12 熱
わざとじゃなかった。
褒められたかっただけだった。
そんな訴えは誰の耳に届くこともなかった。
父である伝説の大魔王・サタナスを殺した息子。
それだけが周囲から見たリューグナーのすべてだった。
その強大すぎる力は彼を孤独にするには充分すぎるものだった。
*
「すごい熱……」
リューグナーに抱きしめられたまま、どうにかこうにか彼の私室へと入り込んだロゼッタは、ぐったりした彼をベッドに寝かせることに成功した。
譫言のようにロゼッタの名を呼ぶリューグナーの額に触れるとその熱さに驚く。
魔力を使いすぎると肉体に負担がかかり、体調に異常を来すという話を聞いたことがある。
今のリューグナーはその状態なのだろう。
魘されるリューグナーにすぐに戻ってくることを伝えて、桶に水をはり、冷やしたタオルで彼の汗を拭う。
荒い呼吸を繰り返していたリューグナーは、ようやく我に帰ったのか、何度か瞬きした後にロゼッタを視界におさめた。
「ロゼッタ……? あれ? なんで、いるの?」
さっき抱きしめてきたことなんて忘れてしまっているのだろう。
まだ虚ろな瞳をロゼッタに向けてくるリューグナーの額にロゼッタは、そっとタオルを乗せた。
「ドルチェから聞いたからです。禁術が魔族三人分の命を犠牲にして本来は行われるものだと」
「……あー、なるほど。さすがの俺でもヤバいかもだぞって聞いて来ちゃったわけだ」
リューグナーは、「ドルチェめ〜」と冗談っぽく半眼になって恨み節を吐く。
ベッド横に椅子を引っ張ってきたロゼッタは、その椅子に腰掛けると「リュー様」と改まった調子でリューグナーに声をかけた。
「なに? もう大丈夫だよ。濡れタオルありがとう」
「大丈夫ではないことはわかっているので大丈夫です」
「なにそれ」
リューグナーがくくっと、おかしそうに喉を鳴らす。
「リュー様が今体調的にとても辛いことはわかっています。ですが、どうしても、今。あなたに伝えておきたいことがあるんです」
「……なぁに? ガルディと出て行きたいってんなら止めないよ。俺がダウンしてる間に逃げちゃいな」
「……はい?」
今度はロゼッタが半眼になる番だった。
意味が分からずにいるロゼッタを視界からはずしてリューグナーはため息混じりに話す。
「ガルディとは婚約者なんでしょ? 俺なんかのところにいるより、魔族になっちゃったとはいえあいつと逃げた方が幸せに暮らせるかもしれない。ロゼッタはもう自分の人生を自分で決めていいんだから。好きにしていいんだよ」
優しく言うくせに、リューグナーの瞳はとても寂しげだ。
とても上手な笑みを浮かべていたが、その笑顔が嘘だということくらい、もうちゃんとわかった。
「リュー様は、おばかです」
「おばか?」
「はい。たいへんなおばかです」
背筋を伸ばして、手は膝に。
上品な姿勢に真顔のロゼッタから発せられた言葉にリューグナーはぽかんと口を開いた。
「婚約者に必ず恋愛感情があるなんてことはありません。私とガルディは友人です。それに私は魔王様のお世話係なんですから、どこにも行ったりなんてしません」
「じゃあ、話ってなに?」
「私はリュー様を嫌いになったりなんてしません。というお話です」
どこか不安そうにしていたリューグナーはロゼッタの言葉に目を瞬かせる。
そんなリューグナーにかまわず、ロゼッタは続けた。
「私は『アンジュ・リュミエール』です。リュミエーラ王国の姫です。同時に魔物の被害に怯えるひとりの人間です。いえ、『でした』の方が正しいですね。とにかく、そんな私がどうして魔王様お世話係になったのか、リュー様にはわかりますか?」
リューグナーは逡巡した様子で答えた。
「生きる目的が欲しかったから、じゃなかった? 予言通り俺に殺されなかったから、どうしていいかわからなかったんじゃないの?」
「そうです。生かされた意味がわからなかった私はあなたに名前をもらって魔王様お世話係の『ロゼッタ』になりました。
正直に言うと、初めはリュー様の傍にいることで魔王軍をコントロールして、侵略行為をおこなえないようにしようと思っていたんです。でも、あなたと過ごしていて私は変わりました」
リュミエール王国の城で『アンジュ』として人形のような人生を歩んでいた頃。
あの頃はいろいろなことを考えたり、悩んだりすることもあまりなかった。
自分の望みを持つことすらもほとんどなかったのだ。
それが、魔王城に来てから、ロゼッタはわがままになった。
「リュー様は、覚えていらっしゃいますか? 『本当の自分』のことを私は知らないと、リュー様は言ったんです」
「言ったよ。でも、ロゼッタは少しずつ人間らしくなってきたね」
「そうです。私を『人間』にしてくれたのは、リュー様なんです」
人形だったロゼッタを自分だけの感情をもち、望みを持つ人間にしてくれた。
それがリューグナーだった。
「リュー様と一緒にいて、リュー様がどれだけ優しい方なのか知りました。こんな方が侵略行為なんてするはずがないって今ならきちんとわかります。そんなあなたをどうして私が嫌いになるんですか」
半分怒った調子で言いたいことを言い終えたロゼッタに、リューグナーは一瞬固まったあとに、ぎこちなく視線をロゼッタから外す。
口を一度開いて、閉じる。
