26 ふたりの姫君
「仕方なかったんだ」
レックス・リュミエーラ。
一国の王であり、アンジュの本当の父を名乗るその男は『偽者のアンジュ姫』についてアンジュが訊ねると、そう答えた。
「あの娘は死んだと発表する。そして、アンジュ。おまえが生きていることを同時に発表するんだ。
影武者が成してきた姫としての功績はおまえが影で助言していたことにする。本物の姫として、魔王に脅かされている国民の心を支えて欲しい」
レックス王は表情に乏しい冷徹な賢王だと聞いていた。
確かに初めて会った『父』には笑顔もなく、語り口もただ淡々としている。
レックスのアンジュと同じ紫色の瞳は感情を押し殺したように輝きがない。
その瞳を見つめて、アンジュは眉を寄せた。
「レックス様……いえ、『お父様』でしたっけ。そんな反吐がでるみたいな計画は置いておいて、まずは感情の話をしましょう。あたし、感情で納得できなきゃ動けないタイプなので」
「姫として、その言葉遣いはなおしていきなさい。話は聞こう。なにを聞きたい」
自分の影武者に仕立て上げられてしまった少女を救う旅の途中で保護という名目で捕まってしまったアンジュは、彼女がのこしてきた功績を各地で垣間見た。
魔物の被害にあった村に出向き、医療班の指揮を冷静にとりながらその村の民を勇気づけた。
作物の不作にあえいでいる村にも食料を持って出向き、一緒に畑を耕した。
レックスは影武者にも姫としての功績をあげさせ、その功績のすべてを本物のアンジュによる指示のもとだったということにしたいようだが、それは影武者の少女が「いずれは魔王に殺される」とわかっていても、健気に積み上げてきた彼女自身の努力だ。
名もなく、『アンジュ』としてしか愛されることのなかったその少女は、自分の魔王に殺されるためだけの人生をどう思っていたのだろう。
まだ彼女は生きているのだろうか。
それとも、不吉な予言の通りに死んでしまったのだろうか。
もし、後者で『父』にも愛されずに死んでしまったのなら悲しすぎる。
「あなたが、アンジュ姫……。いいえ、影武者だった名前もなかった女の子のことを愛していたか教えて欲しい」
本物のアンジュ姫である自分を救うため、人知れず影武者として『アンジュ姫』を演じてきた名もなき少女。
影武者であろうとも、その少女の『父』を振る舞ってきた彼が、彼女を愛していなかったのなら、その少女が報われない。
じっとレックスを見つめるアンジュに、彼は切れ長の瞳をそっと閉じて、答えた。
「愛してなどいなかった」
*
「話聞いたら、あたしがただ何も知らされずに爆走してただけのオバカだったってよーくわかったわ」
リューグナーとの話を終えたアンジュは、彼が宣言した通り、きちんとロゼッタが待っていた応接室へと訪れた。
アンジュはロゼッタが見込んだ通りのまっすぐで正義感の強い少女だった。
応接室でロゼッタがアンジュを出迎えた瞬間に、アンジュは「ごめんなさい、ロゼッター!」とロゼッタを抱きしめたのだ。
「オバカだなんてとんでもないです。誰もリュー様が平和な世界を望んでいるなんて思いませんし、アンジュ様の立場なら何もわからなくて当然だったと思います。それに、アンジュ様が私を救いに来てくれて本当に嬉しかったんですよ」
「そんなこと言われると嬉しい。保護とかいって捕まえようとしてくる騎士から、がんばって逃れて旅してきてよかったよ。リューグナーから、いろいろな話も聞けていろんなことに納得がいったし」
「リュー様と和解できたようでよかったです」
「適当っぽい話し方する奴だったけど、話自体はちゃんとしてたわ。魔王がどういうものなのかも、魔王のくせになんで平和な世界を目指してんのかも理解した。リューグナーさんは、あなたのこと大好きなのね、ロゼッタ。ちょっと恥ずかしいくらいよ」
