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02 行方不明の脚本


「私は私じゃないの。どこかにいる本物のお姫様のために私は死ぬの」


 まだ幼かった頃。

 ただひとりにだけ本当のことを伝えたことがある。

 彼は驚いた顔をしたあとにロゼッタを抱きしめてくれた。


「本物も偽物も関係ない。君のことを殺させたりなんてしない。絶対に幸せにしてみせるから」


 あのとき、彼は泣きながらそう言ったんだっけ。


 そんなことを不意に考えてしまったのは、きっと「三日三晩苦しんで死ぬ」という物心ついたときから決まっていた重大な予定が、突如キャンセルされてしまったからだ。


「はい。じゃ、今日からここがあんたの部屋。風呂も洗面所もついてるから好きに使いなさい。夜は冷えるから気をつけなさいよ」


 桃色の短い髪に魔族を示す紅い瞳。女性の平均身長であるロゼッタの半分ほどしか身長のないその幼女は名をドルチェと名乗った。


 魔王にさっきは「演出係」と呼ばれていた彼女はここに来るまでの間に話を聞いた限り、魔王の右腕と呼ばれる若くして優秀な魔女だそうだ。

 何枚ものフリルが幾重にも重なったかわいらしいドレスは魔女風にアレンジしてある深い紫色のもので、見るからに魔法少女といった印象だ。


 そんな魔法少女ドルチェが案内してくれた部屋は魔王城の最上階にある部屋のひとつだった。

 魔王城らしく暗めの色合いではあるが、天蓋付きのベッドも天井に吊り下がるシャンデリアも見るだけで超一流品だということが感じられる。

 王宮にいたころと変わりのない絢爛豪華な調度品をぼんやりと見つめながら、ロゼッタは思案していた。


 なんで私、生かされてるのかしら。


「俺の名前はリューグナー・ライアー。五千七百二十四歳。世界を脅かす恐怖の新人魔王様だよ。ま、気軽にリュー様って呼んでくれていいから」


 そう名乗って「ふぁー、眠い眠い」とあくびをしてどこかへと去っていった魔王……リューグナーの意図がまったくわからない。


 ドルチェが見守る中、室内へと足を踏み入れたロゼッタは部屋にある大きな鏡の前に立った。


 鏡はロゼッタにとっては、もっとも大切なものだ。

 リュミエーラ王国の姫・アンジュという役柄を演じるために、ロゼッタは毎朝こうして鏡の前に立って、自分自身を見つめた。


 国民に愛される美しく聡明な姫君。


 父王レックスが望んだ『アンジュ』という役柄をこうして鏡の前で見つめ直したのだ。


 鏡にはいつも通りの自分がうつっている。

 月色の胸下まである長い髪。丸く大きな新緑を思わせる翠色の瞳。透き通る白い肌もすらりと伸びた美しい体も、『アンジュ』を演じるために磨き上げてきた美貌だ。


 アンジュとして生きて、アンジュとして死ぬ。

 そして、自分の死後に現れた本物のアンジュが国に祝福とともに受け入れられる。

 そういうシナリオの中でしか生きることを許されていなかったロゼッタは、突然その舞台から引きずりおろされたことで戸惑っていた。


 深夜に寝ているところを誘拐されたためにシルクの寝間着のままの自分をじっと見つめる。

 『アンジュ』から解き放たれた自分は、開放感とともにこれからどうすればいいのかという不安でいっぱいの顔をしていた。


「ドルチェさん」


「ドルチェでいい。敬語も一切いらないわ。めんどくさい上に、気持ち悪いでしょ」


「わかったわ、ドルチェ。素敵な部屋を用意していただいて悪いのだけど、意図がわからないわ。『ロゼッタ』と名付けられたのもよくわからないし、謎だらけでどうしていいのか……」


「あー、まあ、そうよね」


 幼さを感じさせる紅い瞳を眇めたドルチェが困ったように腕を組む。


「あたしだって意味わかんないわよ。リューグナーの部下になったのだって、つい最近。この世界に魔王が現れたのって一年前でしょ? あたし、そのとき配属になったの」


「魔王とかって、配属されるものなの……?」


「そうよ。魔族は多すぎるから魔界じゃ抱えきれないわけ。魔族にとっちゃ魔力があんたら人間にとっての酸素みたいなもんなのに、魔界にはほとんど魔力も残ってないしね。

 だから、侵略行為をしてんの。生きるために。魔王っていうのは魔族ではただの侵略行為を行う職業。他にもいっぱいいて、いろんな世界に配属されてるわ」


「……他にも世界が存在しているってことなのね。不思議」


「魔族にとっちゃ当然よ。ていうか、あんた真顔で『不思議』とか言っちゃうわけ? あたしから見れば、あんたの方がよっぽど不思議よ」


「あ、ごめんなさい」


 不思議なら、もっと不思議そうな顔をすればよかったとロゼッタは反省する。

 怪訝そうな顔をしているドルチェに曖昧な笑みを浮かべたが、どうにもうまくできていない気がした。

 やはり、アンジュでなくなった自分にはすべてがなにをどうしていいのかわからない。


「とにかく、あんたたちは何も知らずに魔法を使ってるみたいだけど、魔力ってのは人間が絶望したときに生まれるものなの。

 だから、普通の魔王なら街とか壊滅させたり、希望の勇者を惨殺したり、忙しいわけ。なのに、うちの魔王がしてたことはあんたの観察だけ。あたしもどんだけその観察に協力させられたかわかんないくらいよ」


