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22 婚約破棄


「大好きな子ができたんだ。自分勝手で、本当に申し訳ない」


 魔王管理局局長であるライラの父からの「魔王になれ」という打診をことごとく交わし続けていたリューグナーは、ライラの元を訪れるなり頭をさげた。


 伝説の大魔王を殺してしまってからというもの、人間界をふらつき、魔界をふらつき。

 何かを探し求めるようにあらゆる世界を徘徊していたリューグナーは婚約者であるライラを気遣って時々顔を出してはくれていたが、このときは二年ぶりの再会だった。


 頭を下げて彼が突きつけてきたのは婚約破棄。


 聞けば、まだ交際もしておらず、想いも告げていないのに、「他の人を愛してしまったから」という理由で婚約破棄を告げてきたリューグナーは本当に美しいと感じた。


「お父様、たぶん怒るわよ?」


「だろうね。ライラはかわいい愛娘だから」


「そうよ。だから、私はお父様の怒りを鎮めるのにとても苦労するわ。だから、リューグナーにはひとつだけお願いがあるの」


「……婚約破棄は受け入れてくれるってこと?」


「ええ。もちろん。イヤだって駄々をこねるのはみっともないでしょ。婚約破棄は受け入れる。だから、ひとつ約束して」


 ライラはこみ上げる涙も胸の奥の痛みも、すべて笑顔で覆い隠して小指を差し出した。


「絶対に幸せになるって」


 *


「こんばんは、ロゼッタ。夜遅くにすまない。今、いいだろうか?」


 魔族と人間の寿命の差。

 彼を置いて逝くこと。

 美しい彼の隣で老いていくこと。


 まだはっきりとは想像できない未来に思いを馳せて、頭を悩ませて。

 リューグナーの幸せとは一体なんなのだろうと、懸命に考えた。


 そのうちに夜も更け、もう月が空を照らしてしばらくが経った頃。

 ロゼッタの部屋を訪れたのはガルディだった。


「話があるって言っていたわよね。中途半端になってしまってごめんなさい」


 ガルディの部屋で話をしていたとき、ガルディは話したいことがあると言っていた。

 ライラの登場によって、その話が後回しになってしまったことは気になっていたのだ。


 ガルディを部屋に招き入れたロゼッタは、彼を椅子へと促したが、ガルディは席につくことはなかった。


「……ガルディ?」


 ロゼッタの私室に入ったところで立ち止まったままのガルディは緊張している様子だった。

 唇を噛んで視線を横へと流したガルディの様子にロゼッタも動きを止める。


 よく考えれば、夜にガルディが部屋を訪ねてきたことなんて一度もない。

 「日が落ちてから女性の部屋に行くだなんて、とんでもないことだ」とでも言いそうな彼が、こんな時間に訪れたということは本当に重要な話なのだ。


 ロゼッタはガルディの前へと歩み寄ると、背の高い彼を見上げる。

 視線をそらしていたガルディはロゼッタと目が合うと覚悟を決めたように小さく頷いた。


「ロゼッタ。僕は君のことが大好きだ。君が誰であろうと、君のいつも一生懸命なところが、まっすぐなところが、心の底から大好きだ」


「ありがとう、ガルディ。私もガルディの真面目なところも、何にでも真剣なところも大好きよ」


 何の話なのだろうか。

 先が見えない話に首を傾けながらも返事をする。


 ガルディは切なげに瞳を細めてロゼッタの言葉を聞いていた。


「だから、これからする話に誤解はしないでほしい。僕が君のことを大好きだって思う気持ちは永遠に変わらない」


「……ええ。わかったわ」


 不穏な話なのかと身構えつつ頷く。

 ガルディは深く息を吸ってから、静かに、ゆっくりと、柔らかな金髪が揺れる頭をさげた。


「ロゼッタ。君との婚約を破棄させてくれ。なかったことにしてほしい。神の前で結ばれることを誓ったというのに、申し訳ない」


「……なにか、あったの?」


 ガルディから申し入れられた婚約破棄。

 それは青天の霹靂のようなものだった。


 驚きながらも口にした疑問にガルディが頭をあげる。

 その表情は泣きそうに微笑んでいた。


「君に、幸せになってほしいからだ」


「ガルディとの婚約をなかったことにすることで、私は幸せになれるの……?」


「少なくとも、真面目な君が自由に人を愛する決意がつくと思ったんだ。君が誰かを愛するには、僕との婚約は足枷にしかならない」


 優しい声音で言うガルディにロゼッタは俯く。


 確かに、リューグナーへの返事や彼の幸せについて考えていたとき、ロゼッタの頭には、いつもガルディとの婚約が浮かんできていた。


「僕はずっと言ってきたはずだ。君に好きな人ができたなら、僕に遠慮なんかせずに、その人と結婚すればいいって。リューグナーが好きなんだろう? 彼とならば、遠慮なんてすることはない」