「わ、私の方が恥ずかしいです」
「そろそろ座りませんか?」とロゼッタを抱きしめたまま非礼を詫びていたアンジュに椅子を示すと、「それもそうね」とアンジュはロゼッタを解放して席についた。
「それにしても本物だ偽者だってややこしいけど、あたしよりずっとロゼッタの方がお姫様だわ。あたしが田舎の村で自分のことも知らずに生きてた田舎の村でやってたことって狩人だよ? まさか自分が自分の身代わりの女の子のために魔王城に攻め込むなんて考えてもいなかったわ」
「私も、アンジュ様が来てくださるなんて思ってもみませんでした」
「その、アンジュ様っての、やめない? あたしたち姉妹みたいなものなんだから。双子? みたいな感じかな」
指を二本たてて嬉しそうに笑うアンジュにロゼッタは首を傾げる。
「私はリュー様からもらうまでは、名前すらなかった生まれもわからない女です。アンジュ様の双子だなんて恐れ多いです」
「なに言ってんの。あたしなんて、田舎の村でいのしし追いかけたり、近所の子たちと相撲とったり畑耕してた女だよ? 未だにあたしがお姫様だなんて信じられない。そんな信じられないようなことが起こるんだって知ったから、リューグナーの話も信じられたんだけど」
上品な顔立ちをして、豪快に笑ったアンジュは「だから!」と言いながら、ロゼッタの手をとった。
「あたし達は双子。姉妹。あなたは立派なお姫様なんだから、あたしにお姫様としての振る舞い方を教えて欲しいくらいよ。ほら! 敬語もなしなし。双子で敬語しゃべってるなんておかしいでしょ?」
「……アンジュがそう思ってくれるのは、とても嬉しいわ。ありがとう。アンジュに出会えてよかったわ。一生会えないものだと思っていたもの。あなたが自分のことを姫だと悟るときには、私は死んでいるはずだったから」
死を運命づけられていたロゼッタは、アンジュに会えるはずがなかった。
だが、こうして今手を取り合い、姉妹だと言い合えている。
それは、リューグナーがロゼッタを救ってくれたお陰だった。
心中で彼への感謝を述べていると、笑顔だったアンジュの表情が曇った。
「あたしを演じて生きる人生だなんて辛かったでしょ? しかも、あたしの代わりに死ななきゃいけなかっただなんて。あたしには想像もできない人生だよ。本当にごめんなさい」
「アンジュが謝ることじゃないわ。それに、私の人生それなりに幸せよ。辛いこともあったけど、あたしがアンジュを演じなければ、あたしはリュー様と出会うこともなかったんだから」
ロゼッタが穏やかな口調で語りかけると、アンジュは曇らせていた表情に笑顔を取り戻す。
からかうようにロゼッタを指さして「お、惚気られちゃった」と言うアンジュに、ロゼッタはあわてて両手を振って「あ、いえ、そういうつもりでは……!」と声をあげた。
「レックス様……じゃなかった。お父様のこと、ロゼッタはどう思ってる? 恨んでるんじゃない?」
リュミエール国国王レックス・リュミエーラ。
世界でも大きな権力を持つ彼は、ロゼッタを本当の意味で『アンジュ』として見たことなんてあったのだろうか。
ロゼッタを見る感情の宿っていない紫色の瞳に、寂しさしか感じたことはなかった。
だが、それは恨んでいたからではない。
むしろ、愛していたからだ。
「私は、お義父様のことを愛していましたよ。本当の父のように思っていました。ですが、彼にとって私は捨て駒。義父からの愛を感じないことに少なからず、寂しさを覚えていたのは事実です。でも、それはあの人のことを慕っていたから故の寂しさですよ」
「あの人、目怖いよね。なに考えてんだかわかんないって感じ」
「そうなんです。……あ、不敬罪にあたりますよね」
「いけない」と口元を押さえたロゼッタにアンジュは噴き出す。
「なに言ってんの。父親の悪口を姉妹で言い合ってただけで罪になんか問われないよ」
