18 告白
「やあやあ、偽者のお姫様。勇者様がいなくなって寂しいよね。よければ、俺が寂しい夜のお話相手になってあげるよ。どう?」
ロゼッタが忘れてしまった彼は、ガルディが城を出て行った日に現れた。
幼なじみであり、唯一心を許していたガルディが居なくなってしまったあの日の夜。
ガルディの前ではこらえていた涙を自室でひとり流していたロゼッタの元に彼はへらへらとした笑顔で現れたのだ。
「君に興味があるんだよ。こんなにひとりぼっちのお姫様がいるだなんて初めて知った。俺もほぼひとりぼっち。よかったら、仲良くしない? 俺の名前は××××。五千七百二十歳。正体不明の優男ってとこだよ。ま、気軽に××様って呼んでくれていいから」
にんまり笑った彼は、それから毎晩どうやってかはわからなかったが、ロゼッタの部屋に現れるようになったのだ。
「君はアンジュじゃないんでしょ? なら、名前が必要だよね。そうだな……。ちょっとじっくり考えてくるよ。名前は初めてもらう愛情だから。適当なのはつけられないでしょ」
*
「ヴォル。ロゼッタに変なことしてないよね」
ヴォルケイスの魔王城に突如現れたリューグナーは、余裕の笑みを浮かべてヴォルケイスを睨んでいた。
ヴォルケイスはロゼッタの首筋に、その長い爪を当てて嘲るように鼻を鳴らす。
「どうかね。変なことってのがどっからどこまでを言うのか、俺にはわかんねぇからな」
「ヴォル。勘違いするなよ」
リューグナーが静かに言葉を発する。
大きな声でもないのに、その言葉は冷たく尖っており、ヴォルケイスを貫くかのような響きを持っていた。
「俺があんなちゃちな禁口魔法で魔法が使えなくなるような奴なんだったら、俺の人生もっと楽だったんだよ。むしろ、あの魔法のせいで今はまったく手加減ができない。下手すれば、俺の一撃でヴォルどころか、世界がまるごと一個吹き飛ぶぞ。
世界を百個滅亡させた功績を九十九にまで後退させたくなけりゃ、おとなしくロゼッタを返せ」
ひりつくような殺気が部屋を満たしている。
戦場とは縁のない日々を送っていたロゼッタでさえ、身震いするような殺気だ。
戦いの中で生きてきたようなものだろうヴォルケイスはぶるっと震え上がって、「おーこわ」とその殺気を楽しむかのごとく口角をあげた。
「あのリューグナー・ライヤーに殺された優秀だった魔王として後生に名を残すなら、それだってかまわねぇ。嬢ちゃんを今ぶっ殺して、おめぇに殺されてやってもいい。
だが、俺はこの嬢ちゃんに興味があんだ。リューグナー。なんでおまえそんなにこの女にこだわる。確かに綺麗だが、探しゃ綺麗なのなんていくらだっていんだろ」
呆れた様子で言い募るヴォルケイスは肩をすくめる。
「がっかりさせんなよ、リューグナー。こんな女ひとりに時間さいてる場合じゃねぇだろ。さっさと親父を越えるくらいの活躍してくんなきゃ、ライバルの俺の名が廃んだろが」
「ロゼッタは俺の目指す世界の鍵だ。だから、こだわってる」
「……アンジュでは、なくてですか?」
リューグナーが助けにきてくれた。
その喜びと共に彼にどう思われているのかが怖くて、口を開けずにいたロゼッタは震える声をようやく発することができた。
「姫であるアンジュなら、きっと何かしらの役には立ったでしょう。でも、私は世界中に『アンジュ』だと偽っていた、ただの偽者。なんでもない女です」
「なんでもなくない。ロゼッタは俺の好きな人で、生きる意味だ」
「え」と吐息混じりにうわずった声が出た。
ロゼッタを抱えていたヴォルケイスも固まったのがわかる。
だが、リューグナーは当然といった表情でロゼッタを見つめたままだった。
「ロゼッタは覚えてないと思う。人間は魔族のことを長くは覚えていられない。それこそ毎日会ってないと、少しずつ忘れていって、声も名前も顔も。それこそ、存在だって忘れてしまう。
だから、きっとロゼッタは覚えてない。でも、俺はずっと覚えてる。泣いてるロゼッタに声をかけた日も、俺のにおいを毎晩チェックしては安心してたロゼッタの笑顔も。全部」
「それはおまえ……。おまえが魔王になるなんて言い出す前。人間界ふらふらしてた間にこの女と出会ってたってことか?」
「そう。だから、俺はロゼッタのことを『アンジュ』として見たことなんて一度もない。寂しそうにしてるお姫様が気になって観察してたら、ロゼッタはガルディに真実を告白しだした。このお姫様を必死になって演じてる女の子が気になって、俺は毎晩ロゼッタに会いに行くようになった」
「……夜なのに、お日様みたいなにおいがした人」
ぽつりとロゼッタがこぼした言葉にリューグナーは心の底から嬉しそうに微笑んだ。
「ロゼッタがにおいばっか嗅ぐもんだから、お風呂に入る時間が長くなったんだよ。それ言ったら、君はちょっとだけ笑ってたけど」
「どうして、私なんかに……」
「俺もひとりぼっち。ロゼッタもひとりぼっちだった。魔界じゃ魔王になって世界を滅ぼしてこいってせっつかれてたし、もう誰も殺したくないって思ってた俺はふらふら人間界を渡り歩いてた。
