出来ない」
「わかりました。では、日を改めて……」
「もうひとりの『娘』はどこにいる」
「……は?」
リューグナーが目を見開く。
レックスは至極当然といった様子でリューグナーを見ていた。
「もうひとり。私には名をつけることもできなかった『娘』がいる。その子についても、私は自分勝手に押し進めた。その子の人生の責任をとらなければならない。いつまでも魔王城に置いておくわけにはいかない」
「お父様! ロゼッタは……あの子は、魔王城で幸せにやってるのよ!」
「魔王城で幸せに過ごしていようとも、一度は連れて帰らなければならない。何度も言うが、人間は面倒なんだ。『娘』を連れて帰れなければ、交渉は進められない。今この場で話した私には、『あの娘』を人質として扱っていないだろうことは理解できても、世界的に見れば人質にしか見えないだろう。今後、夢のような理想郷を思い描いて進もうと思っても、あの子を抱えていては厳しいぞ」
レックスの言うことは至極最もだった。
ロゼッタを救うために、リューグナーはロゼッタを誘拐した。
だが、身代わり計画なんて知らない世界からすれば、リューグナーは完全なるただの誘拐犯だ。
一度、ロゼッタはリュミエーラ城へと帰るのが得策。
そうしなければ、魔王が人に敵意はないということの証明が難しい。
わかってはいても、レックスがロゼッタを返してくれるという保証がない状況で、ロゼッタを手放すことを躊躇っていたリューグナーの耳に届いたのはドルチェの声だった。
「ロゼッタ! ちょっと! どこ行くの!?」
静まりかえっていた草原にドルチェのよく響く声が聞こえる。
魔物の軍勢を振り返ると、その人混みを割って、ロゼッタが駆けてきた。
彼女の表情は強い覚悟に染まっていた。
「ロゼッタ……」
「リュー様、お待たせしました。久しぶりにお義父様に会うので、緊張してなかなか出てこられずにいました」
走ってきたせいで乱れた息を軽く整えて、ロゼッタはレックスに向き合うと礼をした。
「お久しぶりです。お義父様」
「……怪我はしていないか?」
「ええ。もちろんです」
「随分、変わったようだな」
「はい。私は少しだけ、強くなったんです」
にこりと笑ったロゼッタは呆然としているリューグナーの手を取った。
不安げなリューグナーを勇気づけるようにロゼッタは、その手をぎゅっと握りしめた。
「リュー様。今この場は私が帰ることが得策です。リュー様も、わかっているのでしょう?」
「ロゼッタだって、もう帰ってこれないかもしれないってわかってるんじゃないの?」
眉を下げて悲しそうに首を傾げるリューグナーにロゼッタは首を横に振った。
「とんでもないです。私は絶対に帰ってきますよ」
「なんで言い切れるの」
「迎えに来てくださるでしょう? 弱い私はやると決めたらやり抜く。愛すると決めたら愛し抜く。そして、信じると決めたら信じ抜くんです。私は、リュー様が望む世界を手に入れるって信じています。ですから、大丈夫ですよ」
小さな声でかわした会話は、リューグナーが力強く頷いたところで終わる。
名残惜しみながら、そっと手を離したロゼッタはレックスの元へと歩み寄った。
「争わずに姫を連れ帰れたとなれば、魔王様への世間の見方は変わるでしょう。お義父様。私は彼の目指す世界へ共に歩むために、お義父様と一緒に帰城いたします」
ロゼッタの一言は宣戦布告であり、釘を刺すためのものだった。
姫を差しだし、油断したところで魔王軍を襲うなんて愚かな真似はしないでほしいという願いだ。
レックスはその意を汲んだようで「わかっている」と頷いた。
「魔王。魔法を解除してくれ。我が騎士団は撤退する。『娘』を取り戻すという目的を果たせた今、ここにとどまる理由はない」
「今度は戦場ではなく、交渉の場でお会いできるということを期待してもよろしいでしょうか?」
「約束はできん」
曖昧な返事は不満であったが、今ここで抗議したところで仕方がない。
リュミエーラの国王に意思を伝えられただけでも充分だろう。
リューグナーはレックスに言われた通り、金縛り魔法を解除した。
動けるようになった騎士団が流石にざわめく中でレックスが通る声で撤退を命じている。
すべてを静かに見守っていたガルディは、ロゼッタの背を見つめるリューグナーの肩に手をかけた。
「リューグナー。こちらも撤退を。ぐずぐずしていたら、敵意があると見なされかねない」
「わかってる」
ぐっと唇をかんだリューグナーはロゼッタに背を向けて魔王軍全軍への撤退を命じた。
リューグナーの撤退を命じる声に一度だけ振り返ったロゼッタは、彼の背中を目に焼き付けてからレックスについて、騎士団の人混みの中へと消えていった。