「でも、お義父様は私の本当の父ではありませんので……」
「ロゼッタには伝わってなかっただろうなって思うけど、あの人はロゼッタのこと愛してたよ」
ほほえむアンジュの言葉にロゼッタは一瞬言葉を詰まらせる。
そうだろうか。
そうだったのだろうか。
義父は冷たい瞳をするか、申し訳なさそうにしかロゼッタを見たことはなかった。
「本当はお姫様なんだって知って、あたしの身代わりに魔王に誘拐された女の子がいることも知った。そんなの許せなくて旅に出たあたしは、途中で騎士に保護とかいって城につれていかれたわけ。そこで初めてお父様に会って、身代わり計画だとかを聞いた。
この王様はなに考えてんだろと思って、ロゼッタを愛してるか聞いたの」
「……お義父様は、なんて?」
冷たい瞳でアンジュを見て「愛してなどいなかった」と淡々と答えるレックスの姿が目に浮かぶ。
答えを聞きたいような、聞きたくないような。
恐怖と勇気と好奇心の狭間で揺らぎながらも、おそるおそるアンジュを見ると、彼女は笑みを深めた。
「愛してなどいなかった。……と、言えれば、どれだけ楽なのだろう。私はあの娘を『アンジュ』としては見ることができなかった。『もうひとりの娘』として愛してしまっていた。だが、その愛を貫けば王として選択した身代わり計画という決断を揺らがせることになる。私は、父であることより、王であることを選んだんだ」
出来うる限りの低い声で言い切ったアンジュは「って言ってたよ」と得意げな顔をするアンジュにロゼッタは目を見開き、ゆっくりと口を開いた。
「それって……お義父様の真似、よね? 似てない……かもしれないわ。自信があったなら、ごめんなさい」
「そこ!? いやいや、そこじゃないでしょ!」
「嬉しい。びっくりした。そんなことをお義父様が思っているだなんて考えたこともなかったわ」
ロゼッタのずれた発言に身を乗り出してツッコミを入れていたアンジュは、ロゼッタの嬉しそうな笑みに安堵した様子で椅子に深く腰掛けた。
「お父様とあたしの過ちをただしに、あたしはここに来た。あたしはなーんにも知らずに、ロゼッタを苦しめてたっていう過ち。お父様の過ちは、そんな計画を立てちゃったことはもちろんだけど、ロゼッタに自分の気持ちを伝えなかったことよ。
お父様には、『王』としてより『父』として、今からの生き方を変えてほしいってお願いして、城を飛び出してきたわ。ロゼッタを救って連れて帰れたら、娘として迎え入れてほしいんだって。お父様は黙ってたけどね」
「ありがとう、アンジュ。本当に、本当に嬉しい」
義父からの愛が欲しかった。
子どもにとって親からの愛は太陽だ。
ロゼッタは明かりのない世界に生きているような想いがしていたが、太陽は隠れていただけだったのだ。
寂しくて泣いていた幼少期の自分に太陽の存在を教えにいってあげたいほどに、嬉しかった。
喜びに浸るロゼッタとアンジュのいる応接室にノックが聞こえたのは、間もなく経った頃だった。
返事を待たずに急いだ様子で入ってきたリューグナーは、微笑みあうふたりを見て嬉しそうに笑んだあとに「失礼」と突然の来訪を詫びた。
「仲睦まじくお嬢さん方がお話してるところにごめんね」
「なにかあったんですか……?」
リューグナーの笑顔はいつも通りの笑顔だが、纏う空気がいつもよりも張りつめている。
「うん」と頷いたリューグナーはアンジュへと視線を送った。
「思ってたよりも君のパパの動きが早かった。マール港から船団が出た。レックス王様ご本人も乗ってる。子煩悩なパパが娘のために魔王城ひとつ潰す気みたいだ。アンジュ。君に血を流さずに交渉に持ち込む手伝いをしてほしい」
和やかだった室内の空気が一瞬にして緊迫したものに変わる。
立ち上がったアンジュは神妙な表情で頷いた。




