25 翼のない勇者
「たのもーう!」
そんなかけ声とともに爆発した魔王城の城門。
爆煙の向こう側にたたずんでいたのは眩しい金髪を靡かせた少女だった。
華奢な体には似つかわしくない、いかつい鎧を身につけた彼女の片手には抜き身の剣が握られている。
抵抗することもなく逃げていく警備を担当していた魔物たちの後を追うようにして魔王城に入ってきた少女の前に立ちふさがったのはガルディだった。
「ご令嬢。ここは危険な魔王城だ。なんの用で来たのか、教えてもらおう」
魔王城の魔物たちは戦う力のない者も多い。
有事の際には自身の命の安全を最優先とし、リューグナーへの報告をするように伝えられている魔物たちは、まっすぐに逃げ出した。
ガルディは元ではあっても勇者だ。
魔族になろうとも、その力は衰えない。
リューグナーに「俺になにかあったら、魔王様になってもらおうかな」と冗談めかして言われたこともある彼が任されているのは侵入者の撃退だ。
「魔族か……。あたしは、アンジュ・リュミエーラ! リュミエール王国の姫君らしい」
「アンジュ……!?」
ガルディの表情が驚愕に染まる。
活発そうな彼女の瞳は、レックス王と同じ紫の輝きを持っていた。
*
城門が爆破された音に続いて魔王城を揺らしたのは、戦闘音だった。
魔法と魔法のぶつかる激しい音を聞きながら、ロゼッタはリューグナーたちと共に城門へと向かっていた。
「戦う力に自信があって、俺と戦ってくれる者は戦闘の準備を! そうでない者は逃げてもいいから生き延びろ! 襲撃してきた女を先頭にリュミエーラの軍勢が攻め込んでくる。今ここにいなかった者にも同じように伝えろ!」
戦闘音に逃げ出したり、戸惑って動けないでいる魔物たちにすれ違いざまにリューグナーは声をかけていく。
逃げていく魔物も、動けなくなってしまった魔物たちもリューグナーの声かけによって落ち着きを取り戻しているようだった。
「魔王が部下に逃げ出せとかありえねぇぜ。むしろ魔王の盾になって死ねとでも言うべきだろうが」
「それがリューグナーなの。だから、みんなあいつについていく。平和な世界を望む魔界の民だって、たくさんいるのよ。あんたみたいに流血大好き野郎ばっかじゃないの」
呆れた様子のヴォルケイスに反論するドルチェはどこか誇らしげで、言われたヴォルケイスも肩をすくめるのみで、それ以上の反論をすることはなかった。
「ガルディ!」
リューグナーを先頭に城門前のエントランスまでたどり着いたロゼッタが見たのは交戦中のガルディの姿だった。
魔法と魔法がぶつかったことで生まれた衝撃波から逃れて後ろへと飛んだガルディがロゼッタの呼ぶ声に、こちらに視線を向ける。
その隙をつくように飛び込んだ襲撃者は放った斬撃をはじかれて爆煙の中でガルディと距離をとる。
全員の視線を一身に集めた襲撃者の少女は紫色の瞳で、一同を見渡す。
そして、ロゼッタを見ると、その鋭い視線を安堵に染めた。
「見つけた」
あの紫色の瞳を知っている。
義父王・レックスがいつも胸に提げているペンダントに入れていた写真の中にいた少女の瞳だ。
あの写真はまだ赤ちゃんの頃の写真だったが、変わらない。
「アンジュ姫……?」
「あなたでしょ? あたしの身代わりにされた子は。生きていてよかった」
ほっとした様子のアンジュは、次の瞬間には表情を険しいものに変え、その刃の切っ先をロゼッタの隣に立つリューグナーへと向けた。
「魔王! 残念だけど、あなたの狙っていた姫はその子じゃない! その子はなんの関係もない巻き込まれただけの女の子よ! 今すぐ解放しなさい!」
「勇猛果敢なお姫様だってことはわかった。でも、お姫様がわざわざ何のご用で、こんな離島の魔王城に?」
戸惑うロゼッタの前に制止するように腕を出したリューグナーが挑発的にアンジュを見下ろす。
アンジュは、その瞳を鋭く細めた。
「勇者の消息は王にさえもわからないと聞いたわ。でも、定期的に彼は王に手紙を送っていた。その手紙が途絶えてから数ヶ月が経つ。もう彼は生きていないのかも知れない」
ガルディの眉がぴくりと動く。
