11 禁じられた魔法
思い出したくもないあの夜。
何百個目かの世界を滅亡に追いやり、新たな魔族や魔物の住処とした、父であり大魔王・サタナスはいつも通りリューグナーをゴミのような目で見ていた。
まだ幼く、魔界学校の初等部に通っていたリューグナーは久々の父の帰宅に怯えていた。
大きな屋敷の一番奥。独房のような昏い部屋で縮こまっていたリューグナーをサタナスはいつものように殴りにくる。
伝説の大魔王とは思えないような泣きそうな顔をして、何度も何度も自身を殴りつけるサタナスにリューグナーは怒りや悲しみよりも、いつも彼の大切な妻・ルミナを殺してしまった罪悪感に震えていた。
「おまえなんかが……! おまえなんかが生まれてきたから、ルミナは!」
あの日の昼間。リューグナーは初めての攻撃魔法を魔界学校で教わったところだった。
大魔王の息子として申し分ない。いや、それを考慮したとしても尋常ではない彼の魔法の才能に教師は驚愕していた。
殴りつけられ、地面の冷たさを感じながら、リューグナーは昼間に教師に怯えられながらも褒められた魔法のことを思い出した。
父を攻撃しようと思ったわけではない。
殺そうと思ったのでもない。
ただ、この自分を殴りつけることしかしなかった父にただ一言でも褒めてもらいたかった。
「お父さん、見てて」
体中の痛みを感じながら起きあがったリューグナーは、リューグナーへの怒りを高ぶらせて乱れた息を整えていた父・サタナスに突き出した手のひらを見せた。
「今日ほめられたんだ」
あんな状況で、殴られたばかりの中で。
どうして、褒められたいなんて馬鹿なことを思ったのかわからない。
だが、あの夜。
あの魔法を見せておかなければ、自分はこの後いよいよもって父に殺されてしまうんだろうという予感がしていたのだ。
先回りして父を殺そうと思ったのではない。
殺される前に父に一言、愛情が含まれた言葉をかけてみてもらいたかった。
ただ、それだけだった。
*
「完了。それじゃ、あとはよろしく!」
リューグナーとガルディを包んでいたまばゆい光が消え去った後。
禁書を閉じたリューグナーは脱力した様子でそう言うと、すぐにロゼッタの部屋から手を振って居なくなってしまった。
さっきまでベッドに座っていたガルディは倒れ込むようにベッドで眠っている。
見た目に変化はない様子だが、顔色は随分よくなっている様子だ。
「……本当に、ガルディは魔族になってしまったの?」
「ええ。今は魔族として順応するために眠ってるだけ。もうなんの問題もないわ」
生きるためとはいえ、勇者が魔王の配下である魔族となった。
ロゼッタの義父・レックスが知れば、卒倒しそうなほどに彼の計画は崩れに崩れてしまったわけだ。
義父・レックスのシナリオ通りに生きることを求められ続けてきたロゼッタは、今目の前で起きたことがあまり信じられなかった。
予言からはずれて、自分が生きていることだけでも不思議だったのに、目の前でガルディが魔族になったのだ。
一瞬呆然としてしまったが、このままぼんやりしていても仕方がない。
ぐったりした様子で去っていったリューグナーのことも気になり、傍らにいたドルチェを見ると、彼女は苦々しげに唇を噛んでいた。
「ドルチェ? どうしたの? ……ガルディが魔族になったことがイヤ?」
勇者であるガルディが自身と同族になったことをドルチェは嫌悪しているのだろうか。
不安に思って声をかけるとドルチェは首を横に振った。
「リューグナーは適当な奴よ。魔王としては最低。でも、あたしはあいつのやり方は嫌いじゃない。だから、あいつのやったことに反対なんてしない。けど……」
顔をしかめたドルチェは悩んでいる様子で親指の爪を噛んだ。
「あの禁術はまずいかも」
「なにかあるの……?」
「あれは普通の魔族が使えば……死ぬような魔法よ」
