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16 勇者の決意


「もう会えないんですか……?」


 ロゼッタが夜の散歩を日課とするようになったのは、二年ほど前からだっただろうか。


 夜の散歩を始めたばかりの頃だ。

 城の庭にあるベンチを見つめて呟いたあのとき、ロゼッタはひとりで静かに泣いていた。

 

 誰かを待っていた。

 誰かに会いたいと切に願っていた。


 その誰かをもう何も思い出せないのに。


 *


「鎮静効果のある紅茶だ。飲んどけよ。……あ、酒のほうがよかったか?」


「いえ、未成年ですので」


 ヴォルケイスの魔王城の客室。

 宿泊することもできるように整えられたその部屋で、ロゼッタはヴォルケイスから思わぬ丁重な扱いを受けていた。


 はじめての異世界転移にはまったく体がついていかなかった。

 くらくらしていたロゼッタをヴォルケイスは全く傷つけることなくソファーに座らせ、紅茶を一杯部下の魔物に持ってこさせたところだ。


 頭痛がする頭を支えるように額を押さえて、ロゼッタは紅茶に手を伸ばした。


「毒とかは入ってねぇぞ」


「はい」


 こくんと頷いて紅茶を一口含んだロゼッタはテーブルを挟んだ向こう側の椅子に座ったヴォルケイスを見やる。

 足を組み、豪快な欠伸をしているヴォルケイスはつまらなそうにロゼッタを見ていた。


「ちったァ頭痛も落ち着いたかよ。ったく、人間ってのは脆くていけねぇ。異世界転移もまともにできないたァ、笑えるぜ。ダメそうなら吐く前に言えよ。頭痛に効くハーブでも持ってこさせんぞ」


「いえ、結構です」


 何やら、やたらと優しくしてくるヴォルケイスを警戒して睨みつける気力も、もうロゼッタには残っていない。


 魔王城の全員に今頃は自分が偽者だということが知れ渡っているだろう。

 ロゼッタの胸には絶望感と後悔しか渦巻いていなかった。


「しっかし、本当におまえは誰なんだ? 確かに綺麗な見た目してっけど、それだけでリューグナーが可愛がって大事にしてるわきゃないだろ」


「……私が『アンジュ』だったからでしょう」


 諦めたような口調でぽつりと言ったロゼッタにヴォルケイスが「あ?」と片眉を跳ね上げる。


 ロゼッタは派手に自分を誘拐しておいて、やたらと親切なこの異世界の魔王にすべてを打ち明けた。

 もうどうにでもなれと自棄になっていた。


 義父に愛されたくて足掻いたことも。

 そのすべてが無駄だったことも。

 帰る場所がなくなってしまったことも。


 ヴォルケイスはつまらなそうな表情はやめて、存外真剣にロゼッタの話を聞いている様子だった。


「私は世界中を、みんなを、騙していたんです。リュー様にも、ドルチェにも……。きっと見捨てられている頃でしょう」


 ぽつりと漏れた自分自身の本心に馬鹿みたいに傷ついた。

 ぐっと涙をこらえるために唇を噛みしめる。


 椅子の上にあぐらをかいて、その膝に頬杖をついて話を聞いていたヴォルケイスは、小さくため息を吐いてロゼッタから視線をそらした。


「俺がぶっちゃけちまったからだって言いてぇのか? 恨みてぇなら恨め。慣れっこだ」


 確かに彼はロゼッタの真実をぶちまけてしまった。

 だが、ロゼッタの真実がバレてしまうのだなんて、時間の問題だった。


「いえ、恨んでなんていません。いつかバレることが、あなたによってバラされてしまっただけのことです。

 ……むしろ、よかったのかもしれません。あの城からリュー様の手で追い出されるなんて、私には耐えられなかったかもしれませんから」


 あの優しいリューグナーに、『アンジュ』ではなかったからと捨てられたら、自分はきっともう生きてなどいけなかった。


 こうして誘拐されたことで、ガルディには心配をかけたかもしれないが、リューグナーやドルチェからの軽蔑の視線を受けずに済んだのはよかったことなのかもしれない。


「じゃあ、リューグナーは、おまえを『アンジュ』だと勘違いして、そんなもんまであげちまったってことかよ」


 呆れきった様子のヴォルケイスはロゼッタの胸元に光るクリスタルを指さしていた。


 マールの町で彼がプレゼントしてくれたクリスタル。

 ロゼッタの宝物となったそれは、あの日からずっとロゼッタの胸元で輝き続けている。


 滴型のクリスタルをヴォルケイスから隠すように握りしめたロゼッタは「わかりません」と小さく返事をした。


 リューグナーが向けてくれていた優しさや笑顔。

 彼の声を思い出すだけで、今はもう泣きそうだった。

 すん、と思わず鼻を鳴らしてしまったロゼッタが俯くと、ヴォルケイスは「なあ」と優しげに声をかけてきた。


「嬢ちゃん。俺が殺してやろうか」


「……え?」


 優しい声音で言われた過激なことに、ロゼッタは俯いていた顔をあげる。

 ヴォルケイスは心底愛おしむような表情でロゼッタを見ていた。


「泣きそうな女ってのは綺麗でいけねぇ。悲しくてたまんねェんだろ? リューグナーの大事な女なんだったら、あいつの目の前でぶっ殺して発破かけてやろうかと思ってたんだ。