 ガルディは、ロゼッタなんかよりもずっと早く、ロゼッタの想いに気が付いてくれていたのだ。

 ロゼッタが、リューグナーを愛しているということに。


 ガルディのあまりにも優しい微笑みに、ロゼッタは知らず、泣きそうになっていた。


「ごめんなさい、ガルディ。本当は、私から言い出さなければならなかったんだと思うわ」


 リューグナーが好きなのか。

 リューグナーのことを愛しているのか。


 今まで耳を傾けたことのなかった自分の感情に、リューグナーの幸せを考えたときに必死で耳を澄ませた。


 愛も恋も難しすぎて、よくはわからない。

 けれど、確かにロゼッタはリューグナーの幸福を願っていた。

 そして、彼のためなら何にでもなれる思いがした。


 リューグナーがロゼッタの死を乗り越えられないと言うのなら、彼に嫌われるためにどんな悪女にでもなってみせよう。

 ずっと傍にいてくれと言うのなら、どんなに老いても、いつまでも変わらない彼の隣に堂々と立ち続けよう。

 他に好きな女性ができたと言うのなら、行き場がなくともどこかへ消えよう。


 この感情が愛でないなら、ロゼッタにはもう愛なんてわからなかった。

 それほどまでにロゼッタはリューグナーでいっぱいだった。


 こんなにも愛している人ができたのに、ガルディと将来を約束しているのは失礼にあたることだった。

 それなのに、婚約解消を言い出せなかったのは、きっと自分が『いい子』でありたいというロゼッタの卑怯なわがままだったのだ。


 震え声で謝罪するロゼッタに、ガルディは「違う!」と焦った様子で大きな声をあげた。


「僕から伝えたかったことだから、よかったんだ。ロゼッタに直接ふられたりなんかしたら、僕はきっとショックで寝込んでしまう。覚悟を決めて、伝えに来られた。それは僕にとって幸せなことだ」


 ロゼッタの肩をつかんで優しく語りかけてくれるガルディに、ロゼッタは初めて気が付いた。


 ガルディは私のことを愛してくれていたんだ。


 幼い頃から、彼の「大好き」を友情だと勘違いしていた鈍感な自分が恥ずかしい。


 ずっとずっと気が付かなかった。

 『アンジュ』ではない自分なんかを愛してくれる人がいるはずがないと勝手に思いこんでいた。


 こんなにも愛してくれる人が隣にいてくれたのに。


「ごめんなさい、ガルディ。私、ずっと気が付かなかった……」


「気が付かなかったことにしてくれればいい。明日から僕の『大好き』は友への愛だ。僕の想いなんてゴミ箱に捨ててしまえばいいよ。僕もこの想いは殺してしまうことにする。君の幸せが、君の笑顔が、僕のなによりの幸せだ。リューグナーは、きっと君を幸せにしてくれる。だから、託すんだ。

 もう『ごめんなさい』は終わりにしよう。僕は君に幸せになってほしくて、婚約を破棄しにきたんだ」


 「ね?」とガルディがロゼッタの頬に触れる。

 その温もりにロゼッタは、こくりと頷いて眉をさげたままに柔く微笑んだ。

 

「ありがとう、ガルディ。残酷な言葉になってしまうのかもしれないけど、私はやっぱりあなたが大好き。これから先の人生。私はあなたの想いに気が付かなかった愚かな女を演じて生きていくわ。だから、今だけ言わせて。

 ガルディ。『私』を愛してくれて、本当に、本当にありがとう」


 頬を涙が伝った。

 「ロゼッタを泣かせない」と言ってくれたリューグナーには生涯秘密の涙のつもりだ。


 ガルディはくしゃりとその表情を歪めて、そっとロゼッタの背に腕を回した。

 優しく抱きしめられる腕の中でロゼッタもガルディを抱きしめ返した。


「すまない、ロゼッタ。もう、君に気軽に触れられるのも、きっと今が最後なんだ。だから、最後に一度だけいい想いをさせてくれ。……愛していたよ、ロゼッタ」


 「ええ」と一言だけ返して、ロゼッタはその後には何も言わなかった。


 ガルディは数分の間、ロゼッタを抱きしめてから、彼女を離した。

 最後に、ガルディはこちらの胸が痛くなるような笑みを残してロゼッタの部屋を出て行った。


「明日からは友達だ。僕は君の『最高の友達』として傍にいるよ」


 「おやすみ」と残して帰って行った彼の背をロゼッタは見えなくなるまで見送った。



 翌日。ロゼッタはリューグナーの私室の前に立っていた。

 緊張で手は震え、呼吸も浅くなっていることを感じて深呼吸する。


 人に本当の気持ちを伝えることは、こんなに緊張するものなのだと初めて知った。

 こんな想いをしながらも想いを伝えてくれたガルディにライラに、リューグナーに尊敬すら覚えた。


 爆発しそうな心臓を宥めるように胸を撫でて、ロゼッタはリューグナーの私室のドアをノックする。

 彼の部屋から現れたのは、リューグナーではなく、ライラだった。

 にっこりと艶っぽく微笑んだライラは「まあ」と嬉しそうに声をあげた。


「勘違いしないで。リューグナーとは、何もないわ。ちょっとお酒に誘いに来ただけよ。彼ったら付き合ってくれないのよ。ドルチェちゃんは二日酔いだし」


「俺は朝から飲まないってば。酒ばっか誘うからドルチェにも逃げられるんだから、適度に誘いなよ」


 呆れた調子でライラに言いながら、リューグナーも顔を出す。

 ロゼッタを見るなり、穏やかに瞳を細めたリューグナーにロゼッタは緊張で笑を返すことは出来なかった。


「おはよう、ロゼッタ。昨日はバタバタしてごめん。俺も急にライラが来たからびっくりして……」


「いえ。とんでもないです。大丈夫なんです。ライラさんは私に愛する覚悟を求めに来てくださっただけなんです。ありがたいことなんです」


「覚悟?」


 パチリとリューグナーが不思議そうに瞬きをし、ライラは切なげに眉を寄せる。

 ふたりの顔を交互に見てから、ロゼッタは高らかに宣言した。


「私はライラさんの質問への答えを用意して参りました。おふたりに聞いてもらいたいと思っていたのです。よろしくお願い致します」


 ぺこりと頭を下げるロゼッタを不思議そうにしながらも部屋に招き入れたリューグナーをライラが隣で寂しそうに見つめていた。

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