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17 二者択一


「あなたはとっても暖かいにおいがします。夜にしか会わないのに、お日様みたいなにおいがするんです」


 誰かの腕に抱かれて、胸一杯にその優しい香りを吸い込んだ。

 頭を撫でる手はとてもあたたかくて気持ちいい。


 彼の月光に溶けるように光る黒い髪が風にそよいでいた。


「私はあなたのことを忘れてしまっても、きっときっと思いだします。あまり何事も速い方ではないので、ゆっくりになってしまうかもしれませんが、どうか見捨てないでくださいね」


 至極真面目に言ったロゼッタの言葉を、あの時も彼はくくっと喉を鳴らして、おかしそうに聞いていた。


 *


 昨夜は一睡もすることはできなかった。

 リューグナーがくれたクリスタルを握りしめ、悩みに悩んで夜を明かした。


 殺されるか、ヴォルケイスのものになるか。


 提示されたふたつの選択肢。

 以前までのロゼッタなら、きっと迷わず殺される方を選んでいたことだろう。


 少し前までは死ぬことだけを目標に生きてきた。

 『アンジュ』として生きてきたこの命が、自分のためだけに輝くのは死の呪いに苦しむ三日三晩の間だけだと思っていた。


 だが、今は違う。

 今は、自分を大切に思ってくれた人のことを思い出してしまう。


 『アンジュ』の真実を知っても尚、ロゼッタの命を救おうと足掻いてくれたガルディはもちろん、ドルチェ。そして、リューグナーのことばかりが思い浮かんだ。


 リューグナーもドルチェも『アンジュ』を装っていた偽者であるロゼッタを軽蔑しているのかもしれない。

 だが、もし。もしも、そうでなかったなら。

 死を選んでしまった場合に彼らはとても悲しんでくれてしまうのではないだろうか。


 悩みに悩んで夜を明かしたロゼッタが思考の底へ沈めていた意識は、激しく開かれたドアによって引き戻された。


「よォ。寝れたか、嬢ちゃん」


 たたき壊すかのごとく勢いで開かれたドアの向こうから豪快な足取りでヴォルケイスが入室してくる。

 一応ベッドに横になっていたロゼッタは慌てて体を起こして髪を整えた。


「ノックくらいはしていただきたかったです」


「おお、わりぃ。体調はどうだよ。え? もう元気になったのか?」


 朝から元気が爆発しているといった様子のヴォルケイスは傍にあった椅子に通常とは反対の向きで腰掛ける。


 心配しているというよりは、心の底からわくわくしている様子で労りの声をかけてきたヴォルケイスに、ロゼッタは頷いた。


「もう体調には問題ありません」


「そうかよ。あんま顔色よくねぇけどな。それで? 決めたのか? 殺されるか、俺のものになるか」


 ふたつの選択肢を指折り数えて、ヴォルケイスは邪悪な笑みを浮かべる。


 悩んだ。一晩悩み抜いた。


 自分の命は簡単に捨てていいものではないのかもしれない。

 リューグナーと過ごす中で、そんな気持ちが芽生えていた。


 だが、それでも、ロゼッタはヴォルケイスのものにはなれなかった。

 彼のものになるのかと思えば思うほどに、リューグナーの顔が浮かんで苦しくて。

 それこそ死んでしまった方がましだと思えた。


 立ち上がったロゼッタはヴォルケイスの前へと歩み寄る。

 面白そうにこちらを見ているヴォルケイスを見つめて、ロゼッタは慎重に口を開いた。


「私はリュー様のもとへ帰れないのなら死を選びます」


 リューグナーに会いたい。

 リューグナーに触れたい。


 それができないのならば、もう生きている意味はない。


 まっすぐに伝えられた言葉にヴォルケイスは大声で笑ってから椅子を蹴倒す勢いで立ち上がる。

 じっと身動ぎひとつしないロゼッタの肩をつかんだヴォルケイスは嬉しそうにロゼッタの瞳を覗きこんだ。


「そんなにリューグナーに会いてぇか。あいつも愛されたもんだな。あいつを愛する人間をこの世から俺の手で消し去れるってだけでゾクゾクするぜ」


 恍惚とした表情でヴォルケイスはロゼッタの輪郭をなぞる。


 差し迫った死が今更ながらに怖い。

 はじめて魔王城に来たとき。リューグナーに殺されるのだと思ったときは、なにも怖くなかったのに。


 やっぱり自分は人形ではなく、人間になってしまった。

 いや、リューグナーのおかげで人間になれたんだ。


 わき上がる感情は恐怖なのに、心の底では激しい感情を持てたということに歓喜している自分がいる。

 訳のわからない心を抱えたままロゼッタはヴォルケイスに引きずられるようにして、椅子に座らされた。


「今のおまえ最高に綺麗だぜ。やっぱり死ぬ前の人間の顔ってのはいいよな。絶望からの解放はすぐそこだ。泣いてくれてもいいんだぜ。その方がもっと綺麗だ」


「泣きませんよ。絶対に」


 リューグナーはロゼッタを泣かせないと言っていた。

 ここで泣いてしまっては、彼のロゼッタを泣かせまいとしてくれた努力を否定するような気がした。


 背筋を伸ばして、凛と澄ます。

 死への恐怖は腹の中へと飲み込んだ。


「はっ。いい女だったぜ、嬢ちゃん。俺のものにならなかったのが、残念だ」


 目の前に立ったヴォルケイスが、その手に魔法陣を浮かべる。

 闇が泡立つような嫌な感じが、魔法をまだまともに使えないロゼッタにも伝わってくるような強力な魔法だった。


「じゃあな、嬢ちゃん。あの世で俺を心の底から恨んでくれ」


 ヴォルケイスが笑みを深めると同時に魔法陣から闇色の塊が飛び出した。

 ロゼッタの胸元めがけてまっすぐ飛んできたその塊こそが、きっと呪いなのだろう。


 予言は実現する。

 『アンジュ』を演じたロゼッタは魔王の手により三日三晩苦しんだ後に死亡する。


「リュー様……」


 大好きでした。


 ぷかんと、心の湖に突然浮かんできたその言葉は声にはならなかった。


「見つけた」


 ふっと、耳に溶けるように入り込んできたその声にロゼッタは思わず閉じていた目を開く。


 そこには先ほどまでの余裕綽々といった様子のヴォルケイスの姿はなかった。

 彼の表情は驚愕に染まり、朝日が入り込んでいるとはいえ、まだ薄暗かった部屋はまばゆいほどの美しい輝きに満ちていた。


 ロゼッタの胸元のクリスタル。

 リューグナーの魔力を固めたクリスタルが、神々しい輝きを放っていたのだ。


 呪いの塊は輝きに飲まれるようにして消えてしまう。

 呆然と消えゆく魔法を見つめていたヴォルケイスは、次の瞬間ハッとした様子で椅子に座っていたロゼッタを引き起こして、自身へと引き寄せた。


「思ったより速かったじゃねぇか」


「俺は思ったより時間がかかったよ。百個あるおまえの魔王城。一つひとつ回るのは大変だろ。だから、俺の魔力をたどってきたよ」


 クリスタルの輝きの中。

 ぼんやりと浮かび上がったその人影の口元は優しく微笑んでいた。


 白んだまばゆさは消え、部屋は先ほどと同じ薄暗さを取り戻す。

 さっきとは確実に違ったのは、そこにリューグナー・ライヤーが立っているということだった。


「迎えに来たよ。ロゼッタ。大切な話をしにきたんだ」


 

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