 おまえが、リューグナーにとって必要な女なのか、そうでないのか。馬鹿な俺には正直わかんねぇ。あいつにとって不要な女なら適当に魔物の餌にでもしてやろうかと思ってたが、俺はおまえのその泣くのをこらえる表情が気に入った」


 ヴォルケイスが立ち上がってテーブルに飛び乗る。

 テーブルの上に乗っていたティーカップが悲鳴のような音をたてて床に落ちた。


ぐい、と近付いてきたヴォルケイスの顔にロゼッタは身を固める。

 彼がはらむ狂気を前に、動くことなんてできなかった。 


「死ってのは救いだ。おまえが望むなら綺麗に殺して、その絶望から解放してやる。でも、泣いたらもっと綺麗だろうおまえがこの世からいなくなるってのも、もったいねぇ話だ。俺のもんになるんなら、殺すのはナシだ。別の方法でおまえを絶望から救ってやる」


「あなたのものに、なる……?」


「俺はまだちゃんとした嫁ももらってねぇしな。人間を嫁にしたってなったら話題にもなるし、その相手がおまえならリューグナーの神経を逆撫でもできっかもしれねぇ。それに、なによりもおまえは綺麗だ。人形みてぇに綺麗な女を泣かせまくるってのはそそる」


 口元に邪悪な笑みを浮かべたヴォルケイスは呆然とするロゼッタの頬を優しく撫でた。

 ぞくりとする手つきで首筋までなぞった長い爪にロゼッタは身震いする。


「おまえには呪いがいいかもな。殺すならその『アンジュ』が受けた予言通り。三日三晩苦しむ呪いで殺してやるよ。悲しかったことも辛かったことも、その苦しみで全部わかんなくしてやる」


 恍惚とした表情で囁くヴォルケイスの顔が近付いてくる。

 首筋に回されていた手がそっと項に回され、引き寄せられた。


 キスされる。


 そう思い至った瞬間、ロゼッタはヴォルケイスの胸を押して、咄嗟に距離をとっていた。

 ヴォルケイスの唇が近付いてきたのと同時に、リューグナーに会いたいという気持ちが爆発的に強くなっているのが感じられた。


 恐怖と羞恥で鳴きわめく心臓の音を聞きながら、ロゼッタは驚いている様子のヴォルケイスを見上げる。

 もしかすると、今この場で殺されてしまうのではないかという緊張がロゼッタの体中を駆けめぐった。


 しかし、ヴォルケイスの反応は予想外のものだった。

 ぶはっと勢いよく吹き出したヴォルケイスは、けらけらと笑いながらロゼッタから離れてテーブルを降りる。

 「あーあ」と一通り笑い終えたヴォルケイスは振り返って、固まっているロゼッタの頬を撫でた。


「ビビってる顔なかなか面白くてよかったぜ。ンなに嫌がれて無理矢理しねェよ。たとえ殺すかもしれなかろうと、女には優しくするもんだ。俺様が紳士でよかったなぁ、嬢ちゃん」


「は、い。ありがとうございます……?」


 どういう返事をしていいのかわからず、思わず礼を言ってしまったロゼッタに、ヴォルケイスは整った顔をくしゃくしゃにして笑った。

 犬でもかわいがるかのようにロゼッタの頭をぐしゃぐしゃになで回してから、ヴォルケイスは客室のドアに手をかけた。


「とりあえずは体調治せ。転移で酔ってんだろ。万全な状態の綺麗な女を殺すから美しいんだ。俺のもんになるにしても、段階ふまなきゃダメそうだしな。眠れねぇなら、見張りつけとくから、そいつにホットミルクでも頼め」


 「おやすみ」とにこやかに言い残したヴォルケイスがドアを閉める。


 突如静かになった客室で、ロゼッタはしばらく呆然と割れたティーカップを見つめていた。

 縋るように、その震える手はクリスタルを握りしめていた。


 *


「ロゼッタ!」


 暗闇の底から意識をひきずりあげたリューグナーは、意識をつかんだと同時に飛び起きた。


 さっきまで中庭にいたはずだが、今は自室のベッドで寝かされていたらしい。

 最後に見たロゼッタの絶望した表情を思い出すと、悔しさと後悔でおかしくなりそうだった。


 ヴォルケイス。

 リューグナーのライバルを自称する彼は魔族らしく、残虐で乱暴。そして、極度の目立ちたがりだ。

 ロゼッタにプレゼントしたクリスタルは大概の魔界の民を追い払うことには成功できたはずだが、あの目立ちたがりがリューグナーの魔力を固めたクリスタルをつけた女に興味を持たないわけがない。