散々迷った様子だったリューグナーは意を決したように声を発した。
「……親殺しのリューグナー・ライヤーでもいいの?」
部屋の隅でうずくまる子どもの泣き声のような。
そんな頼りない声音だった。
恐る恐るリューグナーがロゼッタに外していた視線を向けてくる。
目が合ったところで、ロゼッタは何でもないことかのように、こくんと頷いた。
「リュー様がなんの事情もなくお父様を殺すわけがありません。なにか事情があったのだと思います。
お父様をその手にかけてしまったことに一番苦しんでいるのは、リュー様のように私には見えました。もう充分に苦しんでいるリュー様を責めることも、嫌いになる理由もありません」
「俺が馬鹿みたいに強いってのもわかったのに?」
「魔王様なんですから強くて当然です。むしろ私の理想の『立派な魔王様』としては必要条件です」
不安げなリューグナーに対し、ロゼッタはキリッと眉まであげて凛々しさすら感じる表情をしていた。
「リュー様には『立派な魔王様』になっていただかなければなりません。平和な世界を築くのでしょう? 世界を望んだ形にしてしまうのが『立派な魔王様』です。魔物も人間も魔族も。みんなが仲良く暮らせる平和な世界を勝ち取るには、力だって必要なときがあるかもわかりません」
「あ、はは」
力が抜けたように笑ったリューグナーは額に乗せていたタオルを目元へとずらす。
笑った彼の肩が小さく揺れた。
「ロゼッタは俺が思ってたより、ずっと強い女の子だったみたい」
「いえ。今回の件では無力さを痛感しました。私も魔法の勉強をしなければと反省しています。今更になってはしまいますが、改めまして、本当にガルディを救ってくださって。私のわがままを聞いてくださってありがとうございました」
深々とお辞儀をするロゼッタにタオルを外したリューグナーは、笑いながら首を横に振った。
「救われたのは、俺もなんだから。お礼なんていいんだよ」
「私は、なにもできていなかったと思うのですが……。あ、そうでした。ドルチェから魔力を回復するお薬をもらってきていたんです。飲んでください」
すぐに渡さなくてはと思っていたのに、リューグナーの高熱と話に夢中になっていて、うっかりしていた。
ポケットに入れていた小瓶をリューグナーに渡すと「うぇー」と嫌そうに顔をしかめられた。
「これマジで苦いんだよ、知ってるー?」
「知りませんが、飲んでください」
「なんか厳しくない? ロゼッタ」
「ドルチェに駄々をこねても飲ませろと言われているんです。リュー様には少々厳しいくらいから丁度いいとも」
「ドルチェめ〜! んじゃ、『一回だけなんでもリュー様の言うこと聞きます権』使ってもいいって条件なら、薬飲むよ」
マールのレストランでお金を持っていなかったロゼッタは、リューグナーに会計を任せるのが申し分けなさすぎて、「いいよいいよ」と言うリューグナーに無理矢理『一回だけなんでもリュー様の言うこと聞きます権』をプレゼントしたのだ。
いつでも使っていいつもりだったのだが、その条件で薬を飲んでくれるなら構わない。
「はい」と軽率に頷いたロゼッタにリューグナーは「よっし」といたずらっぽい笑みを見せてから薬を飲み干した。
「うっわ〜。ほんと、にっが。おぇ」
「そんなに苦いにおいはしませんが」
リューグナーが投げ出した小瓶を回収して、すんすんとにおいをかいでみるも、甘い香りしかしない。
「そのにおいかぐ癖どうかと思うよ。飲んだあとのものかがれるとちょっと恥ずかしいんだけど」
「あ、すみません。小さい頃よくガルディにも言われました。最近は気をつけていたつもりなんですが、つい。……魔王城にきてからは多分かいでいなかったと思うんですけど」
「まあまあまあ。細かいことはいいから、俺のお願い聞いてよ!」
熱があるというのにわくわくしている様子のリューグナーに、いろいろな疑問は置いておくことにした。
リューグナーはロゼッタを一年間監視していたのだ。その間ににおいをかぐ癖を見つけていたのかもしれない。
それはそれでちょっと気持ち悪いような気もするが、深くは考えないことにした。
「俺が寝るまででいいから、ここに居て」
無邪気な笑みと共にそう言ってベッドに横になったリューグナーは目を閉じる。
「熱出たときの定番のお願いだと思わない? でも、やーっぱり寂しいよね。熱出たときって」
「大丈夫です。ここに居ますよ」
自分でお願いしておいて恥ずかしかったのか、茶化しながらもわずかに頬を紅潮させるリューグナーの髪をそっと撫でる。
眠れないときは撫でてもらうとよく眠れる。
細くきれいな黒髪を撫でるとリューグナーは一瞬びっくりしたのか薄目を開けて身を固めたが、やがてゆっくりと体の緊張を解く。
「リュー様は、もっと私に甘えてくださいね。私も甘えてもらえるようなお世話係になれるようがんばります」
ふふ、と小さく笑ったリューグナーはそのまま幸せそうに眠ってしまった。
そういえば、どうして自分は撫でてもらうとよく眠れるなんてことを知っていたのだろう。
幼いころから、ロゼッタを寝かしつけてくれた人なんて存在しなかったはずなのに。
穏やかに眠るリューグナーの隣でうとうとしながら、ロゼッタはどこか懐かしいような気持ちに包まれていた。