01 新たな舞台
「リュミエーラ王国の姫君は魔王に呪われ、三日三晩苦しみ抜いた後に悲惨な死を遂げるでしょう」
轟く雷鳴と漆黒を一瞬白く染める稲光。
血を思わせる真っ赤な絨毯の上に置かれた椅子に座らされたリュミエーラ王国の姫君は、いよいよもって訪れたこのときに何の感情も抱けていなかった。
「確かそんな予言だったよね、お姫様」
腹の底に響くような激しい雷の轟きの中でも聞こえるその声は、姫が物心ついたころから想像していたものよりは幾分か高く、爽やかな響きさえ感じられるものだった。
痩身にして長身。幼さを感じさせるいたずらっぽい笑みを口元に浮かべた整った顔は女性らしさを感じるほどに美しい。
もっと筋骨隆々の大男なのだろうと想像していたにもかかわらず、見た目は弱そうなその姿に姫は思った。
私を殺す魔王はこんなに美しい存在だったのね。
昨夜。姫はあっさりとこの魔王に誘拐された。
魔物と騎士との激しい戦いなんかもなく、警備された城の中でいともあっさりと拐われたのには理由がある。
姫は、本物の姫なんかではなかったからだ。
アンジュ・リュミエール。
リュミエーラ国の本物の姫君である彼女は、生まれた瞬間に占い師によって悲惨な未来を予言されて、王によって隠された。そして、アンジュの身代わりとして用意されたのが、今ここにいる『姫』だ。
本物の親などわからず、本当の名前も知らず、偽りの姫君として完璧な姫を演じ続けることを求められ続けてきた人生は、「魔王に殺される」という結末が決まっている舞台だった。
父王にも愛されず、事情を知っている者からは哀れまれ、偽りの姫君を演じることに心苦しさを覚えてきたこの生涯の中で、「魔王に殺される」というラストシーンは『姫』にとっては輝かしいものに感じられた。
やっと。やっと私の舞台は終わる。
特別死にたいと思って生きてきたわけではない。
孤独を感じることの多い人生ではあったが、喜びだってもちろんあった。誰にも愛されなかったなんて悲劇めいたことも思わない。
けれど、魔王に殺されるために偽りの姫君となった『姫』にとって、このラストシーンは感慨深いものだったのだ。
なにかの魔法がかけられているのだろう。拘束具はなにもつけられていないのに、いっさい自分の意思では手足を動かせない。
それでも死への恐怖からか強ばっていた体は、やっとアンジュ・リュミエールを演じる舞台から降りれるのだと思うとふっと力が抜けた。
「今から殺されるってのに、笑ってんの? おかしなお姫様だね」
おかしそうに笑う魔王の言葉で『姫』は自身の口角があがっていることを知る。
魔王に殺されることは知っていたことだ。こんなに綺麗な魔王に殺されるのなら、舞台の終焉としては悪くはない。
『姫』は誘拐されてきてはじめて口を開いた。
「予言は幼い頃から知っていました。覚悟は決めておりましたので、怖くなどありません。
今までの人生の中で私は精一杯輝きました。私なりに姫として民を思いました。愛される姫君であろうと足掻きました。私の『舞台』には、一片のミスもありませんでした。
これから続くのでしょう三日に及ぶ苦しみで無様な姿をさらす前に、魔王様にかわいらしい姫の微笑みを見せておこうと思ったまでです」
「自分でかわいらしいとか言っちゃう系のお姫様なわけ? うわー恥ずかしー」
「姫君ですのでかわいらしくあろうとは努力してきたつもりです。なので、結果平均よりは、かわいくあれただろうという自信はあります。スキンケアから体型維持まで手を抜いたことはございません。
それより、私は魔王がこんな軽薄な方とは思っていませんでした」
「姫らしいっていう君の定義がよくわからないけど、俺的にはそんな淡々としゃべりまくるお人形さんみたいなお姫様が姫らしいっていうのかはよくわかんないけどね」
皮肉っぽく肩を竦めた魔王は「さて」と一言言うなり、紅い瞳を冷たく細めた。
さっきまで魔王城とは思えないほどに軽薄だった場の空気は一変する。
花々が一瞬で凍りついてしまいそうな鋭く冷たい空気をまとった魔王は、一歩ずつ踏みしめるように『姫』の元へと歩を進めてくる。
「お姫様。名前は?」
「ご存じないのですか? アンジュ・リュミエールと申します」
「アンジュ? 『天使』の意味を持つ名だなんて似合わないなあ。俺が君にぴったりの名前をあげるよ」
魔王は邪悪な笑みを口角に浮かべる。
魔王の紫の魔力をまとった手のひらが『姫』の眼前で広げられた。
幕が降りる。偽物の姫君としてお姫様を馬鹿みたいに演じ続けた、名もなき少女の舞台が終わる。
開放感と恐怖。喜びと悲しみ。押し寄せる感情の波に耐えようと『姫』が強く目を閉じると、魔王の指先が眉間に押し当てられた。
「ロゼッタ」
破裂したみたいな衝撃が眉間に走った。
「うぁっ」と痛みから変な声が出たが、体のどこにも異常はない。
眉間を両手で押さえてそろそろと目を開けると、『姫』ーーロゼッタの眉間を弾いたのだろう魔王の指は、眉間を弾いたそのままの形でロゼッタの目の前に未だ存在していた。
その手の向こう側。いたずら大成功といった表情をした魔王はにんまりと嬉しそうに笑っていた。
「ロゼッタだよ、ロゼッタ。わかる? 君の名前は今日からロゼッタ」
「……は?」
「はいはーい! 演出係ー! 終わりおわり。雷やませてー。うるさいから。大声出すの疲れるし」
ぱんぱんと軽快に魔王が手をたたくと遠くの方から「あんたがやらせたんでしょ!」と怒鳴る少女の声が聞こえる。
その直後、並んだ大きな窓の向こうに見えていた雷はぴたりと止み、爽やかな朝日が室内に差し込んできた。
神々しい太陽の光を背負った魔王が大きな紅い瞳を柔らかく細める。
耳の上に羊のようなくるりと丸まった角さえついていなければ、どこの国の爽やか王子だろうという風貌の魔王はぽかんとするロゼッタの髪をいたずらにくしゃりと撫でて笑った。
「予言は約束と同じ。破るために存在するんだよ、ロゼッタ」