 もっと警戒しておくべきだった。


 ヴォルケイスが百個目の世界滅亡に成功したという話は聞いていた。

 魔王業に張り切っていると聞いていたため、まさかちょっかいをかけてくるとは思ってもみなかったのだ。


「起きたか。リューグナー」


 自身の愚かさに頭を抱えていたリューグナーは、暗い室内に聞こえた声にハッと顔をあげる。


 ヴォルケイスが投げたあの小箱。

 あれは魔界でのみ製造されている魔法道具のひとつだろう。

 あの魔法陣のせいで、今や全く魔力のコントロールができる気がしない。

 いつも周囲の魔力で気配を察していたリューグナーだが、魔力のコントロールができない状態ではそれも不可能な状態だった。


「ガルディか。ロゼッタを目の前で連れて行かれたんだ。今なら、君に殺されたって仕方ないかもね」


「あなたを殺すかどうかは、今からする質問への返答次第で決める」


 自嘲するリューグナーに堅い声で返したガルディは、腰に提げていた剣を鞘から引き抜きながら、リューグナーの元へと歩み寄ってくる。


 魔力はわからずとも、殺気は伝わってくる。

 流石は勇者といった強烈な殺気に空気がひりつくのを感じながらも、リューグナーは逃れようとはしなかった。


 ガルディの剣の切っ先が喉元に突きつけられてもなお、リューグナーはベッドの上で、じっとガルディを見上げていた。


「あなたは、『アンジュ』の真実を知った。リューグナー。あなたはあの子を愛しているように僕には見えたが、その愛は『アンジュ』に向けられたものだったのか、『ロゼッタ』に向けられたものだったのか。その答え次第によっては、僕はあなたを斬り殺す」


 ああ、この勇者様は本当にロゼッタを愛しているのか


 怒りに燃える瞳の中には嫉妬の炎も見え隠れしているように見えた。

 幼なじみとしてでも、兄と呼ばれた者としてでも、果てには婚約者としてでもなく。

 ただひとりの男として、ガルディは彼女を愛していた。


 ガルディにロゼッタを幸せにしてもらうのもいいのかもしれない。

 そんな想いが一瞬頭を掠めた。

 今こそ、この勇者に斬って捨ててもらえるような嘘を吐くべきだったのかもしれない。


 だが、リューグナーはどうしてもロゼッタへの感情だけは嘘を吐くことなんてできなかった。


「俺は、あの子を『アンジュ』として見たことなんてない。あの子は最初からあの子だ」


 ロゼッタにずっと秘密にしていたことがある。

 リューグナーはずっと前から『アンジュ』の真実を知っていた。

 知っていて彼女を連れ去った。


 心底困ったように言いのけたリューグナーに、ガルディは少しだけ眉を寄せてから、その剣をおろした。


「……僕は、あの子を幸せにすると決めていた。そのために勇者になって、魔族にもなった。あの子はあなたと共にありたいんだと思う。あの子自身が自分の抱く感情に気付いていなかったとしてもだ。

 あの子を幸せにするためなら、なんだってする。僕自身の感情を殺すことなんて造作もない」


 剣を鞘におさめたガルディのその瞳からは、既に嫉妬の炎は消えていた。

 リューグナーは彼の言葉に静かに頷いただけだった。

 どんな言葉も、今のガルディには失礼にあたると思えたからだ。


「ロゼッタは君に任せた。僕が行っても足手まといになるだろう。ドルチェはヴォルケイスについての報告書作成と『アンジュ』についての説明を魔物たちにしてくれている。城の守備は僕に任せてくれればいい」


「俺が魔力のコントロールうまくいかない状態だってわかってて言ってる?」


「ああ。だからこそだ。そんな状態の魔王の魔法に巻き込まれたらたまらないだろう。ロゼッタは死守するだろうが、あなたは俺なら斬り捨てかねない」


「素直に信じてるからいってらっしゃいって言ってくればいいのに。勇者様は素直じゃないなあ」


 くくっと喉を鳴らしたリューグナーはベッドから立ち上がる。

 ガルディの肩に手を置いたリューグナーは、彼をいたわるようにその肩をとんとんと叩いてすれ違い様に言い残した。


「ロゼッタを取り返す。あの子が安心してこの城に帰ってきて、また笑えるようにしてみせる。……任せてくれて、ありがとう」


 リューグナーがパチンと指を鳴らして消えたあと。

 残されたガルディは、長い間その場を離れず、ただじっと手のひらを握りしめていた。

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