ドルチェが重い口で告げた事実にロゼッタは目を見開く。
魔族になってしまったとはいえ、ガルディが救われたことで安堵していた心が一気に冷えて固まったような感覚がした。
「リュー様は……リュー様は死んでしまうの?」
震える口で呟いたロゼッタにドルチェは、ハッとした様子で首を横に振った。
「大丈夫よ! 誤解させるような言い方して悪かったわ。あいつは魔王の中でも特別。禁術くらいで死んだりなんかしない」
「リュー様は特別?」
抜け殻のような声で呟くロゼッタにドルチェは「ええ」と頷いた。
「あいつは魔界でも有名なあり得ないほどの魔力の器を持ってる。それこそ伝説の大魔王って呼ばれてる魔族よりも」
「……リュー様が殺してしまったのは、その方なの?」
恐る恐る口にした質問はドルチェの表情を凍らせる。
サッと青ざめたドルチェは「どこでそれを」と呆然と呟いた。
「ガルディを襲ったワイバーンが言っていたの。親殺しとか、伝説の大魔王だとか……。どういう意味なのかわからなくて」
「あいつ。あんたにだけは知られたくなかったでしょうね」
ぼそりと呟いたドルチェは数秒頭を抱えた後に決意した表情で顔をあげた。
「言うか迷ったけど、あの禁術は普通は三人の魔族を生け贄にして完成する魔法なの。それをひとりでやってのけたリューグナーはたぶん相当疲弊してると思う」
「リュー様は大丈夫なの……?」
「あんたに知られたくないことも知られちゃって、あいつ実はメンタルやわやわだから相当参ってると思うわ。身体的にもきついだろうし、後でこっそり看病にでもいってやろうと思ってたけど、ロゼッタが行ったほうがいいと思う」
ドルチェは腰にさげていたポシェットから小瓶をひとつ取り出す。
不安げにしているロゼッタの手にそれを握らせると、ドルチェは力強く頷いた。
「リューグナーは、あんたに弱みを知られたくないの。ロゼッタに弱いところを絶対に見せたくないアホな奴なの。でも、今のリューグナーには、ロゼッタが必要なんだと思う。かっこつけてたって、最強の魔王だって、リューグナーはひとりぼっちの寂しい魔族なんだから」
「私にリュー様を助けられるのかしら?」
「あんたじゃなきゃダメなのよ。きっと。この小瓶は魔力回復の小瓶だから飲ませてやって」
ぽんぽんとロゼッタが小瓶を握った手を軽くたたいたドルチェは微笑んで頷く。
幼い顔に浮かんだ笑みは大人びているものだった。
「任せたわよ。お世話係なんでしょ」
*
ガルディのことをドルチェに任せて、ロゼッタはリューグナーの私室前に来ていた。
ここに連れてこられた日もこうしてリューグナーの部屋を訪れて魔王様お世話係に任命された。
生きる目的がほしくて、『アンジュ』としてはもう生きていけなくて、どうしていいかわからなくて縋るようにリューグナーに生きる意味を求めたロゼッタに、彼はお世話係という役割をくれたのだ。
命を救ってくれて、生きる意味をくれて、さらには勇者であるガルディまで助けてくれた。
そんな彼には伝えたいことがたくさんあった。
「リュー様。ロゼッタです」
ノックをして声をかけると数秒の後にドアが開く。
気怠げにドアを開いたリューグナーは先程までとは明らかに様子が違っていた。
真っ直ぐだった艶やかな黒髪は乱れ、いつもいたずらっぽく光る大きな紅い瞳は涙で潤んでいる。
頬も蒸気しており、ぐったりとした様子のリューグナーはドアの向こうにロゼッタの姿を見ると、すぐにロゼッタを真正面から抱きしめた。
「あの、リュー様」
突然の抱擁に驚いて、彼の背中をぽふぽふとたたいてみる。
全身が燃えるように熱い彼に熱があることは確かだった。
「ロゼッタ」
すり、と頬ずりするようにロゼッタを抱き寄せたリューグナーは泣きそうな声で囁いた。
「嫌いにならないで」
子どもの泣くような声にロゼッタは戸惑いながらも、リューグナーを連れて彼の部屋へと入っていった。




