#002 アイスキャンデー
2話は軽く読めると思います。最初に考えていた方向にすると書く事が続かないような気がしたので( ´∀` )
北原春は不幸な娘だ。三日連続の徹夜明け、満員電車に揺られながら会社に向かう途中気絶し、一日無断欠勤した挙句、初対面の男に最後まで世話になる始末。
神田優という男は満員電車で勇者の如く春を救い出し、病院の支払いを済ませておくスマートさを兼ね揃えた優男であり、スカートの血の染みを自身の背広が汚れようと気にしない出来た人間だ。
あのサングラス男が言う命の恩人というのがヤサ男もとい神田優であり、今となっては申し訳ないという気持ちだけしかなく恩人に対する感謝の気持ちというのはあまり感じない。爆弾を投下するタイミングを計ってほしかった。
神田優に入院費と小さなメモ帳に電話番号を書いて押し付け逃げ出して来たのはいいものの会社に到着してなお災難な目に合うとは誰が思うだろうか。
「ええと、中田君…私の席は…?」
あるはずの資料が山積みになっているデスクは無く、そこには春の身長程ある観葉植物が置かれていた。
「その…北原先輩…クビになりました…すみません」
部下の中田は気まずそうに目を泳がせてこう答えた。すると春の名前を高々に呼ぶ直属の上司、浜田が椅子にどっかり座り春を睨んでいた。
春は、眉を寄せながら浜田のデスクの前まで行くと浜田は冷たく言い放つ。
「君はクビ」
「はい?」
たったの五文字のそのセリフに春は理解が出来ず、聞き返すと浜田は鬱陶しいハエを追い払うように手を二度振った。
「うちの会社、今新しいプロジェクトの立ち上げで資金不足なのは知ってると思うけど、人員削減のために君には辞めてもらわなければいけなくなった」
「そんなの困ります!こんな、いきなりクビなんて可笑しいです!」
(私が今までこの会社に貢献してきた時間はなんだったのよ!?)
深夜労働してきた春はぐつぐつ煮え始めた怒りに顔が真っ赤に蒸気していた。
「会社の方針だよ君。君の荷物はあそこだ。ドアはあっちにある。社員証は置いて行きなさい」
浜田は春の私物が無造作に投げ込まれている箱を指さし次にドアの方にクイッと顎を動かした。
言いたい事がたくさんある。このまま終わっては堪るかと思った春は手を伸ばした。
「お世話になりました。ここに社員証置いて行きますね!」
春は、浜田の頭に手を伸ばしその髪を掴むと上に投げ飛ばした。するりとクラゲが傘を開閉するかのように黒いカツラは宙を舞い。それを見ていた社員の中には目を丸くして驚く者もいたり、口元をニヤリと上げる者もいたり様々な表情があった。
春の行動に驚いてカツラに手を伸ばそうと立ち上がる浜田のつるりと輝く頭に春は自身の社員証を押し付けるように叩きつけた。上からの圧に元の椅子にひっくり返る浜田は茫然とイカの干物に成り下がったカツラを見つめる事しかできなかった。
春は箱をよいしょと持ち上げ、ドアの前で90度のお辞儀をして出て行った。
―――――――☆彡―――――――――
暑い夏というのは冬に比べるとやる気と元気が湧いてくる季節である。しかし、北原春には元気もやる気もなくなっていた。自分の今までしてきた事がまるでごみ屑を捨てるように箱に捨てられていた。私物が入っている箱には新プロジェクトのポスター案が入っていたが必要なかったようだった。啖呵を切って会社を辞めた物のこれからの自身の生活は誰が保障してくれるのだろうかと公園のベンチに座って頭を抱えていた。
「おばさん。どうしたの?」
頭を垂らし蟻の様子をジッと見ていた春に声をかけたのは暑い夏に似あうブルーのアイスキャンデーを片手に鼻水を半分垂らした少年だった。
この際、おばさんと言ったのは置いておいて、ご時世に知らない大人に声をかける子供というのは珍しいのではないだろうか。大体の親は知らない人に近づくなと躾けるのが大半だ。
「どうしたと思う?」
少年は溶けかけのアイスキャンデーをペロリと一舐めして、うーんとわざと考える振りをすると「会社クビになった~」と言う。
図星をつかれて体に槍を突かれたような痛みを感じた。
「ど、どうしてかな~?」
痛みだす胃を摩り、そう答えた。
「うんとね~。この時間に公園にいる大人って会社、クビになっているかホームレス位だってミカコちゃんが言ってたんだ」
「ふ、ふ~ん。ミカコちゃんてお友達?」
最近の小学生の話題にホームレスや会社をクビになった大人の話が出ている事に驚いたが、ませたがるこの年頃ならありえる。
「違うよ。ミカコちゃんは公園に良く来る姉ちゃん。でも、今はテストしゅうかんって言うので忙しくて来れないんだって」
「中学生?」
「いいんや~。西高」
西高等学校は蓬丁になる学校だ。ここから徒歩20分位にあり、高層ビルが立ち並ぶここ桐越丁とは違って、3年前に整備されたニュータウンだ。
そのミカコちゃんという西高の女の子がこの公園に遊びにくる小学生達にいらない事を教えていることが分かった。
「お・ね・え・さ・ん、は今日会社休みでここに休みに来てるだけだよ」
少年はタコのように唇を出して「え~嘘だ」と言った。
「だって、俺テレビで見たよ。これ会社クビになると貰える箱だろ」
少年はポケットに突っ込んでいた左手を出して、春の横に置いてある箱を指さした。
(くっ、鋭い奴め。本当、テレビって碌な事教えない!!)
春は一度溜息を吐くと「そうだよ」と続けた。
「可哀想おばさん」
少年はぺろりとキャンデーを舐め、キャンデーを春に突き出した。ベンチの背もたれに持たれて木を見上げていた春は少年の突き出したキャンデーに目を移した。
「あげるよ」
酒は憂いを払う玉箒と言うが少年の唾液まみれで溶けかけのキャンデーは全然嬉しくない。
「おばさんじゃないわ」
おばさんではないという事だけを訂正して、少年とのやり取りも面倒になった春はまた、背もたれにもたれ木を見上げた。
すると、少年の「あっ」と言った数秒後、足に冷たい感覚が伝わる。
棒についていたキャンデーは春の足の甲に落ちてストッキングを水色に染めた。
セミの鳴き声は最後の命の力を振り絞ってか更に耳の鼓膜を揺らし、それと同時に少年もわあっとセミに負けない声をあげ踵を返し逃げて行った。
「不幸だ」
セミの鳴き声にかき消され春の言葉はなかった事になれた。