「人類の希望だった勇者様がいなくなったのなら、他の誰かが魔王を討ち滅ぼせばいい。勇者は翼を授かったものだけがなるものじゃない。翼がなくとも、魔王を倒せばそいつが勇者よ」
ふん、と鼻を鳴らして顎をあげたアンジュは腕に自信がある様子だ。
ガルディと互角の勝負をしていたアンジュは、確かに勇者と同等の力を持っているのだろう。
通常の魔王であれば、倒せたのかも知れない。
だが、リューグナーは魔界でも規格外の魔王様だ。
姿勢を低くしたアンジュが獣のごとくリューグナーへと飛びかかる。
瞬時の動きにガルディが反応したが、それよりもリューグナーの方が早かった。
意思を持った瞬きひとつ。
それひとつでリューグナーの魔法は発現する。
飛び出したアンジュの足下に浮かんだ魔法陣は驚いた彼女が飛び退く前に彼女の足に魔力の枝をからみつかせた。
前のめりになって転んだアンジュが小さくうめく。
なお、こちらを睨みつけてくるアンジュにリューグナーは魔王らしい邪悪な笑みをその口元に浮かべた。
「お姫様は激しいな。……思いこみが」
「はぁ!? どういう意味よ! 離せ、魔王! あたしの身代わりにその子を殺させたりなんかしない!」
「そうだね。殺させたりなんかしない。そう思ったから、俺も魔王様になったんだよ」
混乱している様子のアンジュに、リューグナーの横を通って走り抜けてきたロゼッタが駆け寄る。
てっきりリューグナーに自由を奪われていると思っていたのだろう。
まったくもって自由な様子でアンジュのところに走ってきたロゼッタにアンジュは「え? え?」と混乱している様子だった。
「怪我はしていませんか? リュー様も悪気があったんではないんです。ただ、お話を聞いて欲しかっただけなんです。ちょっと適当なところはありますが、悪い方ではないんですよ」
「リュー様? え? あなたは、あたしの身代わりでとらわれていたんじゃないの? それとも、あたしの勝手な勘違い?」
「いいえ。あたしはあなたの身代わり。『アンジュ姫』として生きていた『ロゼッタ』です。この名前は魔王であるリュー様にもらったんです」
「名前をもらった……?」
困惑している様子のアンジュがリューグナーを見やる。
視線の先のリューグナーは、にこりと穏やかな笑みを浮かべて、アンジュの足にからみつく魔法を解除した。
「落ち着いてお話をする気になったかな? こちらもちょっと急いでる。この魔王城にリュミエーラ国の騎士団が迫っているって話なんだけど、どうにもその軍勢と君との距離が開きすぎだ。君がその騎士団を率いてきてるって話なら、こっちもちょっと対応を考えるんだけど、違うみたいだね?」
「騎士団が攻め込む? 聞いてない。今まで動かなかったのに、どうして今更……」
「それは、俺も同意見。少し昔話をしよう。俺が魔王になった理由も、俺が目指す世界の話も教える。それを聞いた上で君に協力する気が起きたなら、俺の目指す世界にむかって共に歩んで欲しい」
「魔王の目指す世界……? ろくなもんじゃなさそうだけど」
「酷いなあ。話は聞いてから判断するべきだよ。騎士団は君のためって名目で動いてる。血を流さずに騎士団をとめられるのは姫である君だけだし、俺がリュミエーラの国王と話をできるかもしれない機会をつくることができるのも君だけだ。俺は君と信頼関係を築きたい」
優しい微笑みを浮かべてアンジュを見ていたリューグナーが、ロゼッタに視線を向けてくる。
不安げな表情を見せるロゼッタにリューグナーは静かに頷いてくれた。
「……わかったわ。あなたがあたしを殺さないってことは、あたしにしなければならない話が本当にあるってことなんだろうから。それに、あたしの身代わり……ロゼッタを生かしてたってことにもなにか意味があるんだと思う」
「お、よかったよ。君みたいなじゃじゃ馬に言うこと聞かせるのは大変だって知ってるから、もっと骨を折るかと思ってたんだ。ねー、ドルチェ」
「なんで、あたしに言うのよ」
不満げなドルチェにけらけら笑うリューグナーの隣でヴォルケイスもげらげら笑っている。
ロゼッタの手を借りて立ち上がったアンジュはロゼッタに礼を言うと、姫の気品を感じる微笑みを見せた。
「あなたが無事で本当によかった」
「……あの、リュー様の話を聞いてくださってありがとうございます」
