#005 駄菓子屋
北原春が今いるの蓬丁にある、瓦屋根の平屋だ。春は、三日前に神田優から連絡を受け、携帯の地図アプリを頼りに目的の住所まで来ている。しかし、改築したような真新しさがある瓦屋根のただの平屋で、真っ黒なスーツ姿の春には似つかわしくない住宅だ。
春は、間違えたかなと思いもう一度地図アプリで現在地を確認したら間違っていなかった。平屋建ての外には『準備中』の看板が立てかけられているので、お店ではあるようだ。
春は、そっとドアを開けるとコンクリートの床に空っぽの棚が並んでいるだけで人の姿はなかった。力の抜けた声で「ごめんくださ~い」というと言うと奥から「はあ~い」と細い声が聞こえた。春は、身なりを直し中に入って引き戸を占めた。
さささと足を引く音と共に奥から姿を現したのはおばあちゃんだった。
「あら?春さん?」
おばあちゃんは桜子さんだった。
「え?桜子さん…」
「もしかして、優さんが言ってたのは春さんなのかしら?」
「優さん…。えっと、神田優さんですよね?面接受けにこちらに伺ったのですが、間違いじゃなかったみたいです。はい…」
実を言うと優が後日詳細をメールで送ると言っていたが、面接の日時と場所以外教えてもらえなかった。余りにも怪しい為、受けるかどうか迷っていたが、他の会社での面接は何処も失敗して藁にも縋る思い出、今日家から出たのだ。
「こんな偶然もあるものですね。さあ、上がってください春さん」
「あ、はい」
春は、デッキの上に座りパンプスを脱ぐと一段上がって部屋の畳を踏んだ。
「外は暑いでしょう?何か飲みたいものはあるかしら?なんでもあるのよ」
「緑茶でお願いします」
「少し待っててくださいね」
春は広い居間に通された。座布団の上に座って桜子さんがくるのを待っている。開かれている障子の向こうには縁側があり、その向こうには手入れの行き届いた庭が広がっていた。暫く、ぼーっと眺めていると桜子さんが戻ってきた。
「どうぞ。鴎屋の栗羊羹もどうぞ」
冷たい緑茶と綺麗に切り分けられた栗羊羹を春の前に置くと桜子は向かいに座った。
「いただきます」
春は、緑茶を飲み栗羊羹を一口食べると、甘すぎず優しい味がした。
「ねえ。春さんは優さんとどこで出会ったの?」
おばあちゃんの突然の言葉にびっくりした春は栗羊羹の刺した竹串を落としそうになった。動揺を隠して、一度羊羹を戻し、両手を行儀よく膝の上に置いた。
「あの…具合が悪かった時に一緒に病院まで来てくれたのが神田さんだったんです」
「そうだったの。あの子、困っている人を放っておけないもの。良かったわ」
「え?」
桜子はにっこりと笑い、こう続けた。
「だって、そのおかげで春さんとまた会えたのよ。ねえ、春さん。ぜひ、私のお店で働かないかしら?きっと、何かの縁で結ばれたのよ。ここで、春さんが暮らして貰ったら私も楽だわ。歳を取ると、何かと大変な事が増えてくるものね」
「私でいいんですか?」
春は桜子に聞き返した。27歳という中途半端な歳で会社をクビになった春の事を必要としてくれている人がいた事には嬉しいが、桜子さんが望むような人ではなくて、またクビになったら今度こそ春はパートで食いつなぐ生活がまっているかもしれない。しかし、桜子さんが春に対して絶大な信頼を抱いていることに少しプレッシャーを感じた。
「勿論よ。こんな老いぼれの介護は大変だろうけど」
「介護だなんて…」
「ねえ。春さん、一緒に住みましょう!きっと楽しいわ」
桜子は向かいにいる春の顔を見てにっこりと笑った。しかし、春は桜子と自分が考えている事が少しずれている事に気づいた。先ほどまで感じていた違和感をだ。
「あの…桜子さん。一緒に住むってどういう…?」
「あら?優さんから聞いてないかしら?この家、広いでしょう?毎日一人で掃除するのは大変だし、私もこの歳で一人で住むのは危ないって息子夫婦が言うのよ。でも、介護施設に入るのは退屈で、かといってヘルパーさんが毎日家に行き来するのも面倒だもの。なら、一緒にホームシェアーしてくれる若い方がいたら毎日の生活が楽しくなるかなって思ったの」
目じりの皺は私の錯覚な気がした。桜子さんの考えは今の若い子にも負けないくらい柔軟だっただ。。
「でも、知らない年寄りと一緒に住みたがる若い方なんていないから、職員として雇ったらどうかなって思ったの。この家を改築して駄菓子屋にしたのもその為なのよ。余生は駄菓子屋を開くのが夢だったわ、大人も入れるようにお茶やデザート、簡単な食事も出せるようにするつもりだわ。そうね…駄菓子屋兼喫茶店かしら?」
ふふふと笑った桜子さんは冷めた緑茶を一口飲んだ。
春は胸が躍った。こんなに素敵なおばあちゃんの駄菓子屋で働けることが。
「ねえ。春さんどうかしら?」
「お願いします!!!ホームシェアーさせてください!!」
こうして、桜子と春のホームシェアーが始まった。