20 魔王の苦悩と女の戦い
「彼がリューグナー・ライアー。おまえの婚約者になる方だよ」
何百もの世界を滅亡に追いやった伝説の大魔王サタナス・ライアー。
その息子であるリューグナーをはじめて見た少女は驚いた。
透き通るような肌に、繊細な印象を与える黒い髪。
伏し目がちな瞳は憂いを帯び、その陰のある表情がまた更に彼の魅力を引き立てているようだった。
「……こんにちは」
サタナスに乱暴に背中を押されて前に出てきたリューグナーが、か細い声で挨拶をしてくる。
少女は幼い顔には不釣り合いなほどに妖艶な笑みを浮かべて、その挨拶に応えた。
「こんにちは。はじめまして、リューグナー。あなたほど美しい男性は見たことがないわ。あなたと婚約できて、幸せよ」
興味なさげにリューグナーが頷くのを見ながら、少女はリューグナーと出会えた歓喜に震えていた。
*
「はじめまして。ライラよ。立派なお客様である私をつかまえて『襲われた』だなんて失礼しちゃうわ」
呆然とするロゼッタに余裕の笑みをむけて、正々堂々と自己紹介してくれやがったライラ。
告白の返事をもらおうという最悪なタイミングで現れるというのが、今回は偶然なのだろうが、女性らしい強かさを持った彼女らしいとリューグナーは感じていた。
「なんで……このタイミング」
ライラは何も言わなかった。
だが、あの底知れない微笑みから考えるに、まず間違いなくリューグナーがロゼッタを大切に思っているということには勘づいている。
下手なことを言われる前にロゼッタから離すことが最優先事項だった。
リューグナーはライラを追いやるように客室へとライラを移動。
嫌がるドルチェに「なんでもいいから酒用意して、飲ませといて」と頼み込んでから、自室に戻って頭を抱えていた。
「おお、リューグナー。おまえも大変だなぁ。無事に告白劇を終えたかと思ったら、今度は三角関係かよ。どろどろもいいとこだな」
「ヴォルはなんでいるんだ」
カッカとリューグナーの自室に勝手に侵入した上で、悪びれもせずに豪快に笑うヴォルケイスを追い返す気力もない。
魔王になる際に習得を義務づけられる転移術は並の魔族では扱えない高度なものであり、移動先の相手にほぼ気付かれることなく移動が可能だ。
便利だと思っていたこの魔法だが、ヴォルケイスが使えると厄介この上なかった。
「ヴォルまでロゼッタをまた誘拐しに来たなんて言ったら、俺はあの子を連れてどこかしらの異世界に逃げ込む」
「あいつ転移の酔いがすげぇだろォが。無理無理」
「酔い止め飲ませてでも連れて行く」
頭を抱えるリューグナーにヴォルケイスはため息をこぼす。
ライバルに強さと輝きを求めるヴォルケイスが、今の沈みきっているリューグナーを許せるはずがなかった。
「元気だせよ、リューグナー。ライラにゃ、ロゼッタがおまえの女だとは言ってねぇよ」
「まだ俺のものじゃ……。って、ちょっと待て」
肩に手を置いてきたヴォルケイスに、ハッとリューグナーは顔をあげる。
魔界で魔王管理局局長という、魔界でほぼトップの立ち位置を確立している父のもと、ぬくぬくとした生活を送っていたはずのライラがどうして、リューグナーの元を突然訪れたのか。
その疑問はあったが、ヴォルケイスの先ほどの一言で、ある仮定がリューグナーの頭に浮かんだ。
「ライラに他には何か言ったってこと?」
「あ? 百個目の世界滅ぼしたあと。ライラの親父には報告しに行ったときに、あいつに偶然会ったから軽く話したぜ。リューグナーはどうしてるかって聞かれたから、おまえが姫を誘拐して、勇者を部下にしたらしいってよ」
「……また、ヴォルが元凶か」
がくりと肩を落としたリューグナーに、ヴォルケイスはいまいち分かっていない様子でむっとする。
「なんで俺が元凶なんだよ」と不満げなヴォルケイスを相手することなく、リューグナーは深いため息をこぼした。
「どうすりゃいいんだ……」
力で解決できることなら全く負ける気がしない。
ロゼッタの命を守る方法なら、どんな戦闘時でもいくらでも思いつける自信がある。
だが、ロゼッタに誤解されない方法や婚約者を追い返す方法は、リューグナーにはわからなかった。
*
「あんなに恐ろしい思いをしたのは、三日食べられなかった状態でワイバーンに出会ったとき以来だ……」
「どうして三日も食べられなかったの?」
「……町で詐欺にあってお金がなかったんだ」
リューグナーが「あー、ライラね。あー、はいはい」などとよくわからないことを言いながら、ライラと名乗った女性と嫌そうにしているドルチェを連れて出て行ったあと。
ロゼッタはガルディの自室を訪れた。
ガルディはリューグナーたちが去ったあと、こちらが心配の声をかける隙もない怒濤の勢いでロゼッタの体調を心配した後に、ふらふらと自室へと帰って行ってしまったのだ。
リューグナーの婚約者が登場したということには正直動揺していたが、ガルディが困惑している様子だったことが気になったのだ。
リューグナーの婚約者について、今はあれこれ悩んでも仕方がない。
まずは「襲われた」と言っていた友人であるガルディの様子を確認しようと訪れたところ、しばらくガルディはドアを開けてはくれなかった。
「君にあわす顔がない」
「僕は穢れてしまった」
「女性は怖い」