「私の観察? 楽しいことはしていなかったと思うのだけど。つまらない思いをさせてしまったかもしれないわ」


「あんた……ほんと不思議ちゃんね。ストーカー行為されてたって事実にはなんも感じないわけ?」


「姫とは常に誰かに行動や言動を見られているものだから。足下をすくってやろうだとか、弱みを握ろうという輩は多いから、観察されていたとしても驚くことではないわ」


「あ、そ。姫ってのも大変ね。まあ、『幹部』として配属されたあたしにも、あいつの考えてることは意味わかんないってこと。魔王幹部に憧れて必死になって勉強してきたってのに、ほんっとあいつに配属されるなんてツイてないわ」


 肩を竦めて不満を露わにしたドルチェはそのまま遠慮も断りもなしにロゼッタのベッドに腰掛ける。

 部屋をもう一度ぐるりと見回したロゼッタは大きなクローゼットがあることを確認すると、ドルチェに声をかけた。


「ドルチェ。クローゼットには服は入っているのかしら?」


「入ってるわよ。リューグナーがやたらいっぱい買ってきたドレス。自由に着ていいわよ。でも、今から着替えてどうする気? 誘拐したこっちが言うのもおかしいけど、昨日は誘拐されてバタバタしてたんだし、ちょっとは寝た方がいいわよ」


「とても眠れるような気分じゃないの。急いで着替えて確認しにいかないと」


「確認? なにを?」


「『ロゼッタ』という役柄を。どうして生きているのか理由がなければ生きてなんていられないわ」


 どう振る舞えばいいのか。

 なにをするためにここに連れてこられたのか。


 そのすべてがわからなければ、自分が何者なのかもわからず不安でたまらない。


 ロゼッタがはじめて見せた必死の表情に少し驚いた様子を見せたドルチェは訝しげに瞳を細めた。


「あんたって、ほんと変わったお姫様ね」


 *



「えー、俺眠いんだけどー」


 ドレスに着替えて早速向かったリューグナーの私室は、なんとロゼッタの隣の部屋だった。

 普通は妻だとか側近だとか、そういう大事な者を置く部屋なのではないかとドルチェに訊ねたところ、ドルチェも「謎よ」と肩を竦めるのみだった。


 そんな謎まみれの魔王の部屋の前に立ったロゼッタが静かにドアをノックすると、ドアの向こうから返ってきたのは不満げなリューグナーの声だった。


「……出直したほうがいいのかしら」


「なに言ってんの。いいのよ、リューグナーなんて適当にしときゃ。あんたが寝れない方がよっぽど重要なんだから! 人間なんて体力ないんだから体調崩すわよ!」


 ドルチェが片眉を跳ねて言い終えたのと、ドアが開いてリューグナーがひょこりと顔をだしてきたのは、ほぼ同時だった。

 ロゼッタを見るなり、つま先から頭までをじっくり見てから、リューグナーはやけに真剣な眼差しでロゼッタの瞳を見つめた。


「なに。具合悪いの?」


「いいえ。特には。眠れないだけです」


「眠れないからって魔王様の部屋をたずねてくるなんて大胆だなあ。俺だって男の子なんだからがぶっといっちゃうかもよ〜?」


 両手をわきわきさせてなにやら表現しているリューグナーをドルチェが絶対零度の視線で突き刺している。

 横目にドルチェを見たリューグナーは「うそうそ」と軽く笑ってみせた。


「んで? ロゼッタはどうしたってわけ? 部屋でちょっと寝た方がいいよ。疲れてるでしょ。

 あ、魔王城が怖すぎて眠れない? それとも、ドルチェが怖すぎ? わかるわかる。上司に対しても超怖いんだよ、この子」


 リューグナーは、ぴっとドルチェを指さして大袈裟なほどにがくりと肩を落とす。

 不満を口にしようとドルチェが口を開くよりも前にロゼッタは首を横に振った。


「いえ。ドルチェはとても優しかったですよ。ドレスも一緒に選んでくれましたし、髪もといてくれました」


「へえ。ドルチェがそんな侍女みたいなことしちゃったわけ? お姫様オーラを前にひれ伏したか魔女っこ!」


「ち、違うわよ! あたしは、ただ、その、ロゼッタと仲良く……」


「お、いいね。仲良しこよし。女の子同士の仲睦まじい姿ってのは絵になるからね。これで寂しいこの城も華やかになるってもんだ」


 指でフレームをつくってロゼッタとドルチェをおさめたリューグナーがウインクを決める。

 そのウインクが癪に障った様子のドルチェは、その手を「うっさい!」とはたき落として踵を返した。


「ドルチェ。どこか行くの?」


「寝んの! あたしだって、昨日あんたを誘拐するのに忙しかったんだからね! さっさと疑問解決して寝なさい! どうしても眠れなかったら魔法かけてあげるから廊下の角の部屋に来なさい!」


 ふん、と鼻を鳴らして去っていく後ろ姿はかわいらしい子どもなのに、ドルチェの言うことは世話焼きのお姉さんだ。

 「ありがとう」と背中に声をかけると照れた様子で頬を赤らめたドルチェはパタパタと足を速めて去っていった。


 ドルチェを見送ったリューグナーは「さて」という言葉と共にロゼッタに向き直った。


「ロゼッタはなんで眠れないの?」


 優しい微笑みを浮かべた魔王は「襲ったりしないからね。ほんとほんと」という怪しすぎる言葉とともにロゼッタを私室へと招き入れた。

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