13 魔王の嫉妬
「なんで毎回においかぐの?」
「あなたではない方だったら大変ですから」
「どんなにおいがするの?」
幼い頃。ロゼッタを呆れたような目で見る人がガルディ以外にもうひとりいた。
みんなが『アンジュ』という存在としてロゼッタをみる中『ひとりの少女』としてロゼッタを見てくれたのは、あの人とガルディだけだったと思う。
彼はどんなにおいがしたのだっただろうか。
*
「アンジュ……」
「ロゼッタよ、ガルディ。私はここでは、魔王様お世話係のロゼッタ」
「わかった、ロゼッタ。君がアンジュであろうとロゼッタであろうと君が君であるなら、僕は何でも構わないんだ。そんなことより、僕は君にしっかりと聞いておきたいことがある」
リューグナーの熱は三日かけて徐々にさがった。
眠ったり起きたりを繰り返すリューグナーをその間ロゼッタはリューグナーの私室にほとんどこもりきりになって看病した。
もちろん魔族になったばかりのガルディのことも心配だったロゼッタは、ドルチェに様子を聞きに言ったりなどもしていた。
だが、このガルディも仲良く三日ほど寝たり起きたりを繰り返して魔族の体に順応しいていったのだ。
そんなガルディが、熱も下がったというのに「あーんして。死にそう」とロゼッタにのたまうリューグナーの元に乱入。
「失礼」とだけ言い残してガルディはロゼッタを廊下まで引っ張り出してきたのだった。
なにやら怒っている様子のガルディにロゼッタは小首を傾げる。
「もう体は大丈夫なの?」と心配の言葉をかける隙すらないが、この様子ならもう大丈夫そうだ。
人間だった頃のガルディと何ら変わりはない。
違うのは、蒼い瞳が魔族の証である紅い瞳に染まったことくらいだろう。
「三日間。君は魔王とふたりきりで部屋に閉じこもって何をしていたんだ」
「看病よ」
「君は嫁入り前の女の子なんだぞ? 君が僕と婚約していることは関係ない。好きな相手ができたんなら、その方と結婚すればいい。……僕が納得する相手ならば。とにかく、僕と婚約していることは関係なしに、魔王だって男なんだ。夜も二人きりで過ごしたなんて、僕はよくないと思う!」
ロゼッタの細い肩を両手でつかんで、ガルディは熱弁している。
必死の様子の彼に、ぱちりと一度瞬きをしたロゼッタは「安心して」といつもの無表情で口を開いた。
「私はリュー様のお世話係に任命されたの。だから、リュー様のお世話をするのは当然よ。それに、リュー様はガルディを助けるための禁術を使ったせいで寝込まれていたのよ。そんな風に疑うのは失礼だわ」
「ソウダソウダー!」
妙に甲高い裏声にロゼッタとガルディは同時にリューグナーの私室のドアへと目を向ける。
細く開かれたドアの隙間からガルディとロゼッタの言い合いを見ていたらしいリューグナーは「あ、バレた」と一言呟くと、潔く部屋からでてきた。
「まあまあまあ、ガルディ。安心しなよ。俺とロゼッタはガルディが心配するような不純な仲じゃないよ。もっと健全でピュアでふかーい仲だからさ」
「全くどんな仲なのか見えてこないのだが」
「ただのお世話係と魔王様よ」
「うあー、なんかその『仕事だけのお付き合いです』みたいな感じ傷つくー」
胸を押さえて大げさに反応するリューグナーをガルディは、ひどく冷たい目線で突き刺している。
やはり、魔族になったとはいえ勇者と魔王。
仲良くはできないのだろうかと見ていると、ガルディは咳払いをして、リューグナーの前にひざまずいた。
「命を助けてもらって、本当に感謝している。魔族になったとはいえ、アンジュ……いや、ロゼッタとまた会えて、話ができているのはすべてあなたのお陰だ。ありがとう」
きょとんとしているリューグナーにガルディはひざまずいたままに頭を深々とさげる。
しかし、次の瞬間には立ち上がったガルディは「だが!」と大きな声をあげた。
「僕はロゼッタの婚約者であり、幼なじみであり、兄のようなものだと呼ばれたことさえある存在だ。僕が君を認めない限り、ロゼッタを君に渡すことはできない」
「ガルディ。私、欲しいとも言われていないわ」
なにやら勝手に盛り上がっている様子の婚約者は昔からそうだった。
ロゼッタの義父・レックスは勇者と『アンジュ』を結婚させたいと考えていたため、勇者が見つかるまで『アンジュ』に婚約者はいなかった。