ドアの向こう側から聞こえる不穏な言葉に「大丈夫よ」と励ましを返し続けること数十分。
昔から落ち込む度に、長いこと閉じこもってうじうじするガルディへの対処には慣れたものだ。
眉を下げた情けない表情をしたガルディはようやくドアを開けて、ロゼッタを迎えてくれた。
「結局、あのライラという方には何をされたの?」
「……言えない。ロゼッタにだけは知られたくないんだ。申し訳ない。けど、僕はリューグナーの客人を名乗って、彼に会わせてほしいと言ってきた彼女に案内を申し出ただけなんだ! 僕は彼女をいっさい誘惑なんてしていない。信じてくれ!」
「よくわからないけど、わかったわ。ガルディを信じる」
泣きそうな勢いのガルディに気圧されながらもロゼッタは頷く。
なにをされたのかはわからないが、とにかくなにか恐ろしいことをされたらしい。
かわいそうな幼なじみが椅子に座って落ち込む背中を撫でると、ガルディは「ありがとう」と表情を緩めた。
「さっきも何度も言ったけど、君が無事で本当によかった」
「心配をかけてごめんなさい」
「今の今まで格好悪い姿を見せておいて恥ずかしいんだけど、リューグナーの婚約者も現れてしまったし、もたもたはしていられない。……僕は君にきちんと話さなければいけない話があるんだ」
「ガルディ?」
ガルディがまっすぐな眼差しをロゼッタに向けてくる。
本当に大切な話なのだと直感したロゼッタが姿勢を正したのと、ガルディが真面目な表情を一変させて怯えたように立ち上がったのは、ほぼ同時だった。
「どうしたの? お話は……」
「したい。したいのは山々なんだが、恐ろしい気配が近付いてくる……!」
ロゼッタを背に庇ってドアを睨むガルディは真剣そのものだ。
ロゼッタには恐ろしい気配がなんなのかはわからないが、ガルディの気迫に思わず身構える。
「こんにちはぁ! 美男美女のお二方!」
次の瞬間、開け放たれたドアの向こうから現れたのは、ワイングラスを掲げたライラだった。
艶っぽい紫紺の髪を揺らして登場したライラにガルディが警戒しているのが、ロゼッタにも伝わってくる。
しかし、ライラはいっさいそんな様子のガルディには構わず、ふふっと微笑むのみだ。
「探したわ〜。ドルチェちゃんが邪魔するから大変だったのよぉ。酔いつぶれて寝ちゃったけど」
「お酒を飲まれていたんですか?」
「ええ、そうよ。リューグナーが歓迎にお酒をふるまいたいって。でも、お仕事が大変みたいで一緒には飲めなかったの。ドルチェちゃんが一緒に飲んでくれたからいいんだけどね?」
「何の用があって来たんだ……」
唸る大型犬のごとくライラを睨むガルディに、ライラはそこでようやく目を向けたようだった。
垂れた瞳をぎゅっと瞑って「やだぁ、怖い」と大げさに声をあげたライラの仕草はあざといものだったが、その愛嬌のある色っぽい顔のせいですべてが許された。
「今回はあなたに用事があって来たんじゃないのよ? 元勇者様。おいしそうだったから、ちょっと味見しただけじゃない。そんなに怒られることじゃないわ」
「あの、ガルディに何をしたんでしょう?」
こんなに怯えているガルディは初めて見た。
リューグナーの婚約者というライラの立場には、ロゼッタの心は少々ささくれだつ思いがあったが、そんなことで嫌いになるわけにはいかない。
だが、ガルディになにか酷いことをしたというのであれば、話は別だ。
訝しげに瞳を細めて訊ねたロゼッタに「あのね」と可愛らしく返事をしたライラは自身の柔らかな頬をぷにっと指で示した。
「ほっぺにちゅってしただけよ?」
「ほっぺに……ちゅっ、ですか」
「重罪だ! 頬とはいえ、女性が簡単に唇を許してはいけない!」
ライラを激しい勢いで指さして糾弾するガルディに、ロゼッタは目を瞬かせる。
ガルディとしては、本当に重罪だと思っているのだろう。
だが、頬にキスくらい構わないのではないだろうか。
羞恥で顔を真っ赤にして怒るガルディの背をロゼッタはまた「落ち着いて」と撫でてやった。
「さ。噂の元勇者様の真面目っぷりを楽しんだところで、ガールズトークしましょ? ロゼッタちゃん」
「私にお話でしょうか? どういったものでしょう」
リューグナーの婚約者であるライラは見るからに女性としての勘が鋭そうだ。
なんとなく今からされる話が、リューグナーに関するものだろうことは理解できた。
自身の婚約者であるガルディとリューグナーの婚約者であるライラ。
ふたりの前に立たされたロゼッタの心は、まるで浮気を責められる罪人のような気分だった。
リューグナーに告白された。
彼はロゼッタのことを想ってくれていた。
その告白を喜んでしまっているロゼッタを、ライラがその妖艶な微笑みで責めているように感じられた。
「リューグナーの婚約者として、ありきたりすぎる台詞をまずは言わせてもらうわね。本当に月並みで私自身イヤになるのだけど、これ以外に言いようがないから言わせていただくわ」
ライラの美しい微笑み。
その細められた瞳にスッと冷たい輝きが宿った。
「あなたはリューグナーにはふさわしくない。人間であるあなたには、彼を幸せにはできないわ。だから、彼があなたを愛していても、その愛を受け入れないで」
冷たく鋭いその言葉の響きの中には、どこか懇願するような想いが込められている気がした。