そこで、ロゼッタを見つけたんだ。最初はただちょっかいかけてみたかっただけだよ。でも、『アンジュとして死ぬ』っていうエンディングを迎えるためだけに生きてるロゼッタを見てるうちに、この子を救いたいって願うようになった」
優しい語り口で話すリューグナーは、「ほら。あの予言。なんだっけ?」と空を仰ぐ。
「リュミエーラ王国の姫君は魔王に呪われ、三日三晩苦しみ抜いた後に悲惨な死を遂げるでしょう。そんな物騒な予言なんて、俺なら簡単にぶっ壊せる。俺が、魔王になってロゼッタの世界に行けばいいだけなんだから」
「じゃあ、おまえが突然魔王になるなんて言い出して、魔王試験をアホみたいな成績で合格したってのは全部こいつのためかよ」
心の底から驚いたのだろう。
裏返った声をあげながらロゼッタを指さすヴォルケイスにリューグナーは「そう」と軽い調子で頷いた。
「ヴォルにはわかんないだろうけど、本当に好きな女の子のためなら、なんだってできるもんだよ。ロゼッタが笑顔で自由に生きられる平和な世界。それが俺の望む世界。だから、ロゼッタは俺の望む世界の鍵なんだ。ヴォルには渡せないし、殺させもしない。ロゼッタは俺の世界で、自由に生きるんだ」
頬が火照る。
リューグナーから渡される言葉が、あまりにまっすぐで平常心では受け止めきることなんてできなかった。
忘れてしまってはいても、心のどこかで夜にずっと探している誰かがいた。
それがリューグナーだったということも嬉しかった。
腕の中で赤くなって俯くロゼッタをヴォルケイスは上から見下ろしていた。
耳にかかった髪が流れて、彼女の小さな耳が露わになっている。
赤く染まったその耳を見下ろして、ヴォルケイスは深々とため息を吐いた。
「嫌がらせかよ、リューグナー。なんでおまえの告白劇を俺が見てなきゃなんねぇんだ」
「俺がロゼッタのこと本気だってわかれば、ヴォルだって手出ししないんじゃないかと思って」
「俺は目立ちたいんだぞ。おまえの大事な女をぶっ殺したなんて噂が立てば、俺はばんばんざいだ。……が、興醒めだ」
ヴォルケイスはつまらなそうな声をだして、ロゼッタをその腕から解放する。
突然解放されたロゼッタがふらついていると、ヴォルケイスはその背を乱暴に押した。
突き飛ばされる形で転んだロゼッタをリューグナーが難なく受け止めてくれる。
彼からは、やっぱりお日様のにおいがした。
「おまえの目の前でおまえの大事な女を殺すってのも楽しいだろう。けど、俺はおまえが作る世界ってのも見てみてぇ。
魔王が平和な世界を望むなんざ、前代未聞だ! 成し遂げたら、ぜってぇ目立つ。おまえが目立てばライバルの俺も目立てるはずだ。おまえが作る世界にこいつが必要だってんなら、殺しゃしねぇよ」
「俺もヴォルを殺さずに済んでよかったよ」
はっと吐き捨てるような笑いをあげたヴォルケイスはリューグナーに支えられながら、ぽかんとしているロゼッタに「おい!」と大きな声をかけた。
「綺麗な嬢ちゃんよ。ロゼッタだったか」
「は、い」
「『ロゼッタ』として、ちゃんと生きろ。偽者だなんだって騒ぐんじゃねぇ。おまえはおまえ。ちゃんと見てくれてる奴がいんのに、めそめそすんじゃねぇ。しっかり自分を持ちやがれ。いい女が廃るぞ」
説教でもするかのようにロゼッタに言い聞かせたヴォルケイスは、最後にふっと優しい笑みを見せた。
「リューグナーを頼む」
ライバルを自称していた彼は、少々ロゼッタやリューグナーとは感覚がずれている様子ではあった。
だが、それでも彼はリューグナーをライバルであるのと同時に友として見てくれていたのだろう。
ロゼッタはヴォルケイスのリューグナーを想う気持ちを感じて、力強く頷いた。
「なんで、ヴォルにそんなこと言われなきゃいけないんだか」
「おまえがダチすくねェ寂しい奴だからだろうが」
「俺にはロゼッタが居ればいいの」
「ね?」と微笑みかけてきたリューグナーの言葉をいつもは冗談だと受け止めておくことができた。
だが、あんな告白のあとでは、その見惚れるほどに柔らかな笑みを見ていることはできない。
真っ赤になって視線をそらしたロゼッタにリューグナーは面白そうに喉を鳴らして、ロゼッタを抱き寄せた。
「それじゃ、ヴォル。リュー様の告白劇にお付き合いいただき、ありがとうございました。二度とロゼッタに手出ししないように。その時は本当に殺しちゃうかもしれないから」
「約束はできねぇけど、もう嬢ちゃんを殺しゃしねぇよ」
ヴォルケイスが、しっしと追い払うように手を振る。
リューグナーはヴォルケイスの様子にけらけらと笑ってから、片手を高々と上にあげた。
「帰ろう、ロゼッタ。みんな待ってるよ。『アンジュ』じゃなくて、『ロゼッタ』のことを」
リューグナーがロゼッタの髪を優しく撫でる。
泣きそうなほどに嬉しい声かけにロゼッタも微笑み返した。
ぱちん、と軽快な音が部屋に響く。
次の瞬間にはロゼッタの視界は白く染まり、目の前にはガルディとドルチェが現れた。
心配した様子で駆け寄ってくれた彼らに答えることもできず、ロゼッタは異世界への転移からくる酔いと、寝不足による疲れでリューグナーに倒れ込むようにして眠り込んでしまった。