ガルディの背に勇者の翼と呼ばれるあざが浮いたのは、彼は十五、ロゼッタは十三の時だった。
それまでの間、ふたりは婚約関係にはなかったのだ。
『アンジュ』は姫という立場もあって、様々な人間からアプローチを受けてきた。
そのすべてに婚約者という立場になる前から、ガルディは「幼なじみの僕が認めない者とは結婚なんてさせられない」というのが口癖だった。
婚約者になってからも「君に他に好きな人ができたなら譲るけど、僕が認めない限りは渡せない」というのはガルディがこんこんとロゼッタに語り聞かせてきたことだ。
ロゼッタにとって、ガルディが誰彼構わずこの宣言をするのは見慣れた光景だ。
だが、リューグナーは初めて受けた宣言だ。
きょとりとした彼は、すぐに挑戦的な笑みを浮かべた。
「なるほど。じゃあ、婚約者様を納得させられるような『立派な魔王』にならなくちゃだ。ガルディにも協力してもらうからね。元勇者様」
「なにをさせる気だ。僕は命を助けてもらった恩がある。リューグナー。あなたが、人々に仇なす魔王でない限りは、僕はあなたに従おう」
ガルディが真面目に頷くのを見て、リューグナーは「いいね」と微笑んだ。
「それじゃ、まずはロゼッタの部屋から出て行ってもらおう。君の部屋をドルチェに用意させるから、待ってて」
びしっとガルディを指さしたリューグナーは顔全体に不愉快さを滲ませていた。
「婚約者だからとか、この城では関係ないから。ロゼッタもベッドシーツを洗濯係のレイチェルに洗ってもらうからお昼寝とかは今日はしないでよ。夜までになんとかするから」
「部屋を用意するのは大変でしょう。私はガルディと同室でも構いませんよ」
「俺が! やなの!」
力強く言い放ったリューグナーは張り切った様子で踵を返す。
「城内でイチャイチャしたりなんかしたら、怒るからね! 警備隊長のセリオにもふたりがイチャイチャしないよう見ててもらうからよろしく! 俺はその手配してくるから、ロゼッタはガルディに城内案内でもしてあげな。……イチャイチャは、しないように」
最後にもう一度だけ振り返って厳しく言いつけてから、リューグナーは「いいね?」とロゼッタに確認してくる。
その勢いに思わず頷いたロゼッタにリューグナーは満足げに立ち去っていった。
「魔王リューグナーか。また君の周りには面倒なのが……」
「リュー様は確かに少し面倒だけど、優しい方よ」
少し噛み合わない会話は昔と同じだ。
苦笑するガルディに「行きましょうか」と声をかけて、ロゼッタは城を歩き始めた。
ある晩突然、リューグナーが誘拐しにきたこと。
予言を破ってロゼッタを生かしたこと。
名前をくれたこと。
魔王軍をつくるために面接をしたこと。
魔物たち一人ひとりに名前をつけたこと。
リューグナーとの出会いを話すと、彼は真剣に相づちを打って聞いていた。
三階、二階、一階と魔王城を案内し、最後に中庭に到着したふたりは備え付けてあったベンチに腰掛ける。
ロゼッタが夜の散歩の際によく腰掛けているベンチだ。
そういえば、リュミエーラ王国の城内の庭にもこういうベンチが置いてあった。
ロゼッタは故郷の城で、夜にはこうしてベンチに座っていた。
なにかを探し疲れたような気持ちで。
恋いこがれるような思いで。
「……ロゼッタ。君は『アンジュ』ではないってこと。魔王は知っているのかい?」
過去に思考をやっていたロゼッタはガルディの一言で意識を引き戻す。
周囲を警戒しながら話している様子のガルディに、ロゼッタは首を横に振った。
「知らない、はずよ。少なくとも私は言っていないし、リュー様から話されたこともないわ」
ロゼッタが姫ではなく、ただの義父・レックスが連れてきたどこの子とも知れぬ娘であることを知っているのはガルディだけだ。
秘密を共有している相手が傍に現れたことへの安堵感はガルディの次の一言で消え去ってしまった。
「リュミエーラ城に本物のアンジュが帰ってくるのは時間の問題だ」
ロゼッタが『アンジュ』として死んだ後、本物の『アンジュ』が城に迎え入れられる。
それがレックスのシナリオだ。
だが、ロゼッタは死んではいない。
魔王・リューグナーも『アンジュ』を誘拐はしたものの、生かしているとも殺しているとも宣言していない。
レックスも動くことはできないだろうと考えていたのだが、どういうことなのか。
「ロゼッタ。君は、死んだことになったんだ」