「納得いかなきゃ、あたしが死のうとも戦えばいい話よ。あたしが死ねば、騎士団はどんなに犠牲を払おうとも姫の弔い合戦という名目で、魔王を全軍事力をもって滅ぼすために努力する理由ができる。……あたしひとりで、あんな化け物みたいな魔力もった奴を倒せるとは思ってない」
「死ぬかもしれないと思っていて、この城に来たのですか?」
ただの村娘だったのに、突然お姫様だと告げられた。
その気持ちはどんなものなのだろう。
戸惑うだろうし、受け入れられるのかもわからない。
そんな状況の中、彼女は城を飛び出して、いかめしい甲冑に身を包んで魔王城へと挑んできたのだ。
なぜ、死ぬかも知れないとわかっていて、ここに来たのか。
わからずにただ驚くロゼッタにアンジュは、にっとやんちゃな笑みを浮かべた。
「決まってるじゃない。あたしの代わりに誰かが死ぬだなんて許せない。あたしはレックス様……いえ、お父様の過ちをただしに来たの。魔王の話に納得がいけば、あいつの目指す世界とやらに協力してやってもいいわ」
当然のことのように正義を果たそうとするアンジュにロゼッタは思わず微笑んでいた。
さんざんからかわれたドルチェが怒りながらもアンジュに声をかけてきて、アンジュはドルチェに連れられて去っていく。
人間としては最高峰の力と力がぶつかり合ったエントランスは破壊され、見るも無惨なものになっている。
そこにたたずんでいたガルディは、ロゼッタの隣に並ぶと、ドルチェと話しながら歩いていくアンジュの背をロゼッタと共に見つめた。
「彼女の背中には翼はない。だが、あの人は間違いなく勇者だよ」
「そうね。ガルディと同じ。あの人は正義の為になら、きっと魔王様と手を組むことだって厭わないわ」
「ロゼッタ」
少し離れた場所でヴォルケイスと話をしていたリューグナーが、こちらに歩み寄ってくる。
彼はそのままロゼッタの手をとった。
「アンジュが来ても、君は君だから。なんにも不安に思ったりしなくて大丈夫だよ」
「もうそんなことで不安になんてなりませんよ。リュー様がいますから、大丈夫です。ありがとうございます」
「ははっ。そう? よかった。ロゼッタもアンジュとお話してみたいんじゃない? 俺との話が終わって、彼女に協力する気があればの話になるけど、ロゼッタと話をしてもらうようお願いするよ」
「それなら、きっとお話できますね。あの方は強い方ですから、魔王であるリュー様に臆せず手を貸してくださるはずです」
「そうかな?」
苦笑したリューグナーが、頬を掻く。
アンジュとの交渉はリューグナーの目指す平和な世界への大きな一歩となることは間違いない。
表情には出さないものの、いつにもなく緊張している様子のリューグナーに微笑んだロゼッタは、彼の両手を握りしめた。
「パワーを送っておきますから、がんばってください。絶対に大丈夫です。お部屋で静かにアンジュ様を待っています」
「癒しパワー?」
「いいえ。今度はがんばれパワーです」
くくっと喉を鳴らしたリューグナーはパワーをもらってから、「ありがと」とロゼッタの頭を撫でて去っていった。
隣で微笑ましげにそれを見ていたガルディの視線に気付いて、ロゼッタは真っ赤になりながら「違うの」と何かを否定することしかできなかった。
*
マールの無惨な光景を前に王は黙祷する。
愛する民の死に自身の不甲斐なさを感じながら、王はひとりマールを見渡せる丘の上から魔王城へと目を向けた。
「『アンジュ』……。私を許してくれ」
複雑極まる娘への想いは、どうにも伝わらない。
いや、国を思えば伝えてはならないのかもしれない。
非情の王にはなりきれない、人間らしい自身の心を握りつぶすように胸に手を当てた王の元に騎士がひとり駆けつけた。
「レックス王様。港に船が一艘帰ってきました。金髪の少女に船を出してくれと頼み込まれたと言っています」
「そうか。間違いなくアンジュだろう」
目を閉じて頷いた王が次に目を開いたとき。
彼の瞳は賢王と呼ばれるにふさわしい輝きが宿っていた。
「我らも船を出す。我が娘、アンジュをこの手を持って救い出す」
「はっ!」
敬礼をした騎士が去るのを見送ってから、王は魔王城を睨みつけた。




